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にこ「学園祭行くわ」

1 : ◆l6VxrrCR6U :2018/05/31(木) 12:11:01 2MwPSm7U
昼過ぎになって、私はパジャマを着替え、出掛ける準備を整えた。
十三時を回る頃にはPCの電源を落とし、火の元、鍵などを確認して家を出た。
まだまだ残暑は厳しいのに、晴れ渡った空を確認すると不思議と心が躍った。


2 : ◆l6VxrrCR6U :2018/05/31(木) 12:11:34 2MwPSm7U
十三時前に音ノ木坂学院の正門前に到着すると、先に来ていたであろう友人のEは暇そうにスマートフォンをいじっていた。
私「お待たせ」
そう声をかけると、彼女は顔を上げるなり調子良さそうに笑った。
E 「あら。久しぶり」
私「久しぶりね。最後に会ったのいつだったかしら」
E 「半年くらい前じゃない?確か卒業シーズンの時の飲み会」
何でもない会話をしながら学園祭の用に装飾された正門をくぐり、制服に腕章をした生徒からパンフレットを受け取る。
どうも、と頭を軽く下げてから、約十年ぶりの学校を見渡してみた。
私「変わってないなあ」
E 「案外そのままね」
所々色褪せたような気もするけど、改築や増築などはここから見た限りでは施されている様子はなく、記憶の像とピタリと被る。
私「人増えてるならもっと改装すればいいのに」
E 「そうね。けどその姿が人気なら無理に変える必要ないのかも」
私「ああ、確かに」


3 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/05/31(木) 12:11:56 2MwPSm7U
一度も使ったことのなかった来客者用玄関から校舎に入り、靴をスリッパに履き替えた。
ひんやりとした床に懐かしさと新鮮さを覚えながら、パンフレットを開く。
私「どこ行く?」
E 「特に希望は無いけど。にこは?」
聞くに当たって決めておいた候補を告げる。
私「なら、この料理体験コーナー行ってみない?」


4 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/05/31(木) 12:12:20 2MwPSm7U
調理室の扉を開くと、調理室特有のシンクか何かのにおいにチョコレートの甘いかおりが混じって漂ってきた。
中に入ると、その懐かしい教室に思い出が蘇る。
昔から料理が好きだった私は、一、二年生の時、調理部から目を付けられてここで出展を手伝わされたのだ。
あの時と同様、料理体験と掲げていながらそのメニューは甘いスイーツで占められており、そもそも料理と言うにはどれも手順が簡単すぎる。
ホットケーキを自分で焼く企画はまだいい方で、中には生クリームを泡立てて出来合いのスポンジに塗るだけのケーキ作りや、チョコレートを一度溶かして自分の好きなものを混ぜて再度固めるだけのオリジナルチョコ作りまである。
室内を眺めていると、Eが子供のように私に振り向きながら指さした。
E 「あれやってみたいわ」
指さされたテーブルではオリジナルチョコ作りが行われている。
特に拒む理由はないので一緒に作ってみることにした。


5 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/05/31(木) 12:12:51 2MwPSm7U
──
──


6 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/05/31(木) 12:14:24 2MwPSm7U
小さなビニール袋を手に調理室を後にする。
E 「結構奥が深いのね」
私「ええ。思ってたより苦戦したわ」
市販のお菓子、飲み物、調味料、香料など、具材はバリエーションに富んでおり、分量や混ぜ具合も関連してくるので、独自性が試されて面白かった。
料理ではなく研究に近いと思ったがそれは口にしないでおいた。
E 「家でも楽しめそうね。亜里沙とやってみようかしら」
亜里沙とは彼女の妹の名前だ。
微笑ましさを感じると同時に、私自身の妹のことを考えた。
素敵な青春時代を過ごしているだろうかと思いを馳せていると、パンフレットを開いていたEが行き先を提案した。
E 「クラスの出展見て回らない?このお化け屋敷、興味あるの」
肌寒い秋の風がどことなく吹いた。


7 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/05/31(木) 12:14:47 2MwPSm7U
──
──


8 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/05/31(木) 12:15:27 2MwPSm7U
お化け屋敷、ミュージカル、ボウリングといったどこにでもありそうなものから、目隠ししたまま脱出する迷路やトロッコ風の乗り物に運ばれるアトラクションなど聞いたことすらないものまで数多くの出展を見て回った。
正直に明けると、各クラスの出展にはあまり期待していなかった。
高校生による、あくまで盛り上がりを重視した企画であって、主に低い年齢層と内部の人を対象とした出しものをいい年した大人が楽しめるとは思わなかったからである。
でも、確かに完成度に物足りなさは感じても、内容自体に少々の不満を感じても、思いの外楽しむことができた。
彼女らの本気さ、真剣さ、精一杯楽しんで相手にも伝えたいという気持ちがひしひしと伝わってくる。
協力して作ったであろう装飾、この日のためだけに用意されたTシャツ、仲間との会話、表情、笑顔。
青春を楽しんでいる姿に趣のようなものを感じたのだ。


9 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/05/31(木) 12:16:02 2MwPSm7U
E 「人が多いから暑くて嫌ね」
私「増築した方がいいわよ、これ」
先ほど飲み物を販売しているクラスで購入したお茶を飲みながら、廊下の壁に寄りかかって休憩していた。
歩き回ったせいもあり、少し足が重い。
E 「三、四年前はここまでじゃなかったんだけど」
私「人気になりすぎるのも問題ね」
E 「けど、廃校よりは全然よ」
私たちが通っていた頃のこと、ここ音ノ木坂学院は廃校の危機に晒された過去がある。
色々なことがあって、奇跡的に免れ、さらにちょっとした人気校にまでなり上がった。
学園祭に訪れた際の快適さよりも母校が無くならないことの方がありがたいのは当たり前のことだった。
この学校には思い入れもある。だからこそ、若い時におかしな意地を張って学園祭に行くことを頑なに拒否して、とうとう十年近く一度も訪れなかったのだから。
幼い自分もまた今になってしまえば思い出だ。
そう考えていて、ふと思い出して腕時計を確認すると十五時十分前。
心なしか人の動きに流れができ始めているように見える。
私の視線で察したのか、Eが言った。
E 「行きましょうか、ホール」
約束もしていないのに私を見通した彼女に得意の色は無く、それは私たちにとって決まり切ったことであるということを意味していた。
ペットボトルのキャップを閉めた。


10 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/05/31(木) 12:16:34 2MwPSm7U
ホールには既に多くの人が詰めていて、今にも満員御免の札が掛けられるのではと心配になりながらも何とか押し入ることができた。
すぐにライブは始まった。
とある部活動による有志のライブだ。
室内の照明が落とされ、観衆の声は静まりかえった。
息を呑むような緊張感の中、ゆっくりと幕が持ち上がり、待ち人の陰が次第にあらわになる。
完全に開かれた次の瞬間、舞台上に照明が照らされてリーダーらしき中央の人が手前側におどり出た。
「学園祭楽しんでますかー!!」
『────!!』
マイクを通して叫ばれた言葉に、弾かれたように一斉に言葉にならない雄叫びを上げる人々。
膨大な熱量がそこにあった。
私はもちろんのこと、何度もライブを見たことがあるであろうEさえも、その光景に息を止める。
「ラストスパートですよ!もっともーっと盛り上げちゃいますよ?いいですか?」
『────!!』
「OKです!ラストなんで超全力で頑張っちゃいますからみんなついてきて下さーい!」
そして、一曲、二曲、三曲と歌われた。
全力で歌う舞台上の彼女たちと全力で盛り上がる観客たちを目の前にして、不思議なことに段々と冷静になった。
あの子の瞳はスポットライトを反射していたけど、確かに輝いていると感じた。
私もまたあの輝きを知っていたから説明を超えてそう直感した。
楽しんでいるんだ。
全力で。
本物が見えるから。
そう思うと、自然と口元が緩んだ。


11 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/05/31(木) 12:16:54 2MwPSm7U
ライブが終了して、十五時半を過ぎ、多くの人が帰り始めた。
Eもまた迷うことなく廊下を歩いているけど、一つ、寄りたいところがあった。
私「部室見ていかない?」
E 「ああ、そうね」
声色にうっすらと優れない色があった。


12 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/05/31(木) 12:17:49 2MwPSm7U
記憶を頼りに、私やE、その他の仲間たちが使用した部室の場所へと足を運んだ。
変わり果てた姿は予想していたし、覚悟だって十二分に出来ていて、覚悟も何もそういうものだと年を重ねて知っていた。
はずだった。
そこに部名は見当たらなかった。
部室はなかった。
あったのは、薄暗い物置部屋だった。
E 「規模の増大に合わせて、部室を移動したんじゃないかしら」
私としたことが虚しさを感じた。
ちょっと、悲しかった。


13 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/05/31(木) 12:18:31 2MwPSm7U
E 「ねえ。せっかくだから、入ってみましょうよ」
私「そうね」
鍵はかかっていなかったので入ることができた。
ほとんど使われていないのか、換気や掃除がされておらず、カビと埃のにおいが充満していた。
大量の書類と、薄汚れたよく分からない機械。
カビ臭くて鼻から息を吐いた。
E 「ああ、けどロッカーとか机は変わってないのね。懐かしい。にしても埃っぽい」
やたらと一人で喋っている彼女は、きっと私のことを気遣ってくれていた。
以前に知って、ショックだったのだろう。
ないがしろにはしたくない。
私「ほんっと埃っぽい」
目の前にあった机をなんとなく手でこすってみた。
すると、そこにはカッターか何かで薄く線のように彫られた後が残っていた。
それは、意味不明な文字列だった。
今の私には、きっと、そうだから。
私「行きましょうか」
そして、私は彼女にそう言った。


14 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/05/31(木) 12:19:37 2MwPSm7U
 ファイトだよ!
 ことりのおやつにしちゃうゾ♪
 ありがとうございました。
 だれかたすけてー!なんてね
 ラーメン食べたいにゃー
 まきちゃんこれからかきくけこ
 また会いましょう?
 ワシワシMAXやで〜
 にっこにっこにー��


15 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/05/31(木) 12:20:02 2MwPSm7U
久々にEと会えたのにこのままお開きでは味気ないので、学校から近いファーストフード店で一緒に夕食をとっていく事にした。
部活帰りなどに度々利用した店だった。


16 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/05/31(木) 12:20:30 2MwPSm7U
店内に入り、列に並び、ごく普通に注文をする。
注文する内容は昔と変わらなかった。
私は、チーズバーガーにポテトフライ、ストロベリースムージーのセットなのに対し、Eはチーズバーガーにポテトフライ、チョコレートスムージーのセット。
スムージーの味以外変わらない。
手頃な席に着いて、適当な会話をしながら食事をする。


17 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/05/31(木) 12:20:53 2MwPSm7U
ポテトフライをつまんでいると、Eは残り何本かのポテトフライを見つめながら呟く。
E 「みんな、元気かしら」
みんな、というのは、部活のメンバーのことを示していた。
学年の隔たりすらなく、良き場所だった。
今回Eと二人きりなのだって、彼女と特に仲が良いからだとか、そういった理由じゃない。
全員に連絡して、都合が合うのが彼女だけだったに過ぎない。
勿論それで不満なんてない。
それに、学生ではないのだから、予定が合わないのは当たり前だ。
私もまた、ここ数年学園祭に行く予定を立てようとしたものの、結局行けずじまいで今年になって初めて行けたのだから。
みんな、変わっていくから。
顔が見たい。


18 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/05/31(木) 12:21:45 2MwPSm7U
E 「なんか、さ」
彼女は体を背もたれにまかせて視線を天井にやった。
E 「こういうものなのかしらね」
私「変わっていくのよ」
私のポテトが尽きたのでEのポテトを食べた。
E 「私の……」
無視してお化け屋敷が苦手なはずのEに聞いてみた。
私「お化け屋敷、苦手じゃなかった?」
笑った。
E 「もう大人だもの。怖くないわ」
私「ふうん」
くすぐったい感情を覚えて、勢い良くストロベリースムージーを吸うと、ずずっと音を立てた。
私「帰りましょうか」
そして、私は彼女にそう言った。
 
 
 
 
 
 



19 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/05/31(木) 14:59:28 OW/rMICE
ありそうな未来
にこえりってチョイスと雰囲気好き、乙


20 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/05/31(木) 22:58:09 pw/QpUX.

絵里をEと表記したのがどういう意味なんか気になる


21 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/06/02(土) 01:41:47 aL3ib7YA

>>14のとこ凄く切ない


22 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/06/02(土) 02:14:55 QqRHD0a2

落ち着いて淡々とした感じが大人っぽくあり寂しさもあって良かった


23 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/06/03(日) 09:03:30 MDVLgyJc

ビターな感じでよかった
10年経ってるからこころあの学園祭に来たと思ったけど
そうじゃなかった感じなのかな?


24 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/06/03(日) 11:53:49 zJA9ixgI
こころあもさすがに卒業後じゃないの?


25 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/06/07(木) 21:34:57 gScrE.yw
ドン・ファンの隠しネタ
http://bit.ly/2JVc7to


26 : ◆l6VxrrCR6U :2018/07/23(月) 03:17:41 QvsEem2k
以下再利用 なんか落とされないので

使いたかったら誰でも使って下さい 超長いのでも短いのでも上げてどうぞ
ただし書き溜め推奨 複数人で混じる


27 : ◆l6VxrrCR6U :2018/07/23(月) 03:17:54 QvsEem2k
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28 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/07/23(月) 03:18:11 QvsEem2k
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29 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/07/23(月) 03:19:31 QvsEem2k
穂乃果「水色のアイスキャンディー」


30 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/07/23(月) 03:19:59 QvsEem2k
「……」

夏休みの、暑い暑い日のこと。

肌を焼くような日差しを感じながら、よたよたおぼつかない足取りで歩く。

「暑い……」

今朝着替えたばかりのシャツが汗でベタベタで気持ち悪い。

暑さを避けるための夏休みに部活の練習なんておかしい、そんなありふれた言い訳を心の中で呟いた。


31 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/07/23(月) 03:20:14 QvsEem2k
住宅街の十字路に差し掛かった時、チリン、と涼しげな音が響いた。

暑さに垂れていた頭を上げる。

チリン。涼しげで情緒的で、どこか、セピアがかった、懐かしさを感じさせる音。

視線の吸い込まれた先は、こじんまりとした一軒家。

小さな縁側に飾られた風鈴に、何心ない思い出を、思い出していた。

────


32 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/07/23(月) 03:20:41 QvsEem2k
穂乃果「ママ帽子はー?」

母  「あんた洗濯出さなかったから洗ってないわよ」

穂乃果「ひどい、なにそれー!教えてくれればいいじゃん」

母  「だらしないのが悪い」

穂乃果「もー」

母  「潔く叱られなさい」

また先生と海未ちゃんに叱られるじゃん。

穂乃果「ママのケチ」

母  「はいはい、さっさと行きなさい」

穂乃果「ぶー」

引き戸に手をかける。

ひりってするくらい熱い。

穂乃果「いってきます」

母  「いってらっしゃい」

がらっと開くとむわっとした熱気が体にまとわりついてくる。

サウナだ!

穂乃果「うへぇ。ママ暑いよぉ」

母  「熱風入ってくるから閉める」

穂乃果「穂乃果熱中症になっちゃう」

母  「閉・め・る」


33 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/07/23(月) 03:21:20 QvsEem2k

穂乃果「……」

暑い。超暑い。

干からびそうだよ。

穂乃果「うぅ……」

穂乃果が干からびて熱中症で倒れたらママのせいなんだから。

子供が暑さに耐えて頑張ってるってのにあんな涼しい部屋でみたらし団子食べながら「さっさと行きなさい」なんてとんだなまけ者だね。

ぶくぶく太っちゃえばいいんだ。

穂乃果「……」

みーんみんみんみん。

じりじりじりじり。

蝉たちの大合唱。

いい天気に喜んでるみたい。

こんなに暑くて喜ぶのは蝉くらいなのに、誰が夏なんてつくったんだろう。

穂乃果「暑い……」

超暑い。

お家帰りたい。


34 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/07/23(月) 03:22:41 QvsEem2k
両腕をぶらぶらさせながらふらふら歩いてると、十字路が見えてきた。

一角のこじんまりした家の縁側に座っているのはおばあちゃんの姿。

サイトウさん。昔からよく買いに来てくれる、仲の良いご近所さん。

びっくりして、早足で近づく。

穂乃果「おばあちゃーん!」

   「あら、穂乃果ちゃん」

顔をしわくちゃにして笑うおばあちゃん。そんなのんきにしてちゃダメだよ!

穂乃果「ねえ、こんなところにいたらダメだよ、おばあちゃん熱中症で倒れて死んじゃうよ」

   「熱中症?」

穂乃果「うん、昨日テレビでやってたもん。室内でエアコン付けておとなしくしてないとお年寄りは死んじゃうんだって」

網戸越しの部屋からは、音が大きいのか、テレビの男の人の声が漏れてくる。

予想最高気温は三十七度、今年一番の暑さになりそうです。熱中症には十分に気をつけて下さい。って。

けどおばあちゃんは愉快そうに笑う。

   「おばあちゃん、全然暑くないから、平気よ」

穂乃果「うそ、暑くないの?!」

   「ええ」

暑くないなら大丈夫なのかな。おばあちゃんすごいや。


35 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/07/23(月) 03:23:11 QvsEem2k
   「穂乃果ちゃんも日向ぼっこ、どう?」

無理無理。

穂乃果「ううん穂乃果は暑いからいいよ。それにこれから音小でプールなの」

アクリル?のプールバッグを掲げてみせる。

   「ああ、そうかい。気持ちよさそうだね」

穂乃果「うん!海未ちゃんとことりちゃんと競争するんだ」

あ、もう二人とも待ってるかも。

穂乃果「じゃあ穂乃果そろそろ行くね。おばあちゃん熱くなったらお部屋に入ってエアコン入れてね?」

   「ありがとね。穂乃果ちゃんこそ大丈夫かい?飲み物、持ってる?」

穂乃果「うん!」

赤いツヤツヤのステンレスの水筒。

氷でキンキンに冷えた麦茶がうまい!

穂乃果「じゃあ、いってくるねー」

   「いってらっしゃい」

駆け足で走り出すと、水筒がじゃらじゃら気持ちいい音を奏でた。


36 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/07/23(月) 03:23:37 QvsEem2k
公園前で待ってる海未ちゃんとことりちゃんを発見。

二人とも汗だくだあ。

穂乃果「お待たせー」

ことり「おはよう」

穂乃果「おはよー」

海未 「遅いです。五分の遅刻です」

穂乃果「五分くらい別にいいじゃん」

海未 「そんな考え方だから普段から寝坊ばかりなんです」

穂乃果「暑いんだから仕方ないじゃん」

海未 「はぁ……。穂乃果のそれは一年中ではありませんか」

穂乃果「暑いのも寒いのも苦手なのー」

ことり「まあまあ。学校行こ?」

穂乃果「さんせー!」

海未 「まったく……」


37 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/07/23(月) 03:24:01 QvsEem2k
穂乃果「ことりちゃん、それなあに?」

プールには全然関係なさそうな横長の大きな手提げバッグ。

海未 「私も気になっていました」

ことりちゃんはちょっといたずらっぽく人差し指を軽く口に当てる。

ことり「ないしょ♪」

穂乃果「きになるぅー」

ことり「後で見せてあげるからそれまでヒミツです」

海未 「プールで使うのですか?」

ことり「違うよ」

やっぱり。

じゃあ海未ちゃんちで使うのかな。


38 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/07/23(月) 03:24:24 QvsEem2k

話してるうちに音小に到着。

いつもよりちょっと遅い時間だったり、ランドセルなしで学校に来たり、なんだか新鮮。

昇降口には向かわずに直接プール用の更衣室に向かう。

プールが近付いてきて、忘れかけてた暑さを思いだす。

みーんみんみんみん。

じりじりじりじり。

穂乃果「今日は競争クロール?バタ足?平泳ぎ?」

海未 「私はどれでも構いませんよ」

ことり「ことり、クロールがいいな」

穂乃果「おっけー!」


39 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/07/23(月) 03:25:16 QvsEem2k
二人が着替え終わるのを待って、一緒に出ていく。

プールサイドだよ!

穂乃果「プールだー!っと、あちち」

緑色の砂を固めたみたいな床が太陽に熱されて超熱い。

足の裏やけどしちゃうよ。

海未 「本当に熱いです、ここの床は」

ことり「ごつごつしてて痛いし、歩き方がペンギンさんみたいになっちゃうね」

海未 「ふふ、そうですね」

言いながら何ともなさそうな海未ちゃんが周りをぐるっと見渡す。

穂乃果の方向に向いた時ピタッと止まった。

あちゃー。

海未 「穂乃果、帽子は?」

穂乃果「……わ」

海未 「忘れたとは言わせませんよ」

ひ、ひどい!それはないよぉ。

穂乃果「だってママが洗濯の時教えてくれなかったんだもん!」

海未 「どうせ穂乃果の自業自得です。だらしないのがいけないんです」

ママとおんなじこと言ったぁ!

穂乃果「ねえことりちゃん!」

ことり「あはは……」

ことりちゃんまでそっちの味方なの?

海未「もう今年三回目ですからね。先生に打ち明けて少々しごかれるなりされた方が穂乃果のためです。

穂乃果「そんなぁ……」


40 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/07/23(月) 03:25:48 QvsEem2k
次忘れたら反省文を書くって約束を先生にさせられて、他のみんなも揃って、いよいよ授業開始。

あっちい床に耐えながら準備体操して、次は……恐怖の水の腰まで水槽とシャワー!

先に水地獄に入っていった子たちの断末魔が聞こえる。

きゃー。ぎゃー。あ゛ー。

穂乃果「ど、どきどきしてきた」

ことり「きゅってなって一瞬息ができなくなっちゃうからことりも苦手」

海未 「私としては、気持ち良くて好きなのですが」

穂乃果「海未ちゃんは武道で体強すぎるんだよ」

海未 「そうでしょうか」


41 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/07/23(月) 03:26:09 QvsEem2k
ものの一分もしないうちに、順番は穂乃果たち。

まずは水槽。

穂乃果「せーので入ろ」

ことり「うん」

海未 「わかりました」

穂乃果「せーの」

うひゃ。

海未 「穂乃果早いですよ。ことりも」

穂乃果「穂乃果おかしくなっちゃう」

ことり「ことりもー」

海未 「二人して……」


42 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/07/23(月) 03:26:42 QvsEem2k
続いて水シャワー。別名地獄のシャワーと呼ばれる恐ろしいシャワー。

穂乃果「ことりちゃん、駆け抜けるよ」

海未 「こら、十秒数えないとダメです。先生も見ています」

穂乃果「くぅ、無念」

ことり「穂乃果ちゃん、頑張ろうね」

穂乃果「うん!」

海未 「大袈裟です……さあ、後ろがつかえていますよ」

なんかにっこりしてる海未ちゃんに催促されて心を決める。

穂乃果「いくよ、せーのっ」

瞬間、頭の上から水筒の麦茶くらい冷たい水が容赦なく降ってくる。

心臓が締め付けられるようになって、苦しくて、思わず息が止まる。

繋いだ二人の手を握りしめる。

水滴が胸、お腹に来るのを感じると足が竦む。

海未ちゃんが数えた。

一、二、三、四、五、六、七、八、九、十。

両手を引いて、引っ張るように抜け出す。

空気が、胸いっぱいに入り込んできた気がした。

暑さが、心地良かった。

ふぃー、生き返るー!

緑の床に足跡をつけながら振り返る。

穂乃果「死ぬかと思った」

ことり「心臓止まっちゃいそうだったよ」

海未 「大丈夫です、人間、そうそう死にません」


43 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/07/23(月) 03:27:07 QvsEem2k
いざプール!

横並びで順番に並んで、一歩通行でけのびとかバタ足とかしたり。

穂乃果「つめたーい!」

太陽の光をきらきらと反射する水面がまさにプール!

きもちいー!


44 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/07/23(月) 03:27:58 QvsEem2k
次第に泳ぐ長さが往復になったり、クロールとかやったり、順繰りに一通り終わらせると、今度は「宝探し」。

先生がスーパーボールみたいなボールを水の中にたくさん投げ込む。

ぽちゃん。

先生 「用意、どん」

穂乃果「いっくぞー」

沈み込んだボールを拾った人が勝ち、みたいな。

確か、ここら辺に投げられてた気がするんだけど……。

ぶはっ、息が続かないや。

顔を上げて見渡しても二人の姿は見当たらない。

潜水中だね。

穂乃果も負けてられない。

大きく息を吸い込んで再突入。

─。

──。

───。

───ぷはっ。

穂乃果「みつけた!」

空に向かって掲げられた右手には半透明のオレンジ色のボール。

太陽が透かしていた。

海未 「みつけました」

ことり「私も!」

青いボール。白いボール。

三人で顔を合わせると何だか嬉しくて、笑みがこぼれた。


45 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/07/23(月) 03:28:22 QvsEem2k
穂乃果「じゃあ、二五メートル」

ことり「はぁい」

海未 「片道ですか」

宝探しも終わって、待ちに待った自由時間。

毎度恒例の競争、今回は二五メートルクロールだよ。

飛び込みは先生に怒られるから、水の中からスタート。

穂乃果「準備はいい?」

それぞれ壁を蹴る体制に入る。

緊張の一瞬だね。

穂乃果「三、二、一」

ぐっと体に力が込められた。

穂乃果「スタート!」


46 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/07/23(月) 03:29:10 QvsEem2k
穂乃果「ちぇー」

海未 「いえ、ほとんど僅差だったじゃないですか」

ことり「うん、きっと0.5秒も差なかったと思う」

海未 「ことりはかなり早かったようですが一体……」

穂乃果「隣で泳いでたらすごい速さでいなくなっちゃうからびっくりだよ」

ことり「えへへ」

穂乃果「練習したりしたの?」

ことり「うん、実はね、昨日家族でプールに行って、その時お母さんに教わったの」

穂乃果「ほえー」

海未 「お母さん、泳げるのですか」

穂乃果「いいな、穂乃果も教わりたーい」

ことり「うん、聞いてみるね。けどお母さん忙しいから……よかったらことりも教えるよ?」

穂乃果「ほんとに?!」

海未 「ふむ、興味深いです」

ことり「おまかせー♪」

穂乃果「今度は絶対に海未ちゃんに勝っちゃうぞー!」

海未 「ふふ、望むところです」

ことり「じゃあ、今日の残りは練習して、次回、またクロールだね♪」

海未 「それがいいですね」

穂乃果「おお、燃えてきたぁ!」


47 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/07/23(月) 03:30:18 QvsEem2k
プールが終わって、帰り道。

家に帰るわけじゃないから……寄り道?

濡れた髪をごしごしやりながら三人で歩く寄り道は、夏休みって感じがしてなんか心がわくわくする。

カランカランいう水筒を取り出して、ぐびぐびっと至福の一口。

穂乃果「ぷはぁっ、麦茶さいこー!」

ことり「穂乃果ちゃん穂乃果ちゃん」

いつも海未ちゃんちでお昼も飲み物もご馳走してくれるから水筒いらないっちゃいらないんだけどこのプールの後の喉越しは他じゃ味わえないからね。

持ってくる程じゃなくても人の見たら飲みたくなっちゃうもの。

いつの間にかできてた習慣。

穂乃果「はい」

ことり「ありがとー」

美味しそうに飲むことりちゃん。それをちらと眺める海未ちゃん。

ことり「……」

穂乃果がことりちゃん軽くに頷くと、ことりちゃんの手から海未ちゃんに水筒が渡る。

海未 「あ、ありがとうございます。では……」

頬をピンクにして飲む海未ちゃんがかわいい。


48 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/07/23(月) 03:31:06 QvsEem2k
水筒を受け取ると、首に掛けてあるタオルで青い髪の毛を束にして拭きながら、海未ちゃんが言った。

海未ちゃん髪の毛多いなぁー。

海未 「今日は冷やし中華を用意してくれるみたいです」

穂乃果「やったー!海未ちゃんのママの冷やし中華だーいすき」

海未 「穂乃果ったらどんな料理でも全てそれじゃないですか」

ことり「ううん、海未ちゃんのお母さんの料理、本当に何でもおいしいもん」

海未 「そ、そうですか」

穂乃果「海未ちゃんのママは優しくて格好良くてお料理もできていいなあ。うちのママはすぐ怒るしなまけ者だし和菓子しか作れないし」

海未 「いえ、素晴らしいお母さんではないですか。穂むらに行ったときなど大変良くして下さいますよ」

ことり「穂乃果ちゃんのお母さんだってとっても優しいし、前にご飯ごちそうになった時、すごく美味しかったよ?」

穂乃果「いや全っ然だから全っ然」


49 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/07/23(月) 03:31:45 QvsEem2k
十五分くらい歩いて海未ちゃんの家に到着。

海未 「只今戻りました」

   「いらっしゃい」

穂乃果「おじゃまします」

ことり「おじゃまします」

着物姿の素敵な海未ちゃんママに出迎えられて海未ちゃんの部屋に移動。

机の上に小綺麗にお昼が並べてあるから何度来ても申し訳なくなっちゃう。

うちのママには絶っ対無理だね。ほんと無理。


50 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/07/23(月) 03:32:29 QvsEem2k
   「ごゆっくり」

律儀にお茶とか出してくれた後、正しい(多分)所作で丁寧に海未ママが出ていって、お昼。

穂乃果「ふいー」

気が抜けてプールの疲れにおっきく息を吐く。ことりちゃんも体を崩した。

穂乃果「泳いだー」

海未 「今回は特に泳いだ気がします」

穂乃果「ああ、ことりちゃん先生の特訓だね」

海未 「ええ。ことりがあそこまで速くなっているのには驚きました」

ことり「けどそんなにうまくないよぉ〜。それより、ことりも慣れないことしたらお腹すいちゃった」

海未 「そうですね、食べましょうか」

穂乃果「食べる食べる」

海未 「では」

穂乃果「いただきまーす」

海未「いただきます」

ことり「いただきます♪」

海未「穂乃果、たれがかかっていませんよ」

穂乃果「もへ?」

ことり「あはは、あわてんぼさんだね」

海未 「こちらが醤油、こちらが胡麻だれ風です」

穂乃果「もへへ」

海未 「ああ穂乃果、垂れてますよ、全く……」


51 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/07/23(月) 03:32:53 QvsEem2k
冷やし中華をご馳走になって、一息つくと、ことりちゃんが大きな手提げバッグを取り出した。

ことり「じゃーん、これです」

出てきたのは、すごろくの定番、みんな大好き人生ゲーム。

おお、ことりちゃんやるう!

ことり「やりたくて持ってきちゃった♪」

海未 「なるほど、人生ゲームでしたか。良いですね」

穂乃果「やろやろ!穂乃果銀行係やりたーい」

今年の春ぶりだったかな、人生ゲーム。

人生ゲームってなんだか思い出に残る気がする。

パーティー!って感じだからなかな。


52 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/07/23(月) 03:33:38 QvsEem2k
人生ゲームを終え、あっつい外に出るのも気が引けて、そのまま部屋の中でババ抜きとかをしてると、やや日が傾いてきた。

海未 「もう一度です!」

ことり「ずるはしてないよぉ」

海未 「何かある、何かあるはずです」

ことり「ひぃ」

   「失礼します」

ふすまの向こうから、お淑やかな声が聞こえた。

海未ママ。

   「おやつをお持ちしましたので、よければ召し上がって下さい」

そっと開けられたふすまから姿を現した海未ママの手には瓶ラムネと見た目の涼やかな半透明の和菓子が置かれたお盆が載せられていた。

ことり「わあ、素敵な和菓子♪」

穂乃果「うん、とっても綺麗!」

海未 「……ふむ、一旦休戦ですか」

   「では、ごゆるりと」

海未ママがしずしずと出ていくと、穂乃果たちの様子を伺うことりちゃん。

ことり「ねえねえ、せっかく夏らしくて素敵なお菓子だから、ちょっと暑いかもだけど、外が見える場所に移動しない?」


53 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/07/23(月) 03:35:49 QvsEem2k
来たのはお庭に繋がる縁側。

長い廊下になってて、屋根もついてる。

広いお庭の緑と鯉のいる池が風流で不思議と落ち着く。

穂乃果「思ったより暑くない」

海未 「風通しが良いのと、木や植物のおかげでしょうか」

ことり「それに、見てるだけでも涼しくなれるんだと思う」

どういうこと?

首を傾げると、ことりyちゃんが説明してくれる。

ことり「青色と、オレンジ色、どっちが涼しい感じがする?」

穂乃果「青?」

ことり「うん。自動販売機にも色が付いてるし、なんとなくのイメージってあるよね。きっと、こういう和風なお庭って、そう感じさせるんじゃないかなって思ったの」

海未 「なるほど、確かにそうかもしれません」

ことり「このお菓子も、透明で、見てるだけでもそんな気分になれる気がするし」

半透明の中にあんこが詰まった、水まんじゅう。

餡子を、寒天とか水飴とかを混ぜて作った透明の生地でくるんだ綺麗な和菓子。

一個を、四分の一位に分けて、口の中に入れた。

穂乃果「じゃあ、白はなんだろ。中間?」

ことり「白?」

穂乃果「穂乃果がオレンジで、海未ちゃんが青で、ことりちゃんが白。今日のプールの宝探し」

海未ちゃんが言った。

海未 「中間、中和、といえば、しっくり来るかもしれませんね。極端な私と穂乃果の間で支えてくれるのは、いつだってことりな気がします」

ことり「そ、そんなことないよぉ」

穂乃果「穂乃果もそう思う!」

ことり「穂乃果ちゃぁん」

毎日のように口にしてる餡子のはずなのに、初めて食べるような、味がして。

穂乃果「これ形崩れちゃうよ」

海未 「では、いただきます」

ことり「ことりもー」


54 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/07/23(月) 03:36:27 QvsEem2k
未 「確かに、見た目にとても涼やかです」

穂乃果「ラムネも見てるだけで気持ちいけど、海未ちゃん、炭酸飲めるようになったの?」

海未 「いえ……。母も、重々承知のはずなのですが」

ことり「……わざと、かな」

穂乃果「え?」

海未 「?」

ことり「ほら、ふすまを通して……ババ抜き……海未ちゃん……」

穂乃果「ふむふむ」

海未 「な、何を話しているのですか?」

穂乃果「なるほど」

でも、だとしたら海未ちゃんママ結構陰湿だよね。

ことり「ううん、えーとね、ほら、ラムネは海未ちゃんの成長考えてのことじゃないかなーって」

海未「やはりそうでしょうか……。ここは逃げても致し方ありません。園田海未、ここに覚悟を決めます」

見る方向で、色んなことがあるのかな。


55 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/07/23(月) 03:36:48 QvsEem2k
ぷしゅっと、ラムネを開ける音。

ご丁寧に、ビー玉を取り出してる。

海未 「いざ!」

一息にラムネを仰ぐ海未ちゃん。

海未 「えふっ、えふっ」

ことり「海未ちゃん?」

海未 「えふっ、何のこれしき、目と鼻が痛いです、えふ」

ことり「海未ちゃぁん!」

穂乃果「一気に飲むからいけないんだよ。だからビー玉付いてるのに」

海未 「す、しょうゆうものでしゅか?」

夏には夏の楽しみ方があって。

夏も悪くないな、って、思えた。


56 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/07/23(月) 03:37:10 QvsEem2k
またすこしのんびりして、夕食の時間が近付いて、空が夕焼けの色になった頃、おひらきになった。

夕時の伸びた影が何だか面白くて、アクリル?のバッグをブラブラとさせると、氷だけが残った水筒がカラカラ音を立てた。

この時間でもまだまだ暑くて、蝉も鳴くけど、朝の学校への道ほど足の重さは感じなかった。

単純に帰りだからってだけかもしれない。


57 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/07/23(月) 03:38:11 QvsEem2k
十字路に差し掛かる手前。

穂乃果のサイドテールが揺れると、チリン、と、涼しげな音が響いた。

暑さを忘れさせるような、そして、心に響いてくるような、忘れられない、不思議な音色が。

ててって駆け寄ると、朝見たサイトウさんが同じように小さな縁側で座ってた。

海未ちゃんちのよりもずっと小さくて、お庭だって少しの花と雑草しかなくて、屋根って呼べるほどの屋根もない、暑くて熱中症で倒れちゃいそうな場所。

ただ、ひとつ、それでも涼しく感じられたのは、朝にはなかった風鈴の存在だった。

チリン、と、穂乃果のサイドテールが揺れた。

   「おかえりなさい、穂乃果ちゃん」

穂乃果「ただいま!」

近寄っていって、指をさす。

穂乃果「これ、風鈴飾ったの?風流!」

   「ええ。熱中症に気を付けるように、言われたからね。これでもう安心ね」

穂乃果「安らぐー」

音が響く空間に、素敵な時間を流してる気がした。

おっしゃれー。


58 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/07/23(月) 03:39:33 QvsEem2k
   「そうだ、ちょっと、ここにお掛けなさい」

サイトウさんはよっこらしょと膝に力を入れて立ち上がると、自分のいた場所を穂乃果にすすめた。

穂乃果「おばあちゃんは?」

   「ちょいと、待ってておくれ」

穂乃果「わかった」

待つこと、数分。

熱中症で倒れた人が何人とか、夕方のニュース番組を聞いてると、戻ってきた。

   「これ、食べなさい」

差し出されたのは水色のアイスキャンディー。

ビニールの包装が汗をかいて、冷たさをアピールしてた。

穂乃果「食べていいの?ありがとう!」

受け取って、気付く。

穂乃果「あれ、おばあちゃんのは?」

   「私は冷たいのは苦手でね。歯に染みて食べられないの」

穂乃果「そっか」

放送を破いて、木のスティックをつまんで取り出す。

ソーダ味っぽい、爽やかな香りが広がった。

オレンジの光を浴びると、僅かばかりの時間を訴えているようだった。

一口齧る。

キンとした冷たさ。

チリンと泣く風鈴。

心に滲みた。

穂乃果「おばあちゃんって、一人暮らし?」

わかってて聞いた。

自分で言うのは恥ずかしい。

   「そうよ。穂乃果ちゃんが帰ってきたらあげようと思ってね、買ってきた」

一日が終わるこの時間。

さみしいようで、明日が待ち遠しいようで。

もどかしさに、風鈴は、時間を告げた。

穂乃果「ありがとう、おばあちゃん」

────


59 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/07/23(月) 03:41:06 QvsEem2k
それは、夏休みの、暑い暑い日の、思い出。

風は行く先を失って、風鈴を不安定に揺らした。

網戸の奥の部屋に向かうことは出来ない。テレビの音も聞こえない。

誰も住んでいないその家に飾られた風鈴は、誰かのいたずらかもしれないし、夏のいたずらかもしれなかった。
 
 
 
私もまた、いたずらをして、身勝手にその庭に足を入れる。

顔を上げると、私のサイドテールが風に靡く。

チリン、と。
 
 
みんなに会いにいこう。

そんなことを思って、その場を後にした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 了


60 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/07/24(火) 01:46:26 cv9kP3ho
凄く良い雰囲気で良かった
短編集続けていってほしい


61 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/07/27(金) 23:28:33 lcOLGcTg
すごい懐かしい気持ちになった、好きだわ


62 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/08/02(木) 19:47:47 nNU9Rdj2


まさにノスタルジー
穂乃果ちゃんの髪と風鈴が一緒に揺れるシーンが情緒感じられて好き


63 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/08/06(月) 03:03:27 hEsb5SXs
果南「名もなき想いを胸に乗せ」


64 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/08/06(月) 03:04:06 hEsb5SXs
「終点、東京、東京です。ご乗車、ありがとうございました。お忘れ物をなさいませんよう、ご注意下さい」

マイクのスイッチを切ってから、ふうっと息を吐き出す。
凝った首と肩を軽く回してホームに降り立つと、夜の冷たい空気が身に染みた。
これから今日最後の仕事として、各車両に忘れ物や異常がないかまわって確認しなければならない。
人が降りたのを見計らって、さっさと済ませちゃおうと早足で歩き出した。


65 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/08/06(月) 03:04:41 hEsb5SXs
七号車の前で、足を止めた。
人の姿があった。椅子に座って首が垂れたまま動かない女性は、多分眠ってるらしい。
指さし確認で振り回していた腕を下ろして、彼女のもとに歩み寄った。

果南「あの、お客さん」

東京周辺では金髪もさして珍しくないけど、毛先に少しクセのあるポニーテールには見覚えがあった。
まさかね、って思い直して、中腰の体勢でもう一度声を掛ける。

果南「お客さん、終点ですよ」

  「……あ、すみません」

返ってきたのは流暢な日本語。
そっと上げられた顔は白くて端正で、開かれたのは透き通るようなアイスブルーの瞳。
息を呑んだ。
私の知る人に間違いなくて、高揚して、どうしようって思う。
けど、今は仕事中。選択肢はない。
話し掛けたい衝動を振り切るようにその場を立ち去る。

果南「……いえ」

逃げるように、一刻も早くと奥の車両の方に進んでいく。
しかしその私を、追いかけてくるような忙しない足音があった。
私を、絢瀬絵里さんは、呼び止めた。

  「あの、一つお伺いしても」

果南「どう、されました?」

  「突然で申し訳ないですけど、松浦果南さん、ですよね」

心臓が止まりそうになる。

  「私も以前スクールアイドルをやっていたんです。もしこの後お暇でしたら、私と少し、お茶しませんか?」

声も出せずに、こくりと首だけ動かした。

──
──


66 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/08/06(月) 03:05:06 hEsb5SXs
駅前の広場で待っている絵里さんのところへ駆け寄ると、絵里さんはぺこりと頭を下げる。

絵里「こんな夜中に、いきなり呼び出すような真似をして、大変ご迷惑だったと自省しています。ごめんなさい」

びっくりしてぶんぶん手を振った。

果南「いえ、とんでもないです!」

絵里さんは顔を上げて、更にとんでもないことを言い出す。

絵里「もし無理して付き合わせてしまっているのなら松浦さんの予定を優先……」

果南「無理なんてとんでもないですって!むしろこっちが感謝してるんです。μ'sの絢瀬絵里さんですよね?会いたくないはずないですって」

必死になって否定すると絵里さんはくすりと笑った。

絵里「そう言ってもらえて嬉しいです」

年齢にして十歳近く離れているはずの絵里さんは、とても綺麗で、老けたようには全然見えなかった。
写真や映像で見る高校三年生だった絵里さんと違うとすれば、一層増した色気かもしれない。

絵里「寒いですし、どこかお店に入りましょう。希望はありますか?とはいっても、この時間では場所は限られてしまいますけど」

絵里さんに気を使わせるのも悪いと思って、辺りを見渡す。
と、喫茶店のチェーン店を発見。

果南「あ、あそこがいいです。近いですし」

絵里「そうですね。そうしましょうか」

果南「はい」


67 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/08/06(月) 03:05:32 hEsb5SXs
自然と絵里さんの後ろについていくようにして喫茶店へ向かう。
広場を進み、青や白のLED、暖かな電球色といったクリスマスのイルミネーションに照らされると、絵里さんの金色の髪は色鮮やかに反射した。
きらびやかな美しさを見せつけつつも派手さをまるで感じさせないのは、多分えんじ色のコートにグレーのマフラー、クリーム色のセーターのカジュアルな格好と、特有の大人びた雰囲気の織りなす業。
指先とか、時折マフラーからちらっと覗く首元、顔は、夜闇の中じゃさらに白くて、幻想的にすら思わせた。
横顔の碧い瞳がこちらを向いた。

絵里「見惚れてたんですか?」

ぎくっとして慌てて目を逸らす。

果南「それは、まあ、なんというか」

また絵里さんはいたずらっぽく笑う。

絵里「なんて、冗談です」

その横顔には、やっぱり色気があった。
大人っぽさの中に残る無邪気さのようなものがそう感じさせるのかも、なんて思いながら喫茶店に入った。

──
──


68 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/08/06(月) 03:06:24 hEsb5SXs
コーヒーの薫りに包まれた店内はあたたかくて、緊張と相まってがちがちだった体はいくばくか解れた気がした。
手頃なテーブルに腰掛けて、コートを脱いだりしながら、ちょっと深呼吸。
というのも敬語を使うのは海未さんだけでいいと思うんだ。
堅苦しくてモヤモヤするし。

果南「あの、絢瀬さん」

絵里「なんですか?」

果南「話し方なんですけど、普通の喋り方っていうか。絢瀬さんさえ良ければなんですけど、敬語とか堅苦しいの無しでいいです。こっちとしてもなんか悪い気しちゃうんで」

絵里さんは顎に手をやる。

絵里「……そうね、そういうことなら」

  「ご注文はお決まりでしょうか」

すぐに店員さんが来た。

絵里「ホットココアで」

果南「あ、マキアート下さい」

  「かしこまりました」

店員さんが行くと、何やら勿体ぶるように片目を瞑って人差し指を右の頬に当てた。

絵里「絢瀬さんより、絵里、の方が、私としても気が楽ね」

思わぬ交換条件に息が詰まる。
初対面の先輩をいきなり名前呼びってどうなの。

果南「それは、私からしたらほんと高嶺の花みたいな存在なのでキツいものがあるっていうか」

絵里「あら。それは残念です、仕方ありません」

ぬぐう。

果南「ぅ……り、さん」

絵里「……」

果南「ぇ……絵里さん。で、いいですか?」

絵里「ふふ。まあ及第点、かしら」

結構お茶目かもしれない。
これがキューティーパンサーなんて感想を抱いてると、絵里さんが興味津々な風な視線を向けてくる。


69 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/08/06(月) 03:07:13 hEsb5SXs
絵里「では、敬語抜きで話させてもらうわね。早速だけど質問してもいい?」

果南「はい。もちろんどうぞ」

絵里「甘いもの、好きなの?」

果南「え?それはまあ、割と」

マキアート頼んだけど意外だったかなと首をひねる。

絵里「いえ……こう言っては失礼かもしれないけど、果南さんのプロフィールに記載されている好物ってさざえとわかめでしょう?もっと渋いものを選びそうなイメージがあったの」

言われてみれば。
うん、あながち間違ってはいないね。

果南「あー、喫茶店に入るようになったのが最近なんですよ。東京に出てくるようになって。それでマキアート美味しいなって飲んでるんです。それより私のことそんなに詳しいんですね!」

一度大会で優勝したといえど、μ'sに比べたら知名度なんて全然だし、私はあんまり可愛かった方でもないのに。

絵里「ええ。それはもう、Aqoursの大ファンだったもの。公開された情報なら大抵のことは知ってるんじゃないかしら」

嬉しい。
すっごく嬉しくて、憧れのμ'sの絵里先輩が応援してくれていたって事実があんまり嬉しくて、勝手に口元が緩んじゃう。
でもすぐに今はもうスクールアイドルじゃないことを思い出して、その笑顔も引っ込む。

絵里「……」

さっと取り繕う。
切り替えるのは得意だからね。

果南「私もそれに関しては負けてないですよ。好きな食べ物はチョコレート。で、嫌いな食べ物は海苔と梅干し」

絵里「正解。で、あなたの嫌いな食べ物は、梅干し、よね?」

果南「はい、そうなんです。海苔はすごく美味しいと思うんですけど、梅干し。同意です」

絵里「梅干しって塩辛くて酸っぱくて、口に入れたら最後、いつまでもヒリヒリとした感覚と特有のにおいが残るのが苦手なの」

果南「それすっごい共感できます。梅干しと一口に言っても硬いものから柔らかいものまであって特に……」


70 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/08/06(月) 03:07:35 hEsb5SXs
梅干しの不味さについて語っていると、白いカップが二つ、運ばれてきた。

  「ごゆっくりどうぞ」

湯気立つカップからは、甘いキャラメルのような香り。
そこに混じって、普段嗅ぐことのないチョコレートのこれまた甘い香り。
色んなしがらみから離れた、寛ぎの時間を与えてくれる。

絵里「いただきましょう」

果南「はい」

両手で包み込むとあたたかさがじんわりと伝わってきた。
そっと持ち上げて口に運ぼうとすると、こっちを見つめて微笑む絵里さんと目が合った。
手には取っ手に指を掛けたカップ。

絵里「乾杯、なんて下品かしら」

果南「いいですね、やりましょう」

私も片手に持ち直して、目で合図する。

  「乾杯」

控えめに、チンと二つの水面が揺れて、それぞれの口に運ばれた。
あたたかさが体内に染みてゆく。


71 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/08/06(月) 03:07:54 hEsb5SXs
果南「お酒、飲まれるんですか」

絵里「ええ。結構好きよ。あなたは?」

果南「私も飲みますね。好きな食べ物はおつまみみたいなのばっかりですし」

絵里「喫茶店じゃなくて、居酒屋にでも行くべきだったかしら」

果南「いえ。駄目ですよ。このこと、しっかりと覚えときたいですから」

絵里「あら。嬉しいこと言うのね」


72 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/08/06(月) 03:08:22 hEsb5SXs
ほうっと息を吐いて、よぎった質問を口にしてみる。

果南「……μ'sの八人の誰かと、飲みに行くことってありますか?」

絵里「行くわ。予定が思うように合わないことも多いけどね」

それを聞いて、少し安心した。
あれから、バラバラになっちゃうんじゃないかと、恐れてた。
心が軽くなって、躊躇ってたことも尋ねてみる。
上品で知的なオーラのある絵里さんが目を伏せてカップに口を付ける姿はとても絵になっていた。

果南「絵里さんって、お仕事何やられてるんですか?」

絵里「経理の仕事をしているの。小さな食品会社のね」

果南「経理、ですか?小さな、食品会社の」

さっきのマキアートじゃないけど、私の抱いていたイメージとはかけ離れてて、オウム返しをしていた。
ぶっちゃけ、感想として、ものっそく地味。

果南「いや、でもなんでそれを選んだんですか?親戚との関係が絡んでたりするんですか?」

絵里「いえ、違うわよ?自分が就きたいと思った職場を選んだだけ」

そう質問されても、当然と言わんばかりにそっけなく答える。
へーそうなんですかと納得できる訳もない。
だってあの絢瀬絵里さんだよ?

果南「その、絵里さんの選択が間違いとは思いませんけど、もっと選択肢って広くありません?アイドル……はないにしても、絵里さんなら、絵里さんしか選べない道があったんじゃ」

絵里さんはなおも愉快そうに微笑みながら考える仕草をとる。
その余裕さが私を混乱させる。

絵里「んー。後悔したことはないし、いいんじゃないかしら。居心地の良い会社なの。福利厚生はしっかりしているし、見ての通り服装の縛りもなくて、終電に乗ってこそいれど、出勤時間はお昼前だもの」

そういうことじゃないんだけど。
どう伝えるべきか分からない。
言葉を探しているうちに、絵里さんが別の話題を持ち出した。

絵里「私、というよりは元μ'sメンバーは全員そうだけど、ずっと秋葉原に住んでるの。家から片道四十分くらいの職場だから、そこそこ楽ね」

果南「他の皆さんって何やられてるんですか?」

絵里「ええと、まず凛と希はお母さんしてる。海未は家を継いで、真姫は医者になって、にこはアイドルのマネージャー。
   穂乃果は家の穂むらの手伝いとアルバイトを頑張ってる……もう間もなく結婚するらしいわ。ことりはファッションデザイナーのプロをやってる。
   花陽は小さなお花屋さんを開いたんだけど、時々歌を披露したりして、ちょっとした街のアイドルよ。アイドルと言えば、穂乃果もたまに路上ライブ開いてるの」

なんだろ。
微笑ましいような、煮え切らないような。
ううん、他のみんなはまだいいとして、問題は絵里さん。
なんもないじゃん。


73 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/08/06(月) 03:08:40 hEsb5SXs
果南「絵里さんは、もうお子さんいたりとかは」

絵里「いえ。結婚もまだだから、当分先の話ね」

果南「……じゃあ、恋人って」

絵里「全然。多分、私自身、今の生活が気に入ってるの」

恋人がいないのはそれはそれでいいんだろうか。
いやでも、華がない。
あの絵里さんの今に、華が見つけられない。

果南「休日は、じゃあ、何してるんですか」

絵里「元メンバーの誰かと遊ぶこともあれば、家で映画鑑賞したり、妹の亜里沙とショッピングしたり、あとは、最近ことりに教わった裁縫に凝っててね。今も毛編みのセーターををつくっているところなの」

果南「……」

平和だ。
普通で、平凡で、陳腐で、刺激がなくて、華がなくて、地味だ。
こんなにも地味だ。
絵里さんの嬉しそうですらあるそんな態度が、私の色んなものを壊していくようで、つい、我慢が効かなくなってしまう。
マキアートを一気に飲み下して、大きく深呼吸した。


74 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/08/06(月) 03:09:27 hEsb5SXs
果南「あの」

絵里「ええ」

果南「ぶっちゃけ言いますけど、それって、すっごく地味じゃないですか?社会現象巻き起こすレベルで表舞台に立って輝いてた人が選ぶべき道じゃないと思うんですよ」

絵里「どうして?」

果南「どうしてって」

全く動じることなく落ち着いて聞き返してくる絵里さんにたじろぐ。

果南「それは、だって、絵里さん本人からしても、周囲の人からしても、勿体ない選択なんじゃ」

絵里「私は、満足しているのだけど」

後悔したことはないって言葉がよぎる。
なら、残った周囲の人の「勿体ない」は押し付けなんじゃないか。
それは、絵里さんに渦巻いているかもしれない苦悩に加勢するようで、視線が下がってしまった。

気まずい沈黙を保った後、棘をとったような優しい声がそこに囁かれた。

絵里「夢を、壊してしまったかしら」

果南「……ごめんなさい。こっちの理想を押しつけちゃっただけですね。絵里さんの人生なのに」

その人の人生を、周囲の人の都合によって枠に嵌めさせようとするのは、ひどく残酷なことに思えた。
行動、欲求、意思、全部を拘束しようとする行為に他ならない気がした。

絵里「いえ、こちらこそ悪かった。そういうことを言わせたかったんじゃないのよ。そうね。私がどうして現状に満足しているか、わかる?」

果南「……不満のない会社に入れて、自分の仲間と楽しくやれてるから、ですか?」

申し訳なさで、口調が弱くなりつつも、絵里さんは受け止めるような優しい表情で聞いてくれる。

絵里「そうね。けれど、それは最低条件。それだけじゃ足りないの。──あくまで私に必要なもの」

そこで一瞬言葉を止める。妙に窓の外のイルミネーションが眩しくて、仄かなチョコレートの香りが鼻を擽った。

絵里「それはね、あなたのようなファン。ひいては、自分の過去よ」

過去って、どういうことだろう。
聞かずとも、教えてくれる。

絵里「あなたみたいな私達を想ってくれたファンに出会うと、嬉しくなるの。私は人の心に、思い出を残せたんだなって感じる。だから私は、美しく輝いてたんだって思い出せる」

広場のクリスマスツリーに施された青と白のLEDが点滅を繰り返す。
この時期限りのイルミネーションは、空間を飾ろうと懸命に輝いていた。

絵里「だから、それでいいかなって思えちゃうの。誰か一人の心にでもμ'sが、私が残り続けてくれるのなら、きっとμ'sはなくならない。
   なんて、そんなのは言い訳で、無くなった悲しみから逃れようとしてるだけなのよね。悪く言えば、過去の栄光に縋ってるだけ。
   でも、それでも、嬉しい気持ちも過去の輝きも本物だから。これでいいかなーって、考えるの」

……そっか。
絵里さんなりに考えて、その場にいるんだ。
私も絵里さんにファンであってもらえて嬉しい。
けど、そう思えないのは、私が、子供だからなのかな。

絵里「劇場版、観てくれたかしら」

果南「え?はい、もちろん観ましたけど」

絵里「限られた時間の中で、精一杯輝こうとする、スクールアイドルが好き」

絵里さんのメールを受け取った穂乃果さんが答えを出したあのシーンだ。
スクールアイドルへの思いの全部が込められたあの台詞はよく覚えてる。

絵里「スクールアイドルとして輝けたあなたになら、きっと分かってもらえるんじゃないかしら。本当のところは、きっと黒々としてて醜い、人間らしい感情を、言葉を並べて誤魔化しているだけなんだと思うけど。
   でもきっと、最高の姿で終わらせることで、思い出に、最高の状態で保存されるんだと思うから。だから、私は最高の自分を自分の中に残した、この現状が、好きなの」

冷えたホットチョコレートから香りはしない。
私は、言葉が出なくて、ただ、点滅するイルミネーションを感じるだけだった。

──
──


75 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/08/06(月) 03:10:44 hEsb5SXs
少しすると絵里さんがなんか注文しまくった。

絵里「ホットチョコレートとマキアート二つ、あとティラミス二つにチーズケーキ。それからワッフルのチョコレートソースがけも」

  「かしこまりました」

……。

果南「全部食べるんですか?!」

絵里「ああ、マキアートとティラミスは果南さんの分だから安心してね」

やっぱりこの人お茶目だ。

果南「いやいや、絵里さん太らないんですか?スタイル抜群ですけど」

私といえば大学出て仕事就いて泳ぐ時間無くなってからというものお腹のお肉が順調に蓄えられて……。
多分まぐろあたりだと脂がのってて美味しい。
さかなかなんになりたいな。

絵里「私、食べても太らない体質みたい」

果南「うわいいなあ、超羨ましいですよー」

他愛もないことを話してると、店員さんが何回かに分けて商品を運んできた。
机いっぱい。
やたら甘い香りに包まれる。
私の前にティラミスと二杯目のマキアート(正直少し重い)が並べられ、それ以外のスペースはわちゃわちゃしていた。

絵里「食べたいのがあったら遠慮なくつまんでもらって構わないから。ふふっ、私もマキアート頼んだの♪あなたが飲んでるところ見たら飲みたくなっちゃって」

うきうきで食べ始める絵里さん。
こんなギャップもまた魅力だなと思いつつ私もティラミスにフォークを入れた。

大方片付いたところで、最後のワッフルを食べながら絵里さんが聞いてきた。

絵里「電車の運転士、やってるの?」

そうだ、話してなかった。

果南「はい。なんとなくかっこいいなーと思っていただけで、それ以上の理由は自分でもよくわからないんですけど」

絵里さんが経理の仕事を選んだ理由もそんな程度のものかもしれない、なんて身勝手に思った。

絵里「いいじゃない。運転士格好いいし。楽しい?」

そう問われると、返答に悩む。
私の悩みだから。
ちょっと考えてから答えた。

果南「いやいややってるわけじゃないですし、それなりに充実感も感じます。けど、スクールアイドルやってた私がこのままでいいのかなって……。私は、まだ、思っちゃいます」

絵里さんのように考えることはできない。
広げられた選択肢の中から間違えた選択をしてしまったんじゃないかと疑ってしまう。

絵里「これはあくまで私なりの考えだけど、選んだ道に間違いなんてないの。どの道もハッピーエンドにもバッドエンドに繋がってる。
   じゃあなにがそれを決めるかって言うと、それは本人の捉え方よ。だから、現実から離れ過ぎちゃいけないけど、考え方を変える。それで、見えてくるものってあると思う」

マキアートを一口飲むと続けた。

絵里「まあ、私のように過去に縋る人のやり方になっちゃうから推奨はしないけど、過去の自分を否定しない事って大切な事だと思う。
   過去は如何様にしても取り戻せないし、その場、その瞬間に自分の意志があって動いてて。なら、あなたが正しいと思う道を選んできたはずよ。そうして創られてきた自分を、誇るべきだと、私は思うの」

果南「……そうですよね。今の私が、今の自分ですもん」

絵里「ええ。ゆっくりでいいから、こんな風に自分なりに考えていれば、そのうち楽になるはずよ」

一口大サイズのワッフルを突き出してきた。
気持ちはありがたいんだけど、お腹が。

果南「気持ちだけで十分です、もうかなりお腹いっぱいで」

絵里「遠慮してる?」

果南「いや全然ほんとにお腹いっぱいです」

絵里「そう」

きょとんとした顔されても。
絵里さんがブラックホールなんですよー。


76 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/08/06(月) 03:11:14 hEsb5SXs
絵里「そういえば、果南さんってここの近くに越してきたの?」

終電も過ぎたこの時間にここにいるから疑問を抱いたらしい。
今日はたまたま。

果南「今日は普段こっちまで運転してきてる人の分の穴埋めで。で、明日休みなんで、今日この辺りで一泊して明日ゆっくり帰るんです」

絵里「ふむ」

視線を外して何事か考えると、すぐに私に向き直った。

絵里「あなたさえ嫌じゃなければだけど、私の家、泊まりに来る?駅からもそう遠くないわ」

おおーって感じにその提案に惹かれるも、どうなのと問い直す。
本来であれば手の届かないような存在の人だ。すごく気さくで忘れてたけど。
それに何より、一人でぼーっとしたい気持ちがあった。

果南「それはありがたいですけど、いくらなんでも悪いですから」

絵里「そうね……。初対面の人のうちに一晩泊まるなんて常識的にありえない。……では、代案といってはなんだけど、車で送っていくことも出来るけど、どうかしら。運転、結構好きなの」

どれだけ距離があると思ってるんですか。そう言いかけて、やめた。
もしかしたらこの人は、私ともっとお喋りがしたいんだと、そう誘ってるんだと思ったから。
けど、だからこそ。
楽しい時間、美しい時間は、その時に終わらせなくちゃいけない。
だからこそ、最高の存在で在り続ける。

果南「遠慮しときます。ただでさえお世話になったのに、これ以上お世話になったら申し訳が立たないですって。罪悪感で死んじゃいますよ私」

何やらおかしそうに口元を緩めた。

絵里「そう?けれど、変ね。私、まだお世話なんか何もしていないでしょう」

私こそ絵里さんの言葉の意味が分からず、失笑にもにた笑いを顔に浮かべてしまう。

果南「何言ってるんですか。お茶しようって誘ってくだっさったのに、結局私が一方的に相談に乗ってもらっただけじゃないですか。ほんと、助かりましたもん」

絵里「相談、ね」

すると、遠い目をして、背もたれに背中を預けて、アイスブルーの瞳で何かを見つめた。

果南「絵里さん?」

その体勢のまま、言葉が紡がれる。

絵里「私ね、あなたが羨ましいと思った」

果南「う、羨ましい?」

突然の告白にびっくり。

絵里「自分の気持ちに素直で、言いたいことを包み隠さずいえるあなたに。私は、逃げる言い訳を考えて、嘘をついてばかりだから」

果南「不器用なだけですよ」

私からしたら絵里さんが羨ましい。
考えて、自分なりの答えを導き出せるのは凄いことだと思う。
切り替えるのは大の苦手だから。

絵里「誰よりも、自分の現状に後悔しているのは私自身なのにね。言葉と思考でもって見えないところへ追いやって、本当の気持ちを忘れて。
   だから心のどこかに軋轢が生まれてて、きっとそれを人に話したくて仕方なかったのよ、私は。相談に乗ってもらったのは、他の誰でもない、私」

──
──


77 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/08/06(月) 03:12:09 hEsb5SXs
一足先に店のドアを開けると、コーヒーの薫りと暖かな空気は一変、真冬の冷え切った夜の空気が体温をいたずらに奪う。
……さっむ!東京なのにさっむ!
ベージュのコートのポケットをがさごそやってミトンを探る。なかなか出てこない。
おっかしいなと振り返ると、絵里さんがお会計を済ませて出てくるところだった。
ちなみにせめて自分の分は払うと言ったものの「誘ったのは私だから」と出られると反論の余地がなくてしぶしぶ。
私に気付いた彼女は片手を上げてぶんぶんと振る。
ああいう子供っぽさも魅力だな、と思ったりして、よく見るとその手には私のミトンが握られていた。
情けない。

絵里「はい、忘れ物」

果南「あ、ありがとうございます……」

恥ずかしさに俯く私を見て楽しくなったのか、追い打ちを掛けにかかってくる。
私の声真似をしてこんなことを言う。

絵里「えー、ご入店、ありがとうございました。お忘れ物をなさいませんよう、ご注意下さい」

果南「聞いてたんですか?!っていうか起きてたんですか?!」

いや、想像任せに言ってるだけって可能性も……。

絵里「さあねー」

起きてたんだとして、車内アナウンスの声で検討付けたんだとしたら、これは相当キューティーパンサーだね。


78 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/08/06(月) 03:12:36 hEsb5SXs
受け取ったミトンを嵌めてると、絵里さんが声を上げた。

絵里「あ」

果南「どうしました?」

絵里「雪」

顔の前を、小さな欠片が舞い落ちる。
見上げれば、たくさんの白い雪が、ゆっくりと、美しく、どこか儚げに、空を舞っていた。
滑空の旅を楽しんだ雪は、やがて私達に辿り着いた。
そして、その姿かたちを水へと変えていく。

絵里「珍しい。ホワイトクリスマスね」

今日はクリスマスイブ。
小さい子達は、サンタさんを心待ちにして眠っていることだろう。
真姫さんはまだ信じてるのかな。まさかね。

絵里「この時期に東京で雪が降るなんてそうそうないけど、そっちは?」

果南「こっちも基本あり得ませんよ」

絵里「そう、良かった。この瞬間を、共有できるわ」


79 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/08/06(月) 03:13:03 hEsb5SXs
雪は、儚い。
純白の美しさを見せるのは、ほんの一時。
自然に、熱に、人に、汚されて、すぐにその美しさを失って、いずれ溶け消え去って忘れ去られてしまう。
いくら時間を掛けて降り積もったところで、結果は同じだ。


イルミネーションがパターンを変える。

果南「不思議だね、いまの気持ち 空から降ってきたみたい」

絵里「……特別な季節の色が ときめきを見せるよ」

果南「初めて出会ったときから……なんて、きりがなくなっちゃいますね」

絵里「あら。一曲丸々歌っても構わなかったのに」

絵里さんがクリスマスツリーに向く。
光を求めるようにポニーテールが揺れる。

絵里「私の切なさ。この醜い感情に、意味なんて、あるのかしら」

果南「案外、そういうどうしようもない感情をひた隠しにするために、Snow halationって名前つけてるのかもしれないですよ」

絵里「……そうかもね」

いつか失われてしまう美しきもの。
それでも、美しかったことには変わりない。
今この瞬間を、誰も間違いとは呼べない。
本物の気持ちだから。
いずれ醜くその姿を変えてしまうとしても、忘れ去られてしまうとしても、輝いている今を、覚えていてくれる人がきっといるから。
そんな幻想に、クリスマスの雪の夜、今くらいは、身を浸してもいいんじゃないか。
私は美しかったんだもの。だから、何も間違ってはいないよね。


80 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/08/06(月) 03:13:55 hEsb5SXs
絵里「想いを〜乗せて〜 ハッピーハッピートレイントゥゴー!」

果南「絶対言われると思ってずっと覚悟してました」

絵里「なにそれ-、つまらないじゃない」

想いを運び終えた私は、どこへ向かっているんだろう。
私の選んだこの先は、素敵な場所に本当に繋がっているだろうか。
やっぱり、正直なところ不安だから。

絵里「あの歌、好きで今もよく聞くの。本当に果南さんが電車を運転してるんだもの、驚いたわ」

絵里さんが教えてくれた胸の輝きを抱いて、私は進んでいこうと思う。
進んで、境界線を超えたその先に、何かが待ってるはずだから。
今だけは、めいっぱい、この美しさを感じていたい。

一歩先で空を見上げていた絵里さんの横に並ぶ。
おそろいのツインテールが揺れた。

果南「絵里さんありがとうございました」

絵里「お互い様、ね」

メリークリスマス。

絵里「またいつか、どうかしら。今度はお酒で」

果南「いいですね。またいつか」

メリークリスマス。
この幸せが、みんなの心の中に、いつまでも在り続けますように。
またいつか、思い出すその日まで。
今は、こうして────。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Fin


81 : 花陽「雨空の下」 :2018/08/08(水) 08:05:33 gXcd4nJI
小石がちゃぽと灰色の水溜まりを揺らした。

凛「雨ばっかでつまんなーい」

凛ちゃんは面白くなさそうに、小石がゴールした水溜まりを跨いだ。

真姫「今の時期ばかりはどうにもならないんだから、諦めなさいよ」

真姫ちゃんも真姫ちゃんで興味なさそうに、水溜りを跨ぐ。

花陽「あの部室じゃできることが限られちゃうからね」

できてことりちゃんの衣装のお手伝いか予定に向けての話合いくらいだけど……。
もうやり尽くしちゃって、最近は部室でのんびりと談笑してるだけ。
花陽にとってみればそんな時間もあったかくて好きです。

凛「なんか退屈だなあ」

黄色い傘をくるくると回すと、小さく雫が飛び散る。
それを鬱陶しそうに赤い傘を伏せて、ちょっと間を開けてから口を開く。

真姫「……ゲーセンかカラオケにでも行けば?」

ぴくっと猫みたいに顔を上げた凛ちゃんは180度振り返った。

凛「一緒に行ってくれるの?!」

真姫「いやよ、あんなところ」

凛「ちぇー」

肩を下げた凛ちゃんは、やっぱりつまらなそうに歩き出す。

花陽「ボウリング、なんてどう?」

真姫「反対。一年の女子高生三人だけでああいうところに私は行きたくない」

ゲーセンとカラオケもそうだけど、と付け足す真姫ちゃん。
ツンデレさんかな、って思ってると、前方で、どこから新たに見つけたのか小石の跳ねる音がした。

花陽「そっか……」

傘が奏でる雨音が一つ、二つ、三つ。
どれも似たり寄ったりだけど、一人でいる時とは確かに違う音がして、花陽好きです。


82 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/08/08(水) 08:06:10 gXcd4nJI
住宅街を進むと、雨の中真姫ちゃんが声を出す。

真姫「もう一、二週間もすれば梅雨も明けるんだから。それまでの辛抱でしょ」

凛「そんなの無理に決まってるにゃー。凛体力持て余して死んじゃうよ」

真姫「……どこからそんな体力湧き出てくるのよ」

やれやれと言わんばかりに答える真姫ちゃん。
付き合いはまだまだ短いけど、凛ちゃんがそう答えることくらい、真姫ちゃんは分かってるんじゃないのかな。
横顔を眺めてると、真姫ちゃんは視線を動かした。

真姫「……なに?」

花陽「う、ううん!なんでも」

凛「何か、ないかな」

反応を示していなかった凛ちゃんが呟く。

のもつかの間、勢いよくまた180度回転したお花みたいな笑顔でこっちを向いた。

凛「ねえ、お泊まり会は?お泊まり会!」

真姫「はあ?」

花陽「誰かのおうちにお泊りする、ってこと?」

凛「うん!」

凛ちゃんが元気よく答える。

凛「一緒にご飯食べたり、一緒にお風呂入ったり、お喋りしたりして、一緒に寝るの。きっとすっごく楽しいよ!」

赤い傘が揺れる。

真姫「ふ、ふーん。で、いつやろうって言うの?」

凛「今日!」

黄色い傘が元気良く跳ねる。

真姫「そう、今日。ってええ!?……それは、いくら何でも急過ぎる」


83 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/08/08(水) 08:07:09 gXcd4nJI
私も同じように感じて一応聞いてみる。

花陽「人の家に泊まるってなると、さすがに予定とかあるかもしれないし」

凛「多分聞けばなんとかなるって。真姫ちゃんちは?」

真姫「無理。絶対に無理」

断固拒否とばかりにそっぽを向いて口を尖らせる。

すると矢先が花陽に回ってきた。

凛「じゃあかよちんは?」

うちのママはそういう部分は結構寛容だから、おそらくは淀みない二つ返事でオーケー出してくれる。
お泊り会の話が出た時点で分かってはいたことなんだけどね。
考えるように俯くと、水溜りの灰の空に私の顔が重なった。

花陽「うーん、多分大丈夫だと思うけど……。お母さんに確認とってみるよ。凛ちゃんと真姫ちゃんはおうちの予定とか平気?」

凛「凛は全然平気」

真姫「私も人の家にお邪魔する分には問題ないと思う。むしろ……じゃなくて、パ、両親共に仕事でこの時間じゃ連絡しようとするだけ無駄だから」

凛「パパって呼んでるの?」

真姫「そんな訳ないじゃない」

花陽「素敵だと思うけどな、パパママって♪」

真姫「ちょ、花陽まで!」

ちょっと自分に似合わないお茶目を言ってから逃げるように電柱の側に一歩寄って立ち止まる。

花陽「それじゃ、電話してみるね」

凛「よろしく頼むにゃー」

真姫「ふん」

二人は狭い道の反対側で立ち止まって花陽のことを待ってくれる。
そんな当たり前に感じちゃうふとした瞬間が花陽はたまらなく好きなのです。
あったかくて嬉しい気持ちになるからね。


84 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/08/08(水) 08:07:44 gXcd4nJI
バッグの中を手探りで探索……発見しました。
花陽、これより許可申請願い提出の任務をあたるであります!
軍曹カラーだけに。
なんて心の中でふざけてスマホを操作してると、話し声が聞こえる。

真姫「ていうか凛の家はどうなの」

凛「凛のうちはダメだよー。凛の部屋超散らかってて汚いし。それにまずお母さんがだらしなくて面倒臭がりだから土下座でもしないと許可出してくれないよ」

真姫「い、遺伝……?」

くすっと笑い出しそうになるのを堪えながら、ワンコール、ツーコール……。

花陽「あ、お母さん?」

  「どうしたの?電話なんて」
  
花陽「実は、急なんだけど……」


簡単に伝えて、迷惑がる様子もなく、返事してくれる。

花陽「ありがと。じゃあ切るね」

  「はーい」

スマホをバッグに仕舞ってから、二人に視線で伝えると、道の真ん中に揃って歩き出す。
花陽の様子を見て真姫ちゃんは半分呆れたみたいな表情をして、凛ちゃんはまだ心配そうに尋ねてきた。

凛「花陽のお母さんいいって言ってた?」

花陽「うん、大歓迎ですって」

凛ちゃんは両腕を空に向かってぴんと伸ばすと宙高く飛び跳ねる。

凛「やったー!」

大喜びの様子。

凛「じゃあさ、あとでゲームで対戦しよ?真姫ちゃんも持ってるから三人でできるし。あ、あとトランプもやりたい!おととい部室でババ抜き負けたからリベンジするんだ。
  へへ、他にもやりたいこといっぱいあるんだ。そうと決まれば早く帰ろー!」

真姫「走ると滑って怪我するわよ」

凛「はーい」


85 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/08/08(水) 08:08:59 gXcd4nJI
くるりんと回るその後姿を見ているだけで、口元が緩むのがわかります。
相変わらず無関心を装う真姫ちゃんが、くるくる凛ちゃんを眺めながら何かを開きました。

真姫「……良かったの?」

花陽「へ?なにもないよ?」

つい、癖でしらんぷり。 

真姫「……そう」

傘の音が奏でられます。
美しくて心地良くも、どこか底冷えをさせる雨の音。
雨の音が奏でられます。
冷たい泥水はじんわりと靴を蝕んで、花陽はそれを感じました。

真姫「花陽?」

いくつかの波紋が広っては消えてゆく水溜りを覗くと、やっぱりそこには仄暗い曇天と電柱をバックにした花陽の顔。
ちょっと、ずるいかなって思った。
一番の臆病者は、私だもの。
臆病者の花陽だけど、この時ばかりはすっと息を吸って、勇気を吐き出した。

花陽「凛ちゃん、真姫ちゃん」

凛「んにゃ?」

真姫「……?」

花陽「真姫ちゃんはそのまま。凛ちゃんは花陽の右に来て?」

凛ちゃんを促して横一列になると、黄緑色の傘を閉じた。
そこにあるのは、黄色と赤の傘だけ。
びっくりした二人がいっぺんに駆け寄ってくれて、丁度花陽の頭上で傘をぶつけ合ってくれる、そんな二人が好きなんです。

凛「ふぇ?」

真姫「え?」

凛ちゃんの左手と、真姫ちゃんの右手を握りました。
大好きだから。


86 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/08/08(水) 08:09:19 gXcd4nJI
真姫「ちょ、花陽?」

凛「かよちんどうしたの?」

花陽「えへへ。たまには、おてて繋いで帰ろ?」

二人が、大好きで。
二人との、かけがえの無い時間が大好きで。
近くにいて、側で見てくれることが嬉しくて。
これからのことが、とっても楽しみで。

凛「うんっ!」

真姫「意味わかんない。別にいいけど」

だから、二つの傘に挟まれるここに、花陽は居ていたい。

……やっぱり花陽は、卑怯者かもしれません。
本心は何一つ出さずに、ただ居心地のいい場所に居座るだけ。
三人を繋ぐーだなんて偉そうなことをのたまって一歩後ろから見てるふりして、きっと何一つしていないけど。
けど、それでも。

凛「かよちんだーいすき!」

真姫「ふん」

花陽は、この場所が大好きだから。
誰にも譲れません。

臆病者の私だからなかなか前に進めない。

花陽「……」

今日は。

半歩くらい、踏み出せるかな。


87 : 名無しさん@転載は禁止 :2018/08/08(水) 08:09:43 gXcd4nJI
花陽「ありがとう」

引っ張っていってくれて。
支えてくれて。
それぞれへの言葉は胸にしまって、雨空を見上げた。
今はどんよりと濁した雲に覆われた空でも、いつかは晴れる。
知らない世界に行くまでに、花陽は、自分をなおさなくちゃいけない。
次の雨の時には、この傘を三人で並べられるかな、と思いながら。
手のぬくもりを感じながら、帰り道を歩いた。
足元にあった小石を蹴ったその先、揺れがおさまった水溜り見ると、波紋ができていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
おしまい


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