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相対的にみるライブドア分析

88ハジャイ・プーケット・サムイ:2008/01/13(日) 17:01:34 ID:MLsY3NL20
【ネット技術の確かさ堀江事件が証明】

 「ライブドア社長」−−良くも悪くも厄介な肩書をいま背負っているのが、この人だ。

 今年4月のグループ再編で、持ち株会社「ライブドアホールディングス(HD)」(平松庚三社長)の子会社として新生ライブドアはスタートした。インターネットのポータルサイト運営や、企業向けにサーバーを提供・保守・運用するデータセンター業務を手がける。

 「ある意味、インターネットベンチャーへの原点回帰です」

 一連の騒動で語られることは少なかったが、ライブドアのネット関連技術の高さは以前から知る人ぞ知るところだった。「堀江さん(貴文元社長)自身も最初はエンジニアでしたから」と言うが、技術の高さを示したのは、皮肉にも堀江元社長が証券取引法違反で逮捕されたときだった。ライブドアのサイトにアクセスが集中したが、「一度もサイトをダウンさせずに運営を続けました」と胸を張る。

 出澤氏自身は最初から“ネットの人”だったわけではない。大学卒業後、朝日生命のサラリーマンとして東京・八王子支店で5年間、セールスレディーの統括などを行っていた。転勤の希望を出したが、聞き入れられなかった。そこで「裏技的な手」として社内の留学制度に応募し、“留学先”のひとつであるライブドアの前身「オン・ザ・エッヂ」に入った。

 「ほかの会社はTOEICなどの資格が必要だったのに、ここだけ応募要項が『独身で体力があること』だったんです」

【エンジニアと一緒にずっと仕事がしたい】

 営業に加えてネットの技術にも触れた。「自由な中にも職人意識を持つすごいエンジニアがいて、ずっとこの人たちと仕事をしたいなと思いました」。出向は1年間の予定だったが、そのまま戻らず、「会社(朝日生命)にすごく怒られた」。

 しかし、その後のライブドアは株式分割やM&A、プロ野球参入騒動や堀江元社長の総選挙出馬など、“本業”とかけ離れた部分で脚光を浴びることになる。

 「われわれ作り手は相変わらず地味な仕事でしたが、後から入ってきた人はプロデューサー的な人が多かったですね」

 モバイル事業部の執行役員当時、部門の売り上げは年間5−6億円、営業利益率も30−40%あった。「けっこう、すごいでしょ? でも、ファイナンス事業部はディールを一発決めて1億円利益が上がる。そこと横並びにされると、おかしくなっちゃう。何でみんなを徹夜させているのかと、正直、やっててバカらしくなった」。

 拡大を続けるライブドア。「みんな多かれ少なかれ違和感はあったが、期待していた人もいた。あそこから変わってしまった、と後から言うのもずるいかなという思いもある。実際、(メディアへの露出で)ポータルサイトのユーザー数が増えたのは事実ですから」。いまも複雑な思いは消えない。

【海外進出も…ただし「今度はサービスで」】

 事件後、「ライブドア」の社名を残すよう主張した逸話が知られる。

 「事件後もユーザー数は減っていないし、社名変更で認知度をゼロにするより、最悪だったライブドアのブランドを少なくともプラスマイナスゼロぐらいまで戻す方がいいんじゃないかと考えたんです」

 ライブドアグループは先ごろ、本社を六本木ヒルズから赤坂に移し、会計ソフト子会社「弥生」の売却も発表した。相対的にネット事業の重要性は増している。「これからは身の丈の中で高収益を上げていきたい。外は地味でも技術の世界ではピカピカの会社を目指します」。

 海外進出も考えている。「M&Aではなく、海外に通用する日本発のサービスを作ってみたいんです。技術を突き詰める中に大きな成長があるかもしれない」。とはいえ、「われわれは、ものづくりを続けてきた人間。これからも、やることは変わりません」。最後まで気負いは感じられなかった。


ペン・中田達也
カメラ・山田俊介


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