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カンボジアの地雷と戦う日本人エンジニア・雨宮清さん

69(*´Д`)ハァハァ:2011/10/19(水) 19:32:28 ID:BstAWOm.0
澤田教一のライカM3とヘルメット、郷土館に

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青森県立郷土館に常設展示されている、澤田教一が愛用したライカM3とヘルメット

 ベトナム戦争の従軍取材でピュリツァー賞に輝くなど、数々の功績を残しながら、34歳で戦場に倒れた青森市出身のカメラマン・澤田教一が、生前に愛用したカメラ「ライカM3」と取材時にかぶっていた迷彩色の軍用ヘルメットが、同市の青森県立郷土館に常設展示されている。

 青森高校時代の同級生で友人だった藤巻健二さん(75)が提供した、当時の逸話が詰まった貴重な遺品だ。

 藤巻さんによると、2人は高校で共に写真部に所属していた。卒業後も交流は続き、藤巻さんが同市内で営むカメラ店に、戦場から一時帰国した澤田はたびたび顔を見せ、雑談に興じるなどしたという。

 藤巻さんが「危なくはないのか」と心配すると、澤田は決まって、「死なないから大丈夫」「死ぬも生きるも、運命だよ」と笑って返した。藤巻さんは「あまりにサラッと言うもんだから、信じていたのに……」と、当時をしみじみと振り返る。

 展示中の銀色のライカM3は、藤巻さんが澤田から譲り受けたものだ。「戦場では、光を反射しない黒色の方が目立たず、安全だろう」と気遣った藤巻さんが黒の「ニコンF」を手渡すと、澤田がお返しに自分のライカのうち1台をくれた。

 澤田はこのニコンを、実際の戦場で持ち歩いていた。軍用ヘルメットもこの時一緒にもらった。戦場では貴重な食料となる缶詰を開けるため、ヘルメットのツバの部分にひっかけて携帯していた缶切りが、そのまま残っていた。「これがないと、ご飯食べられないから」と笑って話した澤田の姿を、今でも鮮明に覚えているという。

 藤巻さんは郷土館内に澤田の紹介コーナーがあるのを知り、「どうせなら同じ場所に」と、それまで店内に置いていたライカとヘルメットの提供を9月中旬に思い立った。

 2人で一緒に写った、高校時代の初々しい写真も添えた。藤巻さんは、「世界のサワダ、郷土が誇るカメラマンに思いをはせてほしい」と話している。澤田が命を落としてから、10月で41年になる。(岡部雄二郎)

 ◆澤田教一=1936年、青森市生まれ。米軍三沢基地のカメラ店勤務を経て米UPI通信東京支局に就職。65年に戦時下のベトナムへわたり、米軍の爆撃から逃れようと川を泳ぐ母子を撮影した「安全への逃避」で、66年のピュリツァー賞に輝いた。その後も世界報道写真展で1、2位を独占するなど活躍を続けたが、70年10月29日朝、内戦を取材中だったカンボジア・プノンペン郊外で射殺体で見つかった。
(2011年10月17日10時08分 読売新聞)


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