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別冊☆大阪百科☆ニュース6

706よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/01(日) 19:58:25 ID:w03L5oM60
“行列のできる”レトロ建物 新井ビル
2014.6.1 10:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140601/wlf14060110000013-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140601/wlf14060110000013-n2.htm

 明治以来、北浜周辺は金融街として発展し、数多くの銀行や金融関連の企業が集まった。今回紹介する新井ビルも、1922(大正11)年に報徳銀行の大阪支店として建てられた。

 1903(明治36)年に中之島に設けられた日本銀行大阪支店を筆頭に、明治から昭和の初期に建てられた銀行建築には、共通したデザインがみてとれる。威厳と格式を重んじた、古代ギリシア建築に起源をもつ古典様式だ。

 正面中央に列柱を配して左右対称形で構成され、華麗な装飾が施されて仕上げには重厚な花崗岩が用いられた。しかし新井ビルはよく見てみると、どこかモダンで軽やかな印象だ。銀行建築のセオリーには倣っているものの、装飾は幾何学的に簡略化され、石積み風の重厚な仕上げは1階のみで、2階以上にはタイルが貼られている。堺筋を挟んで反対側に建つ、1936(昭和11)年の三井住友銀行大阪中央支店のクラシカルな外観と比べると、そのモダンさは際立ってみえる。

 新井ビルを設計した河合浩蔵は、円熟期に入っても新しいデザインに挑戦した建築家で、海外のデザイン動向にも敏感だった。新井ビルは過去の様式から脱却しようとした、新時代の銀行だったのだ。

 報徳銀行は昭和初期の金融恐慌で倒産し、舶来雑貨商の新井末吉が建物を取得後、証券会社を営み、戦後はテナントビルとして使われてきた。1階に長らくの間、ステーキレストラン「弘得社スエヒロ」があったことをご記憶の方も多いだろう。その後2005(平成17)年、大阪発のスイーツとして有名な「五感」の浅田美明氏が新井ビルに惚れ込み、本館を構えて現在に至る。銀行の営業室ならではの高い天井を活かした広々とした店内には、素材にこだわったお菓子の甘い香りが漂い、回廊に沿って小部屋が並ぶ2階には、堺筋を見下ろすシックなカフェが設けられ、週末は女性客で行列ができる人気ぶりだ。

 新井ビルは北船場の近代建築で組織する「船場近代建築ネットワーク」のメンバーとして、積極的にイベントに参加したり、パンフレットを作成したりなど、近代建築を活かした地域活性化に取り組んでいる。来年で本館を構えて10周年を迎える五感でも、定期的に店内でコンサートを開催したり、代表の浅田氏も街の活性化に意欲をみせるなど、新井ビルは人気のレトロ建築という存在にとどまらない、都市魅力向上の重要な拠点となっている。(高岡伸一/建築家・大阪市立大学特任講師


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