したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

別冊☆大阪百科☆ニュース6

692よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/15(木) 20:33:37 ID:HYCetVuM0
堺の助け合い傘、45年管理の父娘が道徳教材に
2014年05月15日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20140515-OYO1T50051.html

 堺市東区にある南海高野線の二つの駅に、無料で借りられる「助け合い傘」が登場して45年になる。最初に傘を置き、管理を続けてきた父娘の話が、今年度の小学5年用の道徳の副読本で紹介された。(横田加奈)

  娘は楠井順子さん(75)という。5月12日、萩原天神駅前にいた。1日の乗降客が7000人ほどの小さな駅だ。2日に1度は同駅と、隣の初芝駅の傘を点検しに来る。

 夕方、雨が落ちてくると、勤め帰りの人たちが、改札口のそばにある箱から傘を手に取り、さして家路を急ぐ。よく利用するという男性会社員(59)は、「いつ雨が降り出しても安心で、助かります」とほほ笑んだ。

 楠井さんは一日中お天気のニュースを気にかけ、「足らなくならないかな」と、傘のことを考えている。梅雨がまた近づいている。

 助け合い傘を始めたのは、11年前に95歳で亡くなった、父の豊吉加(ます)さんだ。シベリア抑留の経験があり、「つらいときは、みんなでご飯を分け合ったり励まし合ったりした。最後は人なんや」とよく話していた。

 会社を定年退職した1969年、「これからは、世の中に恩返しをする」と、近所の寺と協力して傘を集め、スチールの箱を買い、両駅に置かせてもらった。箱に、「たすけあいかさ」と書いた。その後豊吉さんが一人で管理をするようになり、年金で30本を買い足した。

 返却されない傘もあり、数は減ったが、近所の人たちが、使わない傘をさらに2000本集めてくれた。豊吉さんは保管小屋を建て、壊れたり破れたりしたところを修理し、雨の翌日に補充を続けた。

 取り組みは20年ほど前、父の体調を案じた三女の楠井さんが引き継いだ。

 傘を整理していると、「この前は助かりました」「いつもご苦労さま」と声がかかる。誰かが、「戻すときは、きれいに閉じて返しましょう」と注意書きを貼ってくれたり、スペアの傘を入れてくれたり。傘は今や、この街に守られている。

 傘の話を紹介した2011年11月の読売新聞のコラムを、教科書教材出版会社「光文書院」(東京)の担当者が知り、楠井さんを取材した。副読本では「助け合い傘」のタイトルで、この傘の始まりや、楠井さんの思いがつづられる。最後に、この取り組みのことを学んだ男の子が、「ぼくたちも守っていくからね」と話す。

 同社の担当者は、「当たり前だと思う普段の生活でも、本当は多くの助けの中で生きているということを学んでほしい」と期待する。

 楠井さんは、「父が教えてくれた、他者を思いやることの大切さを子供らに伝えられてうれしいです」と言い、いとおしそうに傘をなでた。

2014年05月15日 Copyright © The Yomiuri Shimbun


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板