したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

別冊☆大阪百科☆ニュース6

1642名無しさん:2019/06/03(月) 22:47:30 ID:HJ4mza.I0
https://www.sanspo.com/geino/news/20190603/geo19060316220026-n1.html

019.6.3 16:22

横山ひろし、たかしさんは最高の相方「彼は日本一の漫才師」
横山ひろし、たかしさんは最高の相方「彼は日本一の漫才師」

相方の横山たかしさんの「純金車いす」の隣に立ち、号泣した横山ひろし【拡大】
 1日に多臓器不全のため亡くなった漫才師、横山たかし(本名・山高孝=やまたか・たかし)さんの相方、横山ひろし(72)が3日、大阪・心斎橋角座で会見し、大粒の涙を流しながら、ホラ吹き漫才で人気を博した故人をしのんだ。
 晩年のたかしさんが舞台に上がる際に使用していた自称48億円の車いすの横に立ち、思い出を懐古。「彼は日本一の漫才師。最高の相方でした。それに尽きます」と唇をかみしめた。
 ひろしが最後に見舞いに訪れたのは5月31日の夕方。それまではたかしさんの負担にならないようにと半年ほど会っておらず「ずいぶん痩せて面影もなかった」という。「肩で息をして、血管も点滴の針が通らない細さ。お礼を言いたくて、手を握って『ありがとう』って言いました。そうしたら力いっぱい手を握り返しました。彼のすべてを伝えるように力強かったです」と最後の会話を明かした。
 2日に営まれた葬儀では、棺のたかしさんにトレードマークである金ピカ衣装を着せた。弟子が赤いハンカチを胸元に置いたが、「向こうに行ったら誰かわからんので」とひろしが口を少しだけ開けてハンカチをくわえさせ、たかしさんを漫才中の決めポーズにさせて見送った。
 「2人でいい夢見させてくれた。彼が誘ってくれて、(横山)やすし師匠のところにも連れて行ったのも彼。ようがんばった。漫才も病気も一生懸命がんばった。もう寝たほうがいいよと言うと、最後に右のまつげがピクッと動いた気がしました」と感謝の気持ちいっぱいのようすだった。
 1968年のコンビ結成から50年以上、二人三脚で歩んできたが、もっと漫才を続けたかった理由がひろしにはある。「たかしひろしのホラ吹き漫才は、絶対に年をとってからの方がおもしろい。つえをつきながら、ホラ吹き漫才をしたかった。シルバー世代のアイドルになりたかったし、自分らならできる気がしたんです。ボケてきても、それが笑いになると思っていた。そのためにも命がある限り漫才がしたかった」と声を詰まらせた。
 今後、お別れの会が開催される予定。「とりあえずたかしの悪口。いい意味で供養したいとおもいます」と最後は冗談めかして、笑いをとった。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板