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別冊☆大阪百科☆ニュース6
1255
:
名無しさん
:2016/01/07(木) 22:39:34 ID:wgbjZ23.0
(勝手に関西遺産)ビックリマン 輝かせた
向井大輔2016年1月6日
http://digital.asahi.com/articles/ASHDZ5CV7HDZPTFC002.html?rm=349
■グリーンハウス
スーパーゼウスにヘッドロココ。1985年に発売され、たちまち子どもたちを熱狂させたロッテ「ビックリマンチョコ」のおまけ、「悪魔VS天使シール」を覚えている人は多いだろう。
記者(39)は当時小学生。100円玉を握りしめては、1個30円のビックリマンを求めて駄菓子屋へダッシュした。いつもの店が売り切れだと知らない隣町まで遠征し、帰り道が分からず半泣きに。1人3個までの制限に「忍耐」という言葉を体感し、年上のお兄さんに大事なシールを無理やり別のシールと交換させられて、社会の厳しさを知った。
記者がハマッたわけは、シールのキラキラとキャラクターの濃さだ。初めてスーパーゼウスを当てたとき、48ミリ角のシールに描かれた、とてつもない迫力のおじいさんと目が合って、衝撃を受けた。
デザインを手がけるのは、今年創業40周年のデザイン会社「グリーンハウス」(大阪市)だ。
本来は食品などのパッケージデザインが中心で、キャラクターはその一部として描く程度だった。80年代初め、業界向けのPR用に描いたキャラクターのパネルがロッテ関係者らの目にとまり、悪魔VS天使シリーズの発注が舞い込んだ。「すぐ終わる仕事だと思っていたら、どんどん売れていって」と井上俊也社長(70)は振り返る。
おまけ付きのビックリマンチョコ自体は77年からあったが、悪魔VS天使シリーズで人気が爆発。ピーク時は年間4億個を販売するまでになった。
デザインを担ったのは米澤稔さん(61)と兵藤聡司さん(52)。いまやファンに「神」とも呼ばれる2人は、子どもに飽きられないよう、40体ほどの新キャラクターを2、3カ月ごとに描き続けた。しかも当時はぜんぶ手描き。「とにかく大変な毎日で、ブームと言われても全然分からなかった」と兵藤さんは話す。
以来30年余り、1500体を超えるキャラを描き続けてきた。近ごろは復刻版が発売されたことなどがきっかけでブームが再燃し、全国で原画展が開かれ、原画集も発売された。サイン会は長蛇の列。「30年経ってもまったく飽きられない。すごいことですよね」とロッテの担当、本原正明さん(31)は感嘆する。
「会社をつくったとき、東京に絶対負けんとこうとみんなで言い合った。大阪にすごい事務所があると言われるのが夢やったけど、いま実りつつある」と井上社長。米澤さんも「今年はビックリマン世代の人たちと関西発のムーブメントを巻き起こしたい」とたくらんでいる。(向井大輔)
■イラストレーター 中村佑介さん(37)
子どもの頃に学んだビックリマンの「2頭身のデフォルメでも、細かな形や色を変えることできちんと性格が表せる」ということは、イラストレーターとしての僕の礎となっています。今見ても当時わずか30円のお菓子のオマケだったのが信じられないくらい、1枚の絵で楽しませようという気持ちや丁寧さに頭が下がります。僕が昨年出した本「みんなのイラスト教室」でも取り上げさせて頂きました。グリーンハウスは関西の宝です。
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