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食の都、大阪

1611名無しさん:2014/09/06(土) 20:18:53 ID:SSDqKrjY0
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140906/wlf14090612000008-n1.htm
意外や意外、「そば店」の発祥地は大阪だった…大阪城築城が育んだ食文化
2014.9.6 12:00

大阪市西区の新町南公園を通るたびに気になる石碑があった。そこには「ここに砂場ありき」と大きく刻み込まれている。植え込みの中にひっそりとたたずみ、まったく目立たない約1・5メートルの石碑。今まで、子供たちの公園の遊び場の「砂場」のことだと思っていたが、それも何だかおかしい。近づいてみると、驚くような史実が書かれていた。(上岡由美)

「ここに砂場ありき」

《天正十一年(一五八三)九月、豊太閤秀吉公大阪築城を開始、浪速の町に数多、膨大を極めし資材蓄積場設けらる。(略)人夫、工事関係者日夜雲集す。人集まる所食を要す(略)》

 石碑の裏面にはこう記され、側面には麺類業関係者でつくる「大阪のそば店誕生四〇〇年を祝う会」が昭和60(1985)年に建立したことが書かれていた。

 そこで手がかりを求めて最初に訪れたのは大阪府麺類食堂業生活衛生同業組合(大阪市西区)。平田敏雄専務理事(77)は「この辺りは、砂や砂利など大阪城築城の際の資材が置かれた場所だったので、通称『砂場』と呼ばれていたんです」と説明してくれた。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140906/wlf14090612000008-n2.htm

大阪城築城といえば、東京五輪や大阪万博にも匹敵するぐらいの大事業。全国から土木工事関係者が集まり、必然的に賄いの麺類の店が開業したという。それがそば店だった。

 そのことを記した文献もある。嘉永2(1849)年に発行された「二千年袖(そで)●(=覧の見が金)(かがみ)」によると、秀吉が築城に着手した天正11(1583)年の翌年、そばを扱う店が創業したと記されている。

 営業形態を整えたそば店としては大阪の「いづみや」「津の国屋」が国内で一番古いという。やがて店名をいわなくても「砂場」といえばそば店を指すようになり、店名も「砂場」に改められた。のちに「砂場」は東京に進出し、「藪」「更科」とともに江戸の三大そばの一つになったという。


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