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食の都、大阪

158名無しさん:2008/08/22(金) 14:17:54
梅田から消えたチャルメラ 「着想の原点」 日清が屋台を保存

 47年間大阪・梅田周辺でラーメン屋台を営み続けてきた大阪市北区の毛利光政彦さん(71)が今年1月に引退し、梅田から昔ながらのラーメン屋台が姿を消した。梅田は、日清食品の創業者、故・安藤百福氏が界隈に並ぶ屋台の光景を見て即席めん開発のアイデアを思いついた「即席めん発想の地」。毛利光さんから、屋台の寄贈を受けた日清は、即席めん販売50周年を記念し23〜25日、梅田で屋台を展示する。

 毛利光さんは24歳だった昭和36年に妻の直子さん(68)とともに屋台「中華そば・大番」を始めた。当時、梅田界隈には数十ものラーメン屋台が並び、深夜、大阪駅に到着する夜行列車の客らが、長い行列を作ったという。

 毛利光さんも約300キロの屋台を引き、1杯50円(当時)でラーメンを売った。「冬の寒い中、たき火をしながら、『仕事はどうや』『景気はどうや』といろんな人と語り合った」と振り返る。

 その後、梅田の北新地で営業を続けたが、深夜営業の店やコンビニの増加で、屋台に来る客が減ったことや、警察の取り締まりが厳しくなったことから、同業者は次々に廃業。毛利光さんは「梅田で昔ながらのラーメン屋台を出していたのは、2年ほど前から自分だけになった」と話す。「訪れる客と向かい合って会話する楽しさ」を支えに営業を続けていた毛利光さんも、高齢のため今年1月に引退。「自分の分身ともいえる屋台を、時代の流れで消えゆく一つの遺産として活用してほしい」という思いから、日清に屋台を寄贈した。

 実は、日清の創業者で即席めんの生みの親になった安藤氏は、梅田で寒さに震えながら屋台の一杯のラーメンを待つ客の姿が脳裏から離れず「自宅で手軽に作れるラーメンを」と、チキンラーメンの開発に力を注いだ。その即席めんは今や世界で年間979億食が消費される“世界食”となった。

 「屋台は安藤の着想の原点。何とか有効に役立てたい」と、日清食品は毛利光さんの屋台を貴重な資料として保存することを決定。今月25日の即席めん販売50周年を記念したイベントの目玉の一つとして、23〜25日まで大阪のヨドバシカメラマルチメディア梅田前で屋台を展示し、あわせてチキンラーメンの試食会なども行う。

 毛利光さんは「安藤さんは夢のある商売をしたロマンをもった人。多くの人の人情や人間ドラマがつまった自分の屋台が役立つのは本当にうれしい」と話している。

(2008年8月22日 14:12)
http://www.sankei-kansai.com/2008/08/22/20080822-001809.html


もしかすると大阪のラーメン屋さんは屋台が中心だったのかな


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