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KTNについて語ってみる7

754平成延長知恵袋(浦上と赤城でインタビューされてた人):2020/08/23(日) 12:33:14 ID:kRO.3HSs0
75年目の長崎原爆の日 被爆者 深堀さん「このような思いはもう二度と…」
2020年8月9日 18:10

長崎は8月9日、75年目の原爆の日を迎えました。
平和公園で営まれた平和祈念式典で長崎市の田上市長は、政府に「一日も早い核兵器禁止条約の署名・批准の実現を」と訴えました。
しかしコロナの夏、会場で 耳を傾けることができた被爆者も限られています。
長崎に原爆が投下されて75年。
長崎市の浦上教会には、夜明け前から多くの信徒が集まり、ミサが行われました。
浦上の信徒およそ1万2000人のうち、8500人が原爆の犠牲になりました。
爆心地から約1.6キロで被爆した女性「私は家も焼けて何もない。兄も2人亡くなりましたので」
「毎年来ています。平和公園とか教会は。必ず来てます。毎年。自分は来られるのにお祈りするだけでもと思って、家族のためでもあるし。同級生が亡くなっているから」
〜キリシタン墓地(赤城墓地)
戦後生まれの男性「この日だけは、うちの母親が施設に入ってますから、この日だけは水をあげてくれと。暑かっただろうということで、この墓ともうひとつ別にあるが、母親のほうと、水をあげてくれと」
〜早朝7時過ぎの平和公園
平和公園でも朝早くから、平和祈念像の前にある祭壇に手を合わせる人の姿がありました。
ことしの平和祈念式典は、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、参列者は検温や手や指の消毒をして会場に入ります。
一般の参列はできず、参列者は被爆者団体や遺族の代表などに限られました。
座席は2メートルずつ間隔をあけて設置され、例年のおよそ10分の1の500席程度でした。
被爆75年にあわせて25年ぶりに平和祈念像前のパネルが新調され、大テント内には高校生が書いた「世界平和」の書が掲げられました。
式典には、安倍総理大臣をはじめ68カ国の駐日大使などが参列しました。
式典ではこの1年間に新たに死亡が確認された3406人の被爆者の名前などが記された「原爆死没者名簿」が奉安され、あわせて18万5982人となりました。
あの日、原爆の熱線で焼けただれた人たちは水を求め、さまよいながら亡くなりました。
犠牲者を悼み、清らかな水が捧げられました。
そして、原爆が投下された午前11時2分。
〜黙とう
〜平和宣言
長崎市 田上富久市長「新型コロナウイルス感染症、地球温暖化、核兵器の問題に共通するのは地球に住む私たちみんなが”当事者”だということです。あなたが住む未来の地球に核兵器は必要ですか」
「平和への誓い」は、浦上浦上教会の信徒で被爆者の深堀 繁美さん(89)が、被爆後のまちの様子や胸の内を語りました。
〜平和への誓い
被爆者 深堀繁美さん(89)
「まちには亡くなった人を焼くにおいが、しばらく立ち込めていました。何のけがもない人が次々に亡くなっていく現実を目の当たりにすると、次は自分が死んでしまうのではないかという恐怖感が、なかなか振り払えなかったことを覚えています。このような思いは、もう二度とどこの誰にもしてほしくないと思います」
メッセージ
「私たちは決して忘れません1945年8月9日、この長崎で何があったのかを」
♪ あの子
「壁に残ったらくがきの おさない文字のあの子の名」
〜作曲した木野普見雄さんの長男の姿もー
木野隆博さん「父の思いはささやかだけど、こういう歌で原爆のことを思い出してもらえればいいと。そういうことで作っていますし、それが今でも、70年たってもその気持ちが
伝え続けられていると思った」
http://www.ktn.co.jp/news/20200809007/
https://www.fnn.jp/articles/72202


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