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ラチャに居た詐欺師

356名前書こうね!:2016/04/07(木) 19:29:20
コリア・タウンとなる前は、新宿界隈とともに「音楽の町」「楽器の町」として知られていた。戦前にはドイツ人の音楽家などや
日本のクラシック音楽家が多く住み着き、また梅屋庄吉は邸宅と「百人町撮影所」を所有し、片岡松燕プロダクションとしても
稼動させているほか、M・パテー商会/M・カシー商会などもあった映画撮影所の町でもあった。終戦直後、今度は戦地から
復員した人々が新大久保駅付近に楽器修理店を出したことが契機となり楽器店が増加。音楽関係者が集まる町となって
いった。1950年代から1960年代には歌声喫茶やジャズ喫茶が多い町として知られた。1960年代後半にはライブハウスが
増え、当時のグループ・サウンズ・フォークソングブームの発信源となった。1967年には百人町にて黒澤楽器店が創業。
しかし1980年代以降は「若者の町」としてあらゆる流行の発信源となった原宿・渋谷に圧倒されるようになり、「音楽の町」と
しては衰退。1990年頃のアマチュアバンドブームにも乗り遅れた。しかし現在も黒澤楽器店本社のほか複数の楽器店や
ライブハウスが多数存在しており、また前述の修理店・修理工場も10ほどあり現在も稼動、西武新宿線の線路沿いに
楽器の街新大久保へようこその看板もかかげられ、「音楽の町」の命脈は保っている。特に宮中音楽・雅楽に関連する
和楽器や伝統音楽の楽器店が比較的多く存在する。この他、東京交響楽団は、日本キリスト教婦人矯風会に事務局と
練習場を設けているほか、フィズサウンドクリエイションや、隣接の大久保一丁目には労音大久保会館アールズアートコート
などが ・・・・・・・

wikipedia 百人町 より


河村行きつけの楽器店が新大久保にあったんだっけ?


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