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大久保駅から土山駅
1
:
名無しさん
:2010/08/06(金) 01:50:24 ID:TVen7q.w
記憶が曖昧になっていますが
そのどれかの駅から見えた洋館の廃墟が気に生っています。
見るからに変で、つたが絡み付いていました。
何かがある廃墟なのか情報提供をお願いします。
2
:
Black Velvet★
:2010/08/06(金) 11:51:29 ID:???
>>1
名無しさん
はじめまして。
お問い合わせ戴きました建物はJR大久保駅東方にあり、『安藤家洋館』と呼ばれるものです。
大正八年(1919)、大久保本陣を務めた安藤家の一族で、東京にて海運業で成功を収めた
衆議院議員安藤新太郎氏が郷里である明石に建てたものです。
余談ながら、明治十八年(1885)、明治天皇が西国巡幸で山口県まで行かれた時、
帰路ここ(洋館に隣接する安藤家の書院)でお休みになられたことから『明治天皇大久保
御小休所建物』の石の標柱が立てられています。ただ、それ故、一般的にはこの名称の方が
通っていますが、明治天皇がお休みになられたのは、洋館の南側にある木造平屋建ての書院で、
(先述しましたが)洋館はそれよりも後の大正八年に建てられたものです。
また蛇足ながら、これらの建造物は旧西国街道の東500mにある大久保宿の本陣から移設されたものです。
つまり厳密には明治天皇がお休みになられた“場所”は旧大久保本陣(旧西国街道の東500m)、
建物は現在の書院という複雑な事情があります。
石の標柱の側面には『史跡名勝天然記念物法に依り史跡として昭和11年7月文部大臣指定』とありますが、
明石市の指定史跡にはその名が見当たらず、残念ながら現在は老朽化の一途を辿っています。
3
:
1
:2010/08/06(金) 17:30:38 ID:TVen7q.w
詳細な情報提供を頂きましてありがとうございます。
なるほど、大正八年に建てられたものだったとは驚きです。
由緒ある建物を明石市が管理しないのは確かに残念ですね。
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