したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

日本全国さわやか情報発信所

48さわやか名無しさん:2007/02/13(火) 09:21:12
赤線 (あかせん) は、GHQによる公娼廃止指令(1946年)から、売春防止法の施行(1958年)までの間に、公然と売春が行われていた地域である。

GHQは日本の民主化改革の一環として、それまでの公娼制度(貸座敷・娼妓)を否定し、遊廓を廃止した。女性の自由意志による売春自体は禁止できないとしても、女性を前借金で拘束する人身売買を禁止しようとしたものである。

東京では吉原、新宿二丁目などの貸座敷や、玉の井(東京都墨田区東向島)、鳩の街(東京都墨田区東向島)などの銘酒屋の看板を変え、風俗営業法のカフェーという名目で営業許可を取ることになった。(大阪では料亭など、地域によって異なる)

戦前から警察では、遊郭などの風俗営業が認められる地域を、地図に赤線で囲んで表示しており、これが赤線の語源であるという(英語のRed light districtが語源という説もある)。[1] 終戦後のカストリ雑誌などでは、特飲街(特殊飲食店街の略)という表現が用いられており、赤線という言葉が一般的になったのは、マスコミで売春防止法が盛んに議論されるようになった1950年代以降と考えられる。

東京の場合、カフェーらしくするため、1階にはダンスホールやカウンターなどが造られた。働く女性(女給)は2階の部屋に間借りをしていたが、ここが営業場所も兼ねていた。女性たちは店頭に並び、道行く客に声をかけて店に誘っており、風紀上、目に余る状態になっていたことは事実である。

売春防止法の施行後、それまで赤線内で営業していた店舗は、バーやスナックなどの飲食店に転向するもの、旅館や料亭になるもの、ラブホテルや映画館になるもの、アパートや堅気の下宿屋になるもの、密かに風俗営業を続けるものなど、さまざまであった。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板