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山中伸弥ノーベル生理学・医学賞

1ノーベル賞 掲示板:2010/10/04(月) 18:43:16
山中伸弥(やまなかしんや)
ttp://lovelyinfo.blog24.fc2.com/blog-entry-311.html


(*)山中伸弥(やまなかしんや)プロフィール
生年月日 :1962年9月4日
出身地 :大阪府
略歴:大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎卒業
   神戸大学医学部卒業
   国立大阪病院臨床研修医
   大阪市立大学大学院医学研究科博士課程修了
   グラッドストーン研究所(Gladstone Institute)ポストドクトラルフェロー
   奈良先端科学技術大学院大学遺伝子教育研究センター教授
   京都大学再生医科学研究所教授
   京都大学物質-細胞統合システム拠点iPS細胞研究センター長
受賞歴:ラスカー賞(アルバート・ラスカー基礎医学研究賞)など多数



(*) ノーベル生理学・医学賞
ttp://nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/

2ノーベル賞 掲示板:2010/10/04(月) 18:43:59
(*) 山中伸弥 iPS細胞の研究『ウィキペディア(Wikipedia)』
2006年8月25日の米学術雑誌セルに京都大学再生医科学研究所の山中伸弥と特任助手だった高橋和利(現、助教)らによる論文が発表された。論文によると山中らはマウスの胚性繊維芽細胞に4つの因子(Oct3/4、Sox2、c-Myc、Klf4)を導入することでES細胞のように分化多能性を持つ人工多能性幹細胞(iPS細胞:induced pluripotent stem cell)を確立した。
2007年11月21日、山中のチームはさらに研究を進め、人間の大人の皮膚に4種類の遺伝子を導入するだけで、ES細胞に似た人工多能性幹(iPS)細胞を生成する技術を開発、論文として科学誌セルで発表し、世界的な注目を集めた。

(*) 科学誌セル(Cell) 25 August 2006
タイトル:Induction of Pluripotent Stem Cells from Adult Human Fibroblasts by Defined Factors
ttp://download.cell.com/pdf/PIIS0092867407014717.pdf

(*) 科学誌セル(Cell) 30 November 2007
タイトル:Induction of Pluripotent Stem Cells from Mouse Embryonic and Adult Fibroblast Cultures by Defined Factors
ttp://download.cell.com/pdf/PIIS0092867406009767.pdf

3ノーベル賞 掲示板:2010/10/04(月) 18:44:44
(*) 人工多能性幹細胞『ウィキペディア(Wikipedia)』
iPS細胞 (induced pluripotent stem cells、人工多能性幹細胞、じんこうたのうせいかんさいぼう,もしくは「誘導多能性幹細胞」)とは、体細胞(主に線維芽細胞)へ数種類の遺伝子(転写因子)を導入することにより、ES細胞(胚性幹細胞)に似た分化万能性(pluripotency)を持たせた細胞のこと。京都大学の山中伸弥教授らのグループによって世界で初めて作られた。

(*) 京都大学物質−細胞統合システム拠点iPS細胞研究センター
ttp://www.cira.kyoto-u.ac.jp/

(*) 日本再生医療学会
ttp://www.jsrm.jp/

(*) 文部科学省 iPS細胞等研究ネットワーク
ttp://www.ips-network.mext.go.jp/

4ノーベル医学生理学賞:2010/10/05(火) 20:41:40
ノーベル医学生理学賞にイギリスのロバート・エドワーズ博士 山中伸弥教授は受賞ならず
ttp://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00185594.html
2010年のノーベル医学生理学賞の受賞者が日本時間4日午後6時半すぎに発表され、イギリスのロバート・エドワーズ博士(85)の受賞が決まった。
エドワーズ博士は、1978年に世界で初めて体外受精児を誕生させたことで知られている。
授賞式は12月10日、ストックホルムで開かれることになっている。
2010年のノーベル医学生理学賞は、新型万能細胞「iPS細胞」を作製した京都大学の山中伸弥教授(48)が有力と地元のメディアが報じるなど期待が高まっていたが、今回は受賞とはならなかった。

5山中伸弥 掲示板:2010/11/04(木) 09:19:38
山中伸弥 インタビュー  掲載日:2010年6月5日
患者への使命感を胸にiPS細胞研究を誕生させたリーダー
ttp://www.ips-network.mext.go.jp/column/interview/09/no01.html

6山中伸弥 掲示板:2010/11/04(木) 09:25:42
山中伸弥 iPS細胞研究所長が文化功労者に選ばれました。(2010年10月26日)
ttp://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/news7/2010/101026_1.htm

山中伸弥所長のコメント
 このたび、文化功労者に選出されましたことは、誠に過分なる名誉なことと感じています。今までご支援いただきました多くの方々に心から感謝申し上げます。これは、萌芽期にあるiPS細胞研究をより一層推進し、多くの患者さんのために医療応用を実現するようにという激励であると受けとめています。今後は、他の多くの研究者と協力し、再生医学の発展に貢献するために、また、iPS細胞技術の早期実用化を目指して、研究活動に懸命に取り組んでまいります。

7iPS細胞 掲示板:2011/02/18(金) 14:58:25
後にノーベル賞続々…山中伸弥氏にウルフ賞
ttp://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110217-OYT1T00359.htm
 イスラエルのウルフ財団は2011年2月16日、今年のウルフ賞(医学部門)を京都大の山中伸弥教授(48)に贈ると発表した。


 米マサチューセッツ工科大のルドルフ・イエーニッシュ教授との共同受賞となる。財団は授賞理由について「様々な臓器の細胞に変化できるiPS細胞(新型万能細胞)を開発し、新たな医療の可能性を開いた」と説明している。賞金10万ドルを2人で分ける。

 ウルフ賞の対象は、科学、芸術分野で顕著な功績があった人物。受賞者が後にノーベル賞を受賞することも多く、日本人では、小柴昌俊・東大特別栄誉教授(84)や野依良治・理化学研究所理事長(72)らが受賞している。

8iPS細胞 掲示板:2011/02/18(金) 15:03:02
iPS細胞:特許、米ベンチャーが京大に譲渡 係争を回避
ttp://mainichi.jp/select/science/news/20110202ddm002040043000c.html
京都大は2011年2月1日、米バイオ医薬品ベンチャー「アイピエリアン」からヒトの人工多能性幹細胞(iPS細胞)作成に関する特許を譲り受けたと発表した。ア社特許は、京大iPS細胞研究所長の山中伸弥教授らが開発・出願した技術と似ており、昨年、米国の特許庁が、どちらが先に発明したかを選定する審判(インターフェアランス)の開始を宣言する可能性が高まった。係争になる恐れがあったが、今回の譲渡により、再生医療や創薬の分野で最先端に立つ米国で年内にも「山中特許」が成立する公算が大きくなったという。

 京大は三つの遺伝子を導入するiPS細胞作成技術の特許を国内外に出願し、日本では09年11月に特許権を取得した。一方、バイエル薬品(大阪市)も類似の技術開発に成功し、国内外に特許出願。同社の関連会社から権利を譲り受けたア社が英国で10年に特許権を取得した。今回の京大への譲渡は、ア社が昨年末に申し出たもので、係争を避ける目的とみられる。金銭のやり取りはない。

 一方、譲渡に伴い、京大側はア社と、京大が持つiPS細胞関連の基本特許技術の使用を許諾するライセンス契約を結んだ。ア社は今後、京大特許で作成したiPS細胞や分化細胞を使い、さまざまな治療薬の研究開発を行うことができる。また、山中教授が1月にア社の科学諮問委員に就任した。山中教授は「より研究に専念できる環境を整備していただいた。ア社との連携を強め、特に創薬分野でのiPS細胞技術の実用化を国内外で進めていきたい」と話している。

9山中伸弥 掲示板:2011/05/31(火) 10:36:58
ノーベル賞登竜門・ウルフ賞に山中伸弥教授
ttp://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110530-OYT1T00321.htm

イスラエル・ウルフ財団のウルフ賞授与式が2011年5月29日、エルサレムの国会内で行われ、医学部門で受賞した山中伸弥・京都大学教授(48)が賞金と賞状を授与された。


 山中教授は米マサチューセッツ工科大のルドルフ・イエーニッシュ教授との共同受賞で、様々な細胞に変化できるiPS細胞(新型万能細胞)を開発、医療の新たな可能性を開いたことが評価された。

 山中教授は記者団に、「iPS細胞技術は発展途上で、実用化に向けた課題もあるが、受賞は大きな励みになる」と話し、難病に有効な薬の開発、実用化を目指し研究を続けると述べた。

 ウルフ賞は、科学や芸術分野の功績者に1978年以後毎年贈られている。医学と物理、化学の分野では受賞者の3人に1人がノーベル賞を受賞しており、ノーベル賞の行方を占う有力材料と目されている。ノーベル化学賞の野依良治氏、物理学賞の小柴昌俊氏がウルフ賞を授与されている。

10iPS細胞 掲示板:2011/06/09(木) 13:16:55
iPS細胞、安全で量産OK「魔法の遺伝子」 京大の山中伸弥所長ら発見
ttp://sankei.jp.msn.com/science/news/110609/scn11060908250001-n1.htm
 あらゆる細胞に分化する能力を持つ「人工多能性幹細胞」(iPS細胞)を作製する際に重要な役割を果たす遺伝子「Glis1(グリスワン)」を、京都大iPS細胞研究所の山中伸弥所長(京大教授)らの研究グループが発見した。2011年5月9日付の英科学誌「ネイチャー」に論文が掲載される。iPS細胞の作製には、細胞の初期化が不可欠だが、この遺伝子によって、iPS細胞の効率的な作製が可能になるという。

 山中伸弥所長らはこれまで、iPS細胞を作製する際、ウイルスを運び役にして、4つの遺伝子を皮膚細胞などに導入する手法をとっていたが、この4遺伝子のうちの1つは、がん化を促進するおそれがあり、代替遺伝子を探していた。

 山中伸弥所長らは未受精卵や受精卵に多く発現するGlis1が、代替遺伝子となると確認。さらに、ヒトやマウスの皮膚細胞で実験したところ、細胞の初期化にも効果的だと判明した。

 実験結果によると、従来の方法を使ったマウスでは皮膚細胞が初期化する比率が20%だったのに対し、Glis1を使うと90%〜100%に高まった。ヒトでも、従来の方法では10%程度だったが、Glis1の場合、40%以上となった。

 山中伸弥所長は「安全なiPS細胞を作製するため、導入する遺伝子などの開発が世界中で行われているが、Glis1は、初期化を誘導する『魔法の遺伝子』といえると思う」と話した。

 先月には大阪大チームが、ウイルスを使わないことでがん化リスクを減らすことに成功したと発表するなど、国内外でiPS細胞のがん化を防ぐ研究が進んでいる。

11山中伸弥 掲示板:2011/07/12(火) 07:34:15
京大、iPS細胞の基本技術に関する特許1件が欧で成立
ttp://www.nikkan.co.jp/news/nkx0720110712agbb.html
 京都大学は2011年7月11日、山中伸弥教授が開発したiPS細胞(万能細胞)の基本技術に関する特許1件が欧州で成立したと発表した。特許は広い範囲の権利をカバーするもので、市場規模の大きな欧州での基本特許成立は「非常に大きな意義がある」(山中伸弥教授)としている。
 特許が成立したのは体細胞の初期化を促す初期化因子とその用途に関するもの。Oct3/4、Klf4、c―Mycといったよく知られる因子そのものだけでなく、ファミリーと呼ばれるOct、Klf、Mycのそれぞれの類似因子を組み合わせ、3種類の初期化因子とする場合が権利の範囲。Mycファミリーの代わりにサイトカインと呼ぶ因子を使い、3種類の初期化因子とする場合も権利が及ぶ。
 今後1カ月程度で欧州特許庁で特許登録。その後、英国、ドイツ、フランスなど17カ国に移行し、各国ごとの権利として登録される。権利期間は2006年12月6日から20年間。

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「正直、ほっとした」 会見で京大の山中伸弥教授
ttp://sankei.jp.msn.com/science/news/110711/scn11071122380003-n1.htm
 「正直、ほっとした」。京都大の山中伸弥教授は11日、記者会見でiPS細胞作製技術の欧州特許取得の感想をこう述べ、笑顔を見せた。平成20年の国内特許取得から約3年。特許成立に至る過程は決して平坦(へいたん)ではなかっただけに、思わず浮かんだ笑みだった。
 海外では、国によって特許のシステムが違う。交渉の言語も日本語ではない。会見の冒頭で山中教授は「日本国内の特許に比べると苦労は何十倍も大きく、決定の一報を聞くまで安心できなかった」と、これまでの道のりを振り返った。
 京大が平成20年9月に初めて国内で作製技術に関する特許を取得した後、類似技術を開発した米国など海外でも特許申請の動きが活発化。会見に同席した京大の松本紘総長は「(特許成立の連絡が)いつ来るかわからない状態で努力してきたプレッシャーはものすごく大きかったと思う」と山中教授のこれまでの苦労をねぎらった。
 今後の目標は、再生医療と創薬の分野のいずれも最前線にある米国での特許取得だ。山中伸弥教授は「アメリカは再生医療ビジネスのサイズも大きい。ヨーロッパと同様、できることはすべてやっているが、アメリカ特許庁のレフェリーの判断を待つしかない」とあくまで冷静だ。「iPS技術は日進月歩で進んでいるが、この技術が今でも基盤であることは間違いない。それを踏まえ、私たち自身も、次々と新しい特許の成立を目指したい」と今後の抱負を語った。

12iPS細胞 特許 掲示板:2011/08/12(金) 06:26:55
iPS細胞技術に関する特許1件が米国で成立(2011年8月11日)
ttp://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/news7/2011/110811_1.htm
米国で成立した特許の概要
出願番号:12/086,479
特許請求の範囲:(1)Octファミリー遺伝子、Klfファミリー遺伝子及びMycファミリー遺伝子を含む初期化因子(2)Octファミリー遺伝子、Klfファミリー遺伝子及びサイトカインを含む初期化因子
特許の権利期間:2006年12月6日から2027年6月25日まで(推定)通常の権利期間は20年間ですが、今回はUSPTOの審査が遅延したため、その日数分(201日となる見込み)が加算されます。
<山中伸弥教授のコメント>
 私達が2005年に出願したiPS細胞の基本技術特許が、このたび米国で成立したことに大きな喜びと共に安堵を感じています。知財担当者や関係者の努力の賜であり心よりの謝意と敬意を表します。iPS細胞研究や特許取得にご支援、ご尽力をいただきました皆さまに深く感謝申し上げます。今後は、海外での産業化がより一層加速することを期待しています。私達、研究者は、一日も早い実用化を目指して、研究を強力に推進すると同時に、引き続きiPS細胞関連の知財確保に注力してまいります。

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iPS細胞:米国で特許成立 開発競争で優位に 京大発表 2011年8月11日
ttp://mainichi.jp/select/science/news/20110812k0000m040034000c.html

 京都大学は2011年8月11日、人工多能性幹細胞(iPS細胞)作成製造の基本技術に関し、米国で特許が成立したと発表した。京大の特許は日本と欧州などで既に成立しているが、市場規模が大きく生命科学研究の先頭を行く米国で再生医療や創薬への応用が期待される同技術の特許を得たことで、日本は開発競争上、優位に立てそうだ。
 成立した特許は06年12月、特許協力条約に基づき世界知的所有権機関(WIPO)に出願し、米国に移行手続きされていたもの。5日付で特許査定が通知され、今後1〜2カ月で米国特許商標庁に登録される。権利期間は27年6月までの見込み。
 欧州特許と同様、三つの遺伝子か、二つの遺伝子とある種のたんぱく質(サイトカイン)を用いてiPS細胞を作る技術が認定された。よく似た構造の遺伝子類を使う方法でも特許として保護されることや、体細胞に遺伝子を導入する方法を問わないことも欧州特許と同じ。ただ、遺伝子から得たたんぱく質の利用までは特許の範囲に認められなかった。
 iPS細胞は山中伸弥・京大iPS細胞研究所長が世界で初めて開発し、08〜09年に国内で三つの特許が成立。さらに先月7日付で欧州特許庁が登録決定した。日本や欧州は先に出願した者に権利が与えられる「先願主義」なのに対し、米国は先に発明した者が権利を得る「先発明主義」を取るなど特許制度が異なるため、米国での成立が注目されていた。
 山中伸弥教授は「特許獲得にはiPS細胞の論文を書くとき以上の労力がかかった。これがゴールとは思っていない。臨床の現場や創薬など、本当の意味で役に立つものに育てていきたい」と述べた。

<iPS細胞の特許を巡る動き>
2005年12月 京大がiPS細胞の作成手法に関する特許を日本で出願
2006年 8月 京大がマウスiPS細胞作成を論文発表
     12月 京大がiPS細胞の作成手法に関する特許を国際出願
2007年11月 京大と米チームがそれぞれヒトiPS細胞作成を論文発表
2008年 6月 京大などのiPS細胞の知的財産権を管理・活用する会社設立
      9月 京大の基本特許が日本で成立
2009年11月 安全性の高い作成法など京大の2件の特許が日本で成立
2010年 1月 米ベンチャー企業がiPS細胞の作成技術の特許を海外で初めて英国で取得
2011年 2月 京大が米ベンチャーから特許の譲渡を受け、米国での係争回避
      7月 京大の基本特許が欧州で成立
      8月 京大の基本特許が米国で成立

13iPS細胞研究 掲示板:2011/08/28(日) 23:20:48
週刊エコノミスト  2011年9月6日号 (2011年8月29日発売)
<特集>
iPS細胞研究最前線
・日本発の技術「iPS細胞」 未来の医療を変える 
・再生医療 2013年にも臨床研究 治らなかった病気を治す
・特許戦争 長期的に開発を主導できる選択と集中が必要
・市場規模 再生医療、新薬開発、安全性試験 将来的には数兆円市場にも

14iPS細胞 掲示板:2011/09/27(火) 18:04:39
待たされていた教授 : 今を読む:科学部デスク 佐藤良明 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
ttp://www.yomiuri.co.jp/job/biz/columnscience/20110921-OYT8T00561.htm
 今年もノーベル賞の発表が迫ってきた。
10月3日の生理学・医学賞をトップバッターに順次公表される。
日本人科学者で一番注目を集めるのは、iPS細胞(新型万能細胞)を作製した山中伸弥・京都大学教授(49)だ。「ノーベル賞の前哨戦」ともいわれる海外の主要な科学賞をとっており、生理学・医学賞の下馬評に挙がっている。
 山中教授と初めて会ったのは2009年1月。衆院議員会館の玄関だった。この場面は、よく覚えている。有名人ということもあるが、別の理由もあった。
 山中教授は議員会館に入るのに待たされていた。時間を計っていたわけではないが、20分くらいは玄関に立っていたろうか。
 与党(当時は自公政権)の勉強会に参考人として招かれ上京していた。勉強会は事実上、科学者が研究環境の充実を政治家に陳情する場。山中教授も研究の現状を説明し、積極的支援を訴えるために来ていた。
 当時すでに、新聞、テレビで名前をよく知られ「日本で一番有名な科学者」だった。その人物が、議員会館の玄関にけっこう長い時間、待たされたままでいるなど想像がつかず、最初に姿を見かけた時には「ずいぶん似た人がいる」と思ったくらいだ。
 本人と気づいて名刺交換を願い出たが、「(ここで)待っててくれと言われたんですが、なかなか(迎えの人が)お見えにならなくて」と困った顔をしていた。
 まわりは、地方から陳情に来たと思われる人たち。山中教授がその人たちと一緒になって玄関に立っているのは、なんとも印象に残る光景だった。
 いくら優れた科学者でも、資金がなければ研究はできない。国家予算を配分する政治家に"お願い"するのも、科学者の役目。予算確保という面では、道路や橋を造って欲しいと陳情するのと同じだ。政治家に研究の現状を知ってもらうのも、科学者の大事な仕事◯◯そういう考え方もあるかもしれない。
 山中教授の講演では、ひところ、「PAD」(Post American Depression)という造語が、パワーポイントの中に盛り込まれ、笑いをとるツボになっていた。
 「アメリカ帰りの憂うつ」とでも訳すこの言葉は、山中教授が帰国後に、米国と比べて、日本の現状があまりに心もとないので憂うつな気分になる、という意味だ。米国はiPS細胞研究に取り組む有力なチームがいくつもあって、層の厚さが日本とまるで違う。ユーモアのオブラートにくるんでいるが、日米の差を山中教授は深刻に考えていた。
 いまはどうか? iPS細胞の作製を発表してから5年あまり。山中教授をトップとするiPS細胞研究所が京大に設立されて、人材を集めつつある。作製技術に関する特許は今夏、欧米で成立。臨床応用へ向けた研究も進みつつある。
 国際競争は熾烈だ。その中に身を置く山中教授のようなトップランナーには、研究に没頭してライバルたちに立ち向かってほしい。
 世界から注目される人材は、「政治家詣で」に時間をとらなくても、後顧の憂いなく、ゆうゆうと活躍できる。それくらいのことは、科学技術創造立国を標榜する日本ならできるはずだ。その余裕がないほど、日本は落ちぶれてはいないと信じたい。

(2011年9月23日 読売新聞)

15iPS細胞 掲示板:2011/09/27(火) 18:25:13
時代を駆ける:山中伸弥/1 研究はマラソンに似て -聞き手・須田桃子  毎日jp(毎日新聞)
ttp://mainichi.jp/select/opinion/kakeru/news/20110921ddm012070013000c.html
 あらゆる細胞に変化する「万能細胞」が、マウスの皮膚細胞にわずか4種類の遺伝子を入れるだけでできた−−。06年の人工多能性幹細胞(iPS細胞)の登場は世界を驚嘆させた。開発した山中伸弥さん(49)は、昨春新設された京都大iPS細胞研究所の所長として、約200人を率い、研究の最前線を走る。
 《この5年で、ラスカー、ガードナー国際、京都、ウルフ各賞など、ノーベル賞登竜門とされる科学賞を総なめにした》
 普通なら、出て間もない成果は選ばれない賞ばかり。異例の評価ですが、僕自身ではなく技術そのものに対する評価だと思っています。その後、がーんと進んだことも大きい。研究の進展は、07年にヒトでのiPS細胞作成を発表したときの予想をはるかに上回ります。
 《超多忙である。分刻みのスケジュールをこなし、毎月1度は海外へ》
 確かに忙しいと言えば忙しいですけど、数年前に比べると支援体制はものすごく充実しているので、昔みたいに毎晩ほとんど寝ないみたいなことはあまりない。ま、時々はありますけど、一応ベッドには入っていますので、肉体的には随分楽です。ただ、研究所の運営や、今年度も30億円近くの税金で支援していただいているので、その成果をどうやって出していくかとか、精神的な負担は今の方がありますね。
 《趣味はスポーツ。日課のランニングは最もほっとする時間という》
 昼休みに鴨川沿いを約30分、寝不足でも二日酔いでも。10月には約20年ぶりにフルマラソンを走ります。
 研究はマラソンに似ています。フルは4、5回走っていますが(過去にやった)柔道やラグビーとはちょっと違いました。勝ち負けだけじゃない。今私たちがやっている研究は海外の超一流大学との競争になっています。研究で負けるというのは論文発表で先を越されることなんですが、たとえそうなっても、あきらめず最後まで走り抜き、きちっと論文や特許を出していく。研究者にはそういう使命があります。


毎日新聞 2011年9月21日 東京朝刊

16iPS細胞 掲示板:2011/09/27(火) 18:28:28
時代を駆ける:山中伸弥/2 「スーパーマンになれ」
ttp://mainichi.jp/select/opinion/kakeru/news/20110922ddm012070078000c.html
《姉弟の2人きょうだい。両親は、東大阪市でミシンの部品を作る町工場を営んでいた》
 共働きでね、とても忙しかったので、僕は基本的にほったらかしというか。鍵っ子ですから、やりたいことは何でも好きにさせてもらえました。あまり塾に行った覚えもない。虫(を捕る)よりは何か作ったりする方が好きな子どもでした。
 父は経営者ですけど、技術者としての姿が目に焼き付いています。(製品を)やすりで削ったりとか、最後の方まで自分で工夫してやっていましたから。自分も研究者ですけど、どちらかというと技術者の血の方が強い。技術をどんどん開発する方が合っているような気がします。
 《中高一貫の大阪教育大付属天王寺中・同付属高天王寺校舎での学生生活は充実していた》

 わりと自由な校風でした。何人かの先生に「スーパーマンになれ」とよく言われました。勉強だけできても駄目だと。それがすごく体にすり込まれています。(中学から始めた)柔道を一生懸命やっていましたし、高校の時は「枯山水」というフォークバンドを組み、学園祭に毎年出ました。
 その経験が、研究を始めてからすごく生きて。米国でポスドク(博士研究員)をした時は、どうやってひとの3倍くらい研究するかと考え、実行するのが快感でした。研究室の実験機械を全部予約して、違う条件で一気に実験したこともあります。もちろん空いているのを確かめてやったんですが、まあ独り占めしているわけですから、ひんしゅくを買いましたね。
 《柔道や、神戸大医学部時代に打ち込んだラグビーでは、けがが日常茶飯事》
 一番の重傷は大学で膝の靱帯(じんたい)を切ったことですが、それ以外にも鼻や足の指、手首など骨折だけで10回以上しているんですね。その度に整形外科のお世話になりました。中学生の頃から父に「医者になれ」とずっと言われていたこともあり高校2年くらいの時には「整形外科医になろう」と思っていました。大学3、4年ごろには、スポーツ外傷を治す専門医になるというはっきりしたビジョン(目標)ができました。

毎日新聞 2011年9月22日 東京朝刊

17iPS細胞 掲示板:2011/09/27(火) 18:29:43
時代を駆ける:山中伸弥/3 基礎研究に引き込まれ
ttp://mainichi.jp/select/opinion/kakeru/news/20110923ddm012070033000c.html

《神戸大医学部を卒業後、整形外科医を目指し研修を始めたが、無力感に襲われた》
 整形外科は、自分のようにスポーツでけがをした人を治し、元気にして送り出すという明るいイメージがあったんです。でも、整形外科の領域の中でスポーツ医学はほんの一部。大多数の患者さんは関節リウマチや骨肉腫、脊髄(せきずい)損傷など、状態が悪化していくことの多い病気やけがでした。
 最初に担当したのは慢性関節リウマチの女性。みるみる悪化し、やせて寝たきりになりました。枕元にふくよかな女性が写った写真があったので「妹さんか誰かですか」と聞いたら、「先生、それ1〜2年前の私です」と言われ、驚きました。
 僕は手術が下手で、他の人がやったら30分で終わる手術が2時間くらいかかったんですね。でも、手術の上手な先輩でも治せない病気があるという現実を痛感しました。医者になってから知るのも、ちょっとお恥ずかしい話なんですけど。
 研修医の2年間は、その間に父親を亡くしたこともあり、非常につらい時期でした。治らない患者さんを多く診るうち、こういう人を治せるとしたら基礎研究だろうな、と思いました。
 《いったん基礎医学を学ぼうと、大阪市立大大学院に進学。薬理学の研究室を選んだ》
 臨床とは全く違う世界でした。整形外科は職人芸的で、手術も決まった手順があり、それ以外は許されません。研修というより修行といった感じで、最初は面白いですが、単調に感じてしまうこともありました。
 基礎研究では、真っ白なカンバスに何を描いてもいい。非常に大変だけど自由でした。大学院生でも良い論文を書けば、世界中の人に読んでもらい、影響を与えられる。外国の人と競いながら交流もし、友人もできる。そういうところを魅力に感じました。
 最初は臨床に戻るつもりが、だんだん、もうちょっとやりたいと思うようになりました。10年20年頑張ったら、今治せない病気の人を治せるようになるかもしれないと。「基礎研究で頑張る」という、新しいビジョン(目標)ができました。

毎日新聞 2011年9月23日 東京朝刊

18iPS細胞 掲示板:2011/09/27(火) 18:32:27
時代を駆ける:山中伸弥/4 米国留学、そして危機
ttp://mainichi.jp/select/opinion/kakeru/news/20110927ddm012070136000c.html

 《大阪市立大大学院修了の93年から米国留学》
 「ネイチャー」などの科学誌に載っているポスドク(博士研究員)の公募広告に片っ端から応募し、最初に呼んでくれたサンフランシスコのグラッドストーン心血管病研究所に決めました。
 米国で習った一番大切なことは、研究者として成功するには「ビジョンとハードワーク」、つまり目標をはっきり持ち、一生懸命やることです。当時のロバート・メイリー所長が教えてくれました。これは当たり前のようで難しい。日本人は勤勉なのでハードワークは得意です。でも、ビジョンがなければ無駄な努力になってしまう。当時の僕も、ハードワークでは誰にも負けない自信があり、目の前の目標もあったけれど、気がついたら長期的なビジョンは見えなくなっていました。以来、5年、10年単位のビジョンを持つことを忘れないようにしています。
 もう一つ良かったのはES細胞(胚性幹細胞)に出合ったことです。ほぼ無限に増やすことができ、神経や筋肉など体を構成する200種類以上の細胞のすべてに変化できる「分化多能性」という能力を持っている。本当に面白い細胞で、夢中になりました。
 《3年後に帰国。大学でマウスES細胞の研究を続けたが、危機に直面する》
 研究費はなく議論の相手もいない。ネズミの世話も専門の担当者がいた米国と違い、全部自分でやるしかありません。実験用のネズミを2匹、米国から持ち帰ったんですが、1カ月で20匹、半年で200匹と本当にネズミ算式に増え、自分が研究者なのか、ネズミの世話をする人なのか分からなくなりました。
 薬理学教室にいたので周りはすぐに薬につながる研究をしている人ばかり。その中でネズミの細胞で基礎的な研究をしているわけですから、かなり浮いてしまって。いろんな人から「もっと医学に関係することをやったほうがいいんちゃうか」と言われ、自分でも「何か人の役に立っているのかな」と自信がなくなっていきました。半分うつ状態になって朝も起きられなくなり、研究をやめる直前までいきました。

毎日新聞 2011年9月27日 東京朝刊

19iPS細胞とは:2011/09/27(火) 18:37:48
イチから分かる「iPS細胞」  - MSN産経ニュース
ttp://sankei.jp.msn.com/science/news/110921/scn11092107340001-n1.htm
 さまざまな臓器や組織の細胞に分化する能力を持つ人工多能性幹細胞(iPS細胞)は、夢の再生医療の実現に道を開き、医療や創薬に革命的な進展をもたらすと期待される。京都大の山中伸弥教授がマウスの皮膚細胞からのiPS細胞作製を発表してから5年。実用化に向けた研究は世界的に活発化している。ノーベル賞候補としても注目されるiPS細胞の基礎をおさらいしよう。(中本哲也)

 ヒトの体は約60兆個もの細胞でできている。たった1個の受精卵が、さまざまな種類の細胞に分化・増殖を繰り返して、臓器や神経、骨、筋肉がつくられる。受精卵に近い未分化な細胞は、あらゆる細胞に分化できる能力(万能性)をもっているわけだ。
 山中教授らが開発したiPS細胞は、皮膚などに分化した細胞に特定の遺伝子を導入し、未分化の細胞と同等の万能性と無限の増殖能力を併せ持った細胞を人工的に作り出したものだ。細胞分化の時間を逆戻りさせる「生命科学のタイムマシン」のような技術といえる。
 同じ性質を持つ万能細胞には胚性幹細胞(ES細胞)があり、iPS細胞が登場するまでは再生医療研究の主流だった。しかし、受精卵からつくるES細胞は生命の萌芽を壊して利用するという倫理的な問題があり、研究は厚い壁に突き当たっていた。
 皮膚などのありふれた細胞から作れるiPS細胞は、こうした倫理的な問題を回避できる。また、自分の細胞から作ったiPS細胞なら、移植後の拒絶反応も防げる。iPS細胞が世界的に注目されたのは、それまでの再生医療研究の課題を一挙に解決しうる技術だからだ。
 山中教授はどうやってiPS細胞を作ったのか。
 まず、研究が進んでいたES細胞だけで働く遺伝子を探し出した。「この中に、万能性をもたらす遺伝子があるはず」と考えたからだ。100以上の候補の中から4つの遺伝子に絞り込み、これをマウスの皮膚細胞に導入するとES細胞に似た細胞の塊が形成された。これが最初のiPS細胞で、4つの遺伝子は「山中因子」と呼ばれる。
 個々の遺伝子の働きを解明するのではなく、複数の遺伝子の組み合わせに着目したことが成功につながるカギになった。
 マウスでの成功と同時に、世界的な研究競争がスタート。約1年後の2007年には、山中教授らと米国チームが同着で、ヒトiPS細胞作製を発表した。
 iPS細胞の臨床応用に向けた最大の課題は、安全性の確保だ。無限に増殖する能力は「がん化」と背中合わせで、山中因子の中にも発がんに関与する遺伝子が存在する。レトロウイルスを使う遺伝子の導入方法も発がんの要因になる。
 各国の研究者ががん化のリスクを回避する方法の開発に取り組み、安全性向上につながるさまざまな成果が報告されている。しかし、安全性と作製効率を兼ね備えた決定的な手法はまだ確立されていない。
 iPS細胞の名称は「誘導された多能性を持つ幹細胞」を意味する英語の頭文字からとった。マウスiPS細胞を発表した2006年にはそのまま「誘導多能性幹細胞」と訳していたが、「誘導」の意味が一般には伝わりにくいという理由で、「人工多能性幹細胞」と改めた。
 「i」を小文字にしたのは、当時流行した米アップル社の携帯音楽プレーヤー「iPod」にあやかったから。世界に浸透させたいという山中教授らの意欲が、名称にも込められている。
 山中教授らが開発したiPS細胞の基本技術は今年8月、京都大を権利者として米国での特許が認められた。取得済みの日本や欧州での特許権とあわせ、世界の主要市場をほぼ押さえたことになる。京都大は技術を広く公開する方針を打ち出しており、研究の加速が期待される。


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