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恐怖
1
:
セイ
:2012/09/12(水) 21:40:38 ID:.Sp9REI.0
高所恐怖症と思われるが、
時々ベランダに出ようと試みる。
怖いと思えるかを確かめるため。
思いの強さで状態を把握する。
かなりの恐怖がある。
我慢が難しいほど。
これが過ぎると感じなくなる。
そうなったらまた何かしでかしてしまうかも知れない。
私は何故こんな恐怖と闘いながら未だに生きているのだろう。
2
:
縁側の狸奴
:2012/09/13(木) 00:17:09 ID:ClQcX7Dw0
それは貴方の防衛機制が先読みして、貴方自身を守ろうとしているからです。
貴方が自分の価値をどこに位置づけようと、貴方の存在と生存を死守しようとする人が存在していたら、貴方はどう思われるのか?
誰が貴方をそんな風にしたのか、両親がそうしたのなら、心の内で呪って蔑み貶しまくれ。現状は変わらないだろうが、恨みの感情も憎悪も愛情も嫉妬も抱いて構わない。
自分自身を構築途上の友人がいるが、彼も自分と言うものが解らなくて悩み混乱し、酷く落ち込んだり、刺々しくもなる。
世の中には、奇特な人がいて、私やその他の変わり者を「煩わしい」と思いつつ、時には口をついて出てしまう事もあるが、時間と労力を費やして応じてくれている。
もし、セイさんが、会える距離の人であって、面識を持ち交遊したら、貴方は私を変わり者と見るであろうし、私は貴方を変わった人で煩わしい人だが、放っておけないと思い、動悸や吐き気に襲われて朦朧とするまで付き合うよ。
貴方は既に目覚めている。自我や普通と云うものを本能的に求めている。愛されること愛することと、それに伴う情動や感情の蓄積が、憧憬を抑えがたいまでに突き動かしている。貴方は知的好奇心や知的欲求が強く、それの欲する思いが、貴方を霊長類ヒト科ホモサピエンスから、人間に成長しようとし、邪魔な手枷足枷や積もった塵や灰を押しのけ伸びようとしている。
貴方は、昔の中国の纏足をご存じでしょうか?幼い時に、小さな木靴を履かされ、少女たちは大きくなろうとする足が、硬い木靴に圧迫され耐えがたい苦痛に襲われる。大人になっても幼少期のままの、その小さな足では、木靴を外してもアンバランスで歩行が不安定になる。大人になった足は成長しなくなってしまっている。
両親に型に嵌められ、木靴を履かされた少女のように、苦しかったでしょう。貴方の中には両親に感化されなかった心の部位がありますが、それさえも抑圧され声にも言葉にも出来ないまま、SOSを発していたでしょう。
貴方が、生い立ちを語る時、何の感情も抱かない筈がなく、違和感とある種の代償や賠償的欲求が、寂しかった記憶とともに溢れ出るでしょう。人の心を持つ人が、貴方の生い立ちを涙なくして聴く事は極めて困難です。人は、自分が、もしそうだったらと心の内に疑似体験し、心から同情し共感するのです。貴方に好意的に見て欲しいからではなく、それが「哀れ」と云う感情です。
哀れと云っても惨めな者を見下した思いではなく、愛するに値する存在の者が、酷い仕打ちを受けた事をしり、心に悲しみと思いを共有することで、貴方を助けたいという思いからそうなるのです。
人間に純愛や聖なる愛などあり得ないが、人として人の物差しやダムの限界で愛し、それでも物足りず、溢れ出すほどの愛を以て貴方を受け入れることだって、貴方も他者もなし得ます。否、なし得るとかではなく、そうなるとこを常に望んでいるのです。
エロス、フィレオ、アガペーと云う愛の概念を知っていると思いますが、個人対個人の最も深い愛はエロスのカテゴリーです。フィレオやアガペーを盾にして教え込まれた愛など、偽善であってフィレオですら人は到達しえません。
卑猥なものではない個人対個人のエロスの愛を、私は受け入れては汚染物質を処分するように捨ててきた。フィレオやアガペーを自他に求めてイカレポンタンになってしまい、普通を知る機会を逃した。
貴方に「受けて立つ」とは言わないし、そうはならない。貴方の物言いは、きついかも知れないが、ご心配なく。それは貴方がそれだけ真剣であり、余計な取り繕いや気兼ねを捨てて、本気で自己対峙し闘っている証しだからです。
人を信じてみたらどうですか?腹を割って話せる友人になり得る人だっています。私は普通をあまり知らないが、人間を取り戻すのに必要な事を、交遊を通して教えてくれている人がいる。互いに警戒していたが、徐々に警戒を緩め、親しくなり、煩わしい時もあるが、どんな聖職者にも優って、その人は深い理解者です。
安達千香の作品
モルヒネ、お話の日、見覚えのある場所、長編ではありません。幾つかの作品が収められている、文庫本を借りるのをお勧めします。
3
:
セイ
:2012/09/14(金) 22:28:12 ID:.Sp9REI.0
私が私を守ろうとしていることを私は知っている。
そして私にそれなりの好意を抱いているだろう人が存在しているのだろうとも思う。
ただ感覚としてない。
『エデンの東』の主人公ははたして親に対して憤りや恨みを持っていただろうか。
私にはそうは見えなかった。
もしかしたら人によっては怒りと感じるのかも知れないが、私には悲しみと感じられた。
サバイバーというと攻撃的な感じを受けるのかも知れない。
だけれど幼い子供が身を守るとき、そこにあるのは攻撃でも防御でもない、
媚びることと我慢することだと思う。
纏足、詳しくは知りませんが知識程度には知っています。
もし同じだとするならば、きっとその状態が当たり前すぎて、
あとから知らない人に苦しかったでしょうと言われても、
どう反応したらいいのか困るでしょう。
私はどうやら冷静に話しすぎるらしい。
他人事のようと言われるが、友人がそんな状態だったらたぶん興奮している。
自分のことは何だか軽く話さなければいけないような気がしてしまう。
つらかったかも知れないことを本気でとらえたらきっと崩壊する。
たぶんだからにこやかに記憶を話す。
高校時代の友人に内容と表情が合ってないと言われたことがある。
縁側の狸奴さんが真剣に向き合ってくださっていることは分かります。
それとこれとは違うのでしょう。
きっと根本が土台がないことが問題。
本は足の痛みがもう少し何とかなってから借りてきますね。
4
:
セイ
:2012/09/21(金) 00:12:12 ID:lM8RaiT.0
少し気持ち的に回復したのでやっと書けます。
この間、整形外科に行ってきました。
医者は患部(この場合、足)を診ることもせず、もう大丈夫ですねと言った。
確かに打ち身の多くは1ヶ月でほぼよくなる。
だけれど酷いときには3ヶ月くらい掛かることももちろんあるし、
生活スタイル(庇う生活が出来るか)にも因るはず。
医者たちの態度が変わったのをだいぶ前から感じていた。
最初は気のせいだと思おうとしたけれど、何度目かで気が付いた。
カルテに「生保」のはんこが押してある。
理解した。
今までの薬がジェネリックになる程度なら別に構わないけれど、
シップ薬さえ数を少なくしか処方してもらえない。
仕方がないので市販品を購入するのだけれど、もともと厳しい経済状況。
何より精神的にきつかった。
保護受給者であるとばらされること、
病院に行くたび思い知らされること、
無為な人間には病院に掛かる権利などないというプレッシャー。
一般の人には理解されにくいかも知れないが、『センセイ』には選民意識があることが多い。
頑張ってきたから今の自分があり、底辺のごみは頑張ってこなかったやつらだ、
という無意識。
別のところでも話したが、医者は、
頑張っている有資格者の方々のことも認めない傾向にある。
ましてや保護受給者なんて。
役所から医薬品などの件で指導が行っているのだとは思うが、
お金がなければまともな医療が受けられないという現実を体験している。
ちなみに他の疾患でも、薬剤師さんや看護師さんは異常だから先生に話すよう、
親身になってくださいます。
ただ「はい、いいですよ」と言われると、何も言えなくなるのです。
人間をみることが仕事の人たちと、病気をみることが仕事の人たちの違いでしょうか。
自罰的な人はどうしても身体にも不調を抱えやすいのだろう。
痛みを抱える人にさらに鞭打つ行為だと選ばれた人たちには思いもつかない。
病院に行けずに挙句なんて人、増えるかも知れませんね。
統計的には精神か肉体か、なんて出てきませんが。
5
:
縁側の狸奴
:2012/09/28(金) 15:33:00 ID:ClQcX7Dw0
大和撫子を独自のキリスト教的アレンジを加えて刷り込まれたと言う感じがします。
あなたが、そんな卑屈な要素を持ち、それに内面から苦しめられているとは心苦しいと思います。
私にも選民意識はあるともいます。センセイではないけれど、経営者って言う選民意識がありますよ。経営者って悪魔の手先とかネフィリムとか言う人もいますが、私は悪魔のような守銭奴だから経営者を選んだのかも知れません。
商工会議所と税務署に書類2枚を提出し、受理されれば経営者にはなれます。色々な責任も発生しますが、確定申告なんかで役人と向き合うと「法律と言う国家権力を振りかざすお役人」に時代劇の悪代官や悪大名のような印象を受けます。
運転資金から税金払った際は窓口で苦しい実情をごきと声を強めて言い表し、他の課の協力を得られる寸前まで話が進みました。N課とF課は協力を取り付けられたが、S課の規定により事は成りませんでした。
「雨垂れ石をも穿つ」と同じように、貫通するまではゼロに等しい虚しい庶民の行動かも知れませんが、自身の尊厳を保つ意味でも、障害者の経営者としての自負心やプライドを持っての行動や発言は止めません。
野心や闘争心を蔑視する人こそ、蔑視されるべき存在だと思います。今は、いつ破綻しても不思議ではないジリ貧事業者であり、マラソンコースを這って歩く見かけ上負け犬であっても、回復と向上の準備は忘れてないし、虎視眈々とチャンスを窺う姿勢も捨ててない。
野心や闘争心を否定するのがクリスチャンの常かも知れないが、私は「そんなの人を負け犬にさせて従わせたい卑しい耶蘇教の言い訳だ、バカ野郎」と受け入れない。
自尊心やプライドのない人は、善人のつもりでも避けたくなる。野心や闘争心のない人も良い人なんかじゃなくて、自我や自己を持たない箸にも棒にも掛からぬ人であって関わりたくなくなる。かつての私がそうだった。善人ぶってバイトを解雇された。
セイさん、大いなる可能性を秘めていて、それを潰そうとする力や考えに抑圧されないでください。
キツイ言い方になるが、あなたはクリスチャンではなくても、強烈な耶蘇臭が感じられます。それも原理主義的な福音派や聖霊派、米南部バプテストの影響下に置かれているような雰囲気を感じます。
友人を守れるだけの力と能力があるのだから、自分を防御するために、時には攻撃をも辞さないくらいに能動的に生きてください。耶蘇はヤラレっぱなしのmasochismを是とする宗教ですが、そんなクソ宗教の影響など排除して自分に正直に生きてください。
ただ、あなたは決して卑屈な言葉を口にしない人と思われる。悪たれて自虐的な言葉を吐いたりしない。そういう強固な理性と自制心を軸に強く能動的に生きて欲しい。
私も心が乱れがちで、乱文になってしまいます。
6
:
セイ
:2012/10/02(火) 02:36:15 ID:lM8RaiT.0
他人と戦うことより、どう生き抜くかを考えます。
もしかしたらサバイバーとはそういう意味なのかも知れませんね。
攻撃だの防御だのではない。
水を飲むこと、争わないこと。
運動会で一列ゴールなんて馬鹿なことは思いません。
走ることが得意な人、計算の早い人、記憶力のいい人、なんとなく人気者、
いろいろな人がそれぞれにいる。
そう思うことが耶蘇臭ですか?
>悪たれて自虐的な言葉を吐いたりしない
小学校の4年生の通信簿に『自分なんかどうせという悲しい気持ちを持つようです』
と書かれていたけれど。
私が言うのも何ですが、
世の中敵ばかりではないと信じましょうよ。
大丈夫です。
きっと大丈夫です。
7
:
縁側の狸奴
:2012/10/18(木) 02:01:42 ID:ClQcX7Dw0
敵対者がいる訳ではないのですが、競争心や闘争心は生きるのに必須の要素です。
自分一人で処理する個人事業者なので、仕事上のライバルは事業所内にいませんが、昨日の自分でさえ超えるべき存在です。
紙棒を曲げるだけの治具一つでも、再検討する余地は十分にあり、精度を落とさず作業の簡略化や効率化と、治具自体のシンプル化を追求してしまいます。
満足したら向上はあり得ませんから、その思いが強くなって、敵とか闘争と言う表現に繋がっているようです。
セイさんと私では耶蘇臭や耶蘇教徒感が違うようで齟齬が生じてました。なので、この類の表現は一旦措いときます。
セイさんは、とにかく生き抜く。もしかしたら、泉にたどり着くまでに何人かの人を追い越しているであろうが、そこに防御や攻撃はない。
たどり着かねば水は飲めない。実際、たどり着いて水は飲めている。
私は異常なのだろうか?、途中棄権してヒヨコみたいに口を開けてピーピー泣いても誰も助けちゃくれない。だからひたすら泉を目指して進む。脱落者が出るのは仕方がないし、それは摂理の範疇にあり、その人のことを思い煩ってもどうにもならない。
8
:
セイ
:2012/10/19(金) 16:56:36 ID:icwGGwIQ0
分からない。
ヒヨコのような他力本願なことと、ひたすらに自分だけが水に向かうこと、
何とか助け合って水辺に至ること、いろいろあると思う。
ただ本当に防御も攻撃もない。
幼い哺乳類は媚びることが生きること。
ごめんなさい、すみません、はい、頑張ります。
大丈夫だよと慰め、そうだよねと酔っ払いの話に付き合う。
風呂に入るときかず面倒なことになり、
お寿司屋さんから電話が来る。
何だか結構大変な子ども時代だったみたいですね。
こうやって過去を思い出して書いてみると。
だけど一つ言えるのは、私たちのような人間と一般の人間は感覚が違う。
ちいさい人という漫画を見た。
暴力の虐待を受けている。
施設に収容された子どもが夜になって親元に帰りたがる。
その解釈が笑ってしまう。
親との楽しい思い出が蘇ってきちゃうのよねと描いてる。
本当に一般の人って何なのだろう。
理解してあげていると思っているのだからなおさら笑えるよ。
9
:
縁側の狸奴
:2012/11/11(日) 01:02:27 ID:ClQcX7Dw0
最後の段落ですが、マジョリティーの中にいる、自己満足したい善人ぶった偽善者のやる事です。
安全圏で生活してきた人が「あなたがたの苦しみや苦渋が自分の事のように感じます」とでも言いたんでしょう。
善行の施しをしてあげているとでも言うのでしょうか、大抵がそんなもんです。
実質的には一切役に立たない綺麗事や御伽噺を「可哀想な皆さん、皆さんにこの言葉やお話を与えてあげます。私たちってなんて優しいんでしょう、感謝しろよ」てなもんです。
不要な薬物投与や宗教と同じで、所詮は他人事です。優しい理解者や支援者を演じたい、金儲けの製薬会社、自己満足したいエセ慈善者なんぞは、普通の人の心すら持ってません。
胸糞悪い連中です。他スレに書かれてますたが、この類の輩には自省なんて有り得ません。彼等の心の中は、腹黒政治家と同じくらい腐敗してますから。
私はそんな奴らに、心から軽蔑申し上げてます。
10
:
セイ
:2012/11/21(水) 16:59:36 ID:icwGGwIQ0
だからセンセイなんて人種は嫌いなのよ。
必死でもがいていたことも知らずに
「うんうんそうだよね」
?
「過去は過去として今頑張りましょう!」
?
何だか相手に合わせて話をするのって仕事しているみたい。
保護もらうためには仕方ないけど。
資格とって仕事に就けるようになるまではとは思うものの、
たまにおこる発作にも苦しむ。
死にたい衝動。
それに本当は何で頑張っているのだろうと思ったりする。
保護でのほほんでいいんじゃない? って。
自分を保つのは結構難儀だね。
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