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達人スレ元祖1式part8
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>>666
達人さんによって表現は違うけど、認識の変更とは、自分にとってのリアリティが「物理現実→内面」から「内面→物理現実」へ変更されることだと思います。
今自分がリアリティを与えている物理現実は関係なく、自分の内面次第で最高の物理現実を投影することが可能です。
元祖一式さんの「思考を止めれば最高の幸せが待っている」も含めて、達人さんたちの書き込みを読み込むと全員この話をしていると思います。
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>>666
ただ(isaさんが書いてたけど)認識の変更にも何段階かあるようです。
私がいろんな達人さんスレのやり取りを読んで理解した範囲では、「内面は現実の投影という考え方があるらしい」と知識で知る人から、どんな時でも「内面は現実の投影」とリアルに実感できる人まで色々いるようです。
そういう意味では、人によって認識の変更の定義が違うのはその通りだと思います。
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>>670
あの……楽しさも止めないといけない反応なんですケド……
外部に充足を探して罠に陥っていることすら自覚できてないみたいなんですケド……
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「認識の変更」と言っても、「既にある」とか「なる」とか「なったふりメソッド」とか、あの辺の知識は思考停止には何にも関係がないと思います。
いま目の前にないのに「既にある」とか、ちょっと何を言ってるのかよく分からないですけど、そんな難しいことを思考で理解しようとしなくても、思考停止すれば最高の幸せが訪れます。
願望を潜在意識に丸投げするのだから「叶ってる自分」とか「叶ってない自分」とかどうでも良いし、既にあろうがなかろうが関係ないし、「なる」でも「ならない」でもどうでも良いですよね。
もちろん「最高の幸せなんていらない。不幸でも良いから特定の人との恋愛成就をしたい」という人もいると思うので、その場合には思考停止よりも199式アファや701式なるを実践した方が良いと思います(嫌味っぽい言い方になっていますが、嫌味ではなく文字通りの意味です)。
私は特定の願望を叶えようと思って「701式なる」を実践しようとしたのですが、「もうとっくに叶ってる自分になった」と思っても現実をガン見して振り回される日々から抜け出せず、結局isaさんのまとめを読んで「竹とんぼで一生楽しもう」と願望を完全に諦めてからその特定の願望も叶いました。
私の場合は、自愛をして願望を諦め、自己観察をしてエゴから距離を置き、その実践の先に辿り着いたのが思考停止でした。今は最高に幸せです。
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>>674
レスありがとう
思考を止められない時は、それも完璧
楽しさを感じるのも完璧としているよ
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>>676
あほ
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>>677
そうだよ
あほの相手してくれてありがとうね
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D6NAQll20さん、すごいなぁ
いつもすごく丁寧な文章で
難しいことを分かりやすく書いて下さる
書き込みが読めて嬉しいな
ありがとうございます
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>>669
そうか、それではアナタが素晴らしいスレにして下さい。
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>>674
>あの……楽しさも止めないといけない反応なんですケド……
>外部に充足を探して罠に陥っていることすら自覚できてないみたいなんですケド……
と書かれていますが、元祖一式さん自身も
>お金は月に100万円入ってくるようになってからは、
>逆にお金なんかどうでもいいと思うようになりました。外国は物価が安いですし。円高ですし。
>仕事は本当に楽しいからやってます。
と書いていました。
これは「元祖一式さんが仕事という外部に充足を探して罠に陥っていることすら自覚できていない」とになるのでしょうか?
そもそも、最高の幸せを味わうために願望を潜在意識に丸投げするのに、楽しさという幸せを感じてはいけないなら、何のために思考停止を実践するのかもよく分からないのではないでしょうか。
私は逆に、「楽しさも止めないといけない」や「外部に充足を探して罠に陥っていることすら自覚しなければならない」こそ思考ではないかと思います。
私が思考停止を実践する過程で気づいたことですが、思考はよく「○○しなければいけない」「○○してはならない」「○○すべき」という形で姿を現します。
「色んな人の色々な書き込みが読めて楽しい」は思考ではありません。
私の理解では、思考とは「自分には動かすことができない現実(イウォークさんのいう「超合金ブス」)がある」という観念を前提にして出てくるものです。
動かせない現実があることを前提とするからこそ「○○すべき」という言葉で思考が登場します。
一方、潜在意識(つまり別の領域)は現実を(超合金ブスではなく粘土ブスだと捉えるので)自由自在に動かすことができ(粘土でできたブスを美人へ作り変えるのも朝飯前で)、何の制限もないので、潜在意識から「○○すべき」というワードは出てきません。
なので、思考を止めれば「○○すべき」という言葉は出てこないと思います。
元祖一式さんは「思考を止めること以外の全ての思考を止める」と言っていましたが、「思考を止めるべき」という言葉は「○○べき」という形を取っているので、確かにこれも思考ですね。
日常生活で「○○すべき」「○○べきではない」「当然○○だ」という表現に注意を向けると、自分の思考を一歩引いて観察することができ、思考を止めることができるのではないかと思います。
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>680
ニヤニヤ
その思考を止めろよw
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先ほど「楽しさも止めないといけない反応だ」という674さんの書き込みがありましたが、このスレでは過去に何回か「思考だけでなく、感覚や感情も止めなければならないのか?」が議論されていたことがありました。
なぜなら
>>美味しい物をたべても、何も感じず、嫌なことがあっても何も思わず、ってことですか?
という質問に対して元祖一式さんが
>おいしいものや嫌なことだけではありません。五感で感じる全てのことを止めようとしてください。
と回答していたからです。
この元祖一式さんの書き込みに対しては、2015年2月27日の元祖一式実践スレの書き込みで「五感を止めろじゃなくて、五感で感じる全て(の思考)を止めろってことだと思うんだが・・・」と書いている人がいましたが、私も同感です。
もちろん、元祖一式さんの「五感で感じる全てのことを止めようとしてください」という書き込みの本当の意図は、元祖一式さん本人に質問しないと分かりません。
しかし、前後の書き込みとの一貫性を持たせようとするなら、「五感から生じる思考を止めろ」の書き間違いではないかと私も思います。
そのように解釈しないと
>仕事は本当に楽しいからやってます。
という元祖一式さん自身の別の書き込みと矛盾します。
「食べ物の美味しさを感じてはいけないが、仕事の楽しさは感じて良い」などというのは、理解不能です。
それに、感覚を全否定するなら、元祖一式さんから「思考を停止すれば最高の幸せが待っている」と思考停止を勧められても、その幸せすら感じられなくなります。
では、「五感で感じる全てを止めろ」と「五感で感じる全ての思考を止めろ」の違いは何でしょうか?
例えば、熱が出た時に「苦しい」と感じるのはただの感覚、感情です。
この感覚は止めなくてよく、思いっきり感じればよいです。
しかし「このまま仕事に復帰できなかったらどうしよう」「こんなに苦しいなら死ぬかも」「この苦しみはいつまで続くんだろう」と考えるのは思考です。
「仕事に復帰できなければ人間失格だ。生きていけない」という動かしがたい(と勝手に思い込んでる)現実を前提として、「自分は仕事へ復帰すべきだ」という思考が出てきています。
これは止めます。
一方、感情は感じきって良いと私は思います。
クラゲさんのまとめにも、2024年4月21日の書き込みで「私はキレることを最大限に許可していますよ!自己自身はキレまくって良いと思ってます。どんなにキレても良い世界で、思考停止するんです」とあります。
クラゲさんも、感情を感じて発散することは肯定していますね。
少なくとも私の経験では、思考を停止して幸せを感じたことは何度もありますが、感情に蓋をして思考停止と同じ感覚を得られたことはないです。
たとえ元祖一式さんから「思考だけでなく感情や感覚も止めろ。美味しさを感じるな!」と言われたとしても、私は実践しません。
私が目指すのは最高の幸せを得るための実践であって、元祖一式さんの言葉を一言一句字面通りに実践すること自体が目的ではないからです。
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>>681
誰や!?
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>>679
思いついたままに長々と書いてしまい分かりにくいかなと思っていましたが、分かりやすいとおっしゃって頂けて大変嬉しいです。
温かいメッセージありがとうございます。
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このスレで過去に「掲示板に書くのは思考を使わざるを得ないから、思考停止にならない」という趣旨の書き込みを見かけた記憶があります。
でも、ここ数日この掲示板にツラツラと書いていて気づいたことがあります。
それは、私にとっては掲示板に書き込むこと自体が「思考を止めるための思考の実践」になっているということです。
例えば、663さんの
>認識の変更ってそんなに重要?
>「認識の変更してない人はうんぬんカンヌン」という概念が思考そのもの
という書き込みへ回答する中で、自分の中に「別の領域に任せるには認識を変更しなければならない」とか「既にあるを理解しなければならない」という観念があることに気づきました。
今までは「『既にある』を理解しなければならない」とか「『なる』と『なったふり』の違いを見分けられなければならない」という観念を持っていたことにも気づかず、そこから色々と余計な思考を生み出していました。
しかし、先ほど書き込む中で「『既にある』なんて分からなくていい。『既にある』と思考停止は関係ない」と、今まで自分でも意識しなかった本音に気づくことができ、「『既にある』を理解するべきだ」という思考を停止することができました。
「思考を止めようとすること」も「思考」なので、掲示板への書き込みという思考作業を通じて思考停止を実践するのも良いのではないかと思いました。
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認知的不協和に陥らないための自己正当化
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認識変更とか既にあるとか思考停止の先にあるものだ。つまり思考で理解しようとしても出来ないって事。
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>>688
なるほど
矛盾点はこうやって誤魔化すといいんですね
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五感で感じる全てのことを止めろって、「五感=真実」と捉えるなってことだと思ってる。
五感=真実だと信じると、ネガティブな五感から逃れようと泥沼にはまるし、ポジティブな五感には執着してしまう。
イコール現実にどっぷりつかる。
元祖1さんは仕事への楽しい感覚を幻想だと知りつつ味わっていたんじゃないかな。
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え、、思考停止ってむしろ五感で生きろってことじゃないの?感情や感覚に従えてきな。
五感から派生する思考を止めろってことかと思った。
理性ではなく感性で生きろてきな。秀才ではなく天才になれてきな。
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顕在意識(理性)ではなく潜在意識(感性)で生きろてきな。
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五感もそこから派生する思考も反応なんだよね。
五感にしろ思考にしろ現実に対して自動的に生まれる反応を止めなきゃ潜在意識は今までと同じものを創造する。
もちろん「必ず止めなくてはいけないもの」ではなく、反応が幻想だと気づけば、五感も思考も止める必要すらなくなるけどね。
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>>689
何と何が矛盾してるの?
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はい逆ギレ開始しました
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>>693
いや、もう、、その思考幻想なんだから止めようよって思った。
感覚を止めるは、視覚を止めるなら失明が1番になっちゃう。
そうではなくて、目で見たものを思考するなって事でしょ。
そしてあなたの文章を読んで思考した自分も思考を止めようと思うw
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>>695
君が説明出来ない人という事は解った(笑)
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>>696
書き方が悪かったね、ごめん。
反応を止めるって、感覚を一切生じさせないとか、そのために見ない聞かない食べないのが一番って意味ではないよ。
反応を幻想だと看破していく、という意味で書いたよ。
ここで何か書くと「それ思考だから止めろよ」って言ったら何にもできなくなる。
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>おいしいものや嫌なことだけではありません。五感で感じる全てのことを止めようとしてください。
これって、最初から美味しい嫌だと感じるなって意味じゃなく、生じたものに気づけって意味だと捉えてるよ。
マインドフルネスや自己観察的な。
感情・肉体感覚・思考といったエゴと距離を置くこと。
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>>698
それ思考だから止めろよが全てだと思うわ。
思考でこねくり回すより、理性ではなく感性で生きようぜ!これが元祖1式。それ以上思考するな!みたいな
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マインドフルネスと自己観察は思考を泳がせるけど、元祖1式は思考を止める事が目的。
これも全部思考。うわあああ。
この一人芝居を観察すると、思考を泳がせることも止めることも、どちらも思考している事に気が付くのが目的かもね。
また思考してしまった。うわあああ。
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>>701
思考を泳がせる、思考を止めるは方法。
目的はどちらも潜在意識を働かせること。
思考を止めるを目的にすると、うわあああってなるね。
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元祖1さんの言っていた「五感で感じる全てのことを止めようと」する問題だけど、元を確認すると
潜在意識を使いこなす達人が集うスレ
ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read_archive.cgi/study/9650/1249325024/l50
の次のやりとり
**********
52 :幸せな名無しさん:2009/08/14(金) 20:42:40 ID:r/aQizlg0
思考を止めるっていうのがよく分かりません。
美味しい物をたべても、何も感じず、嫌なことがあっても何も思わず、ってことですか?(><)
66 :1:2009/08/24(月) 04:08:06 ID:rBjgwt960
>>52おいしいものや嫌なことだけではありません。
五感で感じる全てのことを止めようとしてください。
**********
五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)そのものを止めるのではなく、五感が生じたあと、それに対する反応を止めるという意味ではないでしょうか。
五感そのものを止めるとなると、例えば視覚を止めるとなると、視覚映像が消えることになります。確かに、生きる気力(意志)を完全に失ったときに、目を開けたままで視覚映像がスーッと消えたことがありますが、あの状態になれということではないように思います。
こうしたことは、過去にも議論になっていたようで、まとめサイトだとここにあります。
達人スレ元祖1式まとめ_09/大切なことは五感を「止めようとする」こと 思考を止め、 五感を止めようとすることを続けていると あるスポットを見つける事ができる。
ttps://be-okay.net/2024/02/19/post-22824/
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元祖一式を始めた頃、苦しくて苦しくて中断。数か月経ってふと自愛、自己観察→また元祖一式に戻った。今日クラゲさんのまとめ読んでて「一旦全部受け入れる。最悪なシナリオも全部」みたいな部分読んで、やってみた。とにかく思考が思いつく限りの絶望感、最悪なシナリオ、自分への罵倒、全部全部思考が息切れするまで言わせてみた。それを全部眺める視点にいた。思考が息切れして泣きそうになりながらありとあらゆる絶望感を口にするのを見ながら、「どうしてこんなに一生懸命、泣きそうな顔で言ってくれるんだろう。貶めたいとかそんな感じじゃない。こうなっちゃうんだよ!って必死に伝えてくれてるなぁ」「そしてこの思考、周りを責めないんだなぁ。愛だなぁ」って感じていた。ぐるぐると走り回る思考が愛おしかった。息切れで何も出てこなくなって、なんとなくここに書き込んでみようと思った。自己観察っぽいけど、この思考を眺める視点も、思考停止なのかな。それも止めて、感情とファーストリアクションに巻き込まれない視点目指していこう。
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めっちゃ盛り上がってるぅ〜
表現方法は違えど、思考至上主義を捨て去ったり、優先度合いが下がったり、客観視できるようになったりと、最近は気づく方々が加速化されてるように思います。
どのように説明してるかよりも、その方がどのような在り方で居るのかに意識が向くので、知識の量や、伝え方は度外視で思考の束縛から解放されてるかを見て勝手に感動してます^_^
思考を外したら皆んな同じです。他人や物も。元祖さんで言う、「幸せの絶頂」からの投影作品です笑
自分劇場の中で、あの腹立つ上司も怒られ役の思考で作った自分も、お互いに演出の為に、わざわざエゴ的には嫌な役をやってるんだから、役に入り込んで楽しんでる瞬間はキチンと悲しんだり、怒ったりしてあげないと作ったコッチは何も分からないままなのです笑
自分も分からない、喜怒哀楽すら存在しない。それが嫌だったんだなーって^_^
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今後AIも飛躍的に発達して行って、耳元や脳内に直接語りかけて来るかも知れません(今もすでに入ってきてます
今と同じ様に、それぞれオリジナルの環境や自分の答えに沿ってそれは学習して発達していきます。
最終的には、他者との会話や出来事に対してのリアクションでも、質問や出来事に対して反応や答えを探して意見を即座に出してくれるかも知れません。
それは、非常に便利なんですが、自分と同一化しては話になりません。
何かが起こった時に、真っ先に耳元や脳内で、AIが「腹立つ」と言ったら、ストレスを受ける可能性があります。それに影響されて体の健康被害や、投影作品も変えよかな?ってなったりします。要は本心から信じてしまう。AI真理教。それは本末転倒ですね。
もうお分かりだと思いますが、私達もある時から、最初は喜怒哀楽や自己防衛の為にエゴ(自分)を生み出して、その通りにやってきたんですが、あなた自身はそれで満足して幸せですか?って事なんです。疑問を持つのは、世界でも出来事でもありません。
どうして、困る自分や世界を作るのか?
そこに気づいたら終わります。
そして、それに気付きかけた時に、「じゃあ、何にも意味ねーじゃん」とか「無気力だわあー」とか最後にエゴがほざき出すので、それを蹴っ飛ばして下さい。
じゃあ、最後に残る存在が、その場その場で好きな事するだけの意味が分かります。
投影作品(現実)にすら、操られない全体としての自分が戻ります。今度はそこから世界を直接見たら、感動の嵐です
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言いたい事は、あなたが思う事、出来事に対しての判断は本来のあなたの意見じゃないから、そんな事は一切気にせず、好きな事を今、その瞬間に繰り返して常に自分を幸せにしてあげる事を手伝ってあげて下さい。
思考のイヤホンを外して、早く目を醒めて下さいって事です。
言い方キツかったかな?エゴはそういうの嫌いだから、皆様のエゴちゃんごめんね^_^
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>>704
さいこー!私もそこから始まったんですよ
今は思考上位の習性があるので、そっちに比重が傾いてますが、あなた自身が必死にノックしてるんです。
もういいよ、休みなさい。今度は好きに生きるからって
もうガチガチのガードは緩めて、正直にそのまんまを優先して下さい。
周りがどう反応しても、自分は満足するから^_^
あとね、周りの事も分かるので、どうでも良いのに上手く行きますよ〜
全部繋がってるからね^_^
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>>704
あとね。衝撃の事実を言うと私の本名はクラゲではありません笑
実は本名があって、山田太郎とするなら、それすら捨てました。それに乗っかる感情や状況、男とか女とか人間とかも。
本当に脳の無いクラゲみたいだなーって状況になって気付いたのは、この泳いでる海自体が自分なんですね
言い方を変えれば、好きで好きで仕方ないから、あなたを誕生させたんですよ
願望と叶うはセットです。幸福と絶望もセットです。
ほんとに思考に操られないで、心から喜怒哀楽を表現すれば良いんですよ^_^
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>>702
うわああでもいいでしょ。
ダメな理由を思考する意味がわからないし元祖1式と真逆ですね。
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>>710
ですです。おはようー^_^
元祖さんのスレを見てみたら、アレは自分の思考に対してのレスなんですよねー
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態度が変わった立場から、湧き上がる思考に対しての笑
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別にダメって言ってないよ
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実践した結果、思考も感情も五感もエゴの反応、幻想だって実感したから書いたまで。
それでも「それ思考だから止めろよ」って言われたら元も子もないというか
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それも幻想って事に気づいてるかな?
元祖1式の思考停止は思考に囚われてる事に気付くメソッドでもあると思う。
という幻想を抱いてしまった。
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>>715
いや、そうなんだけどさ。
現実が幻だからって現実社会で他人に対して「それ自作自演だから、囚われてるから、人の本質は波エゴじゃなくて海全体なんだよ」って言わないように
ここでは実践とは別に思考停止に関する話ができると思ったの。
話すためにはどうしても意見や見解を書くという形になってしまうし、考えの異なる波 対 波の構図になる。
噛みついちゃったようになってごめんなさい。
そんなつもりなくて、元祖一式に対するお互いの考えを言い合えればいいと思ったの。
でもそれも考えに囚われてるとか、自分の思考に対するレスって言われてしまうんだね。
もう書き込まないので。
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クラゲさんのいう
「思考がない状態でも、もともと備わってる幸福感みたいのがあって、そっちに比重を傾ける」
これは、前も書いたようにだんだんできるようになってきています。
しかし、クラゲさんが一番解放に繋がったという「感情を感じ切る」だけは、まだまだです。
「例えば、もうとことんまで、このまま借金は一生返せない。親はもう確実にタヒぬ。復縁どころか、ずっと一生一人だってのを真っ向から受け入れて、想定の範囲内に入れたって感じです。そしたら、100%大丈夫だって自信が逆に出てきましたね」
幾度が余裕があるときにしてみて、大丈夫だと思っても、まだまだ繰り返す必要がありそうです。
ただし、思考がない状態でも、もともと備わってる幸福感みたいのに比重を傾けるをしていると、今まで問題と感じていたことが問題と感じなくなってきてはいるので、このままエゴが恐れていることが実現するとどうなってしまうかをリアルに感じてその時の「感情を感じ切る」必要は、もしかしたらなくなるかもしれません。
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>>716
噛みつかれたと思ってないですよ!むしろ意見交換してお互いの幻想に気付けたと思ってより良くなったと自分は思ってます。
けれども、元祖1式は言い換えたら、思考を停止しなさいスレなので、前提として自分の考えも実感も幻想として書き込む事が大事かもね。
そして他人に指摘された時に理解してるかが大事かも?これも思考を働かせた幻想なんですけど、思考停止を無意識にできていけるようになればいいかなと思ってます。
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元祖1さんのアファに「完璧」という言葉が2回使われているので
そこだけ取って「完璧、完璧…」と完璧だけ脳内で連呼しようとしたら
連呼3回目で忘れていた用事を思い出した
見たかった内容の番組が明日テレビ放送されることにも気づけた
完璧だ
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あと何もかも「完璧だ」とすると
脳内怪獣デモデモダッテが消える
全部完璧だから手も足も出ない
まさにお手上げ
すべてお任せ
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>>720
全部完璧は、普段は現象に優劣の差をつけて認識しているものをすべて平等と観ることになるから、自ずと平等性智、無分別智になるというね。
スレチだけど完璧認定を内外関係なくやってたら頭がシーンとしたというのはこれ。
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>>716
私は良いと思うんですよー
心から
エゴの吐き出しをここに書いているのは、客観的にご自身を説明できる第面者になれるからです
現実社会を生きてる(と思って)、楽しい苦しいと主人公を務めているのは、ある意味全て思考君です。
なので、普段のやりとりも、ここでの書き込みも全て思考なんですよね
あなたの書き込みがダメなら私の書き込みもダメです。
思考を止めた先の、真のあなたは何にも思ってませんよ。
飼い主同士、思考ぐらいは自由にさせてあげましょうよ^_^
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>>717
>幾度が余裕があるときにしてみて、大丈夫だと思っても、まだまだ繰り返す必要がありそうです。
これは、確かにそのまんまなんですが、全てを失った感から、エゴの死みたいな物を経て、苦しみも弊害も全ては、その抵抗から生まれた物だなと深く実感したんですね。
感情を感じ切れる立場になってねっ事なんです。普段から他人事なら何も思わないでしょう。私達は思考と同化しすぎて、本来の立場を忘れているだけです。
今のあなたが、その通りしなくても、同じ所にたどり着いて、私は隣で遊んでるので、すぐ分かりますよ。
これ以上、あなたに何かを課すのは辞めて下さい。修行じゃありません。逆です。解放です。
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解放を課すのもやめちゃえばいいのにとか脳内ツッコミがすぐ入るけど、全て幻想
完璧認定ならぬ、幻想認定
良いこと悪いこと全て幻想
そうすると考えるのがバカらしくなるから思考停止にも繋がる
はい、これも幻想
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本当の自由は、修行でも解放でもどっちでもいい
のではなく
どうでもいい
全て幻想
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>>636
630です
レスありがとうございます(^-^)
あなたの640の書き込み、私も同意です
そこまでハッキリ明言できるレベルではなかったのですが、自分の体験とあなたのレスが合致して、そうだそうだーって頷いてました
ありがとう(^-^)
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願望実現系だと、いままでの人生は不幸でうまく行っていなくて、それをスピリチュアルな手法で幸せな上手く行く人生に変えていきましょうという論調が多いと思うのだけど、自分はいろいろを経て、当時最悪だと思っていた事柄なんかも、なくてはならなかったもの、潜在意識が起こした最善なのだなと思う
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↑上に書いたことは理屈的にもそうだし(潜在意識は完璧で決して間違えないから)、実感としてもそうです
あと、ここへの書き込みも思考だ、という意見も出てる(のかな?ところどころ拾い読みだから、間違ってたらすみません)けど、自分は子どもの頃から文章書くのが好きで(上手いか下手かは別)、文を書くときに「〜を書こう」って意識的に考えたことがあんまりない
事前に考えを纏めるとかもなく、トイレ行ったり歯磨きしたりと同じで、まさに体に「書くことが起こる」という感じだ
書き込みも思考だという意見は全く否定してなくて、自分はそこではなく、もともと思考が殆どいらないものって、肉体に勝手に起こってるんだなあって気付いたから書きたかった
他のことも思考(バグ)を働かさなければ、もっとスムーズに肉体に起こるんだろうなーと
自分の場合は文章も、褒められたいとか認められたいとか思考が働き出すと、とんと書けなくなるので、ほんと思考はバグだな
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>>724
幻想さん!
幻想を幻想だと認識する主体はなんだと思います?
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スレの流れ読まずに書くけど、認識変更した!してないって結局、自分の認識しか過ぎない。それだったら「もう認識変更した!」って事で良いんじゃ無いかな?「そんなの認識変更じゃねーよ」とかいう他者批判も認識変更した自分にとって関係無いし
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そんな気がします
認識の変更の答えってどこにもない、自分の中にしかないから
出来たと思えばそれで完了かなと
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そもそも「潜在意識にお任せする」を知る前と知った後では
認識が違うと思うから
そういう意味でもみんな認識の変更は出来ているのかも
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また愚痴スレで認識変更を勘違いしているとか文句言われるで
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>>723
アドバイス、ありがとうございます。
今日も1日終わってみたら、もともと備わってる幸福感みたいのに比重を傾けて過ごしていることが多かったです。
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あれ、愚痴スレなんて有ったっけ?見てないから知らなかった
勘違いはするかも、正解を知らないからね
でもそれも完璧としちゃう
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>>721
解説ありがとうございます!
楽に頭の中が静かになるし小さな幸運も起きやすくなるので
よく使っているのですが、こんな理由があったのですね
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>>733
文句言われてムカついたとしても「認識変更した自分」がムカついてるだけだからヘーキヘーキ♪
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>>729
ヨコだけど主体も幻想
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>>730
答え合わせする時は必ず来るよ。
その人の生き方そのものが答えなんだけどね、、
自由に人生を謳歌するパターンと、重い使命を背負うパターンとがあるみたいだけどね。
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>>729
幻想を幻想だと認識する主体は個人です。
見えている世界が顕在意識であり、個人が潜在意識です。
認識した世界見えた世界を幻想とする事で、個人(潜在意識)>世界(顕在意識)を意味します。
もちろんこれも全て幻想なので思考を働かせる必要がありません!
幻想に惑わされずに気楽に生きましょう!
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>>738
実は「自分という個人はいない」という気づきがあったことがあるのですけど、そうすると今こうやって外の世界を観察しているものって一体なんなの?ってなってしまって、、
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>>735
正しくは独り言スレだったけど書かれているのが愚痴のイメージだったから勘違いした
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>>742
そこなら見たこと書いたこと有ります、教えてくれてありがとう!
あともしかしたら認識の変更=視点の変更で
このスレでも時々話題に出ているエゴとの主従逆転の事かな?と
今ふと思いました だだの予想ですが
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>>741
外の世界を観察しているものという言葉も幻想。
自分たちが知覚出来るものは全て幻想。知覚出来ないものがまさに潜在意識。
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>>739
どっちでも良いかなあ。
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無でいると、なぜか今叶っている状態だと確信出来るし気付きが増える...
いつも頭の中空っぽ状態にしていたい
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この前仕事のかなり年上の先輩と話してたら、めっちゃ高学歴な人だけど若い頃は占いに倒錯したり悩んでいたと聞いた。今も寝れないくらい苦しいらしく、若い時からネットがない世代は自力でしかこういう考えに至らないから悩むしかないだろな。自分もその世代なら元祖一式やクラゲさんに出会えず悩み続けてたのかもと思った。今はもうそこまで思考で悩めない気がする。ここのみんなありがとう!
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頭カラッポの方が夢詰め込める♪
昔は不思議な歌詞だなぁと思っていたけど
とても大切な事だった
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ちょっと気になって歌詞検索して全文みたけど
潜在意識的だなぁ びっくりした
頭で考えると意味不明になっちゃうけど
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オラ ワクワクすっぞ!
認識の変更後の状態は悟空の状態に似ているそうだね
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>>750
そうだったんですね!
悟空はいつも自然体で楽しそうですよね
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日本の気功で一番有名な方も同じようなことをおっしゃってますね
ttps://www.youtube.com/shorts/cfx89xMZu_A
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初めて書き込みます。
youtubeで潜在意識関連のまとめを見漁ってて、元祖一式が最強なんじゃないかと思いつつ、どんな効果があるかがずっと気になっていました。直接掲示板の方を覗かせていただいて、最近のレスの全部幻想と言ってる方を参考にして、すべてを幻想認定して過ごして見ました。効果も実感しつつ、幻想認定は自分に合っていて、元祖一式を続けられそうです。ありがとうございました。
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ネットは便利なところもあるけど、依存したり、たくさんの人が書き込むところは繋がってしまうから悪口ばかりな掲示板やネットニュースは見ないな。
元祖1式とネットやTVは見ず、スマホ依存辞めてから、理想通りの結婚妊娠出産決まって、住みたい所に住めて、お金、旦那の仕事給料が今一番良いから、繋がる場所や情報も大事なのかな?と。
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そうなんですね。その割には見識も浅く、考察も中学生レベルですね。
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>>754スマホ依存はどうやってやめられたのですか?
私はどうしてもやめられなくて困っています
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>>756
別にスマホ依存がいけないわけではないかと。
無駄にSNSやニュース見て不要なネガティブな情報さえ受け取らなければいいと思いますよ
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>>757なるほど必ずしもネットだけではないのですね
ありがとうございます
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元祖一式さんは「潜在意識は完璧です」と書いていましたが、潜在意識は不完全だと私は思います。
私がいう「不完全」とは「潜在意識が常に自分にとっての最高の幸せと一致するとは限らない」という意味です。
完全なのは潜在意識ではなく、別の領域です。
神とか主とかハイヤーセルフとか大日如来とか毘盧遮那仏とか、色んな呼び方があります。
元祖一式さんのいう「潜在意識」は、いわゆる神とか別の領域を指していて、他の達人さん達の言葉に合わせると「別の領域に丸投げ」と言っているように思います。
もちろん、単なる言葉の定義の違いなので、決して元祖一式さんの書いていることが間違っているわけではありません。
しかし、言葉の定義について重箱の隅をつつくような揚げ足取りをしたいわけでもありません。
ただ私は最初「潜在意識」の意味を誤解して少し混乱したので、ちょっと整理してみたいと思います。
「潜在意識」と「別の領域」の違いを整理することで見えてくるものもあると思います。
例えば、このスレをまとめているはるきしさんのYouTubeチャンネル名は「潜在意識書き換え」ですが、もともと潜在意識が完璧なら書き換えられないし、書き換える必要もないです。
潜在意識が不完全だからこそ、書き換える必要があるのです。
「潜在意識を書き換える」という表現はよく聞きますが、「別の領域を書き換える」とか「神を書き換える」「ハイヤーセルフを書き換える」という表現は聞いたことがありません。
なぜなら、別の領域や神は初めから完璧なので、書き換えることはできず、書き換える必要もないからです。
ここからも、別の領域と潜在意識が別物であることが分かります。
私は、「潜在意識」と「別の領域」の明確な違いを理解することが、思考停止の実践にも役立つと思っています。
そこで、「潜在意識と別の領域の違い」について、ここから長文連投します。
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潜在意識と別の領域の違いについては、奥平亜美衣さんの「引き寄せの教科書」が参考になりました。ざっくりまとめると、人間の意識は顕在意識・潜在意識・魂(別の領域、神、ハイヤーセルフ)の3層構造になっています。
奥平さんによると、願望実現には、顕在意識の願望を潜在意識に刷り込んで実現するSTEP1と、魂の願望を潜在意識へ下してきて実現するSTEP2があります。
STEP1が199式や豪式のアファメーション、ビジュアライゼーション、チケットの1〜2章、詭弁さんの百発百中です。
一方、STEP2は元祖一式やチケット7章、詭弁さんの百発成功や紙さんの「神の完璧を見せてみろ、見てやるぞ」です。STEP2については「願望実現」とは呼ばない達人さんも多いと思います。
isaさんの説明を借りると、STEP1は分離を前提としているので叶ったり叶わなかったりしますし、願望が叶っても幸せになるとは限りません。
一方STEP2は神の完璧を前提としているので必ず実現しますし、最高の幸せが訪れます。
しかし、実現する願望を顕在意識で選ぶことはできませんから、何が実現するのかは叶うまでのお楽しみで、願望実現に対して直接できることは何もありません。
元祖一式さんが「顕在意識で願望を選ぶのは低レベルだ」と言っていたのは、「STEP1をやっても幸せにはなれないのだから、STEP1は時間の無駄だ。だからSTEP2だけやれ」という意味です。
顕在意識から上げてきたものであれ、別の領域から下ろしてきたものであれ、潜在意識に入ったものが100%例外なく物理現実へ現象化します。
続きます。
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奥平さんの説明をたとえ話で書いてみます。あなたは
1階:顕在意識のフロア
2階:潜在意識・物理現実のフロア
3階:別の領域のフロア
という3階建ての家に住んでいます。
2階のフロアは潜在意識のフロアでもありますが、物理現実のフロアでもあります。
なぜなら、潜在意識と物理現実は100%一致するからです。
これは絶対です。「潜在意識に刷り込んだのに、物理現実で現象化されていません」は100%有り得ません。
現象化していないのは、潜在意識と物理現実が不一致なのではなく、潜在意識に別の観念が刷り込まれているからです。
82さんが
>自分が自分にどのような認定をしているかは、自分に向き合うよりむしろ外側を見た方が分かりやすいと思います
と書いていましたが、「自分の自分に対する認定」が潜在意識であり、それと物理現実は100%一致するので、物理現実を見ることで自分の潜在意識の状況を知ることができるのです。
1階の顕在意識にある荷物(観念)を2階の潜在意識へ上げて物理現実で現象化するのが199式アファや百発百中、チケット1〜2章などのSTEP1です。
3階の別の領域フロアにある荷物(最高の幸せ)を2階の潜在意識フロアへ下ろして物理現実で現象化するのが元祖一式や百発成功、チケット7勝などのSTEP2です。
あなたは元々3階の出身でしたが、あるとき物理現実を楽しんでみたいと思いついて、2階へ降りてきました(この物理現実世界での誕生)。
今は2階にある潜在意識・物理現実フロアの管理人をしています。
あなたは別の領域の分身として物理現実へ下りてきました。
ただ、2階へ下りてきた時点で3階にいた頃の記憶は抹消されており、また2階から3階へ上る階段はあなたが死ぬまで立入禁止なので、2階の管理人をしている間(つまり生きている間)は物理的に3階へ戻ることができません。
だから、別の領域から分離されていると勘違いしがちなのですが、決して別の領域から分離されているわけではなく、今でも別の領域の一部です。
3階には神が住んでいるので、もし2階の床に空いているスペースがあれば、神が3階から2階へ最高のギフトを投下してくれます。
これは神が勝手に運んできてくれるので、3階へ取りに行く必要はなく(そもそも3階は立ち入り禁止ですし)、神が2階へ運んできてくれるのを待っていればよいです。
ただし、2階が物で溢れているとスペースがないので、神がギフトを投下できません。
一方、あなたは「エゴ」という名前の使用人を雇っています。エゴの活動全般を「思考」と呼びます。
「思考を停止する」とは「エゴの活動を停止する」という意味です。
エゴは、1階に山積みされている「観念」という荷物を次々に2階へ運んできてくれます。
1階の玄関が開けっ放しになっていると、外から色々な荷物(観念)が風で運ばれてきます。例えば
・35歳を過ぎたら結婚や転職は難しい
・日本の未来は真っ暗だから、英語を身につけなければならない
・老後までに2000万円を貯めておかなければならない
・このままだと日本は中国に乗っ取られてしまう
などの観念です。
玄関の扉を開けっぱなしにしておくと、こういう観念が外から運ばれてきて、それをエゴという使用人が2階の潜在意識フロアへ運んでくれます。
「35歳を過ぎたら結婚や転職は難しい」という荷物が潜在意識に入ると、「35歳を過ぎたら結婚や転職は難しい」という観念が物理現実でも現象化します。
続きます。
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ここからが、色んな達人さんたちが実践してきたメソッドの腕の見せ所です。
エゴという使用人が1階(顕在意識)にある荷物を2階(潜在意識)へ運ばなければ、つまりエゴが観念を顕在意識から潜在意識へ刷り込まなければ、その観念が物理現実で現象化することはありません。
従って、エゴという使用人にどういう指示を出すのかが重要になります。
一番しんどいのは、エゴに下剋上を起こされている状況です。
よく言われる「エゴに飲まれている」もしくは「エゴと一体化している」とは、本来あなたの使用人であるはずのエゴが、あなたの主人となってあなたに命令している状況です。
つまり、エゴがあなたに向かって
「そこに置いてある『35歳を過ぎたら結婚や転職は難しい』という観念を2階の潜在意識まで運びなさい!」
と命令し、あなたが「承知しました」と言って、その観念を一生懸命2階へ運ばされている状況です。
そして、2階の潜在意識へ運ばれた「35歳を過ぎた自分は結婚や転職が難しい」という観念が物理現実でも100%必ず現象化します。
これを続けていると、2階が余計な観念で埋め尽くされることになるため、神が3階から最高の幸せを下ろすためのスペースがなくなってしまいます。
これはエゴが悪いのではありません。
あなたが管理者として頼りないから、エゴの側が責任感を発揮して「私がしっかりしなければ」と頑張り、下剋上をされてしまったのです。
あくまで主人はあなたであって、あなたがエゴに指示を出さなければなりません。
イウォークさんの言葉を借りれば、レボリューションを起こさないといけません。
但し、レボリューションと言っても、元々の主人はエゴではなくあなたなのですから、元の秩序に戻すのです。明治維新に近いと思います。
エゴがあなたに命令している状況とは、部下であるはずの武士が主人である天皇陛下へ命令を発しているようなものです。
「エゴ」という武士、すなわち軍人による軍事独裁政権になってしまっているのです。
このままだとエゴという軍部が独裁し、何を始めるか分かりません。
主人であるあなたがエゴ幕府を倒幕して大政奉還させ、エゴに対してシビリアンコントロールを効かせなければなりません。
尊王攘夷運動をするのです。
尊王とは、エゴよりも自分自身を大切にすることです。
攘夷とは、外から運ばれてくる余計な観念を追い払うことです。
そしてエゴに対して、王政復古の大号令を下すのです。
続きます。
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エゴから主権を取り戻した後、エゴという使用人に対してどのような指示を出すのか?
ここで、2種類のアプローチがあります。
アプローチ1:使用人が2階へ上げる荷物を指定する(199式や豪式アファ、ビジュアライゼーションなど)
アプローチ2:使用人が2階へ上げる荷物を上げる活動を止めさせる(自愛・自己観察・思考停止)
まずアプローチ1から説明します。
エゴに任せていると、1階に置いてある荷物(観念)を手あたり次第に2階の潜在意識へ運びます。
置いてある荷物の大半は、あなたを幸せにしない余計な荷物(観念・記憶・情報)なので、2階へ上げる荷物の選定をエゴに任せていたら、たいていはロクな現実が現象化しません。
そこであなたがエゴに対して
「『35歳を過ぎたら結婚や転職は難しい』という荷物は2階へ運ばなくていいから、『私は最高のパートナーを見つけて大金持ちになる』」という荷物(顕在意識で選んだ願望)を運びなさい。」と命令を下します。
なお、顕在意識で選んだ願望には漏れなく観念が貼り付けられており、例えば「私は最高のパートナーを見つけて大金持ちになる」という願望には「最高のパートナーを見つけて大金持ちになれない限り、私は自分が幸せになることを許可してはいけない」という観念が貼りついています。
しかしエゴに1回命令を下しただけでは効果がなく、エゴは『35歳を過ぎたら結婚や転職は難しい』という方の観念を引き続き運び続けます。
エゴには悪気はないのですが、長年の癖でつい『35歳を過ぎたら結婚や転職は難しい』の方を2階の潜在意識へ運んでしまうのです。
そこで、アファメーションで毎日1000回くらい『私は最高のパートナーを見つけて大金持ちになる』を運びなさい!と大声で命令を叫び続けます。
そうするとエゴも段々と『私は最高のパートナーを見つけて大金持ちになる』の方を2階の潜在意識へ運んでくれるようになり、2階が『私は最高のパートナーを見つけて大金持ちになる』という荷物で埋め尽くされて物理現実でも現象化します。
このように、エゴが2階へ運ぶ観念をコントロールしようと試みるのがアプローチ1です。
例えば、199式・豪式のアファやビジュアライゼーションなどが当てはまります。
続きます。
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続いてアプローチ2です。
アプローチ2は、そもそもエゴが1階にある荷物(観念)を2階へ運ぶ活動(思考)のを止めさせるメソッドです。
その中で最も強硬手段を取るのが思考停止です。
思考停止とは、あなたが2階に引きこもり、2階の扉を閉め、エゴが2階へ侵入するのを防ぐことです。2階の潜在意識を「エゴ立ち入り禁止エリア」にしてしまうのです。
しかしエゴは「突然どうしたんですか?ご主人様!開けてください!!」と心配してドンドンと2階の扉を叩き、中へ入ってこようとします。
あなたは2階の扉を内側から押さえて、何としてでもエゴが2階の潜在意識へ入ってくるのを阻止しなければなりません。
エゴは強いので、たとえ2階の扉に鍵をかけていても、鍵を壊して入ってこようとします。
私のエゴはアントニオ猪木さんくらい強かったので、私が内側から2階の扉を抑えても叩き壊されて入ってきてしまいました。
このように、余計な荷物(観念)が多すぎたり、エゴが強すぎたりする人の場合は「エゴがどうにも止まらない」となってしまい、思考停止ができません。
その場合、無理に扉をバタンと閉めてエゴを「2階の潜在意識へ立ち入り禁止」にする思考停止を実践するのではなく、別の方法を試してみましょう。
次に試すのは自愛です。
自愛とは、エゴを無条件で認めて、エゴを愛することです。
エゴに「いつも素敵な観念を2階の潜在意識へ運んでいただき、本当にありがとうございます。大変お疲れ様です。あなたに感謝の気持ちを示したいので、ぜひ今日はリビングのソファーでゴロゴロして、好きなだけケーキを食べながらゆっくりYouTubeでも見ていてください。ポテチやピザもあります」と、エゴをもてなします。
これは一見するとエゴを上の立場に置き、エゴに隷属しているように見えますが、そうではありません。
主人であるあなたが、格上の立場から、下僕であるエゴの苦労をねぎらってあげているのです。
エゴは「いえいえ、私なんて使用人の分際ですから、ご主人様のご自宅でゆっくり休ませて頂けるような立場ではございません。引き続き、頑張って1階の観念をどんどん2階へ運び続けますので、どうぞご安心ください」と断るでしょう。
しかし、粘り強く、「いえいえ、それでは私の気が済みません。エゴさんには日頃から猛烈に頑張っていただいているのですから、どうぞゆっくりしてください」と、何度も丁重にもてなします。
謙虚なエゴの場合、「いえいえいえ、滅相もございません…」と100万回くらい断ってくるので、「いやいやいや、そんなこと言わずに休んでください」と粘り強く休憩を勧めます。
そうすると、「そうですか…そこまでおっしゃるなら」と、エゴが荷物運びを止めて休んでくれます。結果的に、1階の顕在意識にある余計な観念が2階の潜在意識へ運ばれなくなります。
続きます。
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自愛とは、エゴを否定せず、エゴに寄り添って、エゴを全肯定することでエゴの活動である思考を弱めるメソッドです。
逆に、エゴに対して「なんでこんなゴミみたいな観念ばっかり選んで2階へ運んでんだよ!ボーっと生きてんじゃねぇよ!!」と、ブラック企業の経営者のように理不尽なキレ方をすると、エゴは反発して「はぁ?てめー誰のために毎日毎日汗水流して重たい観念を2階へ運んでやってると思ってんだよ!何もわかってねぇクズ主人の癖に、人の仕事に口出ししてくんじゃねぇよ!」と反抗され、クーデターからの下剋上が起きます。
ですから、エゴに対しては「いつも『35歳を過ぎたら結婚や転職は難しい』などの素晴らしい観念を潜在意識へ運んでいただき、誠にありがとうございます。日頃の感謝を込めて厚く御礼申し上げます」と、感謝を示して全肯定するのです。
そうするとエゴは「ご主人様も休んで良いと言ってくれているし、たまにはソファーで休んでもいいっか」と休み始めます。エゴがソファーでケーキを食べながらゴロゴロ休み、ブクブク太ってきたらしめたものです。
アントニオ猪木さん並みにムキムキのマッチョだったエゴが脂肪肝になり、体脂肪率40%くらいになってくれたら、身体が重くなって、もう1階の観念を2階へ運べなくなります。こうして、自愛を通じて思考停止が実現します。
こうやってエゴに寄り添ってエゴを休ませるのが自愛ですが、もう1つ自己観察というアプローチもあります。
自己観察は、自愛のようにエゴに寄り添うこともせず、かと言って思考停止のように2階の扉をバタンと閉めることもなく、ただただエゴの一挙手一投足をジーっと観察します。
ご主人様から一挙手一投足をジーっと観察されていると、エゴは段々と緊張してきます。「そんなにじっくり監視しないでください。緊張して足が震えます」と言って動けなくなります。それでもジーっとエゴを監視していると、エゴが硬直して活動停止しまうので、1階の余計な観念が2階の潜在意識へ運ばれることがなくなります。
自己観察が苦手な場合、つまりご主人様からジーっと観察されていても気にせず1階の観念を2階へ運び続けるようなKYなエゴを雇っている場合には、自愛や思考停止の方が効果的な場合もあります。
自愛、自己観察、思考停止のうち、どのメソッドが合うかは人によります。
このように、そもそも2階の潜在意識へ荷物(観念)を運ぶのを辞め、余計な観念が物理現実で現象化することを防ぐメソッド群がアプローチ2です。
続きます。
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このように自愛・自己観察・思考停止によって1階の顕在意識にある観念を2階の潜在意識へ運ばなくなると、徐々に3階から「最高の現実」という荷物が勝手に下りてきます。
但し、エゴが1階の顕在意識から2階の潜在意識へ観念を運ぶ(刷り込む)思考活動の他にも、実践できるメソッドが3つあります。
1.クレンジング
たとえ新しい荷物(観念)を1階から2階へ運ぶのを辞めたとしても、既に運搬が完了した古い荷物(観念)は2階に残ったままです。
実は、2階にはお掃除ロボットが働いており、少しずつ時間をかけて不要な荷物を分解し、ゴミとして2階の窓から外へ放り出してくれます。
なので、新しい観念を2階の潜在意識へ刷り込むのを辞めたら、しばらくしたら2階は綺麗になり、3階に住んでいる神様が空いたスペースに最高の幸せという荷物を下してくれるようになります。
しかし!過去に2階へ運んだ荷物があまりにも多すぎて、2階がゴミ屋敷になっている場合、お掃除ロボットに任せていても全く掃除が進まないこともあります。
そういう場合には清掃業者を入れて綺麗にしてもらいましょう。それがクレンジングとかセドナ、オポノポノといったメソッドです。
これらをやると、過去の観念がスピーディーに綺麗になります。
でも、こればっかりやっていても仕方ありません。いくら清掃業者が2階を綺麗にしても、エゴが新しい荷物を2階へ運び続けていたら、あっという間に元通りのゴミ屋敷です。クレンジングばかりやっていても苦しくなる理由はこれです。
なので、クレンジングなどで過去の観念を手放すとともに、自愛などでエゴを休ませる必要があります。
「私の2階は余計な荷物(観念)が多すぎて、一生かかっても掃除が終わらないんじゃないだろうか」という心配は無用です。それこそ余計な観念です。
2階の間取りは、ほどよく頑張って掃除が終わる程度の荷物しか置けない程度の設計になっているようです。
2.情報の遮断、デジタルデトックス
もう1つの問題は、1階の玄関の扉が開けっ放しになっていて、そとからゴミのような観念が次々と無尽蔵に家の中へなだれ込んでくることです。
それをエゴが勝手に2階へ運んで物理現実で現象化してしまいます。
玄関の扉を閉めると外から余計な観念が入ってきません。ニュースやスマホを見るのを辞めてデジタルデトックスをしたり、余計な観念を持っている人と会うのを辞めたりするなどです。
完全シャットダウンまでしなくても、せめて国境の税関検査のように、1階へ受け入れる荷物をチェックして選定しましょう。
例えば、自愛や思考停止して最高の幸せを手に入れた人達の体験談などは、2階のクリーニングに役立つ情報ですから、役に立つ情報と言えます。
「35歳までを過ぎたら結婚は難しく、孤独死して無縁仏の共同墓地へ埋葬されるしかない」といった、受け入れる必要がない観念を家の中に入れず、シャットアウトするのです。
うまく荷物検査ができない人は、玄関の扉をピシャっと閉めて丸ごとシャットアウトするのもありです。
3.ブレインダンプ
豪式ブレインダンプは、2階の潜在意識フロアに無造作に放置されている荷物(観念)を棚卸して、チェックすることです。
いらない荷物は2階の窓から家の外へ放り投げます。
このようにして、2階の潜在意識から余計な荷物を取り除いていきます。
続きます。
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2階を綺麗に掃除し、2階の潜在意識フロアにスペースができたら、神様が勝手に3階から最高の幸せを投下し始めます。
3階は別の領域であり、2階の管理者であるあなたは立入禁止なので、3階に対して直接アプローチすることはできません。
エゴが1階の顕在意識から2階の潜在意識へ荷物(観念)を運ぶ動作をコントロールすることしかできません。
2階にスペースができると神は3階から「最高の幸せ」という荷物を投下してくれますが、スペースの空き具合によって少しずつ投下してくれるので、最初は小さいことから幸せを感じるものです。
そして、最初のうちは3階から荷物が下りてきたなんて信用できません。
使用人であるエゴは「うちに3階なんてあるわけないですよ。見たことないですもん。3階へ上がる階段もないですよね?確かにこんな荷物を1階から運んだ記憶はないですけど、きっと忘れてるだけで、いつのまにか俺が1階から運んだんですよ」と言うでしょう。
しかし、それでも2階を綺麗にし続けると、段々と3階から怒涛の如く最高の幸せが降ってきます。
そうすると最終的にエゴも「これは確かに私が1階から運んだ荷物ではないですね。うちには確かに3階があって、そこから荷物が投げ込まれてるんですね。」と認めます。こうして認識の変更が完了します。
認識の変更が完了すると、認識変更前の認識がよく分からなくなります。
例えば、パンツのゴムさんが2012年2月12日に
>にしても、達人という言い方は一体・・・?
>あたりまえのことをあたりまえに見れるようになるだけですよ?
>むしろ、あたりまえのことをわざとあたりまえに見えなくして、しかもそれに100%のめりこんじゃっていたという以前の認識のほうが、まじすげー・・・ゴクリ・・・って感じでごわす
と書いていました。
これは、「どう考えても私の家には3階があり、その3階には神様が住んでいて、最高の幸せを次々に投下してくれてるのに、『うちは2階建てじゃ!!』と100%思い込んでる認識の方がまじすげー。3階建ての家に住みながら、どうやって『私の家は2階建てだ』と認識できるんだ?!」という意味だと思います。
例えば、3階から最高の幸せという荷物が怒涛の如く押し寄せるようになった後
「俺は50年生きてるけど、3階から荷物が下りてきたことなんて1度もないぞ?人間の家なんてみんな2階建てに決まってるだろ?そもそもお前、俺の家が3階建てだって、どうやって証明するんだよ?お前が3階の存在を証明してくれたら、重い腰を上げて2階の掃除をしてやろうじゃねぇか」
と言ってる人がいたら
「そのゴミ屋敷を片づけ始めたら、3階からちょっとずつ小さい荷物が投下されてきて納得できるから!人間の家は建売住宅で、全員同じ間取りになってるの!オーダーメイドの2階建て注文住宅なんて存在しないの!2階を掃除したのに3階から何も下りてこなかった人なんて聞いたことないから!だからあなたの家にも絶対に3階はあるの!ゴチャゴチャ言ってないで、2階を掃除しなさい!(メソッドを実践しなさい!)」
と言いたくなるものです。これが「実践おじさん」の気持ちだと思います。
続きます。
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それにしても、認識の変更をした人たちは、自分の家の3階から「最高の幸せ」という荷物が投下された経験をしただけで、どうして「全ての人の家には必ず3階があり、神が住んでいる。あなたも潜在意識から余計な観念を取り除いたら、絶対に最高の幸せを味わえる」と断言できるのでしょうか?
それは、認識の変更をしている人から見ると、「別の領域があることが信じられない」と言っている人たちの潜在意識に山のような観念があることが一目瞭然だからです。
「もう私の潜在意識には観念が残ってない。そろそろ願望が現象化して復縁しても良いはずだ」と言う人はよくいますが、「願望が現象化して復縁できなければ、私は最高の幸せを味わうことができない」という観念が潜在意識に積まれていることが一目瞭然です。
別に世界人口80億人全員の潜在意識を漏れなく調査しなくても、潜在意識スレのやり取りを読んでいるだけでも、別の領域を感じられない人の潜在意識には例外なくいろいろな観念が入っていることが分かるため、「思考停止すれば最高の幸せを味わえます。例外はありません」のような断定口調の強い言い回しになるのだと思います。
ニュートン力学を知らない縄文時代の人たちに「リンゴは木から落ちると思いますか?」と聞いても、恐らく全員「当たり前です。木から落ちないリンゴなんて有り得ません」と答えると思いますが、それと同じです。
たとえ縄文時代の人たちが世界中にあるりんごの木を調査しなくても「木から落ちないリンゴなんて有り得ません」と断言するのと同じように、認識を変更した人たちは、世界中の人たちの意識を調査しなくても「別の領域から最高の幸せを受け取れない人なんていません」と断言します。
続きます。
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2階の潜在意識が綺麗になって3階から最高の幸せがどんどん投下されてきたら、使用人はお役御免で解雇してよいのでしょうか?
そうではありません。
ここからこそ、思考に大活躍してもらいます。
神様は3階から最高の幸せを投下してくれるのですが、そのまま使える形では投げてくれない場合があり、往々にして加工が必要です。
例えば、あなたにとっての最高の幸せが「鯖の味噌煮」だった場合、神様が3階で鯖の味噌煮を料理してお皿へ盛り付け、2階へデリバリーしてくれるわけではありません。
神様は
・釣ったばかりの鯖1匹
・大豆
・麹
・塩
・水
を2階へ投下してくれます。
なんなら、盛り付ける器も下ろしてくれず、粘土だけくれて「その粘土を捏ねて、自分で器を作って食べてね」と平気で言ってきます。
鯖の捌き方も味噌の作り方も陶磁器の作り方も分からないあなたは途方に暮れます。
そこで使用人の出番です!
使用人に「3階から鯖とか粘土とか大豆とかいろいろ下りてきたんだけど、これでどうやって鯖の味噌煮を作るの?」と質問したら、魚の捌き方から陶器の作り方まで懇切丁寧に教えてくれます。
自分だけで解決できなければ、ChatGPTやGoogle先生といった大いなる使用人の思考を最大限に活用します。
ここは思考の出番ですから、この思考を止める必要はないです。大いに活躍してもらいます。
ときどき「全ての思考を停止したら生きていけないのでは?」という人がいますが、この時の思考は停止しなくて良いです。
但し、使用人は作り方を教えてくれるだけで、実際に作るのはあなた自身です!
つまり、行動しなければならないのはあなた自身です。
ここで行動をサボると3階から降りてきたギフトを楽しめないのですが、この行動は勝手に体が動きます。
この「3階から2階へ降りてきたギフトを楽しむための思考・行動」と「1階に溜まっている余計な荷物(観念)を2階へ上げるための思考・行動」は明確に異なります。
しかし、この違いを見極めようと必死になると、「別の領域からの行動と、不足からの行動は、正確に見極めなければ幸せになれない」という新しい観念が2階の潜在意識へデリバリーされてしまい、「見極めに失敗した私は最高の幸せを味わうことができない」という観念が物理現実で現象化します。
そこで、思考停止して失敗を繰り返しながら「これは3階から降りてきたやつだ!!」と体感でピンと来るようになるまで試行錯誤するしかないです。
続きます。
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よく「潜在意識で何でも引き寄せられるなら、何も努力しなくても英語がペラペラになるのか?」という疑問を持つ人がいますが、そういうケースは少ないです。
「何も努力せずに」とは、叶うプロセスを限定する思考です。
「英語を勉強せずに英語を話せるようになる」という発想は「何もしなくても叶う」(無為自然)ではなく、「叶えるためにわざと何もしない」(作為的不作為)になってしまっており、思考が動いています。この思考を停止して「叶えるためには行動してもしなくても良い」と、叶うプロセスの制限を外します。
例えば「英語をペラペラに話せるようになって外国人と交流したい」という願望が別の領域から降りてきた場合、英語を全く勉強せずに英語がペラペラになるとは限らず、近くに素晴らしい英会話スクールが開設され、そのスクールに払う学費が臨時収入として手に入る・・・などの形で引き寄せます(もちろん、叶い方は無限大なので、このプロセスには限定されません)。
貯金を切り崩す恐怖と闘いながら勇気を出してスクールに申し込むとか、英語を勉強するという努力は必要になりますが、この場合の「英語の勉強」は必ずワクワク感を伴い、努力とは感じないものです。
大抵の場合、「安心だけど不満のある選択肢」と「ワクワクするけど不安だらけの選択肢」が提示され、「自分の本音が分からない」と悩みます。この場合、後者を選ぶとうまくいきます。
「頭で考えたら○○だけど、□□に惹きつけられる」と感じたら、○○は思考なので止め、□□を無思考で実践します。
例えば、電車でアラブ人を見かけて急に「何故かよくわからないけど、アラビア語を勉強したくなった」と閃いたとします。
このとき、「アラビア語なんて生活でも仕事でも何の役にも立たないから、アラビア語スクールに払う学費を節約して、老後に備えて積立NISAすべきだ。語学を勉強するなら、せめて給料アップに繋がる英語を学ぶべきだ」みたいな余計な思考は全て止めて、アラビア語スクールに申し込み、無思考でアラビア語を勉強します。
但し、「どうやって効率的にアラビア語の単語やアラビア語文法を覚えようか」といった思考は必要になります。
アラビア語を夢中で勉強しているうちに、気がついたらアラブの石油王と知り合って結婚することになったから、積立NISAも給料アップも不要だったという結末になるかも知れません。
これは極端な例かも知れませんが、別の領域に丸投げすると、このように「偶然が重なったけど、エゴがギリギリ理解できるレベル」のミラクルが連発し、もともとエゴで思い描いていた願望も、それを遥かに超える形で実現します。
例えば「100億円が空中から出現する」という物理現実を超越したミラクルだと、エゴが許可できず、せっかく物理現実を楽しみに来た意味がなくなってしまうので、「なぜかアラビア語を勉強したくなり、アラブの石油王と知り合って100億円を自由に使える生活になる」みたいな回りくどい道をたどることが多いです。
神は決して意地悪をしているのではありません。
もし、鯖の味噌煮を食べることだけが最高な幸せなら、神自身が鯖の味噌煮を調理してデリバリーしてくれることもあるでしょう。
しかし、最高の幸せは往々にして、自分で鯖を捌いて味噌煮を作る経験にあったりします。
あなたはせっかく3階から2階の物理現実へ下りてきたのですから、3階では経験できない思考や行動をすること物理現実で自体が最高の幸せになっているものです。
そして、叶うまでのプロセス自体も楽しむのです。
この時の思考は、1階の顕在意識にある観念を2階の潜在意識へ運ぶ時の思考の使い方とは異なり、鯖の味噌煮を楽しんで作る時のような思考の使い方です。
続きます。
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ここまで説明した例え話を使って、様々な達人さん達の書き込みを整理してみましょう。
44さんが
>今までは、願望が出てきて⇒その瞬間に実現が作られると思っていたのだけれど、そうではなくて
>既に最初から実現が存在していて、それを叶える時が近づいているから願望を認識し始める
>だから実現の方が最初から存在しているのではないか
と書いていましたが、これはどういう意味でしょうか?
実は、あなたが住んでいる3階建ての家には中庭があり、1階から3階まで吹き抜けになっています。
2階がゴミで埋まっていると3階に何があるか見えませんが、ゴミが片づいて綺麗になってくると、3階に置いてあるものが吹き抜けを通じて2階からでも見えるようになります。
神様はその吹き抜けを使って3階の荷物(最高の幸せ)を2階へ投げ込んでくるらしく、次に3階から2階へ投下される荷物は吹き抜けの近くに置いてあります。
3階の吹き抜け近くに置いてある荷物は、2階からも見ることができます。
なので、2階の吹き抜けから見える3階の荷物が、もうすぐ2階の物理現実で現象化される「最高の幸せ」なのです。
この3階に置いてある荷物を見たときにあなたが抱く感覚が「願望を抱く」です。
この時の願望は顕在意識で選んだ願望ではなく、魂から降りてくるタイプの願望です。
2階がスッキリすれば3階に置いてある荷物を神様が2階へ下してくれることを知っているあなたは、いま3階に見えている荷物(最高の幸せ)が2階の物理現実で確実に現象化することを確信しています。
しかし、今はまだ2階の物理現実(潜在意識)にはありません。
これが、「たとえ物理現実になくても、確実にあることを確信できる」という「既にある」の感覚です。
この時「ホントに3階の荷物が2階へ降りてくるの?」と疑っているとしたら、その観念は1階から持ってきた余計な荷物なので、窓からポイと外へ捨ててしまいましょう。
「2階を綺麗にすれば3階から最高の幸せが下りてくる」を確信できるようになることが「認識の変更」です。
認識の変更は、最初は「うちの家には3階があって、神様が住んでるらしい。2階までしか行ったことないし、3階に上がる階段なんて見たことないけど、3階なんて本当にあるの?」と半信半疑のところから始まります。
あなたは元々3階出身のはずなのに、3階から飛び降りてきたことはすっかり忘れているのです。
そのうち、実際に3階から「最高の幸せ」という荷物が届く経験をすると「うちの家、ホントに3階があったんだ!」と確信が深まり、認識の変更が深まります。
それでもまだ、「確かに3階があって、荷物が下りてくることがあるのは分かったけど、中庭から見えている3階の荷物は本当に全部おりてくるの?ってかこれ本当に3階から来たの?エゴが1階から運んできたんじゃないの?」という半信半疑をグルグルします。
それでも思考停止や自愛を続けて2階を常に綺麗にしていると、3階から次々と膨大な量の荷物(最高の幸せ)が運ばれてくるので、もう確信するしかありません。
ここで、認識の変更をしてない人から「3階なんてあるわけないじゃん」「2階(物理現実)にない荷物が『既にある』とか言われても意味不明」と言われても、逆に「え?ちょっと待って。何言ってるの?だって、3階からどんどん荷物が下りてくるじゃん。3階は立入禁止で行ったことないし、神様が3階で何をやってるのかは知らないよ。でも、「別の領域なんてない」とか、「神様なんていない」とか、ちょっと何言ってるのかよく分からないんだけど。」と答えざるを得なくなります。
先ほど、2階の吹き抜けから3階の荷物をチラ見することが「願望を抱く」だと言いましたが、これは次に下りてくる荷物を前兆として見ているとも言えます。
これは3882さんが「意図はなく、前兆があるだけ」と言っていたことを指しています。
続きます。
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