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前世の記憶を思いました

1無名:2024/06/01(土) 14:07:49 ID:pOn3.4sY0
前世大変な目にあいました

3幸せな名無しさん:2024/06/01(土) 17:19:22 ID:nPbEcV6c0
思いました?
そりゃ切腹させられるわけだ

4無名:2024/06/01(土) 20:25:41 ID:1yCn4K220
初めて書き込むのですみません
失礼します
戦国時代の記憶がまばらですが書き込もうと思いました
今まで習っている内容とだいぶ異なります
戦国時代の武将は短期な人なので書状に腹を立てて燃やしたり破ったりしています
そのため歴史に残らなかった名将もいます
今ある歴史は生き残ったひとの証言やところどころのこった記録や歴史学者によって書かれたものなので
私の書き込みを不快に思った方は見ないでください

私は切腹したかったのですができませんでした
しないといけないことがありすぎたので

グーグルにある金沢城の写真をみて思いました
今までにないほど鳥肌と恐怖が沸き起こりました 

書き込んでいい内容なのか分からないのですが、書き込みます

私は浅井長政様の小姓をしていました

織田信長が攻めてきたときお市の方とお市の方の子供たちをなんとか逃がすことができました

能登は織田信長の支配下になり、町も荒廃していたので職に就けずにいたため生活に困り果てて仕方なく織田信長の下で働くことにしました

後で後悔をしました

織田信長の下につき秀吉のように少しずつ出世をして竹中半兵衛様の弟子になることができました、その時は参謀として戦う場所の地形を調べたりして、どう攻め込むか織田信長に話していました

織田信長はかなりの戦争狂で気にくない者や反対するものを切ったり殴ったりしていました、また、神社や仏閣、地蔵様など壊して回っていました

戦国時代の神社や仏閣は食物なども備蓄されていたので避難所や戦争孤児が僧兵になったりするなどの重要な拠点だったのですが、織田信長が壊して回るため、正直織田信長はたみから慕われていなかったです

織田信長は戦争狂のため比叡山や他の大名に戦争をよく仕掛けていました、私は反対することが多かったのですが、全て却下されました、織田信長には逆らえませんでした、私にも守っている領土や人々がいたため逆らうことができませんでした

戦争の褒美として貰う豪華な食事や酒は全く美味しくありません

歴史ではかなり美化されていますが、織田信長ははなしな

5無名:2024/06/01(土) 20:30:16 ID:1yCn4K220
初めて書き込むのですみません
失礼します
戦国時代の記憶がまばらですが書き込もうと思いました
今まで習っている内容とだいぶ異なります
戦国時代の武将は短期な人なので書状に腹を立てて燃やしたり破ったりしています
そのため歴史に残らなかった名将もいます
今ある歴史は生き残ったひとの証言やところどころのこった記録や歴史学者によって書かれたものなので
私の書き込みを不快に思った方は見ないでください

私は切腹したかったのですができませんでした
しないといけないことがありすぎたので

グーグルにある金沢城の写真をみて思いました
今までにないほど鳥肌と恐怖が沸き起こりました 

書き込んでいい内容なのか分からないのですが、書き込みます

私は浅井長政様の小姓をしていました

織田信長が攻めてきたときお市の方とお市の方の子供たちをなんとか逃がすことができました

能登は織田信長の支配下になり、町も荒廃していたので職に就けずにいたため生活に困り果てて仕方なく織田信長の下で働くことにしました

後で後悔をしました

織田信長の下につき秀吉のように少しずつ出世をして竹中半兵衛様の弟子になることができました、その時は参謀として戦う場所の地形を調べたりして、どう攻め込むか織田信長に話していました

織田信長はかなりの戦争狂で気にくない者や反対するものを切ったり殴ったりしていました、また、神社や仏閣、地蔵様など壊して回っていました

戦国時代の神社や仏閣は食物なども備蓄されていたので避難所や戦争孤児が僧兵になったりするなどの重要な拠点だったのですが、織田信長が壊して回るため、正直織田信長はたみから慕われていなかったです

織田信長は戦争狂のため比叡山や他の大名に戦争をよく仕掛けていました、私は反対することが多かったのですが、全て却下されました、織田信長には逆らえませんでした、私にも守っている領土や人々がいたため逆らうことができませんでした

戦争の褒美として貰う豪華な食事や酒は全く美味しくありません

歴史ではかなり美化されていますが、織田信長が出るまでは、戦とは食料の取り合いのような戦争だったのですが、織田信長が戦争狂だったため、あちらこちらに何故か戦いを出していました、私はしたくもない戦争をなぜこんなにしなければいけないのかとおもっていました

神社や仏閣が壊されたことにより避難場所をなくした民は戦争によりさらに不安を煽られていました
その時、キリスト教が入ってきたのですが、

6無名:2024/06/01(土) 20:46:43 ID:1yCn4K220
すみません
初めて描くので何度も同じことを書き込んでしまって
続けます

神社や仏閣を破壊して回ったことにより人々は不安に煽られていました、さらに織田信長が戦争を起こすためさらに不安を煽りました

その時キリスト教が入ってきたのですが、人々はキリスト教に依存するようになりました
しかし、当時のキリスト教は真面目な内容のキリスト教ではありません

信じれば救われるという内容が強く人々は更に不安定な情勢の怒り更に人や神社や仏閣にぶつけていました

その当時のキリスト教信者が周りの人々を殺してしまうため、揉め事や騒動を抑えることをすることもありました
信長の尻拭いをさせられることがおおかったですね

あまり信長は政治は上手ではなかったと思います
その当時のわたしの視点ですが

他の大名たちも誰も信長を慕っていませんでした

7無名:2024/06/01(土) 20:59:19 ID:1yCn4K220
私は他の大名も警戒していました、信長の支配下でさらに暴動が起きるのではないかと、思っていたのですが、明智光秀が織田信長を本能寺の変で殺しました
正直、信長がいなくなってかなり安心したことをおぼえています

信長亡き後、明智光秀は京都の人々に味方についてもらおうとしていましたが、信長の政治により、大名に対する信頼がありませんでした

明智光秀が敗れた理由の一つにはそれもあると思います

右往左往している中、私は豊臣秀吉につきました
その後、織田信長によって増えてしまったキリスタンなんですが、よく暴動を起こしていました、寺や仏閣、周りの人を殺してしまうため、抑えるのに必死でした

私視点から見たものなので他の人はどう思っていたかは、わかりません、すみません

外国も脅威になっているため秀吉が朝鮮出兵を行いました
それにより、秀吉の戦力が落ちていました

秀吉は結構殘忍な正格をしていました、なので私は秀吉が好きではありませんでした

8無名:2024/06/01(土) 21:10:40 ID:1yCn4K220
お市の方は柴田勝家と結婚されたと歴史には書いてありましたが、私が見たものでは前田利家様と政略結婚されていました

秀吉がお市の方を狙って、まつ様を人質に出すよう前田利家様に言ったのですが前田様は、お怒りでした、前田様が秀吉に戦争をすると言いました、私は前田様を慕っていたので、前田様に味方し、死を覚悟して戦ったのですが、戦いに敗れ前田様は切腹をしました、私と仲間たちも切腹をしようとしたのですが、秀吉に捕まり、縄で引きずられて、民のことや家族のことを言われたため、強制的に秀吉の臣下になりました

9無名:2024/06/01(土) 21:31:56 ID:1yCn4K220
秀吉が朝鮮出兵により戦力をだいぶ落としていました
私は秀吉から子供を守ってほしいと頼まれました

残忍な嫌いな、今でも嫌いな人ですが、秀吉が頭を下げてまで頼んできたためなんともいえない気持ちになりました

秀吉の子供は秀吉に似ておらず、おとなしい子供でした

大阪冬の陣、の後、妻と子供を部下に頼んで逃がしました
子供は戦える年にまで成長しており、戦うと言っていましたが、部下に命じて縄で縛って強引に逃がしました

夏の陣、私は戦って亡くなったのですが、なんともいえない、悔しいとも思わない、ただ何もかもをやり尽くしたというよりは終わった、そんな気分に近いです、そんな気持ちでなくなったことを覚えています

妻は戦った敵将の娘です、織田信長についていたときに結婚しました、強い女性で私を蹴飛ばしたり投げ飛ばしたりしていました

妻については罪悪感がありました

子供が生まれたとき嬉しかったです
その時はあまり仲が悪くはなかっですがとても罪悪感がありました

秀吉の最初の奥様は毎日秀吉の文句をよく言っていました

私の師匠、竹中半兵衛さまは病死ではなく切られて亡くなりました

歴史では病死ということになっていますが、病死となっている将軍たちはほとんどが戦争で亡くなっています

私の上司には黒田官兵衛様もいました、黒田官兵衛様も戦争で亡くなっています

10無名:2024/06/01(土) 21:34:22 ID:1yCn4K220
前田利家様の子孫がいると言われていますが、将軍たちの子孫はほとんどが絶えています

子孫と言われている人は徳川の部下の子孫だと思います

11幸せな名無しさん:2024/06/01(土) 22:49:41 ID:MKtvaiAo0
かなり詳細で真実味あるね
面白い、と言ったらなんだけど俺は信じるよ
ところで今話題の黒人の弥助について知ってることある?その後どうなったとか

12幸せな名無しさん:2024/06/01(土) 22:51:37 ID:MKtvaiAo0
>>8
前田利家が切腹!
すごいね

13幸せな名無しさん:2024/06/01(土) 22:54:32 ID:MKtvaiAo0
あれ?強制sageになってるかな?
何か言いたいことあれば今のうちに!

14無名:2024/06/01(土) 23:35:07 ID:1yCn4K220
弥助さんはすぐに秀吉に切られました
弥助さんは後ろ盾があまりいなかったので

戦国時代は戦争になって武将がいるところもすぐに焼けてしまいます、焼け野原です
私が浅井長政様の小姓だったときも長政様の屋敷は燃えてしまいました
当時は私も武将だったのですが、当時の私は短気です
時代劇では気持ちを抑えているように役者さんが演じていますが、殴り合いの喧嘩もありました
武将たちは非常にお互い領土や政治に必死だったので敵の書状をみるとすぐにカッとなって書状を燃やしてしまいます
私も燃やしたり破いたりしました
竹中半兵衛様が黒田官兵衛様の隣で書状を破いたとありますが、あれは日常茶飯事なので記録が残りません
そのため歴史に残らないことがたくさんあります

前田利家様の記録がないのもそれです

私は竹中半兵衛様の弟子でした、竹中半兵衛様はジャニーズ系の美男子でした

黒田官兵衛渋い感じのイケメンでした

私も当時は喧嘩っ早いので竹中半兵衛様の弟子同士で喧嘩をして竹中半兵衛様にバツを受けることもよくありました

前田様が亡くなったあとは能登を私が守っていました、記憶の全てを思い出すと精神病院に行くかもしれないです
当時私は能登を守らなければならないのでどんなに苦しくても心が病んでいても倒れるわけにはいきませんでした
だからなんとか生きていました

死ぬときはやっと終わったという気持ちもありました

歴史では竹中半兵衛様と黒田官兵衛様は仲が良かったとありますが、かなり悪かったです

でも敵対することはなかったです

黒田官兵衛様と竹中半兵衛様が亡くなったと報告を聞いた時は涙が出ました
信長についていたときは辛いことがほとんどで仲が良かった人とも戦うことになったり、人々の心の拠り所になっている僧侶も殺さななければならなくなったりしました

暗殺などもしていました

時代劇では武将が話し合って部下になるかならないかということがありますが、実際は私みたいに能力のある人物はある程度動けないようにされて縄で引きずられて脅しをされて強制的に部下にされてます

15無名:2024/06/01(土) 23:52:15 ID:1yCn4K220
織田信長は戦争狂かつ人の心があまりわからない人間で気に食わないものなどはすぐ切り捨ててしまう人なので全員織田信長が嫌いでした
尻拭いをさせられることも多かったです

政治が本当に上手くありませんでした、特にキリスタンなんですが織田信長が神社仏閣を壊してしまったせいでキリスタンは神社仏閣を壊すことに抵抗がなくなっていました
いわゆる宗教弾圧がおきていました
おかげで治安が悪くなりました、秀吉もそのことに苦労していました

人の心がわからない信長でも秀吉の奥さまは毎日秀吉の文句を言っていたため全大名からは有名でした

秀吉は結構残忍な性格でしたね、残任で二枚舌でした、悪い人でした、変に例えると政治ができるサイコパスみたいな人でしたね

16無名:2024/06/02(日) 00:00:57 ID:2l54duPA0
人の心が無いような織田信長ですが秀吉の文句をいつも言っていた奥様にはあまりにも文句がすごいので気を使うことがありました

17幸せな名無しさん:2024/06/02(日) 00:01:08 ID:ROk8WGe.0
>>14
>弥助さんはすぐに秀吉に切られました
弥助さんは後ろ盾があまりいなかったので

えー秀吉に?
キリスト教徒が連れてきた黒人だからか、、、
なんか残念、、、

18幸せな名無しさん:2024/06/02(日) 00:05:00 ID:ROk8WGe.0
自分の上司にあたる黒田官兵衛と竹中半兵衛の話はリアルだね
あと信長が寺社を壊したからキリシタンも相乗りして暴れてる話し、かなりリアルだしイメージできる
本当に前世を思い出したかもね

19幸せな名無しさん:2024/06/02(日) 00:14:38 ID:ROk8WGe.0
人権なんかない戦国時代だもんなー
面子と領土がすべてで、男同士カッとなったらすぐコロし合い
今とは比べものにならんくらいのストレスの中で生きていた武将なら、死ぬ時はホッとしたんだろね
もうそのへんにして寝た方がいいよ
心に障るからね

20無名:2024/06/02(日) 00:21:06 ID:2l54duPA0
時代劇よりもドロドロしていて戦国時代はかなりひどかったです
江戸時代は本当に平和です、

世界の情勢を見ていても
人間は変わらないなと思いました

秀吉も織田信長の尻拭いをさせられているような人でした
当時の海外の情勢を知ってしまったことで朝鮮出兵を行いました
織田信長が神社や仏閣を壊さずにキリスト教を受け入れていたらあそこまでならなかったと思います
徳川家康も島原の乱をせずにすんだかもしれません

21幸せな名無しさん:2024/06/02(日) 00:30:49 ID:ROk8WGe.0
なるほどね
いや、なんかそのドロドロした血なまぐさい雰囲気は君の話しでかなりイメージできるし本当だろなと思う
よく自分の祖先はそんな時代を生き残れたなとw

最後に聞くけど、秀吉はスペインポルトガルの侵略計画を知っていたから鎖国したというのが今の通説だけど、ほんとのところはどうなの?
キリシタン大名によって日本人がドレイとして海外に売られたりしてたことに秀吉はブチ切れたとも言われてるよね
キリスト教徒が当時危険だったというのは本当なのかな?

22幸せな名無しさん:2024/06/02(日) 00:34:50 ID:ROk8WGe.0
まあ南米を見れば本当だったのかもw

23幸せな名無しさん:2024/06/02(日) 08:05:25 ID:0gaf6oqI0
ちなみにどうして前世の記憶を思い出したの?
突然?瞑想か何かした?

子供の頃から覚えていたのか、大人になってから思い出したのか

24幸せな名無しさん:2024/06/02(日) 08:45:34 ID:vUZOOVA.0
森蘭丸ってほんとにかわいい感じだったの?
ガタイが良いらしい森長可の息子だからほんとはデカそう

25無名:2024/06/02(日) 09:08:42 ID:2l54duPA0
秀吉の時代は織田信長と違って激しい戦争をしなかったので織田信長より辛くはなかったです、主に織田信長がした政治の尻拭いをしていることが多かったです、秀吉も尻拭いをした人物でしたね、苦労をしていました
嫌いな人でしたが、そこには同情しましたね
海外に対してはかなりの脅威としていました、もし、外国が攻めてきたらどうなるかと、よく心配、いや、怒っておられました

キリスタンは当時かなりの脅威でした秀吉も織田信長がなくなったあとの尻拭いで大変でしたね
キリスタンが起こす暴動は激しく治安が悪くなるばかりで頭を抱えていました、キリスタンは海外の思想をもつ危険因子です
スペインやポルトガルが侵略するというよりは、余計な事を吹き込みやがってというふうに考えており、日本がじわじわ侵略される準備をしているというふうに見えていました
キリスタンはスペインとポルトガルに繋がっている人が多かったたので
これを見ているとポルトガル、スペインに聞かずとも目に見えていましたね、
だから秀吉は朝鮮出兵をして対抗しようとしたのですがうまくいきませんでした
あの時代戦争で負けると負けたがわの人間はドレイにされるのが普通でした、なので私は能登の領土や国民をドレイにしないよう秀吉につきました
というより家族や国民をドレイにすると脅されたので臣下になりました

キリスタンは本当に脅威でした、法律を作っても言う事を聞いてくれません、自分たちは天国に行けるとか、暴動を起こしたりしてバツを与えても、天国に行けるとか、言っていたので、ヤバい人になっていました、キリスタンはスペインとポルトガルがついているから大丈夫という気持ちがありました
なので徳川も島原の乱でだいぶ苦労としたと思います
織田信長の尻拭いです、本当に政治が下手な人でした
織田信長は戦争や経済については上手かったのですが、政治が本当に下手でした
織田信長がなくなったあとは政治を安定させるので他の大名たちも苦労していました

私は子どものころは覚えてはいなかったです、ただ、修学旅行で、織田信長ゆかりの地に行ったときに具合が悪くなって倒れたことがありました、また、時代劇や小説で主従関係の話をみて勉強ができなくなったりしていました
昔は地図がなかったので土地の地形などを調べ、地形を楯に戦争できるよう、地形を調べて図にしていました、現世でも絵を描くことが趣味だったのですが、絵の参考に城をグーグルで調べていたら、私が住んでいた城、金沢城を見て思い出しました、思い出した時は突然のことが頭の中に出てきて具合が悪くなりました、見なければよかったと思っています

26無名:2024/06/02(日) 09:15:29 ID:2l54duPA0
森蘭丸は父親よりも母親に似たのでしようジャニーズ系の美男子で男だから男心を掴むのが上手でした
小柄でジャニーズ系の美男子です
織田信長のことは織田信長についている方が勝ち目があるというつもりでついていたと思います
そこもドロドロしていました
織田信長を慕う人は誰一人としていませんでした

27無名:2024/06/02(日) 09:19:32 ID:2l54duPA0
すみません前世のことを思い出しすぎて本当に具合が悪いです
勝手ですが終わろうと思います
すみませんでした

28幸せな名無しさん:2024/06/02(日) 09:32:00 ID:Qhe71MPc0
>>25
ありがとう。
当時のキリシタンの脅威について今まで漠然と脅威だったのはわかってたけど、たしかにそういう状況だったんだろなと納得。
また金沢城の写真、信長の城の話しが信憑性高くて怖いw
ホント凄い話しを聞けたよ、ありがとう。

森蘭丸はオヤジに似てガチムチじゃなかったんだね。それは意外。

無理して語ってくれて申し訳ない。
もうこの辺で終わりにしよう。
ありがとう。

29幸せな名無しさん:2024/06/02(日) 09:34:37 ID:Qhe71MPc0
たまにガチの人出てくるから潜ちゃんって興味深いよね

30無名:2024/06/02(日) 11:39:57 ID:EwKmuIkM0
少し気力が戻ったので書き込みます
妻から蹴られたり殴られたりしていましたが、私が妻の父親を戦で殺したので妻からは毎日蹴られたり殴られたりしていましたが、政略結婚です
今でも罪悪感が強いです
子供が生まれるまではなんとか夫婦仲はよくできましたが、今でも強い罪悪感があります
あのとき織田信長の下につかなければよかったと、何度も後悔してよく涙を流したりやけ酒した記憶もあります
しかし、前世なのでどうしようもないです
織田信長はかなり横暴な性格をしていました
秀吉も女子供にも容赦がない性格で戦で勝った土地の女子供を槍でさして市民に見せびらかしていました
前田様が秀吉との戦で敗れ切腹したので私も切腹しようとしました、これ以上戦いたくなかったので
仲間と切腹しようとしたとき秀吉に見つかり縄で縛られ連れて行かれました強く抵抗して暴れたのですが、地面に押さえつけられ、臣下になれと強要されました、私の家族や能登の市民も串刺やドレイにすると言われました
やむなしに従いました
戦国大名の部下たちや竹中半兵衛様、黒田官兵衛さまも同じようなてで部下にされています
時代劇ではきれいにしていますが、実際はあんなにきれいなものじゃないです
歴史を美化しすぎです、そうしないと教科書にはできないんでしょう
徳川もそういうふうにして敵将を部下にしたりしてます
本当にきつい時代でした

31無名:2024/06/02(日) 12:36:37 ID:iN7uYbW60
秀吉が五大老とありますが、あれは秀吉が市民からの評価を上げるための作り話です
五大老の大老たちはほとんど亡くなっています

32無名:2024/06/02(日) 12:37:18 ID:iN7uYbW60
五大老の部下たちが秀吉の臣下にされています

33無名:2024/06/02(日) 12:38:22 ID:iN7uYbW60
臣下といっても脅されてなっています

34無名:2024/06/02(日) 13:44:10 ID:iN7uYbW60
信長が明智光秀をボコボコにしてたのは事実です
私もだいぶボコボコにされました
信長が死んだ時はほとんどの人が喜んだでしょう
秀吉もだいぶ喜んでいました

35幸せな名無しさん:2024/06/02(日) 18:14:06 ID:C01cTTHQ0
前世で犯したことの罰を今世で受けたり、解決できなかった問題を今世に持ち越すことってあると思いますか?

36幸せな名無しさん:2024/06/02(日) 20:04:12 ID:BslJe8eY0
>>30
あ、またレスしてる!
大丈夫なんかいw

しかし前世は辛い想いをしたね
今はあまり信長についての残酷な面は目立たないけど、昔の読み物では女子供も容赦しないって言われてたよね
それが本来なんだろな

ところで日本のドレイって、西洋のドレイの扱いと同じだったのかな?
動物扱いで使役するみたいな
それとも使用人とか手下扱い?
さすがに日本人として戦国武将が負けた相手を動物扱いしてたとは考えたくないな

37幸せな名無しさん:2024/06/02(日) 20:10:53 ID:BslJe8eY0
あと、君の前世の名前は何て呼ばれてたの?

38無名:2024/06/02(日) 20:14:25 ID:EwKmuIkM0
人間はそれぞれ業を持っています、生まれ変わるときは迷惑をかけた分人に尽くさないといけません、それが神様との約束です

私は記憶を思い出したあと、有名な占い師さんに見てもらいました、それで私は生まれ変わらせるか神様が話し合ったそうです、何度も生まれ変わりながら人に尽くさなければなりません、
生きている人は皆何かしらの業を背負っているらしく人に尽くすことが神様との約束です
一生懸命人に尽くします、何度生まれ変わっても尽くします

ドレイですがエタヒニンとしてあの時代は扱われていました、女性は遊女、、、、、かなり嫌な仕事をさせられています

39無名:2024/06/02(日) 20:15:06 ID:EwKmuIkM0
すみません、お付き合いいただきありがとうございました

40無名:2024/06/02(日) 20:22:02 ID:EwKmuIkM0
名前はわかりません、石川県に行けば思い出すと思います
、ですが今石川県に行けば苦しさのあまり確実に自殺するから行くなと言われました、戦国時代は石川県を守ることで必死だったので死ななかったそうですが、今は自殺しますのでできません、石川県の写真も見れなくなりました

以前書き込んだように戦国時代の記録、書状などは武将が怒り狂って焼いたり破ったりして残っていません
また戦争になると、城も燃やされてしまうので記録が残りません、なので私の名前も残っていません
今の大阪城は前の大阪城を壊してから作られました
そういうことです
私のように記録に残らなかった人物はたくさんいます

41無名:2024/06/02(日) 20:22:38 ID:EwKmuIkM0
お付き合いいただきありがとうございました

42無名:2024/06/02(日) 20:24:20 ID:EwKmuIkM0
これを最後に終了しようと思います
勝手ながら失礼しました

43幸せな名無しさん:2024/06/02(日) 20:25:51 ID:BslJe8eY0
>>38
エタヒニンか
エタは牛馬の解体や革製品、竹細工などの仏教的に穢れの専門職で江戸時代は逆に金持ちイメージ、ヒニンは処刑人とか罪人死体処理とか?
その当時はもっとひどいことさせられてたのかなー
女は遊女というのはなんかわかるわ

44幸せな名無しさん:2024/06/02(日) 20:26:33 ID:BslJe8eY0
>>42
え!最後にあなた様のお名前を!!w

45幸せな名無しさん:2024/06/02(日) 20:29:40 ID:BslJe8eY0
>>40
あ、名前わからんのね
興味深い話し、いろいろとありがとう

46無名:2024/06/02(日) 22:22:15 ID:EwKmuIkM0
一日に何度もすみません、お世話になっている占い師さんからあることを聞きました

織田信長が成仏したそうです

織田信長は京都の寺で成仏せずにいたそうですが、占い師さんの知り合いのお子さん、修学旅行できたお子さんに取り付いてきたそうです、千利休さんも一緒についてきたそうです
千利休さんは秀吉から切腹させられていたので成仏的なかったそうです

占い師さんのところに織田信長が来たときは黒い瘴気をかぶせて占い師さんに切りかかってきたそうです
性格が昔から変わっていません

なぜ救おうとしている人に切りかかるでしょうか

占い師さんいわく
織田信長はいろんな恨みを買っていたので黒い瘴気を出していたそうです、成仏できないので生き地獄だったとか、自業自得としか言えないのですが、成仏してよかったと思います

千利休さんは織田信長と知り合いだったので、つてで織田信長と救われる日を待っていたそうです

前田利家様も金沢城にいるそうですが迎えに行くことができません、石川県に行くと私は自殺するのでお救いすることができません
私についていた部下もいるそうてす
どうすることもできず悔しいです

すみません、突然、予想外すぎることだったので
失礼しました

47無名:2024/08/09(金) 19:00:59 ID:RNBjUCLs0
一つの前世を思い出した途端、他にも色々な前世を思い出しました
信長の部下ときの前世の他にも色々出てきました
もう何から話せばいいのかわかりません
歴史的事件に結構居合わせすぎました

48無名:2024/08/09(金) 19:25:33 ID:RNBjUCLs0
エジプト
中国の三国志
モンゴル
フランス
イタリア
など出てきました

日清戦争

第二次世界大戦の記憶も出てきました

もう嵐のようです

印象的なのがモンゴルなんですが
チンギスハンは真面目かつ頑固で寛容な方でした

チンギスハンのお父様が暗殺されてから彼は母親に育てられたのですが、母親はかなり激しく気が強い方で頭が上がりませんでした
おそらく母親から強く影響を得たのでしょう

お母様のおかげで成人することができましたが奥様が捕らえられて様々な部族や知り合いに頼み込んで、協力していただいた方と奥様を取り戻しましたが奥様のお腹膨らんでいたので、かなり混乱しておりました
私はチンギスハンの近くにいた人物だったので、よく覚えてるんですが
このときチンギスハンは悩んだ末に子どもに旅人と名付けました
旅人と名付けましたが、長男が実子ではないなど揶揄されることが多かったので、旅人という名前をつけたことを後悔されておりました

49無名:2024/08/09(金) 19:37:31 ID:RNBjUCLs0
親友のジャムカとは戦利品の分配で揉めました、ジャムカさんも気性が激しい方でした
ジャムカさんと敵対していたときは辛そうでしたね
ジャムカさんには裏切ってほしくなかったと思います
モンゴルを統一したときも様々な国の文化や制度を学んで国を作っておりました、歴史通りです
身内には寛容で敵には容赦ないと言われていますが、戦った敵の国も文明など破壊せずにしていましたよ
族滅などもしませんでした
まあ、そうしなければ、あそこまで大きな国は作れません
独裁者というタイプでもないですね
権力欲や支配欲もあまりありませんでした
残忍だったというのは彼が敵の士気を失わせるために流した噂で、残忍な印象をつけることで敵が降伏してくれることを願っておりました、それが原因で彼が残忍な印象が残ってしまったのでしょう

50無名:2024/08/09(金) 19:50:02 ID:RNBjUCLs0
彼の残酷な性格を表す名言のなかには、「宿敵の女を抱くのが至福」や、「その泣き叫ぶ顔を見るのが至上の幸福」とありますが、これらは後付されたものです
こんなことは言ってませんでしたよ
側室が100人いたと言いますが、お母様から側室を取れと言われて性欲剤などを飲まされて、取らなければならなくなっていましました
モンゴルの大奥のようなものですね
彼のお母様がモンゴル版大奥を作って性欲剤も飲まされていたので仕方なかったんでしょうね
お母様の命令でしたから、彼のお母様はすごかったです
おつぼね様のような方ですね

様々なところへ彼は遠征していますが、部下たちがはやし立てるのでやむなしに行っていました、彼は軍略の才能がありましたが、戦争時代は好きではなかったです
モンゴル内での政治では部族の陰謀などがあり苦労されていました
彼はほとんどの人をあまり信頼していませんでしたね、常に警戒していました
信頼していたのは4騎4狗だと思います

51無名:2024/08/09(金) 19:51:28 ID:RNBjUCLs0
今私は落ち着いているのでなんとか話しても大丈夫だと思えるものをかけます

52無名:2024/08/09(金) 19:52:31 ID:RNBjUCLs0
また
書き込みをさせていただきありがとうございました


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