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wildスレ

399現象:2016/07/21(木) 18:59:17 ID:UxV5vokU0
真昼さん

>ニコニコ動画
この例え、wildさんと同じく、分かりやすい!と思いました。
そうなんですよね、感想が感想を呼び、それがまた感想を呼ぶ。
気がつくと思考にどっぷり。もう思考しか見ていない。

>映像に感想を持たない。コメントしない。ただ見る。
>それこそ、「何もしない」ということだと思います。
引き寄せのコツ、みたいなことでもよく言われることですよね。
真昼さんは、引き寄せ・願望実現ってどう思われますか?あまり関心はないですか?

>メルロ=ポンティのテーマは「身体」です。
なかなかフランス現象学までは手が回らず。。
「見えるものと見えないもの」だったかを数年前に読みましたが忘れましたw
「肉」という概念を使って、認識されない自我極を言語化しようとしていたような。
「知覚の現象学」は序文だけ読んでほったらかしです。
また暇を見て読みたいと思いますがちゃんと理解できるかどうか分かりません。
もし理解できたらその時は書き込みさせていただきます。

400真昼:2016/07/22(金) 12:34:35 ID:9706d4T.0
>>392
wildさん、レスありがとうございます。

>しばらく今の段階を楽しむのも良いかと思いますがいかがでしょう。

そうします!手放したと思ったら、後ろで何かを掴んでいる。それを離したと思ったら、また別のものを掴んでいる。反対に、何かが分かったと思ったら、それを忘れている。何かを得たと思ったら、それは大したことではなくなっている。
この流れを楽しんでみようとおもいます。

wildさんは何か大きな囚われの本体に気付かれたようですね。「概念」ですか。
概念とは実体があるわけでもなく、一体何なんですかね。概念とは、一体どういう概念なのか?それも概念ですね。ガイネンガイネン……分かりません!w
でも、wildさんの仰ることは何となく分かります。その何となくを維持しつつ、過ごしてみようと思います。
また何か大きな気付きがありましたらお願いします。

401真昼:2016/07/22(金) 13:04:00 ID:9706d4T.0
>>399
現象さん、レスありがとうございます。

>引き寄せ・願望実現ってどう思われますか?あまり関心はないですか?

ガンガンに興味ありますよ。むしろそっちがメインですから。大幅に遠回りしてますがw
個人的な見解では、引き寄せのキモは「記憶」だと考えています。
アファメーションやイメージングなどは、よく言われる「fake it! until you make it(それになるまで演じ続けろ)」ということであり、「既に叶っている」という記憶を作ることなんだと思うんですね。これは力技で記憶を作っていく。ひたすらアファメーションする。なので、途中でしんどくて辞めちゃうんですよね。

それで、手放し系に行き着いたわけです。こっちは僕なりに表現するなら「引き離し」ということになります。現状を引き離す。リアリティーを薄めて、記憶の影響を減らしていく。すると願望の難易度が下がって、願望が転がり込んでくる。みたいなかんじで。
それでも、なかなか現状は好転しない。もう全部お任せしよう。もうこうなりゃ、悟るしかねえ!w⬅今ここです。

>なかなかフランス現象学までは手が回らず。。

厚かましくてすいません。無理なく、暇のできたときにでもお願いします。形而上の話だと、とかく軽視されがちな「身体」ですが、やはり何かを体感したいので、身体(五感)というもの少ししっかりと掴みたいと考えました。
無理なくやって参りましょう!

402wild:2016/07/24(日) 13:09:56 ID:W0VYYPlU0
>>398 現象さん。


> あれもこれも思考が見せている幻だ、と思うと何もかもどーでもいーじゃないか、どうなろうと構わないじゃないか、

そうですよねー。
実際そうなって仕事辞めちゃう人もいますからね。
しかし探求が終わった人は、あえて幻の中をしっかり生きようという心境に行着く方が多いような気がします。
幻と真実との摩擦に苦しんだ後にそのような境地に至るのかもしれません。

> 概念や意味というのは不思議なものですね。私が思うに、概念・意味というのは、とりあえずこの世界のことを分かったことにするためのもの、だと思います。

この概念ですが、今見たり聞いたり感じたりしている「感覚そのもの」も含まれてます
よね?
ダイレクトパスで言う「現れ」こそが概念かなと思いました。
思考による意味付けとしての概念だけでなく、私に起こる現象すべてが概念。
現象を認識すること=概念を作っている。
このスレでもそのあたりの議論がありましたが、おととい通勤中に腑に落ちまして、今以前とは違う感覚になってしまいました。

これから私の身に起こること、理解すること体感することべてが概念。
Wildそのものを体感したいと思っていましたが、体感したらそれはWildではなく、概念です。
これは以前現象さん、真昼さんがおっしゃっていたことで、まさにその通りであると感じました。

私という存在はあえて言葉にすると、概念をただ作りだす存在。
それ以上もそれ以下もない。
どこまで行ってもこの私から逃げ出すことはできない。
これすらも概念であり、説明のしようのない、ワケがわからないけども確かに存在している存在。

なんとお話すればよいか…
何か神秘的な体感をしているわけでもなく、ただ私という世界は概念なんだなという認識の中にいます。
喜びも苦しみも概念でして、多幸感もなくフラットでいて落ち着いており、
ただただそうなのかーと言った感じです。
その場その場での思考、感情はありますが、流れて行きます。
> 貨幣というのは、ライオンやキリンに混じって「動物という観念」が動き回っているようなものだ、とかマルクスが何かに書いているそうですが、なんだか面白いですね。

マルクス面白いw
このワケのわからないものが動き回っているシーンを観念なしで見ることは、生きている間は不可能なんでしょうね。
動き回っているワケのわからないものが現れている時点で既に観念・概念の世界なのかなと。
そういうもんなんだーと観ているだけで、それで落ち着いちゃってますw

気づきのきっかけを作って頂いた現象さんには本当に感謝です!
ありがとうございますm(__)m

しばらく様子をみようと思いますが、これも概念の中だなと納得してしまい、これ以上はもう突き進まなさそうな感じではありますねー(-_-)

403wild:2016/07/24(日) 13:12:30 ID:W0VYYPlU0
>>400
真昼さん。


> wildさんは何か大きな囚われの本体に気付かれたようですね。「概念」ですか。概念とは実体があるわけでもなく、一体何なんですかね。概念とは、一体どういう概念なのか?それも概念ですね。ガイネンガイネン……分かりません!w

そうなんです。
概念とは何なのか?
それも概念であり、私も概念。(自覚では、考えと言っています。)
もう何を体験しても概念内であり、私とはただただそう言うモンだと納得してしまいましたw
不思議とスン…と苦しみや迷いが消えてしまっています。

依然エゴはあり、あれこれと主張しますが、それも私(ワケのわからない私?断定ができなくなってしまいました…)が起こしたものであると観ると、何も言うことはありませんw
それすらも概念ですが…。

そして昨日、この気づきが本物なのかどうかを試すような試練がありました。
非常に辛い出来事であり、私のエゴは泣きましたが、張り裂けんばかりの感情はその場だけで引いてしまいました。
どうやら起こる現象をいつまでも掴まなくなってきているかもしれません。
いや、まだ記憶が辛さを思い出させますが、それも私が作っている、私自身も作っていると観ると流れて行くようです。

> wildさんの仰ることは何となく分かります。その何となくを維持しつつ、過ごしてみようと思います。

真昼さんの気づきは私にとって非常に参考になってます。
ここは基本引き寄せ板ですので、流れに乗ってる真昼さんにはぜひ引き寄せの真髄も発見していただきたいなとw
私も図々しくてすみませんw

404現象:2016/07/24(日) 17:55:48 ID:Y3WyXD7Y0
>>401
真昼さん

>ガンガンに興味ありますよ。むしろそっちがメインですから。大幅に遠回りしてますがw
そうだったんですか。私はてっきり悟りがメインなのかと思ってました。
私も引き寄せ(エイブラハム本)からこの怪しげな世界wに入り、同じく遠回り中ですw

ttp://geminikanon.blog.fc2.com/blog-entry-440.html
昨日ひさびさに、的確さんという方のこのまとめ記事を読んでいたら、
「全て私の中に在る」「私=世界」が感覚的に少し分かりました。
177、180の内容についてどう思われますか?

ずっと以前、分かった!と思って勢いで書き込んだ内容とカブるんですが、
私たちの認識は全て後付け。
何かが起こってから、行ってから、事後的にしか認識できない。
つまり全ては元々オートマチックに起こっているだけで、
その現れをエゴ視点で解釈し意味づけし(概念化ですね)認識している。

このエゴ視点で概念化し、認識した後に、いろんな条件付けをしてしまう。
この条件付けをした時点で最初の願望(意図)が歪められる。
だから湧いた時点での願望(意図)が叶わない、
叶わないというか、歪められた願望(意図)が完璧に実現される。

だからエゴを願望に絡ませるな、アレとコレを関連づけるな、
と達人さんたちは言うのですね。

と思うのですが、真昼さんのご意見をお聞きしたいです。

405現象:2016/07/24(日) 17:56:28 ID:Y3WyXD7Y0
>>402
wildさん

岸辺から川を眺めると、川が流れていることが分かります。
なぜかと言えば、自分は固定された岸辺に居るからです。

でも例えば、岸辺の見えない、どこまでも水面しか見えない川に
小舟などに乗って川といっしょに流れていると、
自分が流れている、川が流れているということは分からないでしょう。
水面の変化や舟が傾く感覚、身体感覚などはありますが。

やがてこの大河に、杭が現れます。
杭が前方から近づいてきて後方へと移動していきます。
このときはじめて、私は川の流れに乗っている、と認識できる。
なぜなら、流れないモノが存在してこそ流れは認識できるからです。
視点も含めて、すべてが流れていたら流れているのかどうか認識できません。

この「杭=流れないモノ」が、言葉であり意味であり概念なのだと思います。
常に変化し流れ続ける現象に、ある枠組みを投げかけて、
意味づけ・解釈・概念化という固定化を行う。
それによって私たちは初めて何かを認識することができるし、
真昼さんが以前おっしゃっていた感覚の奔流のようなものも認識できる。

願望を握りしめていると実現しない、ということとも関係がありそうですね。

406現象:2016/07/25(月) 03:43:54 ID:4OYFmcDU0
>>402
wildさん

いろいろ書き忘れてました。

>この概念ですが、今見たり聞いたり感じたりしている「感覚そのもの」も含まれてます
よね?

例えば、何らかの感覚を「人の声として」認識したのならそれは意味・概念です。
ですが、「人の声として」認識する手前の「何らかの感覚」が
wildさんのおっしゃる「感覚そのもの」だとすると、これはどうなのかなぁ。
あ、何かの感覚だ、と認識したとしたら、「感覚」という概念ではあると思いますが。

>ダイレクトパスで言う「現れ」こそが概念かなと思いました。
wildさんが以前おしゃっていた「視覚とは色彩である」。この「色彩」も概念ですよね。
では「色彩」という概念を外したら、もう何なのか分からない、もう何でもない、つまり無なのかもしれません。

現象を組み立てる順番で記載すると、
何なのか分からない→でも、何らかの感覚・刺激を受けていると感知する(感覚・刺激という概念)→色彩だ、と認識する(色彩という概念)→その色彩は人の形をしている(人という概念)
みたいなことになるでしょうか。うーん、どうなんだろ。。

>これから私の身に起こること、理解すること体感することべてが概念。
>Wildそのものを体感したいと思っていましたが、体感したらそれはWildではなく、概念です。

理解にもたらされたとしたら、認識したとしたら、それは意味・概念ですね。
Wildそのものと一体化している時は、
>>405で書いた、岸辺の見えない大河を流れている時と同じで、
私という視点もまた川といっしょに流れているので、流れていることが分からない状態です。
そこに流れない杭としての意味・概念が現れると、
流れから分離する視点が生まれ、私は流れているのだと認識できます。
分離しているからWildそのものではありません。
でも、Wildが在る、と認識することができます。

常に流れ、変化し、生き生きと生成しているのが世界の実相だとすれば、
意味・概念というのは、世界の屍・死体です。
世界の実相が映画だとすれば、意味・概念というのは写真でしょう。
流れ流れていく世界のワンカットを切り取ったものが意味・概念ではないでしょうか。

辛い出来事がおありだったようで、なんと申し上げればよいか。。。
こんな時、言葉は無力ですね。
その辛さに思いっきり浸るのもいいのではないでしょうか。
辛いことは辛いんですから。
辛いことに浸ることがwildさんのお気持ちを素直に表すことにもなるのではと思います。
素直に気持ちを表すことって、とても大事なことに思いますし。

407真昼:2016/07/25(月) 13:52:54 ID:cYk2piXA0
>>403
wildさん、ありがとうございます。
試練を経験されているということで、心配しております。
また、大きな気付きを得られている最中なのでしょうね。
僕もちょっと苦しさに直面していて、それでいて少し落ち着いている感じもあります。流れとして淡々と対処している、といった感じです。
少し前なら焦って頭がいっぱいになっていたと思いますが、来るべくして来たのかもしれません。

とにかく流れの中に身を置いています。

408真昼:2016/07/25(月) 13:56:44 ID:cYk2piXA0
>>404
現象さん、ありがとうございます。
少し長くなりますが、あくまで僕なりの表現で書いてみます。
まず「現実」とは私たちが「認識した世界」ということです。目に映ったものを電気信号化して視覚世界として認識している。つまりは単なる「情報」に過ぎません。
視覚情報、聴覚情報、触覚情報など無数の情報の中から「自分」(これも情報なのですが)にとって重要なもの、リアリティーのあるものを拾い集めて「現実という幻想」を見せます。全て内側で表現された世界の事を現実としている。

これを踏まえて、「引き寄せ」とは何を意味するかと言えば、内側の表現の仕方を変えればいいだけ、ということになります。叶った世界という幻想に変えればいい。
ところがその世界を見るのはなかなか難しい。なぜなら、現状という幻想が幻想に見えないからです。
「いや、無いもんは無いよ」ということになってしまう。
少なくとも電気屋に並ぶ大型TVを見た、ということは自分の内部世界に存在しているということを示しているので、それは既にあるわけです。自分の中に。単なる視覚情報ですから。
そしてそのTVにどんな情報を付加しているか「高くて手がでない」「あんなに大きいのは逆に見にくい」という情報を付加したとしたら、それはそういう風に存在します。
この一連の流れはほぼ自動的に行われているはずです。
その自動的な流れを変えるには、アファメーションなどを使って「そのTVを既に手にしており、大画面の迫力に興奮している!」という記憶を作ること。それが定着すれば電気屋のTVを見たときにそういう情報が付加されて、「家にあるのと同じやつだ」になる。いつの間にやらそれは家ある。みたいな感じでしょうかww
エゴ(記憶)ベースだと意味が分かりませんが、認識ベースだとそうとしか言えないのではないでしょうか。

また、「願望」の性質上、どうしてもそれを未来に見てしまいます。ここが躓くところです。未来なんてどこにもないのですから、願望を強く握りしめているということは「今はいりません」という態度と同じことなんですね。
では、なぜそのように認識しているのか、一体現実とはなんなのか。

かくして、探求の旅が始まったわけですw
ご質問の答えになってるかどうか疑問ではありますが、こんな感じです。

409wild:2016/07/25(月) 22:58:39 ID:IIk9VMK60
>>406
現象さん。
補足のレスも頂きましてありがとうございます。
大河の比喩をしばらく考えていましたが、補足でスッキリしました。

> 現象を組み立てる順番で記載すると、何なのか分からない→でも、何らかの感覚・刺激を受けていると感知する(感覚・刺激という概念)→色彩だ、と認識する(色彩という概念)→その色彩は人の形をしている(人という概念)

この2番目なんですけれども、私という思考が無くても感知している状態が以前私の言っていた「感覚そのもの」なのですが、既に感覚として感知している時点で概念であるという気づきがありました。
ですから、通常使われる言葉としての概念とは微妙に違って、「現れ」と言った方が良かったかもしれませんね(^^;
現象さんのおっしゃる通り、この現れ以前は無なのかもしれません。

しかしなぜ現れが概念というものだとしっくりきたかと言いますと、今のところうまく説明ができない状態です…。
ただ、鏡が鏡を見る状態も現れであったと気づきました。
どんな真理めいたものも、状態である以上現れであるとうことですね。
実はここが私の開放感の元だったのですが、探求を深めるうちに苦になってしまったところです。


> 分離しているからWildそのものではありません。でも、Wildが在る、と認識することができます。

一体化してしまうと熟睡と同じように何も現れが起きなくなるということですね。
知らんさんが昔の記事で、起こる現象すべてをエゴとしてみたらどうか?というお話をされてましたけど、分離=エゴだとするとまさにこの通りですね。

> 流れ流れていく世界のワンカットを切り取ったものが意味・概念ではないでしょうか。

ああ、これは良い表現ですね!
ワンカットを掴んでしまいがちですけど、よく見ると常に流れているんですよね。
掴んでしまう正体は私個人という記憶でしょうかね。



> 辛い出来事がおありだったようで、なんと申し上げればよいか。。。

最近は苦についての書き込みが多く、皆さんにはご心配おかけしてしまい本当に申し訳ございません…。

私は今までも愛別離苦が多い人生であり、またそれが探求のきっかけ、気づきの促進になっているところもありました。
今回、起きた日は号泣でしたが、翌日は不思議と感情は落ち着いており、昔ならずっと引きずるようなことなんですけども、激しい感情が起こらない状態なんです。
今このように書き込みができるほど流すことができているのに驚いています。
もし感情の波が襲ってくる時がありましたら、素直に浸ろうと思います。

現象さん、励ましのお言葉ありがとうございますm(__)m

410wild:2016/07/25(月) 23:41:17 ID:IIk9VMK60
>>407
真昼さん。
ご心配おかけして申し訳ございません…。
幸い今は落ち着いております。

私とは現れ製造機みたなものであり、その製造機も現れであるという…
まるでフラクタル図のような存在なんだなーと考えていたところ、そう言えば真昼さんが以前、私とは「点」であるとおっしゃっていたことを思い出しました。
「ただそう言うものなんだ…」という今までもわかっていたようなシンプルなことが微かな一瞬の閃きで腑に落ちた感じです。
わかっていたつもりでわかっていなかったのかもですね(^^;

製造機はただ現れを製造しますが、これまた製造されたエゴがただの現れを掴んでしまう。
エゴが現れという因と、無明のために縁を持ってしまう。
それが囚われであり、因縁生起であり、私というシステムなのかな󾬇と頭良さそうなことを考えてますが…どうなんでしょう?w


> 僕もちょっと苦しさに直面していて、それでいて少し落ち着いている感じもあります。
> 来るべくして来たのかもしれません。

そうですね。
いつも思うのですが、こういった苦しみは大きな脱皮前に必ずついてまわるもんだなと。
私たちはその流れに逆らえないし、逆らうほど苦しくなります。
やはり流れってあるんだなと今回は深く実感しました。
ということは真昼さんもこれから大きな脱皮が待ってるんですね!

真昼さん、いつもお気にかけて頂きましてありがとうございますm(__)m

411真昼:2016/07/27(水) 15:09:15 ID:EtSqvJN60
>>410
wildさん、ありがとうございます。

>私とは現れ製造機みたなものであり、その製造機も現れであるという…
まるでフラクタル図のような存在なんだなー

>製造機はただ現れを製造しますが、これまた製造されたエゴがただの現れを掴んでしまう。
エゴが現れという因と、無明のために縁を持ってしまう。
それが囚われであり、因縁生起であり、私というシステムなのかな󾬇

悟りましたね!そのフラクタルな様子こそ曼荼羅ですよね。ひとつの歯車が次の歯車を動かして、ついには巨大な歯車が動き出す。その起点となるもの。私の動きは世界の動き。wildさん流石です。やはり、理解するのではなく理解が起こるんですね。
僕こそ分かったつもりで、分かっていないんだと思います。自分が分かってないということを分かってないw
流れに逆らうのがエゴの役割。エゴはとりあえず置いておいて流れを意識するようにしています。
また、僕はどうも感情を感じきるというヤツが苦手でして、感情を相手にしない、またはうっすらとした幸福感を胸に持つようにしています。

412wild:2016/07/28(木) 13:51:22 ID:iuLK6oHc0
>>411
真昼さん

いえいえ悟ったとしても薄っぺらいところだと思います(^^;
まだ繋がってないところがあるんです。
しかし何をしても現れの中でして、考えても埒があかないのでどうしよかなと…。
やはりもう真昼さんもおっしゃるように、流れに身を委ねるしかないのかなと改めて実感してます。
結局Wildまかせに戻ってるw

> そのフラクタルな様子こそ曼荼羅ですよね。ひとつの歯車が次の歯車を動かして、ついには巨大な歯車が動き出す。その起点となるもの。私の動きは世界の動き。

ああ!曼荼羅もフラクタルですね!気づきませんでした(^^;
突撃イメージとして降って湧いたのですが、今思い返してもなぜフラクタルなのかよくわからなくなってしまいましたw
歯車というのは、私の起こす小さな動きも世界に影響しており、また世界の起こす大きな動きも私に影響しているという、やはり縁起のことですかね?
縁起が引き寄せの鍵になりそうなんですけど、どうかな〜。

> 僕はどうも感情を感じきるというヤツが苦手でして、感情を相手にしない、またはうっすらとした幸福感を胸に持つようにしています。

私も感情苦手ですw
真昼さんは幸福感を持てるんですね。さすがだな〜!
私はこの辺り再度観察中です。
今けっこう感情がすぐ収まるコツを得たのですが、何でなのかがうまく説明できないもので。
まだまだ先は長そうですね〜。

413486desu:2016/07/30(土) 13:41:55 ID:aoYcnnvo0
wildさん

こんにちは。

願望に関してお聞きしたいのですが、
素敵な女性を見た時の話です。

私の場合、素敵な女性を見ると(自分のタイプの外見の女性を見た時など)
語彙が乏しいですが、胸が高鳴ったり、いいなーと思います。
そこには、性行為をしたいとか、付き合いとかそういう気持ちが湧いてきません。
そして、敢えてその胸の高鳴りのエネルギーに形を持たせると
デートしたい、性行為したい、付き合うということなのかなと思っています。
昨日ジムでいいなと思う女性を見た時ふと思いました。
確かにその女性に、男性として、デートしたいとか、そういう気持ちは嘘ではありませんが
よくよく考えると本当にそうなのかなと思いました。

これも、感情に対して、エゴが常識や過去の経験から思考で後付をしたと捉えればいいんでしょうか。
自分の本当の願望は、具体的な願望ではなく、この言葉にできない胸の高鳴りの中に
あるものなのでしょうか。

以上、お手数ですが、教えていただけますか?

414486desu:2016/07/30(土) 13:43:45 ID:aoYcnnvo0
wildさん

こんにちは。

願望に関してお聞きしたいのですが、
素敵な女性を見た時の話です。

私の場合、素敵な女性を見ると(自分のタイプの外見の女性を見た時など)
語彙が乏しいですが、胸が高鳴ったり、いいなーと思います。
そこには、性行為をしたいとか、付き合いとかそういう気持ちが湧いてきません。
そして、敢えてその胸の高鳴りのエネルギーに形を持たせると
デートしたい、性行為したい、付き合うということなのかなと思っています。
昨日ジムでいいなと思う女性を見た時ふと思いました。
確かにその女性に、男性として、デートしたいとか、そういう気持ちは嘘ではありませんが
よくよく考えると本当にそうなのかなと思いました。

これも、感情に対して、エゴが常識や過去の経験から思考で後付をしたと捉えればいいんでしょうか。
自分の本当の願望は、具体的な願望ではなく、この言葉にできない胸の高鳴りの中に
あるものなのでしょうか。

以上、お手数ですが、教えていただけますか?
よろしくお願いいたします。

415wild:2016/07/30(土) 18:14:38 ID:fE5MnwkQ0
>>413
486desuさん。

願望はほぼ私たちの生存に関わることが元であり、そこに様々な経験による観念が絡みあって様々な願望という形となってるのだとよく言われています。
突き詰めれば死に対する恐怖からなんでしょうね。

しかし私は、死もそうですがただ単純に「苦しみからの逃避」があらゆる願望の本当の姿かなと思ってます。
(またまた苦ですみません)

私の考えですが…
魅力的な異性を見たとします。
「あ!素敵!」という思考とともに486desuさんのおっしゃるように、何とも言えないモヤモヤが胸の奥から湧きあがります。
このモヤモヤは苦ではないでしょうか?

この苦を収めさせるには普通、五感+思考で味わい尽くさないと収まりません。
生々しくてすみませんw
これができないと執着になります。
たとえ味わい尽くしたとしても、人間は「もっと!プリーズ!」とさらに欲望が大きくなり苦になります。
またまたその苦から逃避しようとあれこれやるのですが、うまく行ったり行かなかったりで執着になるという苦の連鎖。

なんで苦が生まれるようになったんですか?と言われてしまうと元々そのような存在であり、苦から世界が展開するシステムが私たちなんですとしか言い様がないのですけれども(^^;

ですからその胸の高鳴りは苦であり、本当の願望は「苦から逃避したい」かなと考えますが、いかがでしょうか(^^)
今はそんなこと考えてますw

416486desu:2016/07/30(土) 20:10:54 ID:aoYcnnvo0
>>415

ご回答ありがとうございます。

私の推測と全く違う見解が来たので、少々戸惑っています。

私の知識からwildさんのコメントを推測すると


>魅力的な異性を見たとします。
「あ!素敵!」という思考とともに486desuさんのおっしゃるように、何とも言えないモヤモヤが胸の奥から湧きあがります。
このモヤモヤは苦ではないでしょうか?
この苦を収めさせるには普通、五感+思考で味わい尽くさないと収まりません。
生々しくてすみませんw
これができないと執着になります。


まず、苦が生じるのは分離意識からでしょうか?完璧でないと思っているエゴが
苦から願望の成就の不可能性を感じ、苦を生み出す。
別な領域では、その女性への素敵さが成就されているのに、(素敵がどのような現象を作るかはわかりませんが)
2元の世界で生きている我々は、分離意識によってその成就が感じられないので、苦しむ。

そして、その苦しみを五感+思考で受け止めないと、執着になる。←なぜなんでしょうか。
(恐らく再配達により、そのドキドキが満たされない現実が続く)←ここのところは自分の見解に全く自信がありません。


執着すると、●●したいという未来志向になり、現実今自分は●●できていないことになり、
内面=現実に当てはめると、現象は以前のまま変わらない


なんで苦が生まれるようになったんですか?と言われてしまうと元々そのような存在であり、苦から世界が展開するシステムが私たちなんですとしか言い様がないのですけれども(^^;
ですからその胸の高鳴りは苦であり、本当の願望は「苦から逃避したい」かなと考えますが、いかがでしょうか(^^)
今はそんなこと考えてますw

➡初めに書いたこととダブりますが、2元の分離意識からなる世界だからでしょうか。


推測となぜなぜと質問ばかりですみません。
これでよろしいでしょうか?

すみません、またまた教えていただけますでしょうか?
よろしくお願いいたします。

417wild:2016/07/30(土) 21:25:16 ID:fE5MnwkQ0
>>416
486desuさん。

戸惑っておられますか(^^;
最近は今までと違う解釈で考えているので混乱させてしまったのかもしれません。
すみません…。


> 2元の世界で生きている我々は、分離意識によってその成就が感じられないので、苦しむ。

分離意識で合っているかと思います。
ここで言う苦とは欲と言っても良いかもしれませんね。
例えばお腹が空いたと感じることも精妙に観察してみると実は苦として表れています。
暇だなと思うことも苦ですね。
何かをしてみたい!という一見前向きな行動も、実は苦からだったりします。
ですからこれら分離意識が私たちエゴの行動の元、世界が動きだす元になってるかと思います。
意図の元ですかね。

> そして、その苦しみを五感+思考で受け止めないと、執着になる。←なぜなんでしょうか。(恐らく再配達により、そのドキドキが満たされない現実が続く)←ここのところは自分の見解に全く自信がありません。

簡単に言ってしまうと、
お腹が空いた→ご飯を食べる(五感+思考で味わう)
でとりあえず苦がなくなると言う単純なことなんです。

再配達という考えでも良いと思います。
例えば、
お腹が空いた(不足感)→ラーメンを食べようとしたが閉まっていた→執着となる→ラーメンのCMを見てしまう→ああああぁぁ!
この、ああああぁぁ!が再配達という現象で、簡単に言ってしまえば執着したことの記憶が鮮明に蘇っただけですね。
だいぶざっくりした説明ですがw


> ➡初めに書いたこととダブりますが、2元の分離意識からなる世界だからでしょうか。

完璧な存在がドラマを楽しむには、二元意識に分離しないとできません。という解釈ですよね。
確かにそうなんですけども、どうやらその一言では片付けられない存在なのかなと…しかしまだうまく整理が付かず言葉として表現できないでいます。
でも大まかに完璧な存在であると認識しておいて良いかと思います。

418486desu:2016/07/30(土) 22:17:41 ID:aoYcnnvo0
>>417

wildさんのコメントの内容が変わったことではなく、
飽くまでも自分の想定外の答えをいただいたことに対して戸惑っているだけなので
気にしないでください。

分離意識が苦をもたらし、苦が欲をもたらすということですね。

>完璧な存在がドラマを楽しむには、二元意識に分離しないとできません。という解釈ですよね。
確かにそうなんですけども、どうやらその一言では片付けられない存在なのかなと…しかしまだうまく整理が付かず言葉として表現できないでいます。
でも大まかに完璧な存在であると認識しておいて良いかと思います。

ここのところは、まだwildさんの中でも発展しているところなんですね。
とりあえず完璧を採用してみます。
ありがとうございました。

419wild:2016/07/30(土) 23:04:04 ID:2Hn9skDo0
>>418
486desuさん。
想定外の答えだと混乱しますよね(^^;
しかし486desuさんから見て現象である私は時たま想定外なことを言ったりしますw

> ここのところは、まだwildさんの中でも発展しているところなんですね。とりあえず完璧を採用してみます。ありがとうございました。

先日新たな気づきがありましたので整理中です。
実は今、Wildへ委ねるからこの気づきを元に別角度から引き寄せ実験していますw
さっそく一昨日すごく簡単なことですが意図してみたら、昨日今日と2個ピンポイント棚ぼた式に実現してますw

けっこう的を得てるんじゃないかと感じてるところですが、仮説段階ですしたまたまかもしれませんのでまだ実験中です。
しかしやはり大まかに分析すると、Wildに委ね信じる、どんなことがあっても完璧採用に繋がるのかな󾬇。

もう少し熟成させたら書こうと思います(^^)

420486desu:2016/07/31(日) 00:28:53 ID:kTI90wGE0
>>419
wildさん
こんばんは。

>486desuさん。
想定外の答えだと混乱しますよね(^^;
しかし486desuさんから見て現象である私は時たま想定外なことを言ったりしますw

何といえばいいか分かりませんが、分かりましたww


先日新たな気づきがありましたので整理中です。
実は今、Wildへ委ねるからこの気づきを元に別角度から引き寄せ実験していますw
さっそく一昨日すごく簡単なことですが意図してみたら、昨日今日と2個ピンポイント棚ぼた式に実現してますw

けっこう的を得てるんじゃないかと感じてるところですが、仮説段階ですしたまたまかもしれませんのでまだ実験中です。
しかしやはり大まかに分析すると、Wildに委ね信じる、どんなことがあっても完璧採用に繋がるのかな󾬇。

もう少し熟成させたら書こうと思います(^^)

そんな短期間で2個もできたのはすごいですね。
私のエゴが早く知りたがっています。
まとまったらぜひシェアお願いします。

421真昼:2016/07/31(日) 15:03:25 ID:Sxsy4qZY0
>>412
wildさん、レスありがとうございます。

>流れに身を委ねるしかないのかなと改めて実感してます。結局Wildまかせに戻ってるw

同感ですね。流れに身を委ねて流れそのものになってしまおうと思っています。
そのなかで、しっかりと「自分」を演じきることだと思っています。
ずっと自分から自由になろうとやってきましたが、その逆で、自分や他人や現象に自由を与える立場なのだと。だから今は、「自分という役を演じている」ということを実感して、全ての起こりに自由を与える立場を体感しようと試みています。


>縁起が引き寄せの鍵になりそうなんですけど、どうかな〜。

引き寄せというと、どうしても現実をコントロールするというイメージがあってなかなか一筋縄ではいかないのですが…(汗)。
いろんな引き寄せマスターの話を読むと、どうも「願望を達成した」というよりも「気付いたら達成されていた」という表現が多いですよね。

422真昼:2016/07/31(日) 15:14:20 ID:Sxsy4qZY0
途中送信失礼。
おそらくは、世界が変わっただけのことなのでしょう。全てが幻想だとしたら、叶った幻想の方が良いですからね。でも、幻想として見えないときには今とは違う幻想にシフトしにくいのでしょう。ラジオの周波数を変えるだけ、という表現も目にしますが、周波数を変えるだけという、聞けば簡単そうですけどねw

先日、幸福感を持つと書きましたが、幸福感といっても「今日は鰻を食える!」みたいな極めて小さなワクワク感程度ですよwこのワクワク感を体感として体に覚えさせてるんです。
軽さと柔らかさをキーワードにして、スピード感をもって生活してると流れに乗れてる感覚を掴みやすいです。

423真昼:2016/07/31(日) 19:16:39 ID:YAILfeYM0
あとですね、個人的な気付きなのですが「自愛」についてです。
僕はisaさんのまとめは一度読んだだけなので詳しくはありません。正直、自愛をしようとしてもピンときませんでしたし、自己愛みたいなのって独りよがりな感じがして馴染めませんでした。
でも、自己観察を続けているうちにピンと来たことがありましたので、少し書いてみます。特に、
・自分を愛するってどういうことかピンと来ない
・人の顔色をうかがってしまう
・人から言われたことをいつまでも気にしてしまう
こういった、僕のような人wにお薦めです。

まず「自愛をする」ことと「自分を愛している状態」というのは、僕の中では少し違います。これは瞑想でも言われることですが、瞑想をすることと瞑想状態であるのは違うということと同じです。
「自愛しよう」すると、そこに「愛せない自分」がいることになります。
愛せない自分がいるということは、「自愛できてない」「自分を愛している状態ではない」ということです。
では、「自分を愛している状態」とは?
ここで僕は考えるのが面倒くさくなり、放置しました。「よく分からんから、自愛はもういいやw」

そして自己観察を続けていて気づいてきました。それは「自分を愛そうとするのではなく、他人を自由にさせる」ということです。例えば、自分の家族でも友達でも恋人でもいいんですが、今目の前にいない人は今どこにいるのか?を探してみます。さて、はたしてそれは本当でしょうか?頭の中のイメージで推測しているに過ぎませんよね。正しくは、その人は自分の頭の中、イメージの中にいるわけですね。内なる他人がいるわけです。その内なる他人や目の前の他人に自由を与えます。他人には好きなことをやらせて、好きなことを言わせる。好きなことを思わせておく。他人の勝手で生きさせる。他人に自由を与えていく。

これを暫く続けていると、「昨日あの人にあんなこと言われた」ことを思い出しても、あの人に自由に言わせておくことができてきます。目の前の人が何かを話していても、好きなように話させておく。「僕はきっとこの人からこんな風に思われているんだろうな」と考えたら、そんな風に思わせておく。自分ではなく他人に自由を与える。勝手にさせておく。
そうしてるうちに気づいたんです。「誰も僕のことを責めてないし、自分はとても自由な存在なのではないか」と。これが僕にとっての「自愛状態」だったんです。

「与えたものが返ってくる」と引き寄せ界では言われますが、まさに自由を与えたら自分が自由になったw
以前なら「なんでこの人はそんなこと言うんだろう」「あの人を怒らせたのではないか」とか思ったりしましたが、「それでいいんだよ。好きにやっていいんだよ」という気持ちになることが増えました。でも、やはりまだ直接中傷されたら、凹んだりイラついたりしますけども。あとから思い出す回数は減りました。
それが自分に優しくする、ということではないかと思います。
と、書いてみたもののこれって僕だけかもしれませんけどw

長々とすみませんでした。

424wild:2016/08/01(月) 18:09:21 ID:t3fxql5o0
>>420
486desuさん

どうでも良さそうな意図はすぐ現れるんですけどね、本願みたくなるとタイムラグはあるのかなー。

これは難しいだろと思うこともピンポイントで叶ったら本物ですよね。
そしたらお話できればなと思います!

425wild:2016/08/01(月) 18:12:59 ID:t3fxql5o0
>>423
真昼さん。

> 自分や他人や現象に自由を与える立場なのだと。だから今は、「自分という役を演じている」ということを実感して、全ての起こりに自由を与える立場を体感しようと試みています。

これってどういうことなんだろう?自由?また真昼さん新たな気づきがあったのかな?と思いましたが、>>423を読んでわかりました(^^)

起こる現象をそのままに、観ている私は何もしない、ただただこの流れを見ていることですね!
なるほどー、自由にさせるっていう表現もありましたか。
これが委ねる、任せるなんですよね。
以前私も自己観察と自愛は同じものなんだなと実感しましたが、真昼さんも感じたんですねー。

この視点のポイントは「私個人」も起こりであり、思考や感情、肉体という映像も自由にさせることですよね。

最近整理が付きつつあるのですが、その状態を忘れたしまった時、つまり同一化してしまう思考が現れている時が、囚われを掴んでいる時であるとはっきりわかりました。
同一化している時は次々と囚われが囚われを生むという連鎖が起き、業を積んでいます。
そしてこれに気づかないと、また同じ現象を見たとき苦しむことになる。
別の表現だと、業から再配達という現象を生み出してしまう。
この囚われに気づき観る、もしくは同一化せずに掴まない、自由にさせる。
そうすれば苦の連鎖は起きないのかなと考えてます。
で、これを逆に引き寄せに利用できないかなと…ムフフ

と言いながら↑これも囚われであり観るべき思考なんですけどね(^^;

ウナギのワクワク、いいですね!
私も最近ワクワクしてないので何かワクワクを探そうと思いました!

426幸せな名無しさん:2016/08/01(月) 22:23:18 ID:IvCe.Fx.0
Age

427幸せな名無しさん:2016/08/01(月) 22:58:30 ID:IvCe.Fx.0
Age

428幸せな名無しさん:2016/08/01(月) 23:28:07 ID:i1fRlHcY0
>>425
wildさん、レスありがとうございます。
最近の僕のテーマは自由と責任です。僕は頻繁にテーマを変えますw
言葉は生物(なまもの)だと痛感しておりまして、ピンと来た言葉も使えるのは3度目までですね。それ以降は思考的になり、エゴの餌になるだけです。例えばニーチェの「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである」を読んだときは凄く響いたものですが、今はもう知識としてその言葉を知っているだけで、( ´_ゝ`)フーンといった感じですw
なので何かにインスピレーションを受けたら、それをテーマにしています。賞味期限が切れるまでなので、すぐに終わるテーマがほとんどです。答えは出しません。鮮度が切れたら終わりです。
このスレッドにはピンと来るものが多いので助かっています。

wildさんの気付き、楽しみにしております。

429真昼:2016/08/01(月) 23:29:57 ID:i1fRlHcY0
上のは僕です。無駄レスすみません。

430現象:2016/08/02(火) 04:00:05 ID:3y8Bcwso0
wildさん
真昼さん
このスレにお立ち寄りのみなさん

分かったような分からないようなことを妙に理屈っぽく、あるいは
そんな事は分かってんだよとお思いの事を、
いつも書き込んでいるような気がする現象でございます。
これからも、どうぞ酔っぱらいの書き込みと思って許しておくんなましw

最近は少々乱暴になりまして、
「実現しないと思っているから実現しない、実現すると思えば実現する」
これが全てなのだろう、と思っています。
よしおさんの「なーんも関係ねえ、オッパッピー」です。
超カンタンだから、超ムズカシイ、ってヤツですね。

この文章も勝手に湧いているだけで、という文章も勝手に湧いているだけで、という文章も〜(以下同文)。
もう分けが分かりませんわ(とエゴが申しておりますw)。
全て湧いてきてから受け取っているだけ。受け取っているのはエゴですよね。

この色を赤だと認識できるのはナゼか。
それは頭の中の赤と照合して赤だと認識しているんだよ、と言いたくなりますが、
じゃあ頭の中の赤はナゼ赤だと分かるのか。
ただ単純にナゼか、赤だ、と分かるだけなんですよねぇ。
(以前にもこんなこと書いたかもしれませんが。。)

全てが起こっている、湧いているだけで、
見ている意識としての私にも、エゴとしての私にも、できることは何も無い。

私も、世界も、まったくワケ分からんww(うーん、これはエゴの感想ですね)

ということで、酒が回ってきたので寝ますww

431wild:2016/08/03(水) 00:42:02 ID:xQF9scac0
>>428
真昼さん。

今のテーマは自由と責任ですか。
そのような探求のテーマってありますよねー!わかります。

インスピレーションで降りた言葉には何かオーラがありますよね。
内容以前に輝きのようなものがあります。
数日するとその輝きも失せてしまいますけど、確実に気づきの螺旋階段を昇ってる感じがしますね〜。

私の今のテーマは苦と願望実現でしょうか?w
結局のところはあれやこれやと考えるのは思考であり自分の作った幻想と言えますし、その渦から抜けて観れば「ただそれだけ」の世界。
しかしエゴエゴで探求してみなさんとシェアするのも楽しいですし、悪くはないなと。
私もこのスレ、ためになってますw

432wild:2016/08/03(水) 00:46:43 ID:xQF9scac0
>>430
現象さん。

飲んで陽気になってますね?w

昔知らんさんにこのようなニュアンスのアドバイスをいただきました。

「探すからそれらしい現象が次々と現れるんだよチミは!」
的なw

探すから探すが現れる。
見るから見るが現れる。
歩くから歩くが現れる。
思い出すから記憶が現れる。
苦しむから苦しむが現れる。

これは私に降りたインスピレーションですけど、考えると意味不明ですねw
うまく説明できませんし雰囲気ですけど、意図と実現ってこんな感じかな󾬇と思いました!(^^;

433真昼:2016/08/04(木) 00:01:20 ID:57e6ncJ60
>>430
現象さん、こんばんは!飲んでても哲学できるなんて、凄いですね。僕は無理だwww

よしおさんですか。僕も好きですね。折に触れては読み返したりしてます。
よしおさんというと「そんなの関係ねえ!」がクローズアップされますが、僕は447名義の書き込みがとても参考になりました。例えば、「自分が本当に望んでいるものを知り、自分の向いている方向に願望を合わせる」などは、潜在意識開発の極意ですね。
447の時はとにかく自分と向き合うことを薦めていて、僕も願望の根底にある不足に目が向いていたことを自覚できました。
また、「関係ねえ!」の真意について個人的な考察ですが、「ある」と「エゴ」は関係していないという意味だととらえています。まあ、もしもよしおさんがこれを見たら「いや、全然違うから」とか言われるかもですがw
現象さんのハイデガーの解説文の言葉をお借りするなら「現存在」と「存在者」には何の相関関係もない。(言葉を間違えてるかもしれません。あしからず)

また、直近の書き込み(と言っても一年以上前みたいですが)を読むと、エゴって何なの?食えんの?みたいな表現をしています。確かに、エゴエゴ言ってますが、エゴとは一体何なのか?
個人的な見解では、エゴとは「こわばり」の事だと思っています。僕はメルロ=ポンティからラジニーシ和尚などを読んで、「身体」というものへ意識を向けるようになりました。身体的なこわばり、思考的なこわばり、感情的なこわばりの総称を「エゴ」と名付けている。
あくまで、私見です。

僕はとにかく、何かに詰まったら基本に戻ればいいと思っています。引き寄せの基本「それ自身に似た者が引き寄せられる。つまりハッピーなところにハッピーがやって来る!」
僕は混乱してきたら、ここに戻ることにしています。
やや纏まりのない文章になってしまいました。ワケわからなかったらすみません。

434真昼:2016/08/04(木) 00:07:15 ID:57e6ncJ60
>>432
wildさん、レスありがとうございます。

>内容以前に輝きのようなものがあります。
数日するとその輝きも失せてしまいますけど、確実に気づきの螺旋階段を昇ってる感じがしますね〜。

そうですよね!その時のインスピレーションみたいな言葉や考え方がありますね。その言葉に囚われ始めるとマインド主体になり、以前の輝きを失ってしまいます。
かつては僕も自己啓発書などをよく読みましたが、最初はよく効くんです。7つの習慣なんかを読んで、「よっしゃー!人生変えたる!」なんて思ったものです。でも、暫くすると従来型の自分に戻っていて効かなくなってくるんですね。そして次を読んで、効いて、効かなくなって、そしてまた次、次と中毒者のようでしたw
すると、もう読んでも全く効かなくなってるんですね、中身が大体同じような内容なので。やはり、自分を見失っている(マインドレス)状態ではこの繰り返しなんだと痛感しました。

また、wildさんにお訊きしたいことがあります。
それは、起こる現象には自由意思はないけれども、意識には自在性があるのではないか?と考えてるのですがいかがでしょう。
何に意識を向けるかは、ある程度自由になってるのではないか。つまり意識には自在性のある有意識とオートマな流れの無意識という二面性があるのではないかと考えています。もちろん有意識ですらwildからのものなのでしょうが、明らかに意識状態が違いますよね。つまり、主体的に生きるということが意識の自在性を目覚めさせ、自分が望むものに意識を向けることが可能になるのではないでしょうか?

僕のこの文章で通じるでしょうか?w
wildさんの探求の邪魔にならない範囲でお答えいただければと思います。面倒な時はスルーで全然オッケーですよw

435wild:2016/08/04(木) 14:24:17 ID:pzsAgxUk0
>>434

真昼さん。

自在性のある意識とは、意識のスポットライト、意識の矢印のことですかね?
例えば、意識を頭から足に移したと言う時の意識、つまり注意みたいな感じでしょうか。

普段の生活の中では普通、
「現象が目に入ったから意識した」
といった感じで意識していると思います。

つまり「現象→私」で、
初めに現象があって、それを私の目で捉える感覚。

しかし気づきが進むと、
「見る(意識する)から、現れた」という感覚となります。

意識の矢印としては
「私→現象」といった感覚で、
私が見た(意識した)から現象が現れるという感覚。

現象を見ると必然的に「私→現象」のような意識の矢印が発生しますが、実は私も現象であり、一方的な意識の矢印は思考の一種で現象であると考えてます。

実は「私󾫶現象」で、
もっと簡略すると「現象」のみ。
現象という私のみになります。

例えば、テーブルのリンゴに意識を向け、その次に私の頭に意識を向ける。
という一連の流れがあるとしたら、厳密に観ると、

リンゴ→私→思考→リンゴ→思考→私→思考→頭→…
(ここの→は流れのことです)

といったように、ひとつひとつのシーンだけ、または現象だけがババババッと勝手に現れ流れ続けている…と言うのがこの私という存在であると感じてます。
となると、やはり自由意思はなく、起こることが起きているだけなのかなと思います。

ここまで書いて、真昼さんの質問はこのことなのか心配になって参りましたw

私としては、それはそうなんだけども、どうにか次に現れる現象を希望通りにできないのか?そこには何があるのか探求中です。
結局わからんのかい!w

ワケワカメ酒な文章だったらすみませんw

436wild:2016/08/04(木) 14:53:39 ID:pzsAgxUk0
あ、そっか。

リンゴ→私→思考→リンゴ→思考→私→思考→頭→…

と場面を展開することができるんだから見たいものを見れるんではないか?という質問なんですねw
ん?そうなのか…?
多分そうでしょうw

これは苦が関係してます。
また出たwww


ありとあらゆる行為、現象には苦が潜んでおり、それの解放衝動が世界を展開してるかなと。(完全な持論ですw)

・腹へった→苦→飯食う(解放)

・暇だ→苦→何かしよう(思考=解放)

・本を読む→身体こわばった(苦)→姿勢直す(解放)

・失恋した→苦→感情→苦→思考する→苦→感情…

このように世界が展開してます。


生きる=苦からの逃避、解放
であり、この苦自体もう私たちにはどうすることもできず解放現象も自由にならないなと。
もうそのような存在。

そこを裏技でどうにかできないかなと。
日々がんばってますw

まだ腑に落ちきれてませんので適当に流しておいて下さいましm(__)m

437486desu:2016/08/04(木) 21:45:25 ID:PsBboBDA0
wildさん

こんばんは。

自由意志についてお聞きしたいことがあります。

これまでのやり取りの中で、人生における、思考、感情、行動は、
wild視点だと予定調和であり、エゴ視点だと自由意思はある
というのが自由意志の在り方だと思っております。

そのことに関して、以下のことに関してwildさんの見解をお聞きしたいです。

この掲示板の引き寄せの達人ではなく、
いわゆる悟ったと言われる雲黒彩さんなど悟った人の中にも
自由意志はないとは言えないと言っている人と、ないんじゃないか、全て予定調和では
ないかと言っている人がいます。

例えば、雲黒斎さんは、自由意志はあるんじゃないかと言っています。
wildの予定調和を覆す、エゴの自由意思があるのではないかと言っていると私は解釈しました。

でも仲の良い阿部敏郎さんはないんじゃないかと言っています。阿部さんは
全てのシナリオは決まっているとも言っておられます。

ただし、二人とも、あるとかないとかはっきりと言えるものではないけど
敢えて言えばとも言っています。

wildさんも最近見解が少し変わってきた?ようなことをおっしゃっていますが、
上の意見はどう解釈されますか?
どっちだとはっきりとは言えないとはどういうことだと思われますか?
勿論、wildさんと意見が異なる場合は、そんなのありえないでも構いませんので
お話を聞かせていただけないでしょうか。

よろしくお願いいたします。

438486desu:2016/08/04(木) 22:58:13 ID:PsBboBDA0
>>437

すみません、補足ですが、
雲黒斎さんが、阿部さんは人生はすべてシナリオ通りと言ってるけど、
私はどうしてもそうは思えないんですよね。と言っていたので、
エゴの点から見てるから自由意志があり、wildの視点から見ているから予定が決まってると言えるというものではなく、
2人は自由意志があるかないかに関しては、意見が違うようです。

また二人でいっしょにトークショーもよくしているので、相手の考えはよく分かっている
と思われます。

439真昼:2016/08/04(木) 23:25:15 ID:57e6ncJ60
>>435
wildさん、レスありがとうございます。
閃光が走りました。感動しています!
僕の質問が通じて良かったです。
僕には今、いくつかの仮説が生まれています。
少しまとめてみようと思います。

僕の質問のレスに書いた、「有意識」と「無意識」について。
この2つは本質的に同じなんですね。違いはONかOFFか、光があたっているかいないか、ということなんですね。
そして意識は元来自由に、縦横無尽に動き回っているわけです。動き回っているし、大きさも形も自由自在。何もかもが自由。なんの制約も受けていない。
その動きに光が灯っているか否かで有意識と無意識に分けられます。

そして、意識は何を原動力に動いているのか?それが苦ですね。苦がエネルギーになり意識は動く。そして、意識に寄り添っているとき(有意識であるとき)、苦しみという流れそのものとなります。それは、「私=苦しみ」を意味します。私が苦しみそのものとなる、という事です。するとどうなるか。
光が自分を光と認識できないように、自分の目が目を見ることができないように、私が苦しみそのものであるとき、苦しみを認識できなくなります。私が苦しみですから、目の前から苦しみは消えますね。これ凄くないですか?目の前から苦しみが消えるんですよ!

要は、意識的、自覚的であるという存在の仕方が本来の自分へと立ち返る道であろうと思われます。
U4さんの言う「意識的に生きよ」。447さんの言う「自分の向いている方向を知る」。中村天風先生の言う「有意注意力の重要性と積極的在り方」などなど。
あらゆる教えが繋がってきました!
釈迦は言いました「自灯明(自分を灯りとしなさい)」。
そのためには意識をONにして光とならなくてはなりません。
故に、自由意思はあります。それは自我としてのものではなく、私たちの意識というものの特性だと考えています。なぜなら意識は初めからずっと自由な存在ですから。私たちの思考によって(思考の内容にばかり意識を向けることによって)その自在性に制限をかけてしまっているので、自由に見えないだけだと、現時点では考えています。

なんか一人で興奮してはしゃいでますがw
これはあくまで仮説なので、これから検証していきたいと思います。

とにかくwildさん、ありがとうございました!

440wild:2016/08/05(金) 01:44:48 ID:ZEyDyOtk0
>>438
486desuさん

阿部さんは私個人には自由意思はないという立場でしたね。
まず神とか宇宙みたいな意識があって、個人意識はその中の創造物である。

ですから何あってもあなたに責任はなく心配することはない的な趣旨ですよね。(違ってたらすみません)

阿倍さんは気づきと長い人生の体験でそのことを確信されてるのかなと思います。
私も体験と気づきでそう思っています。
肉体感覚に付随した私個人には自由意思はありません。
それを理解したとき、とてつもない平安が訪れます。
ですから阿部さんは、探求云々ではなく、心に苦しみを抱えた人向けのメッセンジャーなんでしょう。

黒斎さんはどちらかと言うとより突っ込んだ人向けな印象がありますがどうでしょう?
心の平安はもちろんですが、より深く知りたいという探求者向けのメッセンジャーなのかなという私の印象です。
エゴには自由意思はありませんが、現象を作り出している存在には自由意思はあります。
また、気づきが進むとエゴが薄くなり、Wildが私そのものという感覚になります。
そこから言ってるのかなと。
かと言ってなんでも自由自在にはなりませんがw
この辺は私もまだ微妙なとこですw

まあお二人のライブを見たことがないので私の勝手な憶測ですけどもね(^^;

441wild:2016/08/05(金) 01:53:55 ID:ZEyDyOtk0
>>439
真昼さん。

あれ!w
また私より深い智慧が降りましたね?www

> 意識は何を原動力に動いているのか?それが苦ですね。苦がエネルギーになり意識は動く。そして、意識に寄り添っているとき(有意識であるとき)、苦しみという流れそのものとなります。それは、「私=苦しみ」を意味します。私が苦しみそのものとなる、という事です。

そうです!
お釈迦さまの「一切皆苦」とは「人生苦しみばかりだよ󾬇」のみならず、正しくは私という存在の根本原理のことだと気づきました。

「一切」とは、見聞味触嗅念のこととおっしゃっていたそうです。
つまり私に起こる現象すべてであり、つまり「私=苦」であります。


> 光が自分を光と認識できないように、自分の目が目を見ることができないように、私が苦しみそのものであるとき、苦しみを認識できなくなります。私が苦しみですから、目の前から苦しみは消えますね。これ凄くないですか?目の前から苦しみが消えるんですよ!

なるほど󾬇確かに!!
しかし真昼さんの洞察力には頭が下がります。
私は理由はわからないけど、楽だなーと言った感じでしたw


> 釈迦は言いました「自灯明(自分を灯りとしなさい)」。そのためには意識をONにして光とならなくてはなりません。

OFF状態が無明ですよね。
常に正見正念でなければならない。
お釈迦さまの「気づいておれよ」の言葉ですねー。


> 私たちの思考によって(思考の内容にばかり意識を向けることによって)その自在性に制限をかけてしまっているので、自由に見えないだけだと

ここは真昼さんにぜひ体現して頂きたいところです。
しかし書いて良かった(^^)

442486desu:2016/08/05(金) 12:21:19 ID:gsRDMcpA0
>>440

wildさん

やはり落ち着くところはそこなんですね。

ご回答ありがとうございました。
私もライブではないんですが、ブログや動画で見たことがある程度です。


何度も申し訳ありません。
以下の点はどのようにお考えですか?


ただし、二人とも、自由意志があるとかないとかはっきりと言えるものではないけど
敢えて言えばとも言っています。

その人の意識の段階、エゴエゴか、wild意識に移行しているかで
違うということでしょうか?

443真昼:2016/08/05(金) 12:49:34 ID:3jtLeshE0
>>441
wildさん、レスありがとうございます。
なんか色々と繋がって理解が進みました。なぜかとても感動してしまいましたw
チケットの七章にあるように「既に願望は叶っていて、幸せの絶頂にいる」というのがデフォルトなんですね。逆に、目の前に苦しみが見えているのはおかしいんですね。私が苦ですから、見えるはずがない。苦しみを認識できるはずがない。それなのに、目の前に苦が見えるなら、それは自分から離れているということです。そして、その苦こそ自分なので、それを受け取り拒否しているとそれはずっと自分の前に見え続ける。これが再配達の理論ですね。
なので、苦しみを認識してるうちは「喝!」という事でしょう。

やはり、「自分を知る」ということが、あらゆるメソッドの基本だなーと改めて思いました。
「今・ここ・自分」の三点を外さない。そしてそこに居続けると「存在」という一点に集約されてくる。自分という存在がはっきりと顔を出すとき、この世から苦しみは消える。目の前には叶った世界・平安な世界が見える…はず。

後は案ずるより産むが易し、実際にやってみることですね。そして、やってみたら分かります。言うは易し行うは難し。どないやねん、とw

そして、これを体得したあとには、意識の次元を上げるという作業が待っています。
三次元から高次元へと意識を上げて次元間を自由に行き来できるようになる、という特殊能力wを得ていく予定です。こう書くと、だいぶ怪しげで、すごくバカっぽいですねw

ではまた。

444wild:2016/08/06(土) 17:38:05 ID:9PeOLbE20
>>442
486desuさん。

そうだと思います。
しかしだからと言って何でも希望通り自由にできるってものでもないので、結局は自由意思はないで理解しておいて良いかと思います。

私とはなんというか、人間的な性格や情みたいなものはなく、システム的、自然的なものであるのかなと考えています。
それでも私という存在を自分で生んだ以上、破滅的な終焉はないのかなと現段階では考えています。
この辺は知らんさんも言ってましたね。

で、ほんと言うと↑これすらも概念なんです。
もう何がなんだかわかりませんね(^^;
この辺りうまく言えずすみません…。

私の話は参考程度に聞いておいて、ご自分で真実を体感してみて下さい(^^)

445486desu:2016/08/06(土) 22:01:30 ID:8xsR2xds0
>>444

真実はその人の立ち位置によりけりだけど、
人という存在すら幻だからやっぱり自由意志はないということですよね。


私とはなんというか、人間的な性格や情みたいなものはなく、システム的、自然的なものであるのかなと考えています。

これは自由意志がない、ロールプレイングの町の親父だと自分を考えると、
そうだよなと思いました。理解が違うかな(汗)

それでも私という存在を自分で生んだ以上、破滅的な終焉はないのかなと現段階では考えています。
この辺は知らんさんも言ってましたね。
私とはなんというか、人間的な性格や情みたいなものはなく、システム的、自然的なものであるのかなと考えています。
それでも私という存在を自分で生んだ以上、破滅的な終焉はないのかなと現段階では考えています。
この辺は知らんさんも言ってましたね。

で、ほんと言うと↑これすらも概念なんです。
もう何がなんだかわかりませんね(^^;
この辺りうまく言えずすみません…。

この辺は最近wildさんが真昼さんや現象さんとやりとりしていたところでしょうか?
私はよく理解できませんでしたが(汗)
自分なりの真実を体感してみます。ありがとうございました。

446wild:2016/08/06(土) 23:22:26 ID:9PeOLbE20
>>443
真昼さん。


> 逆に、目の前に苦しみが見えているのはおかしいんですね。私が苦ですから、見えるはずがない。苦しみを認識できるはずがない。それなのに、目の前に苦が見えるなら、それは自分から離れているということです。そして、その苦こそ自分なので、それを受け取り拒否しているとそれはずっと自分の前に見え続ける。これが再配達の理論ですね。

うーん…鋭い!!
私はここまでの考えに及びませんでした。
そういえばそうですねー。
ここは簡単に誰でもわかる方法はないもんですかすね?
これやってれば勝手にできてるみたいなw
そんな都合の良い話はないかな…(--;)

>やはり、「自分を知る」ということが、あらゆるメソッドの基本だなーと改めて思いました

これは常々そう思っています。
私=世界なんですから、普段のように世界ばかり見るのではなく、私に意識を向けることが大事です。
悟りも引き寄せも、私がキーポイントですよね。

> 三次元から高次元へと意識を上げて次元間を自由に行き来できるようになる、という特殊能力wを得ていく予定です。こう書くと、だいぶ怪しげで、すごくバカっぽいですねw

男のロマンw
これは仙道の世界ですねw
結局は高次元も私が作ったものなんですから、もしかしたら可能かもしれないですw

447wild:2016/08/07(日) 12:33:47 ID:tGvtH5qg0
>>445
486desuさん。

今も無意識にやっていることなのですが、じっくりご自分を観る、自己観察をすることでなんとなくニュアンスはわかるかと思います。

今、スマホかパソコンを486desuさんは見ています。
つまり意識の矢印は
私→スマホ(パソコン)になってると思います。

また周りで鳥が鳴いていたら、私→鳥の鳴き声になると思います。

これってすごく普通なことですよね?
私がスマホを見る。
私が鳥の鳴き声を聞く。

この状況をじっくり見てみて下さい。

そしてもっと突き詰めます。

エゴの私とは思考と肉体感覚を元にして作られた幻想であるとここでもよく話されています。

ということは、この矢印って本当は無いのではないでょうか?
「私がスマホを見てる」という状況とは実は、

私(思考、肉体感覚)→スマホ→思考(スマホだなどの思考)
(この→は流れです)

という場面が、ただ展開されていると言えませんでしょうか?
つまり私も場面に現れている現象であり、エゴとしての私はいなく「思考」「スマホ」だけが現れている。
このような場面の展開を普段からしているのが本質的な存在であります。
なんかシステマチックではありませんか?w

これが感覚としてわかると、世界に起こる現象は私(エゴではなく)自身だった、私が創っていたんだということが本当に腑に落ちるのです。
スマホが私だったとw

そして苦しみも私なんです。
私自身が苦ならば、苦が苦に苦しめられることはないでしょ?というお話を真昼さんはされていました。
ですよね?真昼さん?www

私を観ていると、このような気づきがあるのでおすすめしています(^^)

448486desu:2016/08/07(日) 16:18:43 ID:GF5XLqQI0
>>447
wildさん

今日のご説明で分かりました。
前からwildさんが再三言ってきていることですね。
わざわざありがとうございました。

この肉体を持つ人間としての私も、私が何かを見るという私視点
から発する一連の行動の流れも、本来あるものではない。
全てが私である以上、私という具体的個別的な実体はない。
ということですね。

これを頭のない体操や自己観察で腑に落としていくのだと思いますが
私はまだわかっておりません。
いつかそのうち分かるようになるでしょう位の軽い感じで今もしております。

ありがとうございました。

449現象:2016/08/08(月) 17:57:13 ID:EoWmHgJk0
>>432
wildさん

>歩くから歩くが現れる。思い出すから記憶が現れる。

wildさんの書き込みでピコン!ときました。
これってかなり本質的な、というか、
認識変更や(いわゆる)願望実現の肝ではないでしょうか。

>これは私に降りたインスピレーションですけど、考えると意味不明ですねw
>うまく説明できませんし雰囲気ですけど、意図と実現ってこんな感じかな󾬇と思いました

確かに意味不明です。
108さんなどの質疑応答でよくこういう返答を見かけます。
「幸せになりたかったら、今すぐ幸せになってください」
これも「歩くから歩くが現れる」と同様、普通に考えれば意味不明です。

これって要するに「トートロジー」ではないでしょうか?
私と世界との関係、願望と実現との関係は、
トートロジー(同語反復)だから理解するのが難しいのでは?と思いました。

「歩くから歩くが現れる」は、「歩くが現れるから歩く」と同じ。
「歩く」と「歩くが現れる」には起こる順番はなく同時。
歩くことは、歩くが現れること。歩くが現れるは、歩くこと。
厳密な意味でイコール。

「歩く=歩く」としか言いようがないことを、
そのままでは何のことか分からないので、無理矢理に右辺を言い換えているだけ。
でも、いくら言い換えても、本当は、歩くとは歩くである、としか言いようがない。

言語というのは閉鎖系で、言語という体系全体が虚空にポッカリと浮かんでいる。
その体系全体を支えるものは何もない。
だから、歩くは歩く、幸福は幸福、不幸は不幸。

う〜ん、ピコンときた!と思ったのですが、
ここまで書いてみて、何のことやらww(あ、今はシラフです、当たり前ですがw)

450現象:2016/08/08(月) 18:16:06 ID:EoWmHgJk0
wildさん

ヨコですが、
>実は「私󾫶現象」で、もっと簡略すると「現象」のみ。現象という私のみになります。

トートロジーが意味不明なのは、
「A=A」の「=A」が本来は不要だからなのかもしれません。

ウィトゲンシュタインという独我論(かな?)の哲学者がこんなことを言ってます。
私は世界である。しかし、私が世界なら、私という言葉は不要だ。「世界」この一言だけでいい。

「私=世界」と記述した場合、右辺と左辺で異なる言葉が使われていますが、
wildさんがお書きになっている「私現象」と同じで「私世界」ともいうべき一つのことなんですね。

とまたワケの分からないことを書いてしまいましたがw

これまたヨコですが、
>>447の場面の展開の内容、とても分かりやすかったです。
ほんの少し表現が変わるだけで、いろいろ理解が進むものですね。

451現象:2016/08/08(月) 18:38:46 ID:EoWmHgJk0
>>433
真昼さん

447さんは、かなり理詰めで、
よしおさんになってからは、理屈を突き抜けちゃった、て感じですよね。

上のwildさんへのレスで書いた「トートロジー」は、
理屈を突き抜けるためのポイントなのかも、と思ったんです。

思考(理屈)というのは結局は、言葉の配置・羅列でしかなくて、
言葉(思考)が虚空に浮かぶ閉鎖系だとしたら、
その言葉(思考)の外部にあるとされる気付き・悟りそのものを表現することはできない。
指さすことはできても、そのものを表すことはできない。

なんというか、ワープ、飛躍が必要なのではと。
「成る」も飛躍ですよね。理屈で考えたらワケが分からない。

真昼さんがお書きになっている「エゴという思考的なこわばり」を解いて、
その外部に在るもの。

細かく説明しようと思えば、いくらでも細かく説明できる。
でも、それは本質から遠ざかることにもなる。

幸福になりたければ幸福になればいい。
願望を叶えたかったら叶えればいい。

こういうことになるのかなぁ、と思ったり。

452真昼:2016/08/08(月) 19:07:31 ID:RRB3EnLA0
>>451
現象さん、レスありがとうございます!
現象さんのレスでピンと来ましたよ。それです。トートロジーです。その通りなんです。
ちょっと仕事があるので、またあとで書き込みできればと思います。
とても良い気付きをありがとうございます!

453真昼:2016/08/08(月) 23:38:13 ID:qtzX8jmE0
>>446
wildさん、レスありがとうございます。
ちょっと興奮して書き込んでしまいましたが、冷静になってみると自分で書いたことなのに良くわからなくなってしました。汗。
しかし、吐いたツバは飲み込めないという変なプライドから、色々と考えてみました。

>ここは簡単に誰でもわかる方法はないもんですかすね?
これやってれば勝手にできてるみたいなw

インド哲学の言葉だったと思いますが「自分ではないものを自分だと思っているから、苦しみが生まれるのだ」という言葉があったと記憶しています。
要は自分を知るために苦しみという経験をするのではないでしょうか。
苦しみとは「自分から離れてますよ」というサインみたいな役割を果たしているのではないかな、と考察しますがどうですかね。

>これは仙道の世界ですねw
結局は高次元も私が作ったものなんですから、もしかしたら可能かもしれないですw

何かに書いてあったんですが、例えば、水の中にボールを沈めるとします。これは三次元です。では、その時の水の表面(二次元)ではどう見えるかというと、突如点が出現して、その点がだんだん大きくなって、そしてだんだん小さくなって点が消えたように見えます。
つまり次元を変えると見え方が全く違うわけですね。
それが三次元(今、ここ、自分)で見えている世界も、高次元から見ると全く違う見え方になるはずですね。とすると、この次元に写っているのは何の写像なのか?
誠に気になるところですw

454真昼:2016/08/09(火) 00:00:39 ID:a5OR4VBY0
現象さん。トートロジーというのにピンと来ましたよ!
結局、現象さんやwildさんのおっしゃる通り「見たから見える」んですね。
つまり、ただそういうことが起きているだけなんですね。
これはあらゆることに言えるわけで、幸せだから幸せなのであり、不幸だから不幸である。叶ったから叶ったのであり、叶ってないから叶ってない。
叶えるためにメソッド頑張るなら、それはそうなんでしょうし、現実が動かないなら、それはそうなんでしょう。現実が動いたなら、それはそうなんでしょう。自由意思がないとしているなら、ないんでしょうし、自由意思によって生きているとするなら自由意思はあります。赤いと見たなら赤いんでしょうし、冷たいと感じたなら冷た……この辺にしときますw
つまり、それらを「解決すべき課題」としてとらえるならそれは「解決すべき課題」になってしまう。「叶えるべき願い」とするなら「叶えるべき願い」になる。(しつこいw)

「色々言ってるけど、ぶっちゃけどうなのよ?」の答えがそのままの答えになってる、ということでしょうかね。

でも結局これって何にも言っていないのと同じですよね。
なぜなら何も言う必要がないから。何もする必要がないから。そのままがそのままとしてあるだけだから。

なるほど。現象さんのおかげで、「こわばり」がひとつ緩みました。良い気付きを得ました。相変わらず、まとまりない文章ですがw

ともあれ、ありがとうございました。

455真昼:2016/08/09(火) 00:07:38 ID:a5OR4VBY0
ムダなレスばかりで恐縮ですが、上のレスで
「色々言ってるけど、ぶっちゃけどうなのよ?」というのは、「ぶっちゃけて言って、叶ってるの?叶ってないの?幸せなの?不幸なの?現実をどういう風に認識してるの?」という問いが常に目の前にある、という意味で書いてます。

456現象:2016/08/09(火) 02:36:34 ID:YVh4OQpo0
>>454
真昼さん
こちらこそ、いつもレスしていただき有り難うございます。

真昼さんにいただいたレスと内容が少しカブりますが、、

幸せだから幸せだ。苦しいから苦しい。楽しいから楽しい。美味しいから美味しい。赤色だから赤色だ。嫌いだから嫌いだ。怖いから怖い。

ひょっとしてトートロジーとは、
自分で貼ったレッテルを見て、あーだこーだ言ってるからトートロジーなのでしょうかねぇ。

自分でレッテルを貼ったのに、無意識に貼ったからレッテルとは気付かない、
レッテルだと気付いても自分で貼ったと思えない。
でも、たとえ気付かなくても、自分で貼ったという根源的な事実は変わらないので、
苦しみとは何か、と思考すると「これは苦しみである」と定義しているのは
自分が貼ったレッテルなので、苦しみとは苦しみである、としかいいようがない。
うーん、違うかなぁ。。。

なぜ苦しみは嫌な事なのか(別に苦しみが素敵な事でも構わないではないか)。
その理由は、苦しみとは嫌な事である、と定義されているから。
では、嫌な事とは何か。嫌な事とは、何らかの不幸を感じる事である。
では、不幸とは何か。不幸とは、何らかの苦しみを感じることである。

スタートの苦しみからゴールの苦しみに戻ってきました。
このスタートとゴールの間は、表現が許す限り
いくらでも延長することが可能です。しかし、最終的には苦しみに戻る。
これが上のレスに書いた、言語は閉鎖系という事です。
結局、苦しみとは苦しみのことである(トートロジー)、としか本当は言いようがない。

>つまり、ただそういうことが起きているだけなんですね。
>でも結局これって何にも言っていないのと同じですよね。
>なぜなら何も言う必要がないから。何もする必要がないから。
>そのままがそのままとしてあるだけだから。
そうなんですよね。
ここに自由意志が入る余地はあるのか、ないのか。
ないように思えるのですが、
真昼さんも、wildさんも、自由意志はある、というご見解ですよね?

457真昼:2016/08/09(火) 12:35:34 ID:a5OR4VBY0
>>456
現象さん、レスありがとうございます。

>これが上のレスに書いた、言語は閉鎖系という事です。
結局、苦しみとは苦しみのことである(トートロジー)、としか本当は言いようがない。

なるほど。例えば赤という色を定義するために、赤以外の全ての色を挙げていくようなものですね。赤とは青ではないもの、緑ではないもの、黄色ではない……このように。でも最終的に、「で、それってどんな色?」ということになりますね。「だから、赤い色だよ」というトートロジー。どこまで行っても「それはそれ」なんですね。

>ここに自由意志が入る余地はあるのか、ないのか。
ないように思えるのですが、
真昼さんも、wildさんも、自由意志はある、というご見解ですよね?

私の見解は「自由意思があるとすればある、ないとすればない」という見も蓋もない結論なんですwすいません。wildさんはどうでしょうか?
どう見えてるかがそのままそこに見えてる、という感じです。
また、唯物論や唯心論などについても同じです。
あらゆる物質の中に私という物質があると見るなら、それはそはうですし、見えているものは全て幻で、それを認識する心だけがあると見るならそれはそうなんです。そして、仏教などではその心すら幻だと説きます。つまりは現実など夢の中の夢だと。そしたら、寝ているときに見てる夢なんか、夢の中の夢の中の夢ですね。
なんじゃそりゃ、ですね。そしてそれを「なんじゃそりゃ」と見るなら、それは「なんじゃそりゃ」なんです。なんじゃそりゃw
なかなかに頭の悪い文章ですよ、これはwww

そして昨日の現象さんのレスを読んで思ったのは、「自分は世界をどのように認識しているかをちゃんと分かっているんだろうか?」ということです。
それを知るための自己観察であり、自覚的に生きるということがあるのではないかと考えています。

458真昼:2016/08/09(火) 13:01:12 ID:a5OR4VBY0
少し思考実験を思いついたので、紹介したいと思います。
一応オリジナルだと思っているんですが、既出かもしれません。パクってたら謝ります。
前日宇宙に関しての記事を読んだのですが、今現在、宇宙は膨張し続けているそうです。そして、その宇宙がもしも、収縮し始めたらどうなるか。時間が戻るそうです。ベクトルが逆を向くそうです。

そこで、実験です。「もし、今から宇宙が収縮しはじめて、時間が戻り始めたらどうなるか?」
逆再生です。そこから壮大なつじつま合わせが始まります。突如満腹感が現れます。その満腹感の原因となった食べ物を口から吐き出します。突如足の小指に激痛が走ります、そのあとにテーブルに小指をぶつけて痛みが消えます。突如うれしい気持ちが湧きます。そのあとに、人と出会って貰ったプレゼントを返します。
そして、今の意識をそのままに戻ったとしたら、次になにが起きるのかは知っているわけです。今までの人生を逆再生していくと、楽しいことや悲しいことを色々経験をしてきたものを再体験していきます。
どうでしょうか?心境に変化が起きませんか?
「忘れてたけどこんなこともあったなあ。このあとこうなるんだよな」という眺めている視点を感じませんか?

色々あったけど全部良し、みたいな。
これはこれで面白い人生だなぁ、なんて思ったりしたのですが、僕だけですかね?
なんかうまく伝わったか分からないですけど、時間があったら試して見てください。

459wild:2016/08/11(木) 23:24:00 ID:gKUq4NVA0
>>450
現象さん。

トートロジー!!
初めて聞きました。
なぜか一瞬「トーシロ?」と必ず読んでしまうトートロジー!www
さすが博識の現象さん、これにも名前がついていたとは…。

「歩くから歩くが現れる」
「歩くが現れるから歩く」
前に「現象=認識」ですと書いてましたが、まさにこれのことでした。

現象さんのおっしゃるようにこれを思考で解明しようとすると、ひどくややこしくなりどんどん深みにはまります。
またなぜそうなんだ?と考え出すとどこまでも止まらないですねw

言葉で詳細に表現すると>>477が限界かなと思いますけども、上で真昼さんの書かれているように、「ただ起こっている」が感覚としてはすっきりしていますね。

ここまで気づいて、やっぱりハーディングの頭のない実験に戻るな〜と思いました。
場面=受容能力とすると、

周りの景色は受容能力に起こった現れ。

それを見てる私も受容能力に起こった現れ。

真理についての考察も受容能力に起こった現れ。

わからなくて悶々とした感情も受容能力に起こった現れ。

ついに真理がわかった!と真の私を見つけたことも受容能力に起こった現れ。

それを引き寄せに利用してやろうと企むのも受容能力に起こった現れ。

このように、私とはそのような現れがただただ起こる存在である。
(↑これも現れ)

もうどこまで行っても現れの連続。
こうなるとそれそのものは言葉では言い表せないものですよねー。
以前ガイネンガイネン私が言っていたものです。
以前は愛とか真理とか意味深なものを感じていましたけど、それもただの現れであり、今はなんだかただの現れ製造機みたいなものかなと感じてます。

もうこれが判明したならば、何も語らなくても良いのかなーとも思ったりする今日この頃です。

しかし依然私のエゴは存在に意味付けをしたい衝動がありまして、また現れの場面を展開をさせてしまってますw
なので執着を場面の展開の観点から探求しています。
執着に執着してますw

しかし現れ製造機であることがわかりつつものめり込むとは完全に趣味ですねw
これに自覚的にならねばいけないんですけども、今はどうにも止まらない。
と言うことで自分でもどうにもならないので私的には自由意思はないが基本です。
(↑現れwww)

460wild:2016/08/11(木) 23:27:07 ID:gKUq4NVA0
>>455
真昼さん。

> 「ぶっちゃけて言って、叶ってるの?叶ってないの?幸せなの?不幸なの?現実をどういう風に認識してるの?」という問いが常に目の前にある、という意味で書いてます。

と言う場面、現れがただあるということですよね。
と言うことは、「叶っている」という現れ、思考が現れたらもうそれは既に叶っている世界ということになります。

そのすぐ後に「そうは言ってもやっぱり叶ってないや、気のせいか」と現れれればそのような世界が達成されている。

「じゃあ意図し続ければいいのか?」と現れればそのような世界が達成されている。

あーでもないこーでもないと思考すれば、そのような世界が達成されている。

エゴエゴだと、じゃあどうすれば?となりますが、ここは
エゴ的には「どんな現れが出てきても既に叶っている」なんでしょうね。
もしくはどんな現れが起きても「完璧!最善!」にすれば、それがすでに達成されています。

エゴは目の前を見て「まだ叶ってないよ!」と言いますけども、叶ったからこその「叶ってないよ!」です。
知らんさんのテレビをつけたら研ナオコと同じかと。

「どんな現象(思考も含め)が起きても叶っている」設定にすれば、「叶ってないよ!」という現象から、わらしべ長者のように場面が展開して、エゴから見て願望実現に到達するのでは?と言うのが以前から私が考えていた引き寄せなんですけども、どうでしょ?


自由意思については、

①「歩くから」歩くが現れる→自由意思あり

②「歩くが現れる」から歩く→自由意思なし

※「」=立ち位置

このように立ち位置の違いで自由意思はあるとも言えるし、ないとも言えるかなーと思いますね。

461wild:2016/08/11(木) 23:36:48 ID:gKUq4NVA0
>>458
真昼さん。

逆展開メソッド、シェアありがとうございます!

やってみると、「ただ場面を見ている」がイメージしやすいかもですね!
私は逆展開を想像してみると、あまり過去には戻りたくないと思いました。
良いこともたくさんあったので悪い過去という訳ではないのですけども…。

なんというか、なんだかんだ言って今が一番良いなと感じます。
今よりエゴ的に輝いていた時代もありますけども、特に戻りたいとは思いませんでしたねw
今も過去同様いろいろありますけれども、十分満足なんですよね。
なんだか不思議な感覚ですが、面白いですね(^^)

462現象:2016/08/22(月) 05:22:47 ID:SGpZnpf.0
浮上!させてもいいです、よ、ね?ww

もうここしばらく仕事をする気になれず、
ギリギリまで追い込まれないと取り掛からない、
自業自得でバタバタする、徹夜もある(今日もまた)、
そして息も絶え絶え、という繰り返しでございます。
自分でもワケ分かりませんが、もう知らんw、お任せモードです。

そんな仕事の合間に達人さんのまとめを読むと、
またまた以前は理解できなかったことが理解できたり、
認識が進行しているのか、相変わらずなのか、まあなるようになるでしょう。

ということでw、何か気付かれたことがありましたら、またどなたか書き込んでくださいまし。

寝ます。

463wild:2016/08/22(月) 10:43:23 ID:ULk.KbnY0
現象さん。

お仕事遅くまでお疲れさまです!
私も今日は朝方まで仕事やる予定ですw

これと言って新しい気づきとかないんですけどねー。
ところで完璧な流れを採用してばんばん叶えてる755さん素敵だな〜って最近755さんスレをニヤニヤしながら見てますwww
まさにラッキーガール!
オッサンのしょうもないつぶやきすみません。

現象さん、いつもありがとうございます。
何かピコーン!ときたらまた投下しますね!

464現象:2016/08/23(火) 03:36:02 ID:qwzqrOwE0
wildさん

ヨッパライの書き込みにレスをいただいて有り難うございますw
昨夜は自宅で飲みながら(おいっw)仕事をしていました。

755さん、いいですよね。私も読んでいます。

755さんのように「成る」で実現しちゃう人の書き込みを読んでいると、
結局は、叶うと思えば叶う、ってことなんだなと思いますね。
とってもシンプル。超カンタン。

全ては「トーシロG」wじゃないや「トートロジー」で、
起こっているだけ、湧いているだけなら、手放しでOK、お任せするしかない。

意図(願望)も湧いているだけで、何も無かったら湧いてこない、
在るから湧いてくるので、もう湧いてきた意図の方向へ世界は流れている。

起こった事(意図)を受け取ってから思考は展開する(後付け)ので、
意図を却下しない限り、思考がどう展開しようと関係ない。

この時点で気になるのが、自由意志は在るのか無いのか、なのですが、
在ると思ったのなら在る、無いと思ったのなら無い、のかもしれませんね。
それぐらい私たちは自由なのかも。そんな風に考えます。

というような考えも起こっている・湧いているわけで、
この考えを採用したならその採用も起こっている・湧いている、とww

という風に全て湧いているなら、もうなるようになれ、と思ってしまうと
私の場合は、どうも無気力になってしまうように感じます。

なので、自由意志は在るという立場から、
在りたい自分を積極的に選んで行こうと、ここ最近は考えています。

465現象:2016/08/23(火) 03:59:04 ID:qwzqrOwE0
真昼さん

>自由意思がないとしているなら、ないんでしょうし、
>自由意思によって生きているとするなら自由意思はあります。

そう考えると、「本当」に「全く」ルールが無い、のかもしれませんね。
思った事(湧いてきた事)が、その人のルール、その人の世界のルール。

ということは無、「全てが在る無」。

何もルールが無い、ということは「どんなルールでもOK」ということ。
つまりは、「あらゆるルールが在り」ということ。

「あらゆるルールが在り」という考えも湧いてきただけなのですが、
湧いてきたなら、それがその人にとっての正解。

エゴ視点なら、それは自由意志で選んだように思えるでしょうし、
映写機視点なら、単にそういう流れとして認識するでしょう。

それもこれも湧いているだけなのですが。。

なんだか頭がグルグル回ってメマイがしそうですw

466wild:2016/08/23(火) 20:29:34 ID:f.C.nEJY0
現象さん

あ!やっぱり飲んでましたね?w

自由意思については私も最近よく観ています。
まず源泉があって、源泉から現れる思考や感覚をエゴとしてしまっている、という感覚が今までずっとありました。
しかし最近は源泉なのかエゴなのか、ただひとつの私という感覚があります。
やはり意識みたいなものなのかよくわかりませんが、
外側内側(見かけ上)にきっかけを創り、それをコントロールしようとするエネルギーを創り、それを糧にいろんな場面を現しています。
時には自由意思を現していることもあるし、意思がない時も現している…。

全部ひっくるめてただの場面展開としてしまうと、自由意思はない構造なのかな󾬇とも考えますが、そう概念をもった時点で、
↑これら全部が私の真実として現れてしまうと言うw

現象さんのおっしゃる通り、自由な存在であり、また何とも着地点のない説明しがたい存在ですねw

しばらく風の吹くままな気楽な人生でしたが、私探求も一段落ついたら私も手に入れたいものが出てきました。
素敵な755さんを参考に引き寄せて見ようと思いますw

467真昼:2016/08/25(木) 23:45:24 ID:MJbTW5OY0
wildさん、現象さん、みなさま、ご無沙汰しております。
ちょっとこの板を離れて旅をしておりますw

新たな気づきなどは特にないんですが(ないんかい!w)
やはり○○のために△△をしているのではなく、○○のために○○をしているんですね。
そしてその流れの最先端に意識をおくことで、現実など単なる遊びと化してきます。
どんなに困ったことでも、そういう遊びをやっている、って前に戻ってしまってますが…。
>何もルールが無い、ということは「どんなルールでもOK」ということ。
>つまりは、「あらゆるルールが在り」ということ。

そうですよね。ルールはあくまで事後の世界に意味を与えるひとつの規則のようなものなのではないかなと。あくまで僕なりの言葉なので伝わりにくいかもしれませんが。

また、ハーディング実験を行うと、頭の後ろの空間には目に映っているものがそこにあるのではないかと思うようになってきました。
流れに身を委ね、起こりを起こらせておく。常に意識的に、自覚的に動く。
思考は道具ですから、その使い方を熟知しておく。止めたり、静かにしたり、思考でものを考えたりという自在性を獲得する。
こんなことを最近は思っています。
願望はとりあえず脇においたままですwというより、あまり願望の影響が少なくなってきています。
はからずも、元祖1式のような状態です。
755さんは今のところまだ読んでいませんので、読んでみようと思います。
なにやら結構忙しくなってしまって、頻繁に書き込みできませんが、みなさんのレス楽しく読んでますよ。時々読み返したりして。

残暑厳しいので、お身体大切に。ではまた。

468wild:2016/08/29(月) 00:28:09 ID:.m8RRsEE0
>>467
真昼さん。

レスありがとうございます。

> やはり○○のために△△をしているのではなく、○○のために○○をしているんですね。そしてその流れの最先端に意識をおくことで、現実など単なる遊びと化してきます。

なるほど〜、今この瞬間に在ると目的があって行為が起きているのではなく、ただそのように起こっているとしか言いようがなくなりますね。

今ここで思考が起きているときは私が思考そのものになります。
でも思考に巻き込まれている訳ではないんですよね。
ここが自覚的と言われる所なのかなと思います。

そういえば最近ブルーベリーさんが復活されて「原因ない」を提唱されてますが、これも前後裁断の今を知るのに良い在り方だなと感じましたねー。
非常に簡単で秀逸だなと。
私も何か提唱したいな、かっこいいやつw

「私はとは前立…」
あ、イカンイカンこれは間違って感得したやつだwww

そろそろ涼しくなって参りましたが、夏の疲れがどっと出てくる時季ですので、真昼さんもお身体ご自愛下さいね󾬇!

469真昼:2016/09/05(月) 12:52:33 ID:4ZOFlTkw0
こんにちは。ご無沙汰です。
ちょっと僕も一段落したので、少し書き込みさせてください。
一段落というのも、僕なりの奥義を体得したからです。名付けて「無極」w
要は、極を持たないってことですね。極があるから分別ができますし、分離も起こります。常時、極を持たないことを意識してるんです。
「集中しないこと」に徹底的に集中しています。続けてると、表層を形作っている深部が見えてきます。それが欲です(wildさんのおっしゃる「苦」と同義です)。
突き詰めれば、「今の自分でありたい」という根元的な欲があります。つまりは、願いが叶っている状態なんですね。常に。その極に立って認識してるんだろうと思っています。例えば、何かが叶っていない状態を欲しているという現状があるとして、その極から認識していると、叶っている状態は常に、その極とは違う場所に位置しなければならないわけです。
なので、「見ざる言わざる聞かざる」というようにどの極にも立たない方向が、wildにお任せの状態と言えます。すると、「wildにお任せしていることが望ましい」という極が見えてきて、その極から外れると「wildにお任せして何かを得たい」という欲が見えます。
こう書くと、欲があるから悪いんだ、と思うかもしれませんが、その欲は単なるふつふつと沸いてるエネルギーに過ぎません。その極から外れるといわゆる「無極」が体感できます。(伝わるのか?こんな表現でw)


僕が感じるのは、「エゴ・自我」への愛着です。離すのが名残惜しいんです。「情にほだされている」状態なんですね。(ほだされるの意味は、1 情に引きつけられて、心や行動の自由が縛られる。2 身体の自由を束縛される。ということだそうです)
つまり「感情」とは感じたものにほだされるということなのではないかと思っています。

とはいえ「無極」で居続ける必要もありません。社会とはあらゆる極の集合体ですから、今自分がどの極に立っているのかを自覚していれば十分だと思います。

ってこのスレの論旨からズレてますかね?w

470wild:2016/09/05(月) 23:44:28 ID:az7WVjhU0
真昼さん、
奥義の披露ありがとうございます!

いえいえ、元々このスレには論旨など決まったルールはないつもりですので自由にいきましょうw
誰かの引き寄せに活かせるヒント、悟りに至るヒントになればなと思います。

太極から抜け出たところが無極であると思いますが、この無極、それは潜在意識、宇宙からも抜け出た所、まったき今。
それは時間を羊羮だとすると、羊羮を切った時に出来る切れ目のような溝…つまり真我であると悟りをしゃぶりつくすサイトの中島タローさん語られてましたね。

真我については人によって解釈がいろいろあるようでなかなか判然としませんが、
最近もしかしたらそうなのか?と考えていることがあります。
いわゆる唯識の世界、識の世界は全て太極であり、潜在意識の世界。
未だ如来の掌の上。
そこを突き抜けた先が無極なのかなと思いましたけどどうでしょう?

ですからハーディングの言う頭のない実験は空を実感するための方法とも言えますが、識の奥底にある第八識を実感するものなのでは?とも考えました。
私個人は消えても識はある。
ここまでは八識目であるアラヤ識の段階であり、これすらも概念であると見抜いた先に無極があり、これこそ真の悟りであるのかなと。
つまり唯識も極論を言ってしまうと自我、概念の範疇であると考えてます。

しかしながら第八識は目の前の現象を作りだす張本人であり、それこそ引き寄せに多いに関係ある究極の自我と考えますがどうなんでしょうね?

私がバンバン引き寄せを体感してた時期はまさにハーディングの頭のない実験をずっとしている時でした。
もしかしたらそうなのかもw
ハーディングの実験も、しばらくやっているとこの受容能力さえも考えであり、概念であることがわかり突き抜けてしまいますけども。

観るものは観られるものが無極なのか、依然太極なのかはよくわからない所ですが、
無極に既に至った真昼さん…
師匠と呼ばせて下さいwww

具体的に無極に至るには、やはり何事にも囚われない、現象を掴まない、流すままってことなんですかね?
そしてそれを何かを成し遂げようという目的をもってやる時点で片方の極に立ってしまっている。
そのことに気づくことが無極に抜け出る秘訣と解釈しましたが、方法を用いてしまうと無極ではないんですよねw

471幸せな名無しさん:2016/09/06(火) 01:26:39 ID:fkpT/55k0
まだいたんだw

472真昼:2016/09/06(火) 12:45:14 ID:8BCrFhEI0
>>471
すいません。まだいますw

>>470ありがとうございます。
師匠なんてとんでもないですよ。あの時あのタイミングでハーディングを知ることができたのが、僕の理解を深めてくれたんですから。むしろ僕がwildさんを師と仰いでるんですよw
というか「無極」って調べたら道教の世界に既にあるんですね。恥ずかしながら知りませんでしたw僕のはそういった高尚なものではなく、単に無集中を集中するといったニュアンスです。ゆえに「無極」ではありませんね、これは。「NO FOCUS」という名前に変更しますw(これも既にあったりして)

確かに真我というものの定義は色々あるのでわかりませんよね。その話も含めつつ少し僕自身のまとめも兼ねて書いてみます。
まず五感についてですが、突き詰めれば、五感なんてないんですね。一感ですね。「感」だけです。
何かを感じているというのが、私たちの見える世界の全てですね。
さらに、「感」のみがあるというのは、つまりは達成などなく、達成感だけがある。充実ではなく充実感、劣等ではなく劣等感、満足はなく満足感。感しかないんです。そしてその特定の「感」を求めているにすぎないわけです。
お金を求めているのではなく、満足感、安心感、優越感を求めているというのが本当のところではないでしょうか。しかし、それはあくまで「感」であり、それを得たところで、満足、安心、優越はそこにはない。例えば、宝くじの高額当選者の破産率が高いというデータにも現れていると思います(そのデータの真偽は置いておきます)。得られるのは「感」だけですから。当然、別のなにかに(マンションや高級車を買ったり、海外旅行行ったり、散財し尽くすなどのように)充足や満足、優越を求めて行くんでしょうね。どこまでも追いかけても辿り着かない蜃気楼のようです。僕は10億円を手にしたことはないので、実際はどうなってるかわかりませんけどねw

僕個人の卑近な例ですと、iPhoneなんかがそれですね。10年くらい前にスティーブ・ジョブスがiPhoneを発表した時などはとても未来的な機械に見えて、感心したものです。でも今現在、僕もiPhoneユーザーの一人ですが、別に何か僕自身が進化したわけでもなく、ガラケー時代同様に、電話とメールとインターネットしかやってないんです。それを得てから暫くは高揚感や満足感もありましたが、今はそれを持っているのが「普通」でな何の「感」も湧きません。当時は夢の道具に見えたんですけどね。
今は新しいkindleが欲しくなっていますwそんなものです。

長いわりに中身が薄かったですが、要は五感も思考も感情も、「それを感じている」だけで、それはあくまでも「感」に過ぎないものだということです。感が漂い移ろっている。

なんか話が噛み合ってない気もしますが、書いてしまったので、このまま投稿しますwww

473幸せな名無しさん:2016/09/06(火) 14:02:12 ID:/vkgrnVE0
>>472
空気読まず、横から。
感があるから、生きていると認識すると思ったのでつい。

肉体を持つことと五感は深い関係があると思う。五感がなければすでにこの世にはいれないだろうから。例えば痛みとかは肉体を生かす上で素晴らしいセンサーの役割りを持つ。
痛みがあるから、恐怖もある。
感は素晴らしいツールだけど、その特性ゆえ無の側面からみたら、分離と感じさせるのかな? また分離していると教えてくれるのも感だったりするのかな?と思った。

多分ズレていると、思うけど今の感覚や感情、感動を大切にしたいとエゴがうるさいのでレスしてしまった。すいません。

474幸せな名無しさん:2016/09/06(火) 14:32:31 ID:/vkgrnVE0
473を訂正
分離と感じさせる×
思考していると気付いたり←が○です。

475真昼:2016/09/06(火) 15:57:32 ID:8BCrFhEI0
>>473
レスありがとうございます。
いえいえ、全くズレてないです。今の感覚や感情をよく見るのは大切ですよね。むしろ、それ以外に大切なものなんてないくらいです。感覚や感情が生まれたのを見て、それがそこにあるのを見て、それが消えていくのを見る。別の表現をするなら、感覚や感情がやって来るのを許し、そこにあるのを許し、なくなっていくのを許す。すると、エゴを見ている何か、許可をしている何かが垣間見えますね。これがいわゆる自愛の本質だと考えます。これが僕が書いた「NO FOCUS」です。

>五感がなければすでにこの世にはいれないだろうから。

おっしゃる通りです。同時に僕は473さんのレスを読んで、考えされられました。
「私がこの世にいる」という存在感て何かな?と。一番掴みにくい「感」ではないですか?もしかしたら、それは「感」ではないのかもしれません。

>例えば痛みとかは肉体を生かす上で素晴らしいセンサーの役割りを持つ。

この痛みという感覚も恐らく非常に微妙なものだと僕個人は感じています。
例えば、頭が痛い時なども、完全に何かに意識がとられているときって痛みの程度が和らいでいたりします。つまりは何かしらの「感」がまず先にあって、それに「痛み」というラベルを貼っている、ような気がしますね。「痛み」というラベルが張られているものの実体とはなんでしょうか?
とはいえ殴られれば痛いですw。痛みという感覚は生体的にリアルに感じなくてはならない感覚だと思いますので、無理にラベルを貼っていることに気付く必要もないのかもしれません。

私たちは本来、分離なんてしてないのではないはずです。例えば、地球に自我があったら、地球の上の出来事は全て自分のことであるように。みんな自分のことです。
完璧というスクリーンの上に生じるものの一つにフォーカスすることで、分離して見えているだけのように思うんですね。なぜそこにフォーカスするのかというと、愛着があるからであり、無意識的な習慣、癖のようなものです。多分w

僕の方こそズレてますかね(汗)。

476真昼:2016/09/06(火) 17:20:38 ID:8BCrFhEI0
>>470

>しかしながら第八識は目の前の現象を作りだす張本人であり、それこそ引き寄せに多いに関係ある究極の自我と考えますがどうなんでしょうね?

阿頼耶識については、僕自身はよくわかりません。というより、そこまで行ってませんw
しかし、阿頼耶識というものがあるとして、そこに何が伝わっているのかということを考えるとしっくりときますね。
例えば、お金でも恋人でも、何かを欲した時にその欲した気持ちは何から発せられているのか?このときに「お金・恋人がない」という不足による気持ちだとしたら、阿頼耶識に伝わるのは当然「不足感」であるので、現れる現象も「不足感」にまつわるものになりますよね。
それを踏まえると二つの方向が見えてきます。
①徹底的に「充足」にまつわる事柄に目を向ける(アファメーションやバキュ式瞑想などのパワー系)
②不足しているという現実感を薄める(思考から離れる、止観・自己観察などのお任せ・観察系)
それ以外にもあるかもしれません。

僕は特定の願望をピンポイントで狙うには、①のように現実という記憶の書き換えが有効なようにも思っているのですが、強烈な抵抗にあって挫折感に打ちのめされてしまうんですw(難易度高いと思っているような願望は特に)
そして、阿頼耶識に何か悪い波動が伝わっているのではないかと、不安になり、またその不安の波動が伝わって…という蟻地獄に堕ちてという経験をイヤというほどしてきました。

でも、今はあらゆるものが入ってきては出ていくという流れを見るようにしています。願望はとりあえず忘れて。
視界にはあらゆるものが映りますが、特定の何かを見ているのではなく、視界を見ているような感じですね。見えているものは変化しますが、視界はずっと同じです。生まれてから、ずっとこの視界を見ているんです。

でも僕は虎視眈々と隙あらば大富豪になってやろうと画策もしていたりしますがw

477幸せな名無しさん:2016/09/06(火) 17:53:39 ID:jdjHurwY0
ありがとう 真昼さん。
NO FOCUS 自愛の本質 カッコいいッス。
タワレコのキャチコピみたいだ。

NO reason がわかるぐらいの俺がレスもらえて嬉しかったです。真昼さんは先を行く人。オビワン・ケノービっぽくて静かにワクワクする。

自愛の本質を体感できるイメージがすごく伝わってきた。わかりやすく教えてくれてありがとう。俺の中では、両手ですべてを作業する時のフィーリングに近そうです。

存在感かぁ〜更に難度あがるのね〜
「感」については、確かに感の前に何かがあるようなムズムズした気持ちになる。
「痛み」は電気信号かな。
「ある」というもの存在があり。
「ある」は包まれていて、その外部周りはにいくつものセンサー「感」がついてる。
そのセンサーが作動するとそれを教えるシグナルのひとつが痛みという風に思っていたけれど、
ん?

どうやら、俺にとって「感」はセンサーらしい。
そして、痛みもただの現象ということに。。
あららら〜w

今回のレスでエゴ見ている何か、許可をしている何かが自分の中でハッキリとしたものになってすごく嬉しかったです。

そして、愛着だらけの俺はまだまだ俗世にまみれていたいたようです。

真昼さんの時間とレスに感謝します。
ありがとう。

478wild:2016/09/06(火) 23:32:22 ID:BeNYeRIs0
真昼さん。

なるほど。
余計な観念を全て削ぎ落とし、突き詰めると世界は「感」のみとなりますね。
確かにそうですね!

外側の世界の起こりを
見る聞く触る嗅ぐ味わうも「感」。
それによって起こる内側の衝動、つまり思考と感情も「感」。

外側内側もすべて「感」の流れであり場面展開。

「感」ひとつに絞ることにより、移ろい行くエネルギーの世界がシンプルに見えてきますね。
起こる現象の見かけに惑わされず、シンプルに「感」のみに成りきると創造の最前線がわかるような気がします。

そして何物もFOCUSしようがない。
なぜならFOCUSしてる存在も、されてる存在もすべて「感」なんですからね。

真昼さんがおっしゃるように、「感」だけがただある。
「感」だけが移ろい行く。
これが「NO FOCUS」なのかなと私は解釈しました。

感とはつまり純粋な識のことでもあると思いますが、感という表現の方がわかりやすい!
さすが真昼さん!
師匠󾬇!!www

アラヤ識を「感」に繋げると感の畑みたいなもんだと思います。
ある囚われという種が畑に落ちる。これが意識の表層に芽吹いてくるにつれて「感」に様々な観念がまとわり付き、普段見ている世界という木が出来上がるのかなと。
そこでエゴで思ったこと感じたこと、つまり囚われたことが種(カルマ)となりまた畑に落ちる。
そしてまた「感」が起こり現象として育つ。

ですから、嫌なことがあっても755さんのように「完璧!」にしてしまえば完璧が芽吹く、神にお任せすればその通りの現象が芽吹く、という解釈です。

そして現象に囚われなければもう落ちる種もない。
畑からは芽吹くものはいずれなくなります。
究極的にはアラヤ識、畑も無くなってしまいます。
それが最終的な地点なのかなと思ってますね。
勝手に「感」をいろいろと解釈してしまってますがw
そんな印象を持ちました!
ちょっと「感」に浸ってみようと思います。
ありがとうございます!

479wild:2016/09/07(水) 00:22:17 ID:nZJQlxC.0
> 視界にはあらゆるものが映りますが、特定の何かを見ているのではなく、視界を見ているような感じですね。見えているものは変化しますが、視界はずっと同じです。生まれてから、ずっとこの視界を見ているんです。


視覚に映る風景を見るのではなく、視覚そのものを見ているですよね?
見ているという表現しかできませんが、視覚だけがあり、視覚の手前には見てる者はいないという感覚。
スクリーンしかないという感覚。
ここに入ると安心なんですよね〜。
この世界がバーチャルリアリティーの世界であると実感します。

480真昼:2016/09/07(水) 12:56:36 ID:yoR7WKZM0
>>477
とても嬉しいレスありがとうございます。
でも、違いますよ。僕が先を行ってるのではありません。先に見えるとしたら、それは単に僕が周回遅れのランナーだからですよw自愛って言ったって、愛ってなに?自己観察にしても、まとめ読むたびに混乱しかしないw分かった!と思ったその三分後には「やっぱ分かんねw」を繰り返していますから。
そもそも何かオリジナルなものを提唱しようとして、カッコつけてる時点でもう…w

逆に477さんのレスを読んで、また少し新たな問いが生まれています。
「私がここにいる」って何を根拠にしてるんでしょうね。いつから「いる」んでしょうか?どこに「いる」んでしょうか?厳密に言うと、とても曖昧じゃないですか?我思うゆえに我あり、と言いますよね。でもその思っているのは誰なのか?
「存在」とは?これは哲学かな?生物学かな?量子力学かな?それともそういう思考的なものではなただ強烈な存在性があるということなのでしょうか?僕が気付いていないだけで。
なにやら本質的な問いが生まれています。
ですので、こちらこそありがとうございます。

>そして、痛みもただの現象ということに。

なんという理解の速さwスゴいですね。477さんのおっしゃるように、「ある」の上に「感」が漂っている、という感じはまさしく同感です。その特定の「感」の集合体として様々な物事が起きている、ように見える。という寸法ではないでしょうかね?

>愛着だらけの俺はまだまだ俗世にまみれていたいたようです。

僕も同じです。無理に出ようとするものでもないかもしれませんし、来るときが来れば自然と手離れるものだと楽観的に考えています。それでも、24時間のうちの20分位はいい感じになれてます。全然少ないですけどねw

481真昼:2016/09/07(水) 13:00:08 ID:yoR7WKZM0
>>478-479
wildさん、レスありがとうございます。
師匠はやめてくださいw477さんへのレスにも書きましたが、周回遅れしてるだけですから。早く追い付かないといけません。

○○感という言葉は多いですが、○○の部分は後付けしてるだけだ、と気付いたんです。○○はwildさんのおっしゃっる概念の世界ですね。

>起こる現象の見かけに惑わされず、シンプルに「感」の
>みに成りきると創造の最前線がわかるような
>気がします。

そうですよね。五蘊すらひとつの概念なのでしょうから。wildさんのおっしゃっていた「概念」という言葉が僕なりにしっくりときました。
散々、全ては事後と書いてきましたが、それは概念化された世界ということです。概念に先立つ体験を「感」じている。でも、その体験というのも一つの概念なのかどうかがよく分からないんですが、どうでしょうか?
僕はその「体験」こそ「感」であり、それが人生であると思うのですが。

また、阿頼耶識の説明はとてもよくわかりました。
なるほど、そうなってるんですね。カルマについてもよく理解出来ました。大変に深い考察を加えていただいてありがとうございます。

>視覚に映る風景を見るのではなく、視覚そのものを見ているですよね?
>見ているという表現しかできませんが、視覚だけがあり、視覚の手前には見てる者はい>ないという感覚。

そうですよね。僕も最近は指差しをしなくてもこの感じに入れるようになってきました。
しかし、さっきも書きましたが、「存在」とは何をもって「存在」となるんでしょうか?「存在感」という感覚なのか、それとも感覚を越えた存在性があるのか、それは我々の背景が「無」であるという理解から来るのか?
やや面倒かもしれませんが、今はこの問いが浮かんでいます。

482wild:2016/09/08(木) 01:14:09 ID:jS044OWo0
>>481
真昼さん。

もう師匠とは呼びませんw
調子に乗ってすみませんw

> 概念に先立つ体験を「感」じている。でも、その体験というのも一つの概念なのかどうかがよく分からないんですが、どうでしょうか?

以前「すべては概念だ!」となった時に腑に落ちたことは、究極的なもの、真理とされているものも概念、自我であると感じました。
概念という表現が強すぎるならば「現れ」とでも言いましょうか。
ただこの直感が最終的なものなのかどうかは何とも言えないですね…。これは私の現段階での認識です。

あくまでイメージなのですが、
ただただ何もない無の空間に、映像だけがポッと現れている。
この映像が現れ。
神や真我、その他真理とされているものすべてはこの現れであると考えます。

この現れこそが自我そのものなんだなーと思っています。
自我と言うと肉体思考などのエゴを連想させますが、それをも含む「感」そのものです。
また「感」は「有」と言い替えられるかもしれません。

無があるからこそ有が起きることができ、
有があるからこそ無を知ることができる。
無がなければ有は起きず、
有がなければ無を知ることはできない。

この有と無の持ちつ持たれずの関係がこの「私」であると現段階では考えています。

> 「存在」とは何をもって「存在」となるんでしょうか?「存在感」という感覚なのか、それとも感覚を越えた存在性があるのか、

これは有が起こす「感」そのものの感覚ではないかと考えます。


>それは我々の背景が「無」であるという理解から来るのか?

真昼さんのおっしゃる通り、無があるからこそ有を感じることができる、ですね。



と、ここまでわかったようなことを書きましたが、真面目に仏道に励んでらっしゃる方にとってはこじつけのトンデモ論かもしれませんw
まあ天狗道の妄想として話し半分でご理解お願いしますw

483477:2016/09/08(木) 19:08:21 ID:dBuPAcUo0
真昼さん 
>僕が先を行ってるのではありません。
俺の世界では、wildさん、真昼さんが先に見える案内人っというわけです。勝手に選んでしまってゴメリンコ。これも潜在意識の賜物・恩恵ということで、手をモミモミしておりますw

>我思うゆえに我あり、と言いますよね。でもその思っているのは誰なのか?「存在」とは?これは哲学かな?生物学かな?量子力学かな?それともそういう思考的なものではなただ強烈な存在性があるということなのでしょうか?
デカルトたんにいっちゃいますかw これまたヘビー級ッス(汗)。どこに「いる」のか?疑っている何者かが存在することは確かッスよね。俺的には真昼さんの言う「ただ強烈な存在」がしっくりくるかな〜。理由は、ジル・ボルティー・テーラーという脳学者の動画を思い出したことと、真昼さんの言う「体験」こそ「感」であり、それが人生に繋がる気がしたので、良かったらお時間ある時にでもどうぞ

ジル・ボルティー・テーラー「奇跡の脳」動画
ttps://youtu.be/BsSWaYITW4g


wildさん
はじめまして、wildスレ今読破中です。wildスレまだ読んでねーのかよっと?wハーディング実験やったけど難しかったッス。スクリーンがイマイチわからなかったけれど、俺の世界は俺の意図したことで成り立っていることは、わかったし、叶った世界があった。それが俺の世界だった。
引き寄せは「あっいいんじゃね?」軽く思うものはすんなりかなった。特に食い物や飲み物。手頃感があるものほど簡単で、自販機の当たりのもう一本とかは3週間ほどかかった。電車とか隣りの座席にはキラキラ感のある女性がいいなっと思ったらキラキラの服着た女性だったり微妙なものもあり。必死になるもの執着あるものは難しい、不安な気持ちを誘発させるみたいでそのゲージを下げることに必死になるだけ疲れるという。本願が気楽に手放せるよう放置プレイ勉強中って感じです。

そのうちわかるようになればいいかっと、それでいいのだー、いいじゃないのぉ〜、いいジャマイカ、ええじゃないか、踊る阿呆に見る阿呆的に開きなおりだろっと「NO FOCUS」自愛「完璧」だろっとわかちゃいるんッスけど(泣)
俺のための俺による褒めまくり隊を結成するかなw そんなこんなで これからも、wildさん筆頭に皆さまの素晴らしい見識を楽しみしております。ペコリ

484wild:2016/09/08(木) 21:59:37 ID:VK1gUHRk0
>>483
477さん。
初めまして!

wildスレを読破中とはw
かなり内容濃いですよね?
皆さんそれぞれに見解があるので読み込むのにかなり骨が折れるかと思いますが、なんか嬉しいですね󾬇!
ありがとうございます!

私のレスの場合ですが、認識の変更を目指すスレからこちらのスレを立てて頂き移動してからも、皆さんの気づきから私自身様々な気づきや理解があり、また紆余曲折がありレスの内容が一貫してない点も多いので混乱されるかと思います。
そう言ったレスも一探求者の迷いの過程として訂正せずそのままになっていますw

ただひとつ一貫しているのは、私個人を含めたこの世界は、ストーリーを展開させている意識みたいなものという点ですかね。

気づきを得て自由になりたいという目的半分、「私」を解明すれば引き寄せも解明できるという下心半分…。
釈迦も乳粥投げつけるくらいの欲まみれな探求者ですが、こちらこそどうぞよろしくお願いします(^^)

485wild:2016/09/08(木) 22:03:20 ID:VK1gUHRk0
あ、ちなみにこちらのスレはコテ付き会員制サロンみたいな雰囲気ですが、常にオープンですw
働き盛りの中年オサーンなのですぐにはレスできませんが、どしどし気になったことなどレスお待ちしております(^^)

486真昼:2016/09/10(土) 16:47:59 ID:39iKHFow0
>>482
wildさん、レスありがとうございます。
遅くなりました。
とても達観されてますね。

>この有と無の持ちつ持たれずの関係がこの「私」であると現段階では考えています。

それは完全に「空(くう)」の思想ですね。
有と無は本質は同じもの。コインの裏表。その実体は空。
ですが、それを論じるまでの見識を僕は持ち合わせていないようです。
理論としては語れるんですけどね。

確かに自分の背景に無の空間があり、その無があるから有を感じることができる。
真の静寂を知るからこそ、音を聞くことができる。その静寂こそ自分である。

言葉で書けばそんなところですかね?

う〜ん、深遠なりwild哲学w
ありがとうございました。

487真昼:2016/09/10(土) 17:25:51 ID:39iKHFow0
>>483
477さん、レスありがとうございます。

動画見ました。やはり、大病をして何かを悟る人は多いですよね。
特に、脳学者さんだと、その解説も非常にアカデミックですね。
シェアありがとうございます。
脳科学には少し興味がありますので、少し詳しく見ていこうと思います。

ところで、
>引き寄せは「あっいいんじゃね?」軽く思うものはすんなりかなった。特に食い物や飲み物。手頃感があるものほど簡単で、自販機の当たりのもう一本とかは3週間ほどかかった。

とありますが、それスゴくないですか?
それは僕から見たら、477さんは既に引き寄せマスターの部類ですよw

そんな477さんに、アドバイスなんておこがましいですが、ハーディングの指差し実験の僕なりのコツを一応書いてみたいと思います。
コツは「そのままを見る」という感じです。
例えば、夜空の満月を見たとします。
しかし、スクリーン上では、それは月ではなく、1㎝くらいの黄色い丸です。
高いところから人を見たとすればそれは、点が動いているだけです。「見ろ!人がゴミのようだ!」状態ですw

そして、実際に見えるのは1㎝の黄色い丸だけですよね。「月、地球の衛星、太陽の光を反射している等など」というのは、自分の知識・記憶です。その知識や記憶をその黄色い丸に張り付けてるだけなので、それらを剥がしてそのままを見る。
そしてその黄色い丸はどこで見ているのかというと、自分の眼球です。
つまり、その黄色い丸は自分の眼球の中にある。
ゆえに、自分の目(視界)は月より大きい。すべてが自分の目の中に収まっている。

なので自分の目で見てるのではなく、自分の目を見ている、ということになりますね。

僕はこの理解で、スクリーンの感覚を掴めました。
偉そうに語ってしまってすいません。

反対に僕は、引き寄せのコツをお伺いしたいです。
俺も自販機で当たりをひきたいw

488真昼:2016/09/10(土) 17:32:34 ID:39iKHFow0
>>485
コテ付き会員制サロンてwww
まあ、確かにそんな風情を醸し出してますからねw僕がでしゃばりすぎてるのかな?

迷いの中に悟りあり。悟りの中に迷いあり。
このスレの流れ自体が悟りであり、禅なのかも知れませんよ。

連投失礼いたしました。

489477:2016/09/10(土) 18:29:27 ID:u3gET3a20
真昼さん
最近の俺のテーマは自愛だった。
だから、真昼さんの自愛の本質「NO FOCUS」は俺の中の何かに触れ騒いでいた。
>要は五感も思考も感情も、「それを感じている」だけで、それはあくまでも「感」に過ぎないもの

特にこのフレーズはマジスゲーッスよ。真昼さんありがとう。気づきをありがとう。
わかったつもりでいた自分が恥ずかしいッスw 許容してくれてありがとう。

>>487
>実際に見えるのは1㎝の黄色い丸だけですよね。「月、地球の衛星、太陽の光を反射している等など」というのは、自分の知識・記憶です。その知識や記憶をその黄色い丸に張り付けてるだけなので、それらを剥がしてそのままを見る。そしてその黄色い丸はどこで見ているのかというと、自分の眼球です。つまり、その黄色い丸は自分の眼球の中にある。ゆえに、自分の目(視界)は月より大きい。すべてが自分の目の中に収まっている。なので自分の目で見てるのではなく、自分の目を見ている、ということになりますね。僕はこの理解で、スクリーンの感覚を掴めました。

惜しみなく体感を伝えてくれること、またわかりやすい説明に超感謝します。月が見えたら早速試してみます。月とはまたスゲー!ロマンを感じるものが対象とはカッコイイよな〜。実験結果と俺の経験でよければ自販機wまとめてから書きますね。


wildさん
>皆さんそれぞれに見解があるので読み込むのにかなり骨が折れるかと思いますが、なんか嬉しいですね!
かなり骨が折れた〜w けどガシガシエネルギーがあがる感じがしました。こちらこそありがとうございます。

俺の中でヒットしたのが
>>9
>変な例えですが、ポンデライオンになったみたいな感覚でしたw
これ秀逸だったッス。

>>134 :現象
>こうした思考・レッテルを全部、全て、放り出してしまえばいいんですね。
これに気づくのに色んな達人の方法があるのを知った。現象さん半端ねぇ〜ッス。

>>401 :真昼
>僕はどうも感情を感じきるというヤツが苦手でして、感情を相手にしない、またはうっすらとした幸福感を胸に持つようにしています。

「安心してください。履いてますから」って言われた気がしたッスw 首を大きくたてに振りました。

>>415 :wild
>苦を収めさせるには普通、五感+思考で味わい尽くさないと収まりません。
生々しくてすみませんw

なので、自愛はじめましたw
ワ○ピースより
「どんな船でも造り出す事に”善”も”悪”もねェもんだ…!この先お前がどんな船を造ろうと構わねェ!だが、生み出した船が誰を傷つけようとも、世界を滅ぼそうとも、生みの親だけはそいつを愛さなくちゃならねェ!!生み出した者がそいつを否定しちゃならねェ!!」というフレーズを思いだした。


>ただひとつ一貫しているのは、私個人を含めたこの世界は、ストーリーを展開させている意識みたいなものという点ですかね。

今の俺にはとてつもなく大きな気づきを与えくれた言葉でした。すべてに感謝したいです。
あー言葉にするとスゲーちっぽけになってしまうのが残念です。
神社でよく目にする鏡は 世界は内面を映す鏡といわれるが、うまく言えないけれど、感じとれなくても世界は滋愛に包まれているし、愛そのもの。 みんな一人ずつ愛そのものッス。愛に気付くまで色んな愛の形を送りつづけている。そしてそのことに気づかなくてもいい。表現しにくいけれど今はそう思う。
文字にするとなんかこうアー恥ずかしいなぁ。

490477:2016/09/10(土) 18:30:47 ID:u3gET3a20
連投失礼します。
気づいたこと書き記します。


俺もしかしたら本気で潜在意識を信じる。って腹から決めきれてなかった気がしたから、潜在意識に語りかけてみたんッスよ。「潜在意識、今までどこか半信半疑だったかもしれないかった悪かった許してくれ 俺はお前を信じる」っと。同時に俺は今まで信じていなかったのかということに気付いて愕然とした瞬間だった。


それからあらたためて、潜在意識が?キーワードを示してくれているとハッキリ気づいた。
朝、自愛か〜と考えたとき「信じる」というフレーズがずっと色んなところで見受けられたことを思い出した。
その瞬間
Fight Song/Rachel Plattenの曲が流れてきて、確信に変わった。

そして俺は知った。
俺は空っぽだった。
俺は俺というものにしがみつきたかっただけだったみたいだ。

「無」がただここに「在る」。
「何者でもない」ものが、ただここに「在る」。
それでいいんだと納得した。安心感がゆっくりさざ波のように寄り添ってくる。
あの不安感は、まだ思考で俺は俺でないものになろうろとしていたのだろう。
何者かになろうろとしていた。自愛が少し進んだ気がしたッスよ。
今の自分でいいとはっきり受けいれることができた。
「0」であることを体感したことは大きな気づきと思えた(俺の中の0の発見)。
気分は Alexandros/ワタリドリでした。

491wild:2016/09/11(日) 23:51:51 ID:a9hNEMQ.0
>>486

真昼さん。
レスありがとうございます。

> 確かに自分の背景に無の空間があり、その無があるから有を感じることができる。真の静寂を知るからこそ、音を聞くことができる。その静寂こそ自分である。

空の思想は釈迦の縁起を龍樹がまとめたと言われ、どちらも同じものと言われてます(違うという説もあり)
しかし私なりにですが、空と縁起の関係が繋がったんです。
完全にとは言いませんw
釈迦が言った縁起って、もしかして本当はこのことなんじゃないかな〜程度ですw

今まで現象など「ある」に拘ってましたが、「ある」は「ない」と相互依存関係であり、これら含めて私であると納得できました。

真昼さんもすでに気づいておられるかと思います。
体感で具体例をあげますと、
例えばカップを触る時、触るものの感覚はなく、そこにあるのは触られるもの=カップの固くツルツルした冷たい感覚だけです。
これはすべての感に言えることで、無があるからこそ感(有)があり、その逆もしかり。

どちらが本質なんだ?となりますが、どちらが欠けても成り立たない関係であります。
触るものは触られるもの、
触られるものは触るもの、
ですね。

あるひとつの感(有)から、後の感に連鎖して変化し流れていく様も縁起ですが、
大きな視点で見ると、有と無の関係も縁起だったんだなと私なりに納得しました。
全部「これがあるからあれがあり…」の世界でした。

と、ここまで納得しましたが、結局ハーディングの世界観に行き着くなーと思うのです。
私をいろんな角度から探求してみましたが、やっぱりハーディングの太極図のような絵(実験サイトにあるI am all、I am notの丸い図)通りのイメージが想起されます。
I am allの有の側面も私であり、l am notの無の側面も私であると考えます。


>う〜ん、深遠なりwild哲学w

私のはおそらくこじつけですw
おそらくまだまだ天狗道の妄想は続きますw

492wild:2016/09/11(日) 23:53:56 ID:a9hNEMQ.0
>>488
真昼さん連投すみませんw

> コテ付き会員制サロンてwwwまあ、確かにそんな風情を醸し出してますからねw僕がでしゃばりすぎてるのかな?

でしゃばってなんかありませんよー。真昼さんの書き込みには私も多くの気づきを得てますからね!
どんどんお願いします!w

> 迷いの中に悟りあり。悟りの中に迷いあり。このスレの流れ自体が悟りであり、禅なのかも知れませんよ。

なんかカッコいい!www
しかし、迷いの中に悟りか…。
ああああぁぁ!またあれこれ考えてしまう!w
いつもありがとうございますm(__)m

493wild:2016/09/11(日) 23:55:44 ID:a9hNEMQ.0
>>490


477さん。
レスありがとうございます。

そうなんです。
ここのスレは探求者の皆さんがそれぞれの生活で得た知識や気づきを投下されるので読むも書くも非常に骨の折れるスレなのですw
しかし私自身感じているのですが、レスを読んで理解し、思考錯誤し、また実践し、そこでの気づきを皆さんが理解できるよう考えて書き込んでいるうちにどんどんと気づきが深まっていくのです。
(あ、簡単な書き込みでも全然良いんですよ)
真昼さんがスレ自体が禅とおっしゃってますがその通りかもしれません。
カッコいいwww

ところで477さん、そのままの自分自身を認め信じることで
気づかれたようですねー!

そうです。
そのままで良いんです。
全部「私」なんですから、不安という私に抵抗する必要はないんです。
そして抵抗してもいいんです。
抵抗して苦しんでもいいんです。
そのまま今の私を認めればいいんですよね。

非常に感覚的な話ですが、
私は0であります。
しかし1でもあります。
アルファでありオメガってやつです。
(アルファが1じゃないの?と言うツッコミは置いといて…)

私が0であるから1の私もあります。
しかしどの私でも私は「私」ですね。
常に「私」を認め、信じ、拠り所とし基準にする。
釈迦の「自明灯」とはまさにこれのこと。自愛です。

てなことを私自身改めて気づかされたレスでした!
ありがとうございます!

494wild:2016/09/12(月) 00:23:20 ID:9uW/Z0pA0
またまた連投すみません。

477さんは音楽がお好きなんですね?
音楽で思い出しましたが、私wildはその昔バンドマンでしたwww

パートはボーカルでしたがギターで作曲もしてました。
NO MUSIC NO LIFEを地で行ってたロックな若者だったのですw

その頃を思い返すと、演奏中は「没頭」してたなーと思いましたね。
ステージの空間、観客、声、スポットライト、楽器の音、自分の身体、動悸、歌声、リズム…etc
それらが瞬間瞬間に渾然一体となり、大きなうねりとなってひとつの世界ができあがっていたなーと思い出しました。

今考えると、その時エゴの私は無であり、世界という有がありましたねー。
これは演者でなくとも観客側でも感じられますね。
クラブで踊っても良いかもしれません。
瞑想と同じ感覚だと思います。

結局、私の俺様な性格が祟って解散してしまいましたが…
なつかしす…。
自分語りすみませんw

495真昼:2016/09/14(水) 13:18:01 ID:NoXlOHyQ0
>>489
477さん、レスありがとうございます。遅くなりました。
なんか477さんは、スゴいですね。とてもエネルギッシュで、477さんの文章は読んでて元気になりますね!

さて、
>神社でよく目にする鏡は 世界は内面を映す鏡といわれるが、うまく言えないけれど、感じとれなくても世界は滋愛に包まれているし、愛そのもの

素晴らしい気付きですね。自愛が正しく実践されている証なのでしょう。
鏡はとても不思議で、目の前を全部映します。好き嫌いせずに、目の前を映します。なんの努力もない、力みもない。ただ目の前をありのままに映すだけ。
たぶん私たちも同じじゃないんですかね?ただそこにあるものを見て、そこにある音を聞き、そこにあるものに触れている。それは努力や集中力ではなく、私たちに元々備わっているもの。
その上で、エゴが「あれが欲しい、これは気にくわない」と騒いでいる。
あれ?僕はこれを書いてて何かピンと来てますw
これはいい気付きですよ。なんかありがとう477さんw


>「無」がただここに「在る」。
「何者でもない」ものが、ただここに「在る」。

そうですよね。全ては「何者でもない(何者であってもいい)」ということの上にあるのだと思いますね。無が有る、なかなか簡単なようでとてつもなく深いですw
また、引き寄せについての書き込み楽しみにしています。
毎日自販機で買ってますが、まだ当たりなし!w

496真昼:2016/09/14(水) 13:21:26 ID:NoXlOHyQ0
>>491
wildさん、レスありがとうございます。どうも僕は言葉に酔うという悪癖がありますので、その辺差し引いてお読みいただければとww

>釈迦が言った縁起って、もしかして本当はこのことなんじゃないかな〜程度ですw

流石ですね。もうちょっと付いていくのでやっとのレベルです。僕も理屈的には理解できるんですが、実感というか認識的には、行ったり来たりなんですよね。

お聞きしたいのは、空とは有と無の上位概念だ、と苫米地博士は言っていますが、同じような感じでしょうか?
ちなみに博士は般若心経を大胆にも添削して書き直しています。「色即是無 無即是色 空包摂色 空包摂無」が正しい空の理解だと説いています。

>例えばカップを触る時、触るものの感覚はなく、そこにあるのは触られるもの=カップの固くツルツルした冷たい感覚だけです。
これはすべての感に言えることで、無があるからこそ感(有)があり、その逆もしかり。

はい。これは僕なりのメソッドを開発したので、感覚的につかめます。
名付けて「キャンディーメソッド」です。

方法は、まず初めて食べる味のキャンディーを使います。そのキャンディーを包みから出し、じっと見つめます。その時に自分に問います。「今この瞬間、味はどこにありますか?」ただ持ってるだけなので、現時点では「味」はどこにもありません。それを理解したら、舌の上にのせます。そして問います。「今この瞬間、味はどこに生まれましたか?飴ですか?舌ですか?」

そして、飴を食べる前に無意識的にその味を予測(思考)していたりします。そして、実際食べてみて、予想が当たったり(思い通り)、外れたり(思い通りではない)という経験が生まれます。

このメソッドを使うと、僕はふわふわとwildさんの仰る意味を掴めます。

それはそうと、音楽やってたんですか?なんか意外ですね。音楽はとても感覚的な分野で、無我を感じられますね。
僕はというと、JAZZが好きで(オッサン丸出しとは言わないでくださいw)、トランペットを買ったのですが、すぐに飽きてしまいましたwww

497幸せな名無しさん:2016/09/14(水) 15:23:53 ID:iZnjEvY60
>鏡はとても不思議で、目の前を全部映します。好き嫌いせずに、目の前を映します。なんの努力もない、力みもない。ただ目の前をありのままに映すだけ。
>たぶん私たちも同じじゃないんですかね?ただそこにあるものを見て、そこにある音を聞き、そこにあるものに触れている。それは努力や集中力ではなく、私たちに元々備わっているもの。

素晴らしい!!!まさにこれですね!!!

498幸せな名無しさん:2016/09/14(水) 16:39:34 ID:0JNRuVYI0
はじめまして。おしゃべりしたいのでお邪魔します。
よろしくお願いします。

>>491
インド哲学は細かくて難しいですねえ・・・
「此(これ)が有れば彼(かれ)が有り、此(これ)が無ければ彼(かれ)が無い。」
だけなら単純なような気もしますが、十二縁起になるとさっぱり

縁起説では、すべての物事は原因と結果の関係だから、
時間の始まり、すべての始まりを問うことはできないらしいですね。
しかし、
「世界の存在理由は?」「宇宙の始まりは?」「ビッグバン説が正しいとしたらビッグバン以前は?」
というようなことも気になります。
「無記!」でもいいんですけどあえて質問してみます。

>>496
>色即是無 無即是色
これはちょっと意味不明じゃないですか?
色の原語はrupaで、意味は「形あるもの」のはずです。
この文だけを訳すると
「形あるものは無く、無が形あるものである」となってしまいます。


さて、私から提起したいお題はですね・・・
「願望は一体どこから生まれるのか?」です。
自己啓発とかの考えだと、願望(目標)を設定して達成のために頑張る!
という考えが真だと思いますが、
はたして我々は「願望が生ずるのをコントロールできているのでしょうか?」
実は全然できてなくてすべてはオートマチックなんじゃない?という思いに至りました。

水飲みたいとかコントロールできず勝手にわいてくるじゃないですか。
解決も勝手に行われるじゃないですか。
でも願望がでかくなるとさもエゴは「コントロールできますよ」というふりをして
支配権をかざしてきます。で、かなわねーかなわねーと苦しみますw

オートマチックなそれに任せておけば、願望その他はしかるべき時に生じ、
しかるべきときに解決するから、エゴが頑張る必要は全くないですね。

そしてエゴは、自分の体すらコントロールできてないじゃないですか。
自分の体とか言いながら内臓はオートに動いています。
ならば、
「自由意志はない」すべてはすき家の意志のままに。という考えが私はしっくりきます。
皆さんはいかがお考えでしょうか?


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