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もりたの在る。追究スレ
486
:
幸せな名無しさん
:2015/11/27(金) 14:26:38 ID:CRCLKg9k0
もりたさんへ
教える側と教えられる側の在り方に関する質問です。
内田樹さんの本の中で、張良が兵法の奥義に気づいた時の内容を読んでいて思ったのですが、良く教えられる側の立場で達人の声を聞くことは、
自分を教えられる側として位置づけるし、教えられる側を作り出すので
良くないと時々掲示板で聞きます。
確かに、自分を未熟であると位置づけたまま達人の声を聞くことは、
そのような関係性を作りますし、
また達人の言葉を聞いても、今の未熟な尺度でしか達人を見ることができません。
学生が、大学の先生の教え方や教える内容を吟味するような感じに感じます。
でも、今の自分をとりあえず脇に置いておいておいても、おかなくても、
もりたさんの言葉を全肯定するとき、そこには今までの自分はいなくなり、
全面的にもりたさんの言葉を信頼することで、今までの尺度では、
今までの未熟な自分的には正しくないと思っていた言葉が、充足として感じられ、今までの自分にはない
世界を会得できる気がします。
また一度教えられる側である自分を認識することで、
これまで自分が教えられる側であることを進んで選んでいたことも認識でき、
そこからどうありたいかも選べるようになる気がします。
一概に私は、教える側と教えられる側の関係性がデメリットばかりでもないような気がします。
でも、それとは別に、達人さんたちが、自分がどう感じるかそれだけが只管大事なんですよ
という言葉も引っかかります。
この点もりたさんはどのように思われるか、良かったら教えていただけませんか?
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