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もりたの在る。追究スレ

303200:2015/11/07(土) 10:07:55 ID:mHhkuLp.0
>>301
俺もその手は詳しくないが、異議あり。

しつこいようだが、言葉の定義が曖昧なのだ。
まず、思考とは?
俺の言葉の意味を明確にするために次のことをしてもらいたい。
①頭の中で、「右手よ上がれ!上がれ上がれ!」と考えてみてほしい。強く強く念じる。
②次に実際にスッと右手を挙げてみてほしい。

このとき、①が俺の言う「思考」だ。思考はただしゃべってるだけ。何の力もない。思考では、右手すら挙げられない。
そして②で右手を挙げたとき、何も考えずに上げたはずだ。でも、身体のどこか(脳?筋肉?神経?)では、右手を挙げろと意図されている。意識的、無意識的に関わらずどこかで意図され、方向付けがなされる。これを俺は「意図」と呼んでいる。

思考は意図ではない。
つまり、思考は脳で行われている(前頭葉だったか?)。
腸は思考しないが意図はしている。(養分を吸収しようという意図)。脳にも思考とは別の意図はあるだろう。

原子に思考はない、ただ、意図(方向性)はあるだろう。皮膚を構成する分子、原子にも「皮膚でありたい」という意図はあってしかるべき。

では、その意図の集合体としての「私」は何を意図しているのか?

こないだの質問「自分と世界に、明確な境界線はあるの?」にも関連するが、境界線があるかどうかは何とも言えない。ただ、さまざまな情報が「自分」の中を流れているだけ、なのだとは思う。
食べ物も口から肛門まで流れているだけ。空気は鼻から肺を通って鼻へと流れているだけ。(しかし、入ってきたものと出ていったものは別のものに変わってはいるが)。なぜそうなっているのか、そう意図されてるからだ。ではその意図とは何か?が科学になり、哲学になり、宗教になり、量子力学になったりしている、と思ってる。

と、まあ大分このスレの主旨とは離れたが、思考には力なんかなくね?という疑問、反論である。

伝わるかな?


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