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同志学さんが語ります。
51
:
沖浦克治
:2016/08/01(月) 06:43:52 ID:SZcSAtOs0
おはようございます。
創価学会で折伏の捉え方が大きく変わったのは5年ほど前からですね。
そのころ池田先生が言われました。
『私は戸田先生をお護りした。
四条金吾が大聖人を護ったように。』(趣意)
その時多くの疑問が氷解致しました。
興師の唯受一人には常に疑問を感じていたのです。
遺誡置文が御書に反すること。
別当でありながら驪山をしたこと。
興師には多くの在家は従わず、向師を選んだこと。
戒壇本尊は本懐であり得ないこと。
これらの疑問は常にありましたが、私は興師の唯受一人を信じるべきだと思っていました。
その疑問が氷解したのが、この指導を読んだ時でした。
そして、折伏(実態は摂受ですが面倒なのでこう呼びます)の事を先生が言われました。
『折伏のことを日本語で対話って言うんです。』(趣意)
この時思いました。
もう摂受の時代なんだ。
今でも正しい判断をしたと思っています。
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