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グラスルーツの日々雑感。「ナンタルチアぁ!」NO.2
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グラスルーツさん、こんにちは
>この現実はいったい何なのでしょうか・・・
いまだに複雑なものを感じます。<
これに関し、私の拙い体験をお話したします。
私も、キリスト教徒の方との思い出があります。
その方は、カソリック教徒で、私が20年前に5年間勤めた小企業(社員50名程)の社長さんで、地域の布教教会の世話役(弟子旦那)をしておられた方です。
社会的にも立場のある方で、県知事とも親しい間柄であったようで、色々県政の話も、商売の話しもしてくださる方で、他国のカジノ遊び話もよくしてくださり、なぜか右手の小指が一本欠落している不思議な魅力のあるかたでした。
会社が製造部長の失態で工場が火災に会い、その結果上位同業の資本が入ってその会社を辞められました、私は当時営業部長でした、役員で残るように勧められました。が、信頼する社長の退社と同時に私も異業種企業に転職しました。
その後個人的なお付き合いをさせていただいて10年ほど経ちました。その間に折伏しました、とはいっても摂受でしたが、池田先生の「人生の座標」を贈呈して、キリストの教えと創価の思想につて語り合ったものです。
その心の友は、残念ながら、4年前に他界なされて「聖フランシスコ〇〇」になられました。もっと相手が激怒するような勇気の折伏しとけばよかったと届かぬ反省をしたものです。
しかしながら、この板にきて、沖浦さんから教えて頂きました。世界広宣流布新時代の創価は「摂受」が基本になる(主旨)ということを。
今は娘さんが後を継いで一人カソリックを継いでおられます。何回も訪託のお誘いがあるのですが、この震災のごたごたから、ついご無沙汰いたしております。
長々と失礼いたしましたが、日蓮原理主義の「折伏」から、お互いの心と心の交流による「摂受」へ切り替えるのが正しい選択と私は思います。
かといって、過去に強力に「折伏」して今世の人間関係がぎくしゃくしたとしても、相手に対する慈悲心からの行為であった場合は来世に生命レベル縁を結んだことになり、「折伏」も「摂受」も同じになると思います。
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