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グラスルーツの日々雑感。「ナンタルチアぁ!」NO.2
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おはようございます。
スレッドお借りします。
御本尊と人の命。
何方が大切か?
これすらわからない方々が創価を名乗っておられる。
そして、その過ちを誰も諫めることが出来ず、管理人さんも同じ体である。
これが創価を名乗る掲示板ではあり得ません。
御書には曼荼羅本尊を仏像だと明記してあります。
でも読まない。
御本尊は不変真如の理です。
対して拝む私どもは隨縁真如の智になります。
唱題を行として行うのは曼荼羅ではなく拝む側。
明確な事実です。
不変真如の理である曼荼羅本尊。
素晴らしいものですが、拝む人がいないならどう云う価値も生みません。
戸田先生が御本尊をお金に例えて話されました。
『紙でできた御本尊を拝んで功徳があるのはおかしいと云う人もいる。
そう云う人も紙でできた千円札には夢中になる。』(主意)
お金は現在の社会では物凄く大切です。
ですが何兆円の資産を持っていても、それを使って買い物しないなら全く価値を生みません。
船が難破して無人島へ着いた。
お金は船の金庫に沢山ある。
だが、無人島では買い物が出来ない。
それで、大金を持ったまま飢え死にした。
御本尊も同じです。
拝んで功徳出さないなら全く価値を生みません。
牧口先生の価値論が光ります。
『真理は認識の対象であって価値でばない。』(主意)
御本尊は真理に属します。
それだけでは価値ではないのです。
お金が社会で使用して食料になったり衣服になって価値を生む。
同じく、御本尊は人が拝んで功徳を云う価値を出すことで私どもの役に立ちます。
この当然の理論が理解出来ない。
頭破七分。
怨嫉謗法の恐ろしさです。
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