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グラスルーツの日々雑感。「ナンタルチアぁ!」NO.2

217沖浦克治:2014/10/11(土) 06:26:49 ID:soUu8XxI0
  『日蓮は其の人にも非ず又御使にもあらざれども先序分にあらあら弘め候なり、』
 (曾谷殿御返事)

 建治二年 五十五歳御作です。
 弘安2年の3年前です。
 この時日本中に題目をほぼ広めたと言われています。

 大聖人の御書には、日本の人口は約499万人との記述があり、日本の郡の数(586)や郷の数(3、729)も正しいので、その数値はかなり確実視されていますが、あらあらがどの程度なのかわかりませんが、100万人やそこらは題目を唱えたと考えるのが妥当でしょう。

 ここで問題になるのは、御本尊は大聖人直筆であったと言う事です。
 興師が御形木本尊を勧めなかったのはご存知ですね。

 100万の民衆で御本尊を下付された方は、極々一分です。
 ですので、御本尊は見たことがない方が大部分です。
 御書読めば理解出来ます。

 『御本尊供養の御為に鵞目五貫白米一駄菓子其の数送り給び候い畢んぬ、』
 (日女御前御返事)

一貫が百両との説が有力ですので、日女さんは、御本尊下付のお礼として五百両をご供養されています。
 当時御本尊がどれほど貴重であったか理解出来ます。
 更に、

 『あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ、子にあらずんばゆづる事なかれ信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ、出世の本懐とはこれなり。』
 (阿仏房御書)

 他人に見せるな、子供にしか譲るなと仰せですし、貴方が生まれて来たのはこの御本尊を頂くためです。

 とまで言われておられます。
 どれほど希少価値だったかわかります。

 今、御本尊が絶対でなんていうと、当時の方々に叱られますよ。




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