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曼荼羅原理主義を検証するスレッド

2沖浦克治:2009/10/22(木) 17:28:44 ID:AJ3hr85o0
 先生のご指導から。
 漫荼羅に関する部分です。

  異文化への理解と寛容、を賞賛

 きょうは、寄せられた識者の声を紹介しておきたい。
 私どもの行動に対する「客観的評価」を知っていただきたいからである。
 その一人、日本を代表する宗教社会学者の方は、過日、山崎尚見副会長らとの懇談の折、次のように語られていたという。
 同副会長からの報告を、そのまま紹介させていただく。

 池田名誉会長の北・南米の旅(本年1月〜3月)のご成功を、心より、お祝い申し上げます。本当におめでとうございました。
 聖教新聞の名誉会長の記事を、毎日毎日、感動をもって拝見させていただいておりました。

 今回、名誉会長が訪問された南米諸国のほとんんどが、カトリックの国です。
 その国々で、大統領や大学などから、数多くの顕彰を受けられたことはそれ自体、名誉会長が、異文化への理解と寛容性をもたれた偉大な指導者であ証明です。本当に素晴らしいことです。

 カトリックの国で日本の仏教者が、これほど評価されことは並大抵のことではないと言われている。
 普通なら全部、相手にされないか、批判だけである。
 それでは広宣流布できない。
 その国のために、その国を理解し、その国に尽くしていく。
 私は常にその決心できた。

 私がこの方と、初めてお会いしたのは、もう20数年前のことになる。

 その時の思い出も回想されたという。

 名誉会長と、初めてお会いした時のことは、いまだに忘れることはできません。その時、名誉会長は言われました。

 ・・カトリックの人々は、苦難の歴史、苦闘の道を歩まれた。
 そうした行動の次元においてカトリックは、私たちの「兄」といっても過言ではありません。・・
 私はまず、その謙虚な言葉に驚きました。

 キリスト教は、弾圧に次ぐ弾圧、殉教に次ぐ殉教を経て、世界へと広がった。
 近年の日蓮正宗の僧侶のだれが、そうした努力をしたのか。
 だれもいない。
 大聖人の仏法を初めて世界へ流布したのは学会である。
 教えの浅深は別として、世界への「行動」のという観点から、私は「兄」と申し上げたのである。

 その折、私は「究極に求められるものはなんでしょうか」と質問しました。
 恐らく「板曼荼羅の御本尊」と答えられると思っておりましたが、しかし、名誉会長は「久遠元初の法です」と答えられたのです。

 このことから、名誉会長が、永遠の根源を求めておられ、板曼荼羅に、偏狭にこだわっておられないことに、非常に感動し、創価学会の普遍性と、発展の因を見たおもいでした。
 以来、学会への協力を決意し、今日にいたっております。

 ・・もとより、御本尊が、私どもの「根本尊敬」の対象であられることは言うまでもない。
 そのうえで、曼荼羅それ自体は、物体という側面からいえば永遠不滅ではありえない。
 当然、そこに計りしれない御仏意があられると拝されるが、曼荼羅としてあらわされた「法」は永遠である。

 いずれにしても、大聖人の仏法の真髄である、「久遠元初の法」を根本としてこそ、永遠の妙法流布の道が開ける。
 この方は、そこに普遍的なものを感じとられたのであろう。

     平成5年5月3日 記念 勤行会より抜粋 引用


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