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本尊について
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:
沖浦克治
:2009/05/19(火) 08:46:01 ID:AJ3hr85o0
折角の本尊についてのスレッドですので、本題に戻します。
皆様方は以下のアドレスを覗かれたことがおありですか?
http://www.lbis.jp/gohonzon/
ここには、大聖人様の御真筆のご本尊様があります。
今、その気になるなら(私はやりませんよ)ここから好きな御本尊様をプリントアウトし、表装をすれば何方でもお漫荼羅が手に入ります。
既に、私共のお曼荼羅は戒壇様を書写したものではないことが明白になりました。
私共、創価学会員は、自宅ご安置の御形木様は戒壇様を書写したものだ。と教えられて来ました。
おそらく法華講の方々も同様でしょう。
もし、戒壇様と家庭の御形木様に相貌の差があるなら、この話は大嘘だったことになります。
ところが現実には双方の相貌には大きな隔たりがあります。
最も大きな違いは二箇所です。
一つは御形木様の、福過十号、頭破七分、が戒壇様にはありません。
今一つは、御形木様の讃文は、仏滅後二千二百三十余年。戒壇様は、二千二百二十余年。
その他、勧請の諸尊の相違もありますね。
nたとえば、戒壇様では、釈提桓因大王。となっています。
法主書写の御形木様では、帝釈天王。
よく宗門の方が、創価学会は本尊をカイソした。と騒ぎます。
それの何千倍もの異なりです。
ですので、結論として言えば、私共の御形木様は戒壇様を書写したものではありません。
すると、出世の御本懐の戒壇様とは違う御本尊様を書写した事になりますね。
戒壇様と、私共の御本尊様は全く別の御本尊様なのです。
ところが大功徳がでる。
この場合、双方の異なる御本尊様が同じお力をおもちである。
このように考える事が自然です。
すると当然、身延にある御真筆も同じお力をお持ちである。
当然ながら、こう言う結論が導き出されます。
こう言う時代に、曼荼羅原理主義者の眺め人は、既に存在価値がないのですよ。
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