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【転載】投稿記事の掲載。

7有尋有伺:2020/12/06(日) 13:09:56 ID:6erUuVP60
> >  『 この食べ物の滅から、生じたものは滅する法(性質)であると、
如実に、正覚によって見る。』
> >
> > ですから、ここでの「生じたもの」とは「苦しみ」のことなのだと
捉えることが出来るのではないでしょうか?
>
> ああ、なるほど、それもありですか。
わたしは、滅することが苦に直結していくから、生じたものは滅すると知ると、
生じただけではわからないが、
> それは、滅するのだと知るとき、苦につながるだろう、
というように考えたりしていました。
> 生じたものが、即、苦しみであれば、すぐに厭離できそうですね。

はい。「生じたものは、即、苦しみである」と知る(あるいは観る)ことが
最も重要なんですね。
(生じたものとは、自己に生起した対象への「依存関係」のことです)。

ダンマパダ(273)の中で釈尊は、

| もろもろの真理のうちでは<四つの句>(=四諦)がもっともすぐれている。
| もろもろの徳のうちでは<情欲を離れること>が最もすぐれている。

と説かれています。ですから、「生じたものは、即、苦しみである」と知ることが、

そのまま《 現に証せられるもの、時を隔てずして果報あるもの 》に即応するんです。


| 教法は世尊によりて善く説かれた。
| すなわち、この教法は、現に証せられるもの、時を隔てずして果報あるもの、
| 来り見よというべきもの、よく涅槃に導くもの、
知者がそれぞれに自ら知るべきものである。

|(増谷文雄、『新しい仏教のこころ』、講談社、74頁)


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