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苦の滅尽
9
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時
:2013/11/09(土) 13:40:04 ID:wfU.Go.c
一切の生起したものは、やがては滅します。そして一切には「渇愛が染着している」と言う事でしょう。そしてこの一切を知る為に、この縁起の法が説かれ、その具体的な分別をして説かれたものが、十二・十・九等の各支縁起だと言う理解です。二支縁起(無明→老死)でも良いのですが、これでは分かりづらいですね。ですので、一切の生起と滅尽の理解を促す為に、例えば十二支縁起が説かれていますので、「つまり、渇愛は、十二支縁起の「八番目の縁起支」にだけ見出されるのではありません」のご指摘は、ごもっともだと言う理解です。
>そのような「あちこちで生起し留まっているさまざまな渇愛」が、寄り集まって(集起して)、次の転生を形成する力となるのです。
比丘たちよ、それと同じように、壓縛(けいばく)するものをじっと味わい観ていると、その人には名色が現れてくる。
その名色によって六処がある。〈→触→受→愛→取→有→生→老死・愁・悲・苦・憂・悩〉が生ずる。
かくのごときが、このすべての苦の集積の生ずる所以(ゆえん)である。
しかるに比丘たちよ、その壓縛するものを、これはいけないぞと観ていると、その人には、名色は消滅する。
名色が滅すると六処が滅する。〈→触→受→愛→取→有→生→老死・愁・悲・苦・憂・悩〉が滅する。
かくのごときが、このすべての苦の集積の滅する所以(ゆえん)である。(相応部経典因縁相応36.名色)
例えば、受の滅により正定の完成が果たせたのならば、続く愛は生起せず、続く取→有→生→老死は生起せず、不死の境地の獲得となり、又、受の滅によりそれに付随する、無明(三毒)は滅尽できています。そして無明から生起する渇愛の滅が確定し、同時に、識の滅も果たせます。なぜなら識は、受を識別するからですね。識別すべき受が滅尽すれば、識も生起しませんね。
友よ、『それは識別する、それは識別する』という、このことから識と言われます。しかし、何を識別するのでしょうか。
『楽である』と識別するのです。『苦である』と識別するのです。『非苦非楽である』と識別するのです。
友よ、『それは識別する、それは識別する』という、このことから識と言われるのです。(中部経典43経「大有明経」)
よって「受」の滅により得られる果報は、愛の滅・無明の滅・識の滅です。そして識が滅すると、続く名色との関係が破壊されます。これは、妄執想の滅を意味しますね。そして実際の生活上では、感官の防護が助力として機能しますので、磐石の体制ではないでしょうか。つまりは、何がしかの行為に従う場合にも、六処に対応する六境に接触・感受した場合にも、もろもろの不善の法は減退し、もろもろの善の法は増大すると言う方に従うと言う、パーティモッカの防護による実践や感官の防護が、長部経典第21経「帝釈天問経」に説かれており、その時には、有尋有伺よりも無尋無伺が優れているとも書かれていました
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