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苦の滅尽
22
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時
:2013/11/22(金) 13:48:55 ID:wfU.Go.c0
>「受念処」や「心念処」では、ただ、ありのままに観る…ということを説いているのです。
受念処は、三受をありのまま観て行く事で、その時の受の状態を自身で把握できますし、心念処は、四無量心の瞑想につながります。こちらのブログにお邪魔するまで全く知らなかったのは「法念処」でした。つまりは、何も知らなかったと言う事です。
>これらは、相応部経典六処相応35.70「ウパヴァーナ(優波婆那)」と同じことを言っているのです。
>要するに、「ある」ものを「ある」と知る──ただ、それだけを述べているのですが、
>これらは「身念処(出入息念)」と交互に修習することで、その効果が現われるのです。
>各念処を、それぞれ単独でこのように見てしまっていては、ほとんど意味不明の説明にしかなりません。
そうですね。同じ事を表現していますね。
垢があり、内に垢があると知らない。垢があり、内に垢があると知っている。垢がなく、内に垢がないと知らない。垢がなく、内に垢がないと知っている。と言う四種の人々と言う内容が書かれている「中部第5経 無垢経」もありますね。ただそれに気付けるのは、受の滅を自ら確認できた後で、それを基準としての貪りの心であり、貪りを離れた心であるのでしょう。その時に感官の防護が役立つのではないでしょうか。
>──このような説明も、毎日繰り返し繰り返し実践していくことによって、
>ほとんど動かなかった腕が、少し曲がるようになり、だんだん曲がるようになり、
>やがてあちこちへと動かせるようになり、曲げたり伸ばしたり自由に動かせるようになる。
>…といった、そこへ至るまでの、リハビリのような地道な訓練(修習)が省略されて説かれているのです。
理解しました。過去には、雨粒に溶け込んだり、風と一体となったりして遊んでいましたが、最近では、我慢・疑・驕慢・見取・我語取に注意を払い、心がけているのは捨断です。
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