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苦の滅尽
21
:
時
:2013/11/22(金) 13:48:10 ID:wfU.Go.c0
>という、これらのことを実証的に、誰かの受け売りとしてではなく、体験を通して(自己を依処として)確認するのです。
そうですね。理解しました。これも「誰かの受け売り」ではなく「体験を通して」の理解です。受け売りではない理解の経典や、パーティーモッカの防護・六根の防護がなされておらず、最終的にそれに気付く修行僧の話等が経典にはありますね。
実に、尊師よ、ここで、わたしは、尊師を信ずるが故に、信の能力(信根)が、修められて多くなされるなら、不死に深く入り、不死にいたる道となり、終には不死に到達する、精進する能力(精進根)が、修められて多くなされるなら、不死に深く入り、不死にいたる道となり、終には不死に到達する、気づきの能力(念根)が、修められて多くなされるなら、不死に深く入り、不死にいたる道となり、終には不死に到達する、定の能力(三昧根)が、修められて多くなされるなら、不死に深く入り、不死にいたる道となり、終には不死に到達する、智慧の能力(慧根)が、修められて多くなされるなら、不死に深く入り、不死にいたる道となり、終には不死に到達する、とするのではありません。
略
よろしい、よろしい、サーリプッタよ、サーリプッタよ、もし、智慧によって、これを了解せず、見ることなく、知ることなく、証明することなく、ふれることがないならば、かれらは、他のものたちを信ずることによって、信の能力(信根)が、…、精進する能力(精進根)が、…、気づきの能力(念根)が、…、定の能力(三昧根)が、…、智慧の能力(慧根)が、修められ多くなされるなら、不死に深く入り、不死にいたる道となり、終には不死に到達する、となすだろう。
サーリプッタよ、もし、智慧によって、これを了解し、見て、知って、証明し、ふれているならば、迷いなく、かれらは、そこで、信の能力(信根)が…、精進する能力(精進根)が…、気づきの能力(念根)が…、定の能力(三昧根)が…、智慧の能力(慧根)が、修められて多くなされるなら、不死に深く入り、不死にいたる道となり、終には不死に到達する、ということに疑いをもつことはない。
(東の門屋 サンユッタ・ニカーヤ 48-44.)
神は近づいてから、その修行僧に次の詩を以て話しかけた。「水中に生ずるこの蓮の花は、与えられたものではないのに、そなたはその香りを嗅いだ。この香りは、盗まれるものの一つだ。修行僧よ。そなたは、香りの盗人だ。」
修行僧いわく「わたしは、この花を取り去ったのではありません。折ったのでもありません。離れて、蓮華の香りを嗅いだのです。それなのに、どういう理由で、わたしを香りの盗人と呼ぶのですか?蓮の茎を掘り、蓮根を喰う人、このように汚れた行動をなす人を、どうして盗人と呼ばないのですか?」
神いわく「下女の汚れた衣のように、汚れて荒々しい男に向って、わたしは説いているのではない。わたしは、そなたに向ってこそ言うべきである。罪汚れなくして、常に浄らかさを求めている人には、毛先ほどの悪でも、雲ほどに大きく見えるのである。」
(紅蓮華(または白蓮華)サンユッタ・ニカーヤII)
>中部10経「念処経」においては、「身念処(出入息念など)」では、無常想や不浄想などの修習をしますが、
そして身念処は修行が進んで行くと観智に通じますね。
『実にこの私の身は、有色であり、四大種所成であり、母父所成であり、飯と粥の積集であり、無常なる破壊・摩滅・分断、破砕の法である。そしてまた、この私の識は、そこに依止し、そこに結びつけられている』と。(長部2経「沙門果経」・長部10経「スバ経」)
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