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苦の滅尽
20
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時
:2013/11/22(金) 13:45:32 ID:wfU.Go.c0
>理解によって、瞬時に消滅する──ならば、とても素晴らしいと思うのですが、そうはなりません。
不思議ですね。私が「理解が起これば瞬時に消滅しますね」と言う意味合いで表現すれば、和井さんは「そうはなりません」と表現される。私の表現が曖昧なのでそうなるのかも知れませんが。理解はするものではありませんで、起こるものです。これを突き詰めて行くと、会話は消滅します。恐らくの想像ですが、和井さんは、思考においての理解、記憶の事を前面に想定しての「そうはなりません」と表現されているものだと思いますが。
>ですから、「ありのままに観る」ことによって、何かが変化する(消滅する)ことはありません。
勿論そうなるでしょう。「ありのままに観る=如実知見」では、何も変化するわけがありませんし、勿論「消滅」はしませんね。如実知見に至るまでの、妄執想での見え方・捕らえ方・認識の仕方から如実知見を体得した時に、妄執想での見え方・捕らえ方・認識の仕方が変化し、それら妄執想は、消滅します。そしてその前後の状況を「そのまま認識する」だけではないのでしょうかね。でないと、妄執想の滅を目指す意味がなくなります。
>これと同じように、何を繰り返すと(不善法の)残高が減り、何を繰り返すとその逆に増えてしまうのか。
>それを正知するために、「現状確認」をして、特定の法を修習し、そして再び「現状確認」をするのです。
>
>上記の説明を、別の角度から表現すると、
>
> 証知(事前確認)→捨断(憶念・修習)→現証(事後確認)→修習(選別して繰り返す)
>
> 楽味・危難・出離 … これらの意味とその使い方を知悉する(苦を滅する方法の、一切・全てを知る)
>
>──という「四聖諦」の、具体的な実践法として表わすことが出来るのです。
そうですね。繰り返す事ですね。実践としては、何度も何度も繰り返します。何かを認識した瞬間に、それに気づき、捨断し、現証し、そして再度修習しますね。
さてゴーディカ尊者は、熱心に精励し、修行につとめていたが、精神統一にもとづく心の解脱に達した。ところが、次いでゴーディカ尊者は、その精神統一にもとづく心の解脱から退いた。
再びゴーディカ尊者は、熱心に精励し、修行につとめていたが、精神統一にもとづく心の解脱に達した。再び尊者は、その精神統一にもとづく心の解脱から退いた。
略
七たびゴーディカ尊者は、熱心に精励し、修行につとめていたが、精神統一にもとづく心の解脱に達した。
(ゴーディカ サンユッタ・ニカーヤII)
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