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苦の滅尽

18和井 恵:2013/11/22(金) 08:41:56 ID:/qZ2M5.20

> つまりは「喜び・喜びではない・喜ばしく喜ばしくない」と言うものが起こった瞬間に、
> これは「作意されたもの・縁により生じたもの」であると言う理解があれば、それは瞬時に消滅しますね。

理解によって、瞬時に消滅する ── ならば、 とても素晴らしいと思うのですが、そうはなりません。
だからこそ、釈尊の教えは、少し、ややこしい ( 解りにくい ) のです。

「 ありのままに観る 〈 如実知見 〉 」 というのは、要するに、最もシンプルな 「 現状確認 」 なのです。


それ以上でも、それ以下でもありません。

ですから、「 ありのままに観る 」 ことによって、何かが変化する ( 消滅する ) ことはありません。


── 喩えて言えば、
お財布携帯を使って、五千円をチャージし、それからコンビニなどで買い物をするとします。
そして、今いくら残っているのかを携帯の画面で確認すると二千円くらいになっていた、と。
この、五千円と二千円を、それぞれ画面で事実確認することが 〈 如実知見 〉 なのです。
何を確認するのかと言えば、五千円がチャージされていることの 「 最初の確認 」 と、
〈 買い物をした 〉 ことによって、現在の残高がいくらなのかという 「 事後確認 」 です。
そして、この二つの 「 確認 」 によって、次のことを正しく把握することができるのです。


 買い物をすれば残高が減り、そして、チャージをすれば残高が増える。


これと同じように、何を繰り返すと ( 不善法の ) 残高が減り、何を繰り返すとその逆に増えてしまうのか。
それを正知するために、「 現状確認 」 をして、特定の法を修習し、そして再び 「 現状確認 」 をするのです。

上記の説明を、別の角度から表現すると、

  証知 ( 事前確認 ) → 捨断 ( 憶念・修習 ) → 現証 ( 事後確認 ) → 修習 ( 選別して繰り返す )

  楽味・危難・出離 … これらの意味とその使い方を知悉する( 苦を滅する方法の、一切・全てを知る )

── という「 四聖諦 」 の、具体的な実践法として表わすことが出来るのです。

そして、

 1. もろもろの不善の法が増大し、もろもろの善の法が減退したのならば、それは、従うべきでないものです。 
 2. もろもろの不善の法が減退し、もろもろの善の法が増大したのならば、それは、従うべきものです。

   ※ もろもろの不善の法 → 〈 渇愛・喜貪・取著・固執 など 〉 
     もろもろの善の法  → 〈 厭離・離貪・捨棄・平静 など 〉

という、これらのことを実証的に、誰かの受け売りとしてではなく、体験を通して( 自己を依処として ) 確認するのです。


  以上のように、そこ ( A ) に全くない そのもの ( B ) によって、そこ ( A ) を空であると見る。
  なおまだそこに余ったものがあるとき、在るところのそれを、 「 それはある 」 と知る。
  このように、かれには、アーナンダよ、この、如実であって転倒なき清浄な空性が顕現し存在している。

  ( 中部 121経 「 小空経 」 )


以前にはまだあったものが、なくなっていることで、それを 「 空である 」 と見る ( その変化・滅を知る )。
まだそこに残っているものを、 「 それはある 」 と、ただあるがままに ( 何の価値観も付加せずに ) 知る。

( つづく )


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