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涅槃
1
:
時
:2013/09/29(日) 01:51:18 ID:WLMLwkD2
こんにちは。
四禅定の四禅で不苦不楽を捨覚支にて捨て去った境地と、九次第定の想受滅=無想処と、漏尽智で一切=十八界から出離した境地とは、全て同じ涅槃(煩悩=渇愛がない状態)の境地の事で、解脱の事であり、それぞれで慧解脱、心解脱、悟りと言う 煩悩=漏を滅尽智にて滅尽したと言う事で同じ境地と言う理解で宜しいでしょうか。
宜しくおねがいします。
10
:
時
:2013/10/10(木) 03:33:11 ID:x0SqdRKg
失礼しました 追記です。
「最初の感受をした瞬間にその感官を防護した状態にします。」と書きましたが、六処は常に対象に接触していますので、常に感官の防護をした状態を意識していなくても防護できていますが、時として、防護できておらず、まともに感受している事を認識した瞬間に、その都度、防護を意識すると言う意味合いです。
11
:
和井 恵
:2013/10/10(木) 04:57:24 ID:/qZ2M5.2
「妄執想の滅尽に到るにふさわしい実践」につての説明や、「戒〈パーティモッガ〉の防護による実践」、そして
「感官の防護による実践」などの、具体的な実践が何であるか ── ということに対するヒントは、
長部経典21経「帝釈天問経」の中で語られていますので、それを参考にすると解り易いでしょう。
〈 いずれgooブログの方で解説する予定です。〉
※上記の、諸々の実践を理解する上で、さらに参考になるのは、中部経典の19経「二種考経」や20経「考相経」などになります。
これらを参考にすれば、時さんならば、自力で答えを見つけることが出来ると思いますよ。
12
:
時
:2013/10/10(木) 06:09:45 ID:x0SqdRKg
中部経典の19経「二種考経」と20経「考相経」は「原始仏典・和訳&解説@和井恵流」でご紹介して頂いていますね。確か、有尋有伺等の為のご説明だったと記憶していますので、もう一度、内容を再確認しますね。
私は、仏典を一冊も持っていません。ネット上で仏典の訳を書かれているものを集めて整理して理解しています。ですので、長部経典21経「帝釈天問経」の訳文が、ありますかどうですか。無ければ、それはそれで問題では有りませんが、一度、内容を読んで見たいですね。
>〈 いずれgooブログの方で解説する予定です。〉
その時になるまで、静かに待つ事にしましょう。
又、何か有りましたら投稿させて頂きたいと思います。その時には、宜しくお願いします。
有難う御座いました。
13
:
時
:2013/10/11(金) 11:53:02 ID:x0SqdRKg
>「受の滅尽」とは、どのようなこと(状態)を指しているのでしょうか?
奇なるかな。奇なるかな。一切衆生悉く皆如来の智慧と徳相を具有す。ただ妄想・執着あるを以ってのゆえに証得せず。
妄想あれば尋生起し、尋あれば欲生起す。欲あれば愛憎生起し、愛憎あれば嫉妬生起す。
つまりは、無我です。
14
:
和井 恵
:2013/10/12(土) 03:10:34 ID:/qZ2M5.2
> 奇なるかな。奇なるかな。一切衆生悉く皆如来の智慧と徳相を具有す。ただ妄想・執着あるを以ってのゆえに証得せず。
これは、何処からの引用なのかしら?
大乗仏教的なニュアンスが文面から伺えますね。
> 妄想あれば尋生起し、尋あれば欲生起す。欲あれば愛憎生起し、愛憎あれば嫉妬生起す。
比丘たちよ、色界によって色想が生じ、色想によって色思惟が生じ、色思惟によって色触が生じ、
色触によって色触から生じる受が生じ、色触から生じる受によって色欲が生じ、
色欲によって色熱(色貪)が生じ、色熱によって色求が生じ、色求によって色得が生じる。
( 相応部経典 界相応 14.09. 触、その1 )
色界(六外処) → 色想 → 色思惟 → 色触 → 色触から生じる受 → …
ちゃんと、上記のプロセスに沿っていますね。
ただ、所々、省略されてしまっているのが、とても残念です。
15
:
和井 恵
:2013/10/12(土) 03:14:37 ID:/qZ2M5.2
> つまりは、無我です。
「我」とは、五取蘊 を指します。
そして、「無我」とは、五蘊 を指しているのです。
つまり、渇愛が無くなり、取著が滅してしまえば、五取蘊は、元の、ただの五蘊に戻るのです。
バーヒヤさん、まさに、このように、あなたは学ぶべきです。
バーヒヤさん、まさに、あなたにとって、
見られたものにおいては、見られたもののみが有るであろうことから、
聞かれたものにおいては、聞かれたもののみが有るであろうことから、
思われたものにおいては、思われたもののみが有るであろうことから、
識られたものにおいては、識られたもののみが有るであろうことから、
バーヒヤさん、それですから、あなたは、それとともにいないのです。
( 小部経典 ウダーナ 1.10 バーヒヤの経 →
http://blog.goo.ne.jp/waikei2008/e/f4b085b489234df831c8f027eafc7d9a
)
16
:
時
:2013/10/12(土) 08:26:50 ID:x0SqdRKg
> これは、何処からの引用なのかしら?
> 大乗仏教的なニュアンスが文面から伺えますね。
インターネット上から集めたものの一つですが、仏典に書かれていると言うことでしたが、その仏典の出所は不明です。
恐らくは大乗のものと思います。
> つまり、渇愛が無くなり、取著が滅してしまえば、五取蘊は、元の、ただの五蘊に戻るのです。
「つまりは、無我です。」と言う見解。・・・愚かな答えですね。
「事は起こり続け、行為は行われるが、そこに行為者はいない。」と言う言葉が頭を過ぎります。
17
:
時
:2013/10/15(火) 13:35:47 ID:x0SqdRKg
一切の生起したものは何であれ滅します。よって答えはありません。なぜなら、問い自体を問うものがいないからです。教えにより清らかになるともならないとも説きません。つまりは、答を求めるものはもういません。
18
:
時
:2013/11/19(火) 12:29:29 ID:wfU.Go.c0
彼のこの解脱は、真実の上に立脚し、不動である。というのは、比丘よ、虚妄なるものは虚偽であり、虚妄ならざるものニルヴァーナは、真実だからである。それゆえに、そのように体得した比丘は、この最上の『真実というよりどころ』を身に付けた者となる。というのは、比丘よ、最上の聖なる真実とは、すなわち、虚妄ならざるものニルヴァーナだからである。(中部第140経界分別経)
妄執想にて棒を持ち、見取により論争が絶えず、人は皆、平穏を求める故に苦しみを生み出し続けている一切皆苦の有情の世界・・・虚妄なるものが虚偽ならば、真実は虚妄ではない「ニルヴァーナ」となります。
2500年前に釈尊がこのような事に気づき、周りに説き、そしてその周りの存在達が文字に残してくれたたものです。。。今、釈尊が、サーリープッタが、マハーモッガラーナが・・何やら微笑んでいます。
涅槃は不可見、無辺にして、一切よりの渡し場あり。ここに、水と地、火、風は堅住しない。ここに、長と短と、細・粗、浄・不浄は。ここに、名と色とは、余すところなく滅尽する。識の滅によって、ここにこれが滅尽する。(長部11経ケーヴァッタ経)
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