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おまいらのPCについて語れ ペート40.60
283
:
名前がないのをしらけた感じをする
:2010/05/04(火) 16:27:15
永田洋子さん(以下洋子さんと表記する)は、現在、死刑確定囚として東京拘置所(以下東拘と表記する)の病室に収監され、寝たきりの状態でいる。
洋子さんは、1984年7月20日、「松果体部腫瘍」のため慶応病院でシャント手術をうけ、その後、東拘に収監されていた。
2006年3月16日に倒れ、大小便や食事が自力でできなくなった。3月24日に私が面会した時は、意識のない状態で車イスで運ばれてきた。
3月30日、慶応病院に入院。
慶応の医師より、「以前行ったシャント手術で入れた管がボロボロになっていて、脳圧が亢進して、そのため脳が委縮している。管を取りかえれば、脳の委縮はもどる」との説明があった。同日、管の取りかえの手術をうけた。この管の手術は失敗し、31日に再手術をした。
4月3日、洋子さんは東拘に戻された。
5月4日、東拘医務部長より、「慶応病院の吉田、戸谷医師が診察し、『脳室の拡大あり。2月から脳委縮があり、意識が悪くなる一方、今は全く意識はない。脳委縮はいかんともし難い』」と診断があった」と説明される。
5月31日、東拘より洋子さんを「八王子医療刑務所に移送」と連絡してきた。
以下、八王子医療刑務所、再移送後の東拘における面会の様子等を記して、洋子さんの経過・現状を説明する。
八王子医療刑務所での面会および医師の話
2006年6月7日
何度も呼びかけると目をあけた。手をにぎりかえしてきた。
医師の話
意識水準は30(言葉を発することがある程度)。栄養は点滴で入れている。次の段階では、胃瘻による栄養摂取もあるが現段階では意識がしっかりしていないので、この方法は危険である。
6月22日
私の問いかけに洋子さんは「わからない」と答える。私の手を握り離さない。面会終了時、看護師さんに協力してもらい、やっと手を外す。
私が「また来る」と言うと「また来るのは良いけど、おいていかないでね」といったようだ。
8月15日
「8月14日に胃瘻の手術をした」と医者から知らされる。
このところ、面会時寝ていることが多い。
9月12日
医師の話
発語しなくなった。脳委縮は変わらず、時間もたっているので良くなるのはむずかしい。
9月14日
八王子医療刑務所より呼び出し。
午後4時過ぎ、吐いているのが見つかり、洋子さんは危篤一歩手前の状態になる。
9月19日
最近のなかでは、意識状態は良かったようで、呼びかけにうなずく。
10月3日
寝ていた。看守の話では「お父さん」と言ったり、医師に「ありがとう」と言ったという。
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