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Nobel(ノーベル賞 永世候補)村上春樹 Murakami Literature

6研究する名無しさん:2021/04/02(金) 00:06:55

ノーベル文学賞作家、芥川賞作家の参戦  そして1971年。  美濃部革新都政は福祉政策で都民の支持も得て(後に、「バラマキ」と批判されるが)、人気があった。この「人気のある学者知事」に対抗するには「実務家」しかいないということになり、自民党が立てたのは、元警視総監の秦野章だった。   だが、世の中で警察ほど嫌われている人たちもいない。当時はとくにそうだった。反体制の運動家だけでなく、一般のドライバーも警察は嫌いだ。そういうレベルの嫌われ方だが、これが大きく、秦野の人気はなかった。

71年の都知事選で話題になったのは、自民党が推薦する秦野章を、ノーベル文学賞作家である川端康成が応援したことだ。単に推薦人として名前を出しただけでなく、川端は選挙カーに乗って遊説までした。

川端が普段から政治的活動をしていたのならともかく、あまりにも唐突で、しかも熱心に選挙運動をしたので驚く人は多かった。翌年に川端が自殺することから、この選挙応援については、さまざまな憶測がある。

秦野陣営としては、警察官僚という悪いイメージを相殺するために、「ノーベル文学賞作家」の持つ芸術・文化的イメージを加えて臨んだが、結果は、美濃部が361万票、秦野は193万票と、美濃部の圧勝だった。公明党と民社党が美濃部に乗ったのも、大差となった要因だ。

71年選挙で美濃部陣営がスローガンにあげたのが、「ストップ・ザ・サトウ」だった。「サトウ」とは佐藤栄作首相のことだ。都政とは関係のないスローガンを現職の知事が掲げたので、批判もされた。このあたり、今回、安倍政権の改憲路線への危機感から野党がまとまり、鳥越俊太郎が立候補を決めた時への批判と似ている。

75年も、「学者知事」対「文学者」の対決となった。文学者は「後援者」ではなく、候補者そのものになった。芥川賞作家・石原慎太郎である。   この時は、社会党と共産党との関係が悪化し、共闘できないのではと言われていた。美濃部も社共共闘でなければ勝ち目はないので立候補するとの決断を伸ばしていた。

そうこうしているうちに自民党側が石原慎太郎を出すと決まったので、石原の思想を「ファシズム」と決め付け、美濃部は「ファシズムと闘う老闘士」として三選に出馬し、268万票対233万票で勝った。


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