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(Agawa、Agawa) 阿川佐和子(の父とか)夫の教授とか

1:2020/07/04(土) 23:48:23
(Agawa、Agawa)阿川佐和子(の父とか)夫の教授とか

阿川佐和子に結婚報道が浮上も、作家タブーでマスコミが避けて通る「友人の夫を略奪不倫疑惑」 (2016年末)

   エッセイスト、テレビの司会者として活躍中の阿川佐和子に結婚報道が浮上した。相手のS氏は6歳年上で、元・慶應大学教授(2013年に定年退任)。

阿川本人は入籍は否定しているものの、すでに同棲しており、「結婚秒読み」の状態にあるらしい。

2研究する名無しさん:2020/07/04(土) 23:50:11
夫の(元)教授 って名誉教授?    エッセイスト、テレビの司会者として活躍中の阿川佐和子に結婚報道が浮上した。相手のS氏は6歳年上で、元・慶應大学教授(2013年に定年退任)。阿川本人は入籍は否定しているものの、すでに同棲しており、「結婚秒読み」の状態にあるらしい。

「お見合い失敗30回」を自称し「元祖結婚できないキャラ」だったあの阿川さんがとうとう…という感じで、多くのメディアが祝福ムードでこの話題を紹介している。

 だが、この報道、週刊誌を読むと、ちょっと奇妙な空気が漂っている。みんな何かをにおわせながら、でも決定的なことを書かない、そんな感じになっているのだ。

 第一報の「FLASH」(光文社)11月29日・12月6日号からしてそうだった。「FLASH」は「スクープ!阿川佐和子63歳!ついに結婚を明言!お相手はロマンスグレー紳士」と題し、同棲中の阿川とお相手のS氏を直撃したのだが、そこにはこんな記述があった。

〈「2人が出会ったのは30年前で、もともと阿川はSさんの奥さんと友人でした」(知人のコメント)〉
〈S氏は妻帯者だったが〉〈最近、2人の関係に進展が訪れた。S氏の離婚が成立したというのだ。〉

 もとは友人の夫で、離婚したのが「つい最近」てことは、友人からの“不倫略奪婚”ということだろう。ところが 「FLASH」はその部分をまったくツッコまず、そのまま祝福トーンで記事を締めている。

 翌週11月23日発売の「女性セブン」(小学館)も同じだった。やはり相手のA さん(S氏のこと)が友人の元夫であることを書いたうえで、Aさんの妻に直撃までしている。

3研究する名無しさん:2020/07/05(日) 00:10:19
『きかんしゃやえもん』は名作だな。自分が幼少の頃にも読んだし、娘にも読み聞かせた。

4研究する名無しさん:2020/07/05(日) 00:22:06

子供‎: ‎阿川尚之(長男); 阿川佐和子(長女) < 子供が2人だけなんなら、(長男)(長女)に違和感


「日本の」に違和感> 『きかんしゃ やえもん』は、日本の絵本。 作者は阿川弘之(文)と岡部冬彦(絵)。擬人化された古い蒸気機関車を主人公とする作品で、1959年に岩波書店より「岩波の子どもの本」シリーズの一作として刊行された。小学校の国語教科書に掲載されたり、影絵劇化、 ...


いま、これ読んでる>  『論語知らずの論語読み』 (文庫本)  阿川 弘之

二千数百年前の中国の古典『論語』。余りにも有名であるけれど、きちんと読んだ人は、どのくらいいるだろう。  ならば、孔子にならい、我流の読み方をしてみようと、阿川弘之 ...

5研究する名無しさん:2020/07/06(月) 00:50:03

  略奪不倫 と言えば、 【キョンキョン】  #小泉今日子 「現実は受け止めないといけない。投票率の低さに驚いた」 「しかし、この数日いい夢を見たよね」  【パヨズミ チョンチョン】 (不倫BBA)



【阿川佐和子】  結婚は親友の元夫で  略奪不倫の友人の反応と旦那とは? 作家でエッセイストの阿川佐和子さん ...

「おこがましいことながら、このたび五月九日に私、阿川佐和子が入籍したことを、ここにご報告いたします」

 5月18日発売の「週刊文春」で、独占手記という形で自身の入籍を発表した阿川佐和子さん(63)。お相手は、元慶應義塾大学教授のS氏(69)だ。手記によれば、阿川さんがS氏と初めて出会ったのは35年前のこと。当時、S氏の自宅で開かれた新年会に、友人に誘われて参加したのが最初だった。当時、S氏は妻帯者で、阿川さんはそこでS氏の妻とも知り合っている。

 そしてそれ以来、阿川さんは、エッセイの仕事などをする際、S氏に日本語の表現について助言を仰ぐようになった。当時、一度だけ2人で食事をしたことがあるものの、誤解を招くと思った阿川さんは「もう二人で会わないほうがいい」とS氏に告げたという。

 その後、阿川さんはテレビの報道キャスターなどの仕事を経て、アメリカへ遊学。25年前に帰国し、日本での活動を再開した。そこで久しぶりにS氏と再会したところ、妻と別居すると聞き、2人の距離が近づいていったという。いわば今回の入籍は、25年越しの恋愛が成就したというわけだ。なんともロマンチックなラブストーリーである。

6研究する名無しさん:2020/07/06(月) 00:53:08

阿川佐和子さんはお見合い歴30回以上を公言し、結婚出来ない女と言われてきました。そんな阿川さんが、2017年5月に63歳で熟年結婚をしました。

相手は6歳年上の白髪の紳士で、元大学教授の男性のようだ。『女性自身』の直撃 ...


  誰だよ?wwwwwwwww

7研究する名無しさん:2020/07/06(月) 14:59:41

  結婚できないと言われてきた阿川佐和子の純愛が報じられた。相手は6歳年上の白髪の紳士で、元大学教授の男性のようだ。『女性自身』の直撃 ...


「純愛」に違和感

8研究する名無しさん:2020/07/06(月) 15:08:43
阿川弘之が自宅で執筆中に、妻と佐和子が気を使って静かにしていたら阿川がいきなり
「うるさい!」と怒鳴り始めたので「私たちは何の音も立てていない」と言い返したら
「お前らの気配がうるさい!」って言ったという話、結構好き。

9研究する名無しさん:2020/07/06(月) 15:16:12
気を使って静かにしていたらそうなるよ。言い返すなんて論外。普通に無視してたらよかったのかも。

10研究する名無しさん:2020/07/06(月) 15:18:52
阿川弘之 は翻訳を1冊してるね。 誤訳が多そうw

11研究する名無しさん:2020/07/06(月) 15:26:03

 『論語読みの論語知らず』より有名になるかも〜鉄道を始めとする乗り物好き。  短編小説を見せて志賀直哉の門下の一員となる。  中学時代に論語を知るが,昭和51年夕刊フジに随筆を書くことになり,テーマとしてふと思いついた論語を選ぶ。

  上野毛の隠居(吉行淳之介)や町田の大家さん(遠藤周作),本屋の赤門堂(三浦朱門),松原万峯楼の若旦那(北杜夫)を登場させ,ああでもない・こうでもないと喋らせる。

   論語の指南役の二信亭田句馬(中国文学者・駒田信二)が登場してきて,小人とはオカマの事かも知れないと言わせる。鬼のおくびは,中央公論の編集長・宮脇俊之らしいが,よく知らない。  その他,佐藤愛子や倉本聰なんかが出て来て,平岩弓枝なんかも出てくるね

〜大正9年(1920)広島市生まれ。東大国文を出て,海軍に志願。ポツダム大尉となる。28歳(1949)で結婚,30歳(1951)長男・尚之出生。32歳(1953)長女・佐和子出生。40歳(1961)次男・知之出生。51歳(1972)三男・敦之出生。この本,元は歴史的仮名遣いで書かれていたが,文庫化するに当たって,現代仮名遣いに改めた。いつ死んだんだっけと調べたら,何も書いてはいないが,まだ生きている。

娘が恐い(怖かった)と書いているが,述而篇で「家でくつろいでいる時…(中略)…もし娘の筆で如実に描かれると,少し面白すぎるおそれがある。娘だけではない。「先には死ねないよ。死んだらあいつのこと最低三百枚は書けると待ち構えているからね」ところで(後略)」

12研究する名無しさん:2020/07/06(月) 16:17:43
そのへんの作家の中では最年長だった阿川が一番長生きしたな。

13研究する名無しさん:2020/07/08(水) 14:01:28

「本屋」の意味が分らん>  本屋の赤門堂(三浦朱門)  < 東大卒

町田の大家さん(遠藤周作),   < 大家さん だったのか?




阿川弘之 の子供>   慶応、 慶応

遠藤周作(慶応)の息子>  たしか慶応

14研究する名無しさん:2020/07/08(水) 14:07:23

檀ふみ も慶応

檀ふみ(だん ふみ、1954年6月5日 - )は、日本の女優・司会者・エッセイスト。 東京都練馬区出身。

父・一雄の影響で、自らも料理、食事に関するエッセイを執筆しており、1999年には親友(大学の先輩で作家の娘というつながりがある)阿川佐和子との共著『ああ言えばこう食う』で第15回講談社エッセイ賞を受賞している。

15研究する名無しさん:2020/07/08(水) 14:33:46
踏み段?

16研究する名無しさん:2020/07/08(水) 15:27:43
「本屋」っていうのが江戸時代の「本屋」だとすると、
「本の小売商人」というよりは「出版社社長」に近い。

17研究する名無しさん:2020/07/08(水) 22:36:38

   「本屋」の意味は、おそらくコレ>  文化庁長官(第7代)

> 父の口利きで1948年から日本大学芸術学部非常勤講師となる。1952年10月助教授、1967年10月教授となるが、もともと日大の教員になったのは三流私大なら不勉強な自分でも教えられるだろうと高を括ったためであり、殊に30代半ば以降は作家としての収入が助教授の給料の数倍に達し、教員をするのがバカらしくなり、そういう気持ちが態度や勤務状況に反映して同僚から反感を買ったという[5]。結局、1969年の日大紛争で学生からも孤立し、赤塚行雄とともに辞職[6]。のち中部大学女子短期大学教授、1991-95年学長を務めた[7]。

2004年10月に日本芸術院の院長に選出され、2014年9月末まで院長を務めた。[8]妻・綾子とともにカトリック信徒[9]で、同時に天皇崇拝家[10]。

2017年2月3日、間質性肺炎のため死去[11]。91歳没。


> 阿川弘之  享年 94歳 (1920–2015)


↑こいつらの長生きの秘訣は何だろ?   戦中、戦後に栄養失調とか経験してるハズだが・・・・・

18研究する名無しさん:2020/07/08(水) 22:50:53
粗食は健康によろしい。

19研究する名無しさん:2020/07/08(水) 22:57:43
栄養失調 → 骨とか、内臓とかがボロボロのはずでは?

20研究する名無しさん:2023/02/23(木) 19:26:26

   ビーガンが毎日ビフテキ食ってたのか

    阿皮佐婆子とおなじで長年不倫してたんやろ


父親ぐらいの歳の差だな。  俺流心理学では、この人は成功者である医者の父親が好きなファザコンで、
母親にライバル心を抱き、専業主婦の母を嫌うことによって  フェミニストになった、と分析します。


    阿川佐和子の結婚と似たものを感じるな  ファザコンなんだよね

21研究する名無しさん:2023/08/07(月) 19:06:23

林真理子って誰よ? . . . 消しゴムを削って判子を作る人だっけ?

22研究する名無しさん:2023/08/07(月) 22:12:05
ずっと昔に林芙美子と勘違いしていて、文章のわりにずいぶん品がないなあと思ったことがある。

23研究する名無しさん:2023/08/08(火) 10:46:00
阿川佐和子???
いつの時代の話をしてるの???
今2023年なんだが???


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