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衰退途上国日本を科学的に分析する

1376研究する名無しさん:2018/12/26(水) 20:35:33
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日本政府、入管法改正、TPPなどで、外国人奴隷労働者50万人を受け入れへ

ーーーーーーーーーーーーーーその末路

376年、ローマ帝国が、外国人奴隷労働者として
ローマ東部 トラキア地方に受け入れた、
フン族に追われ、ライン川沿いに集まったゴート人。
だがローマ帝国の10万人程度という受け入れ計画をこえる、
ゴート人のギガ流入。狂乱物価、オイルショック。大飢饉、
そのはて、暴徒化したゴート人が起こした、大規模武装蜂起。

ゴート人武装勢力との戦闘で、
ローマ皇帝 フラウィウス・ユリウス・ウァレンスを、敗死、
戦死させた。
巨大なゴート人勢力が、ローマ中央部に、独立国家を形成。
ローマ帝国を分断し、ローマ帝国衰退を決定づけた。

支那帝国 唐王朝を破綻させかけた、
唐王朝への、中央アジア系移民の
大将軍、安禄山のクーデター、巨大内戦、安禄山の大乱。

ここらもびっくり。

日本沿岸での支那、朝鮮巨大海賊行為頻発。
9世紀から11世紀に掛けての日本は、
記録に残るだけでも
新羅や高麗などの支那、朝鮮からの
大規模な海賊艦隊による、侵略、
大規模襲撃・略奪・日本人多数拉致、大虐殺を、数十回は受けている。

朝鮮王朝 新羅、高麗王朝の
武装無能力者あるいは海賊とみられる武装勢力艦隊が、
8世紀以降、頻繁に対馬や北九州を度々、武力侵攻。
大規模な略奪、日本人大虐殺をくりかえした。
支那、朝鮮国家の軍の関与が疑われるものも多い。
これらでの、日本人多数拉致、大規模虐殺、
大規模略奪の、被害を被ったのが
筑前・筑後・肥前・肥後・薩摩の九州沿岸であった。

支那、朝鮮、移民先の
日本で内戦、弘仁新羅の乱

弘仁11年(820年)2月13日、
日本で、日本東部、遠江・駿河両国に移配した
朝鮮王朝 新羅人在留民700人が
武力反乱を起こし、日本人多数を殺害し、官庁庁舎を焼いた。
両国では、政府軍を動員して攻撃したが、制圧できなかった。
賊は伊豆国の穀物を盗み、船に乗って海上に出た。
しかし、日本政府軍の治安出動で、
相模・武蔵等七国からの援兵が動員され追討した結果、全員が降伏した。

当時、支那、朝鮮からの移民労働者、
帰化人には、口分田と当面の生活費が与えられたが、かれらは、
おそらく西日本沿岸などに土着して、
支那、朝鮮本国との違法な交易を目論んでおり、
日本政府にそれを見透かされ、
僻地の東日本開拓に移されたことを逆恨みしたものと推定される。


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