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Masuzoe 舛添要一 (元) 東京大学 政治学 助教授
52
:
研究する名無しさん
:2016/05/27(金) 09:56:49
学校と私 奨学金のため必死に勉強=東京都知事・舛添要一さん
ttp://mainichi.jp/articles/20160418/ddm/013/070/028000c
私が中学2年のとき、父親ががんで亡くなりました。成績は良かったけど、早く働いて稼がないといけなかった。
当時、5年制の国立工業高等専門学校が鳴り物入りでできました。
経済成長のために若い技術者がほしいということで、国策で進められたわけです。
北九州市に住んでいたから、山口県の宇部高専が一番近い。
北九州は八幡製鉄(現新日鉄住金)のお膝元。
高専に行き、技術者として地元の大企業に入って早く生活を安泰にしたいと思いました。
それで、宇部高専と普通科の福岡県立八幡高校を受けて、両方ともトップか何かで通りました。
当時は、国立高専には一番優秀な人が行くみたいなイメージ。近所の人たちも喜んで、
みんなが高専に行けという話をしていたんです。だけど、高校、大学に行った方が、
そこから先の可能性を広げられるという話をしてくれた先生たちがいたんです。
奨学金制度があることも教えてくれました。
それで、日本育英会の奨学金を受けながら八幡高校に通いました。
高校時代は全国模擬試験をたくさん受けましたね。模試でトップになると図書券をもらえたから。
一生懸命勉強するインセンティブ(動機付け)になるわけですよ。
文学青年で大学は文学部に入ろうと思っていましたが、学校から「高校の名誉のため」と言われて法学部に行きました。
大学時代はアルバイトと奨学金、授業料免除制度、この3本立てで生き抜いた。
成績がトップクラスでないと免除されないから、遊んでいる人がうらやましいなって思うくらい、勉強しましたよ。
育英会のほかに、ある食品メーカーと飲料メーカーの奨学財団から給付制の奨学金を受けていました。
だからね、今も恩返しをしようと思って、そこの商品を買うようにしている。
高校の時の育英会の奨学金はちゃんと返しました。大学で貸与された分は、
確か受けていた3倍の期間だったと思うけど、学校の先生をやったら免除される制度があったので、
それで大学の教員になったんです。結局ね、自立的な人間じゃないんですよ、私は。
だけど、状況を突破するためには仕方なかった。12年教員生活をやって、そこから自由の身になれたんです。
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