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【お役立ちブラック大】関東学院スレ 1匹目【ばかガエル】

1738研究する名無しさん:2019/05/07(火) 10:27:12
ttps://ansaikuropedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E5%AD%A6%E9%99%A2%E5%A4%A7%E5%AD%A6
関東学院のもう1つの黒歴史。戦時中に明治学院に既存学部を統廃合された代わりに事実上強制で1944年作らされた航空学科(当時は旧制専門なので事実上の学部)の事。関東学院の理系生は既に学徒動員で横浜市杉田にある日本飛行機社で学徒動員されていた。この川崎重工業の子会社日本飛行機を実習工場とすることにし、単位付与とした。この実習工場となった日本飛行機がすでに末期で木造の模型飛行機を作って敵の目をごまかすという信じられない命令を関東学院生は黙々とこなすこととなった。木造の模造飛行機をずらりと並べ「我が国の戦力は増大なり!」と大本営発表というデマ装置で日本中に拡散する手助けまでした。もはやコントのレベルにまで落ちた関東学院の中でばかばかしくてやってられなくなった宣教師教師たちは当時占領中だったフィリピンなどに宣教師として逃げた者も多い。宣教師自体のスルースキルが足りなかったのだ。

また、「竹やりでB-29は落とせませんよ(笑)」という発言をした関東学院生に対しては「この敵国の教えに被れた非国民めが!」と鉄拳制裁が待っていた。『馬鹿はスルー』という鉄則を忘れた関東学院生の末路は悲惨だった。そもそもこの竹やり鍛錬が既に意味不明の授業?であった。彼ら曰く「精神力でB-29を撃ち落とす」んだと(笑)。そんなことする暇と時間あったらとっとと航空部品でも作ればいいのに…。

やがて、横浜大空襲で工場機能を失った日本ビクター社が関東学院内に疎開して一緒に防空装置、いわゆる空襲警報装置を作る事となった。この時初めて関東学院は旧制航空専門学校としての使命を果たす。1945年8月15日に関東学院生たちは玉音放送を聞いて関東学院生のほとんどは悲しみではなく飛び上がるように「戦争オワター!」と叫びながら歓び、「航空学科の存在は無かったことにして」とばかりに関東学院航空専門学校は終戦が決まった同1945年に即廃止となり、関東学院旧制工業専門学校へ転換した。当時の「旧日本軍という馬鹿はスルーで」という関東学院の英断であった。


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