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史学・考古学・文化人類学
35
:
研究する名無しさん
:2014/12/13(土) 11:39:53
千光寺、永禄以前の位置を特定 富山大・砺波市教委が地中レーダー探査
北日本新聞 12月13日(土)3時36分配信
■現在地から北西に170メートル
戦国時代の争乱などによる焼失と移築再興を繰り返してきたとされる砺波市芹谷の古刹(こさつ)・千光寺について、永禄年間(1558〜70年)の上杉謙信による侵攻で焼ける以前の伽藍(がらん)が、現在地から北西の農地にあったとみられることが分かった。富山大大学院理工学研究部の酒井英男教授らと砺波市教育委員会が、地中レーダー探査で突き止めた。成果は同市美術館で14日まで開催中の「千光寺の至宝展」で紹介している。
千光寺は703(大宝3)年開基とされる。上杉謙信の侵攻以外にも戦国時代にたびたび兵火に遭ったと考えられ、その後も1618(元和4)年に火災があったと伝わる。そのたびに場所を移すなどして再興されたと考えられてきたが、かつての寺の場所は分かっていなかった。
酒井教授らと市教委は、寺から北西に170メートルほど離れた一帯に「下大門(しもだいもん)」「蓮華谷(れんげだに)」といった寺門の存在や仏教とのつながりをうかがわせる呼び名が残っていることなどから、その場所に絞り7〜9月に探査。礎石とみられる反応を複数確認し、数棟の建物があったと推定した。
現地で採取された土器の年代や、建物の向きと時代によって微妙に変わる磁気コンパスが示す方位との関係から、上杉謙信の侵攻以前の伽藍があったとみている。野原大輔市教委学芸員は「かつての千光寺の姿をうかがい知ることができる貴重な発見となった」と話す。
一方、開基直後の寺の場所は依然として分かっておらず、酒井教授は「過去の千光寺についてより具体的に探るため、今後も考古学や多方面の研究と協力して調査を進める必要がある」としている。
千光寺の至宝展は砺波市合併10周年を記念した市美術館、砺波郷土資料館、となみ散居村ミュージアムの連携企画の一環。3館などでつくる実行委、北日本新聞社主催。
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北日本新聞社
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