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史学・考古学・文化人類学

1588研究する名無しさん:2017/09/29(金) 05:29:17
【歴史】旧海軍駆逐艦『菊月』の砲身、若者らが引き揚げ。市内での展示を目指し、建造の地・舞鶴市で修理中

第2次世界大戦中に南太平洋で沈んだ旧海軍の駆逐艦「菊月」の砲身が
現地で引き揚げられ、建造の地の舞鶴市で修理が行われている。
引き揚げを企画した府内外の若者たちは、市内での展示を希望している。
 
広島県呉市の大和ミュージアム(市海事歴史科学館)などによると、菊月は
1926年に舞鶴海軍工廠(こうしょう)で建造。佐世保鎮守府(長崎県佐世保市)
に所属し、42年にソロモン諸島沖で米軍の攻撃を受け、放棄された。
現在も海上から船体を確認できる。
 
中心になったのは、金属器具・道具店従業員佐瀬賢太郎さん(20)=千葉県山武市。
祖父が特攻隊員だったことから旧海軍の艦艇に関心があり、菊月の存在を知って
2015年に現地を訪問。「一部でも日本で保存したい」と考え、16年に一般社団法人
「菊月保存会」を設立し、本格的に活動を始めた。
 
メンバーは会員制交流サイト(SNS)などを通して集まった京都や大阪、愛知などの
10〜60代の大学生や会社員ら約20人。活動資金はインターネットを使った
クラウドファンディングで募った。メンバーで舞鶴市出身の花園大4年安田航太さん(22)
=京都市中京区=は「ブログで知って興味を持った。地元の人間として何かしたいと思った」
と語る。
 
現地に渡航を重ねて政府や地主らから許可を得て、6月に長さ5・6メートル、
重さ3トンの主砲の第4砲身をクレーンなどで引き揚げ、輸送船と車で9月に舞鶴市に運搬。
舞鶴海軍工廠が前身の造船会社で、さびの除去や塗装をしている。
 
佐瀬さんは「最初は『引き揚げなんてできないだろう』という批判があったが、多くの支援があり、
菊月の故郷に帰すことができた。戦争を伝える資料として活用してほしい」と話す。

引き揚げられた駆逐艦「菊月」の主砲の砲身


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