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藍物語(投稿・感想・雑談専用=隔離)スレ

1枯れ木も山の賑わい:2014/03/26(水) 23:49:11 ID:sdeCrXLs0
藍 ◆iF1EyBLnoU の 投稿と
投稿に対する感想・雑談の為に立てた専用スレです。
レスの都合上コテハン推奨ですが、匿名の書き込みも勿論OK。
非難の書き込みは「作品に関する話題・雑談」スレで存分に。
こちらへ書き込まれた場合は(可能ならば)削除します。

571『追憶(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/30(月) 19:39:41 ID:xJgVi.I20
 痛...何? 唇の、鈍い痛み。 そっと目を開ける。
背後から私の右肩を抱く、筋肉質の細い右腕。首の左下にも腕が、これ、腕枕?
朧気な記憶、それとも、私はまだ夢の中? ううん、夢じゃ無い。
唇の痛みだけで無く、全身に散らばる微かな痛みがその証拠。
ゆっくりと、でも確かに戻ってくる愛しい記憶。
その右腕を浮かせて、そっと寝返りを打つ。やっぱり夢じゃない。
少しだけ日焼けした可愛い顔。安らかな寝息。
さらさらの黒い髪、長い睫毛。 紅を引いたように形の良い唇。 まるで、女の子みたい。
愛しさが込み上げて、唇を重ねる。もう歯が当たらないように、そっと。
「ん...」 折角の眠りを邪魔して御免ね、でも確かめたい。だからもう一度。
二度目のキスで、その人は目を開けた。ボンヤリと寝惚けた瞳、可愛い。
「Sさん、どうして?これは、夢?」
ふふ、私と同じ。やっぱり今の幸せは、夢みたいよね。
「夢かどうか、確かめて。」
その人の右腕に力が篭もり、私を抱き寄せた。幸せを噛み締めて、目を閉じる。

572『追憶(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/30(月) 19:40:51 ID:xJgVi.I20
 ダイニングで朝食の準備を始めた時からずっと、一番遠い椅子に小さな白い影。
300年も前から術者との契約を更新し続け、一族有数と称される式。
それがまるで拗ねた子供のように背を向けている。これはこれで見物なのだけれど。
「言いたい事があるなら今の内よ。もうすぐLを起こす時間だから。」
「今朝はL殿を起こす前にもう1人、起こさねばならぬ者がおりますな。」
「管、らしくないわね。一体何が不満なの?」
「不満?合点がいかぬは当然。如何に資質があろうと何処の馬の骨とも知れぬ男を。
炎殿との縁談を断ってあんな男を選んだとなれば、○△姫の立場も危うくなりましょうに。」
「あの縁談は『上』から勧められたものじゃなかったし、あなたも反対だったでしょ。
今まで『誰とも結婚する気はない。』って、縁談を断ってきた跳ねっ返りが、
『結婚して子供も欲しい。』って気になってるのよ。
将来の術者が増えるなら、『上』だって大喜びだわ。
私の立場が悪くなるなんてあり得ない。それにね。」
未だ背を向けた沈黙は、話を聞いているというサイン。
「術者になってずっと一緒だったから、管が一番この縁を喜んでくれると思ってたの。
だから、ちょっと哀しいな。私の大好きな人を『馬の骨』だなんて。」
控え目な、溜息が聞こえた。
「今後はあの男に、○△姫の夫君としてふさわしい言動を期待すると致しましょう。では。」
椅子の上の白い影は、一瞬で消えた。

573『追憶(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/30(月) 19:43:03 ID:xJgVi.I20
 今後の対応について作戦会議を開いたのは、その日の昼食後。
会議が一段落したタイミングで、その人は小さく右手を挙げた。
封が解け始め、その感覚が覚醒しつつあるのだから当然の事。私とLの予想通り。
「もし、失敗してLさんがアイツ等の手に落ちたら、
アイツ等はLさんを使って一体何をするつもりなんですか?」
Lの顔を見た。大丈夫、Lにも迷いの色は無い。
酷かも知れないが、この戦いに臨む覚悟を伝える時。
「それは私も予想できない。でも、ひとつだけ確かなのは、
『もし失敗しても絶対にLをアイツ等に渡してはならない』と言うこと。」
その人の顔面が蒼白に変わった。そう、この戦いの重さを知れば誰だって心が揺れる。
でも、その覚悟に少しでも甘さがあれば、この戦いを勝ち残れない。だから。
「失敗が確実になったら、この手でLを殺す。それが、『上』から私への指示。」
両手で両耳を覆ったその人の体が、ソファの上でゆっくりと傾く。一体、何故?
「Rさん!」 Lがその人の体に縋り、手を握る。そして。
Lの体の下から小さな白い影が飛び出して、消えた。 管? どういうこと?
呼びかけても管の反応はない。 突然、蘇る言葉。

574『追憶(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/30(月) 19:44:20 ID:xJgVi.I20
 『今後はあの男に、○△姫の夫君としてふさわしい言動を期待すると致しましょう。』

 必要な覚悟の重さを目の当たりにして揺らいだ心を『ふさわしくない』と判断したら、管は?
まさか。 「L、R君をお願い。私も出来るだけの手を打ってみる。」 「了解です。」
階段を駆け上り部屋へ戻った。引き出しから紙を取り、管の、真の名を書く。そして魔方陣。
部屋の床、中央に大きな白い影が浮かんだ。巨大な体躯の白狐。
「お呼びですか?わざわざ緊急の回線を使う程の事では」
「黙って!あなた、あの人に何をしたの?」
「さっきの話で、あの男の心が揺らぎました。」 「人間なら、それは当たり前だわ。」
「文字通り恋は盲目。○△姫様も例外ではないという事ですな。」 「どういう、事?」
「あれが、只の人間ですか?」 「...それは。」
「話を聞き、畏れをなして逃げ込もうとしたのですよ。自らの心の闇に。
あれ程の資質を持った者が闇に入り、万が一にも敵の手に堕ちれば戦いの趨勢が変わる。
この戦いに敗れた時、○△姫様にはL殿とあの男を、ともに葬る覚悟が御有りか?」

575『追憶(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/30(月) 19:59:40 ID:xJgVi.I20
 確かに、作戦会議で確認した通り、今後敵からの攻撃が激しくなるのは間違いない。
このお屋敷が探知されるのも恐らく時間の問題。もしアイツ、Kの攻撃であの人の心が。
「あの男の心を『薄暮』に封じ、無論○△姫様の夫としての心構えも説きました。
もし相応の覚悟が出来たら勝手に出てくるでしょう。それが出来ぬのなら、
この戦いが終わるまであの男はそのままに。その方がむしろL殿の心も。」
涙が、溢れた。管の言う通り、私は浮かれていたのかも知れない。
でも嫌、こんなの納得出来ない。沸き上がる想いを抑えるなんて。
「管の馬鹿!あの人はそんなに弱くない。見てなさい、『薄暮』なんか直ぐに。」
「...貴方様にお仕えすると決めて本当に良かった。本当に人とは、不思議な生き物。
たかだか100年しか生きられぬ身で、貴方様もL殿もあの男も、何と鮮やかな輝きを。」
ノックの音? 我に返る。
「Sさん!Rさんが目を覚ましました。すぐに来て欲しいって。」
涙を拭うのも忘れてドアを開けた。廊下を走る。あの人の待つ、リビングへ。

576『追憶(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/30(月) 20:01:03 ID:xJgVi.I20
 少し悔しいけれど、私たち3人の心が以前に増して1つに、強く纏まったのは管のお陰だろう。
その人はお屋敷で暮らし始め、心の繋がりを深めながら、3人でその日に備えた。 
Lとその人、2人を何度も街に出すのはさすがに危険過ぎる。
当然、日々必要なものの買い出しは私の役目。
その内、手間暇かけて作った食事を一緒に食べるのが、3人の数少ない楽しみになった。
出来るだけ質の良い食材を使い、毎回の食事を工夫する。
驚いたのはその人の料理の腕前。飲食店でのバイトは、主に食器洗いだった筈なのに。
和食、特に魚を使った料理はそれこそ玄人裸足という他に言葉が無い。
綺麗に面取りをした飴色の鰤大根が食卓に並んだ時、私とLは唖然とした。
「こんな良い魚使えたら美味しくて当然です。え?どうやって料理を?
...う〜ん、父と釣りに行ったら、釣った魚を捌いて料理するのが当たり前だったし。
夕食は結構母の手伝いをして食材の下拵えとかしてましたから。
全部、見よう見まねです。父と母が料理上手だって事ですかね。」
「もしかして、Rさんの実家は料亭ですか?」
「まさか。父は私立大学の講師で、母は専業主婦です。料亭なんて。」
言葉を交わしながら、その手は休まずに動き、大皿にヒラメのお造りを盛り付けていく。
本当に、美味しそう。そしてその人は別に小さな皿を1つ用意した。
「これは管さんに。ええと、そう、陰膳。」 本当に、勘が良い人。
あれは昨夜の事。

577『追憶(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/30(月) 20:02:04 ID:xJgVi.I20
 「管、仕事よ。」 Lの誕生日まで、既に一ヶ月を切っている。
呼びかけて数秒後、ソファの上に小さな白い影。「管は此処に。何なりと。」
「今日、『上』から要請が有ったの。対策班に協力して欲しいって。」
「炎殿の指揮下に入るのに異存は有りません。しかし、この屋敷の護りは。」
「私が何とかする。それに、対策班がアイツ等を処理できれば護り自体が必要なくなるわ。」
「御意。」 白い影は消えた。
陰膳に込めたその人の想いは届いているけれど、私の判断は正しかったかしら。
『過激派』の、残った精鋭の術者たちは頻繁に移動を繰り返していると聞いた。
何度か探知には成功したようだけれど、どうしても対策班の対応がもう一歩間に合わない。
結局、対策班が手を下す前に、アイツ等はこのお屋敷を探知した。
最初の干渉があったのは、管を対策班へ派遣して数日後。それを防ぐ事は出来なかった。

578『追憶(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/30(月) 20:03:37 ID:xJgVi.I20
 「R君、一体どういう事なの?説明して頂戴。」
自分の声、その冷たさに身震いする。まさか、こんな事になるなんて。
強張った顔、その人の心は私とLを拒絶している。もう、私の想いは届かない。
その人の隣にはLと良く似た美貌。この女が、K?
「Sさんの説明が真実だとは限らない。最初からそれを考えておくべきでした。
僕はSさんに騙されていた。僕の気持ちがLさんから離れるのは当たり前の事。違いますか。」
Kの術は既にこの人の心を。 もしLがそれを知ったらその時点で...もう策はない。
「Lを見捨てるというなら仕方ない。でも、君ほどの資質を持った人間を敵の手に渡したら、
この戦いに勝つのは更に難しくなる。」 悲し過ぎて、涙も出ない。
「言ったとおりでしょ?この人は真実に気付いた貴方が邪魔になったの。
でも心配要らない。貴方は私が、必ず守ってあげる。」
初めて会った、Lに似た人。この人が術者でなかったら、私はLの親戚を見つけたと喜んだ筈。どうしてこうなったの? 何故、私たちは長く無益な身内の争いに否応なく巻き込まれて、
互いに憎み合い、時には殺し合わなければならないの?
分からないし、考えている時間もない。
ただ1つ確かなのは、愛する人の心を取り戻さなければいけないということ。
そのためなら、どんな手段を使っても。
「そうね。Kと言う名、その力を聞いた時から、いつか必ず戦うことになると思ってた。
あなたを倒して、この人の心の呪縛を解く術を見つける事が出来れば、もしかしたら。」
「もう手遅れ。この人の心は私のもの。それに、私には勝てない。たとえ『氷の姫君』でも。」
「それじゃ、試してみましょうか。」 ゆっくりと立ち上がる。 Kの姿がゆらりと薄れた。

579『追憶(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/30(月) 20:05:02 ID:xJgVi.I20
 目が、覚めた。そうか、夢。 私の心の弱さが見せた幻。Kは私より若く、Lより女性らしい。
もしあの人の心が動いたらと怖れる心が...待って、どうして私はその姿を?まさか。
飛び起きてカーディガンを羽織り、ドアを開ける。早く、あの人の部屋へ。
微かな、残り香のような気配。 間違い無い、敵の、Kの干渉。とうとう此処を探知して。
深呼吸、騒ぐ心を必死で静めて笑顔を作る。ドアをノックした。
「起きてる?」 「はい。」 小さな返事の後、ドアが開いた。
「話が有るの。良い?」 その人は黙って頷いた。
良かった。揺れてはいるが、この人の心は私を拒絶してはいない。
「寒いから、上着を着てダイニングに。今、温かいお茶を淹れるわ。」 俯いて踵を返した。
キッチンへ向かう廊下、零れる涙を拭う。本当に、良かった。

580『追憶(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/30(月) 20:06:08 ID:xJgVi.I20
 お茶を一口飲み、その人の心がすっと落ち着いたのが分かった。
その人の目をしっかり見詰める。その人も、目を逸らさない。 もう、大丈夫。
「さっき、何を感じた?」 「感じた、って言うか。変な夢を見ました。」 「どんな夢?」
その人が話した夢の内容は、かなりハッキリしていて複雑なイメージだった。
初老の男、顔に大きな傷跡のある若い男。今より若い私。
Lの面影がある小さな女の子。 そして、彼女たちの最後の言葉。
「その男性2人に見覚えはある?」
「いえ、全然見覚えはありません。知らない人達でした。」
これは、かなり厄介。相手の記憶すら利用しない、大がかりな幻視。
初めての干渉でそんな事が出来るのは、この人とKの間に『共振』が起きている場合だけ。
この人が一族の血縁だとすれば、恐らく分家の系統。つまりこの人とKの血が、共振の原因。
ちゃんと説明をしておかないと、この人の心を繋ぎ止めるのは難しい。
「君は、さっきの夢を見てどう思った?正直に聞かせて。」
「...もしあれが真実なら、Lさんを守るのは正しい事なのか、そう思いました。」
「君、本当に優しいのね。『Sさんに騙されているんじゃないか?』って思ったんでしょ?」
「正直、騙されているのかも知れない、とは思いました。済みません。」
「謝る必要は無いわ。細かい事まで説明していなかったのは私の方だもの。
でも、結局は君が何を信じるかって所に行き着く。それを承知の上で聞いてね。

581『追憶(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/30(月) 20:07:00 ID:xJgVi.I20
 相手の精神的な弱みに付け入る敵の手口について、Kの年齢とその『力』について。
そしてこの人とKの間で起きた『意識の共振』について。
その人は真っ直ぐに私の眼を見詰めたまま、注意深く話を聞いていた。
本当に勘が良いから、理解も深い。これなら大丈夫。もう、その心は揺らがない。
「どんな術でも、そしてそれが強い術であればある程、術には術師の個性が滲み出る。
相手が女性だと判っていれば、術に対応する方法を選択する手がかりになるかも知れない。」
心は揺らいでいない。でも少し疲れた、滅入ったような表情。術者ではないんだし、それも当然。
「あの、今後はああいうのが何度も起こるんですか?」
「度々『本体』を侵入させたら確実に居場所を特定されるから、
そんなに何度も起こるとは思えない。でも、対応策は必要ね。」
この人の心が揺らがないのなら、敵の干渉を逆に利用できるってこと。
干渉しようと此所に侵入してきたら、その経路を辿って敵の居場所を特定する。
この人に『鍵』の掛け方を教えておけば干渉される事はないし、
夜の間は私が敵の侵入を完全に遮断すれば良い。
優れた資質から予測できたけれど、その人の覚えは早かった。
初歩的な術とはいえ、たった1時間強。本当に素晴らしい、これなら安心。
そしてその安心こそが、危険な陥穽。 私はKの力を甘く見ていた。

582『追憶(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/30(月) 20:09:49 ID:xJgVi.I20
 Lと一緒に夕食の支度をしている途中、それは起こった。
微かな、残り香のような気配。この感じは。
「Sさん、今何か変な感じが。」 「L、R君は何処?」
「ええと、シャワー。いいえ部屋かも。さっき着替えを取りに行くって。」
全力で走る。一刻も早くあの人の部屋へ。大失態。
信じているけれど、もし干渉があの人の心を変えてしまったら私は。そしてLは。
部屋のドアは開いていた。床に膝を着き、PCデスクに寄りかかるその人の姿。
良かった。この人の心のあり方は変わっていない。そっと、その人の肩に手を掛けた。
「大丈夫?今、アイツの気配を感じたから。」 「...今回のはキツかったです。」
遅れて駆けつけてきたLに後を任せて、リビングでホットウイスキーを作った。手が震える。
落ち着いて。落ち着け、私。 確かに大失態だけど、これは逆にチャンスでもある。
この規模の干渉。間違い無くその痕跡から侵入経路を辿れる。
私はKの力を甘く見ていたけれど、それはKも同じ。
炎は独断で対策班を動かせる。敵の居場所を特定したら『上』を通さずに管に伝え、
管からの情報で炎が指示を出す。対策班が急行すれば、敵は逃げられない。
ホットウイスキーを少し飲んで、その人の顔色は大分良くなった。
リビングに移動し、ソファで横になったからもう安心。あとはLに任せておけば良い。
部屋に戻り、準備を調える。アイツの痕跡が薄れる前に。
極薄の和紙で小さな鳥を切り出した。尖った翼、二股の尾羽。親指の爪ほどの、白い燕。
それは燕と同じ速度で飛ぶ『眼』。 アイツの痕跡を辿り、その居場所まで。
掌に載せ、息を吹きかける。 それは躊躇無く飛び去った。 これで良し。
灯りを消し、ソファに身を沈める。 深呼吸。 ゆっくりと、眼を閉じた。

583『追憶(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/30(月) 20:11:09 ID:xJgVi.I20
 ...駅が見える。県内の地方都市。そして、町外れの小さな雑居ビル。
数ヶ月前、最後に敵の活動が探知されたという場所よりもずっと近い。
まさか、こんな近くに。 これまで探知された敵の活動は陽動作戦だったってこと?
でも、見つけた。もう逃がさない。 柏手を打って術を解く。 いつも通り、軽い目眩。
あとは管への連絡。対策班には炎の他にも有力な術者がいるし、今は管も。
相手の術と代を封じれば、武器の扱いに長けた男達が存分に働く筈。
あの場所にいる過激派は恐らく全員。 正直、その結果を招く事に躊躇いもある。
しかし、長い争いは相手から仕掛けて来たもの。 今、私の仕事はLとあの人を護ること。
深呼吸、『通い路』を開く。
『管。今、敵の居場所を探知した。良く聞いて炎に伝えて。場所は...』

 「昨夜の侵入経路を辿って、アイツ等の居場所を特定したわ。
既に『上』にも報告済みだし、今日中に対策班が踏み込むでしょうね。」
朝食後のコーヒーにふさわしい話題じゃないけれど、配慮している余裕はない。
コーヒーカップをそっとテーブルに置き、その人は私を見詰めた。
「アイツ等の計画は挫折して、Lさんを守りきれる、という事ですか?」
「対策班がアイツ等を完全に始末できれば良いんだけど、アイツ等だって
何とか逃げ延びて計画を完成させようとする筈だわ。だからおそらく今夜までが
山場になる。もう侵入の痕跡を残すのを怖れる必要も無いし、
一か八かで、R君に最大の干渉を仕掛けてくる筈。」

584『追憶(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/30(月) 20:12:42 ID:xJgVi.I20
 「だから罠を掛ける。敢えて意識のコントロールを外す時間を作り、
アイツからの干渉を待って反撃する。」
「怪しまれませんか?第一、最大の干渉に僕の意識が耐えられるかどうか。」
「コントロールを外す時間をランダムにすれば怪しまれないし、
今度は私が付いてる。君の意識に私の意識を繋げておいて、
干渉があった瞬間に全力で反撃する。一気に決着を付けるわ。」
「干渉があるまでは、待っていなければいけないのでしょう?」
「当然、そうなるわね。」
「じゃ、私の意識も繋げてお手伝いします。
そういうのは得意だし、2人より3人の方が、お互いの負担は小さくなりますよね。」
Lの真剣な表情、でもその人は微妙な顔になった。
「あの、SさんとLさんの意識を僕の意識に繋げたとしたら、
干渉を受けた時の、え〜とその、幻視は2人にも見えるんですか?」
そう言うこと、ね。その人の幻視の内容によっては、Lに刺激が強過ぎるかも。
「見えるけど、君が見ているものと全く同じかどうかは。」
「全く同じように見えた方が好都合ですよね。その方が反応し易いし。」
無邪気な微笑。 もしも...いいえ、きっと大丈夫。 愛しているから、受け容れられる。
第一、その人が幻視を見るまでもなく結着が付く。何の問題もない。
「分かりました。宜しくお願いします。」 うん、良い返事。 それは4時開始と決まった。

585『追憶(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/30(月) 20:13:41 ID:xJgVi.I20
 リビングで代の配置を確認した後、時計を見た。 2時丁度。
配置した代は4つ。あの人の意識に悪意が干渉した瞬間、代に蓄えた力が発動する。
あの人の気配を探すのに集中している相手には、この罠が見えない。
普通なら1つで十分な代を4つ配置したから、力が発動すれば結界も同時に完成する。
逃れる事も出来ず、反撃する間もない。
相手が相手だから、万全の準備をしたけれど、さすがに疲れた。
だらしないけど少しだけ部屋で休んで、3時にはあの人が声を掛けてくれる筈。

 微かな芳香...これは、ジャスミン。 夢?
待って、この香りは! 飛び起きる。 3時少し前、部屋を飛び出した。
今日はお茶の当番だから、きっとあの人はリビングに。

586『追憶(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/30(月) 20:14:36 ID:xJgVi.I20
 「あれ?」 「え?」 「君、何ともないの?」 「はい。」 その人の、怪訝な表情。
「何かあったんですか?」 「確かにアイツの気配を感じたんだけど、おかしいわね。」
「僕は何も。」 突然、その人の表情が変わった。 「あああ、あの、姫、いやLさんが。」
また、走る。廊下を曲がってLの部屋へ。 干渉の相手はL? どうして?
ドアをノックした。 「L!L!」 返事がない、ドアを開けて部屋の中へ。
後から部屋に入ったその人は、Lの枕元に屈み込んだ。
「息をしてます。」 「そうね、良かった。」 生きてはいても、もし心が。
その時、Lが身じろぎをして眼を開けた。
「あれ、Rさん。Sさんも。私、寝過ごしちゃいましたか?」
「L、あなた何ともない?」 見たところ、何も変わった様子は無いけれど。
「本を読んでいたら急に眠くなって、いつの間にか寝ちゃいました。
でも、何だかすごく良い気分です。」 姫は小さく伸びをして体を起こした。
「とってもお腹がすきました。昨日のケーキ、残ってましたよね。」
昼寝をしたからか、むしろ午前中より元気に見える。
でも、確かにアイツの気配が。一体何のために?
立ち上がったLはあの人に抱きついて、頬にキスをした。
「お茶の用意、手伝います。あ、その前に顔洗わないと。行儀悪いですね。
じゃ、行きましょう。ほら、Sさんも。 ケーキ食べたら、私頑張りますから。」

587『追憶(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/30(月) 20:15:42 ID:xJgVi.I20
 お茶の時間を終え、私達たちはリビングで臨戦態勢に入った。
あの人は『鍵』を掛ける時間と外す時間をランダムに繰り返している。
ひたすら繰り返し、そしてKが干渉してくるのを待つ。只、じっと待つ。
何度それを繰り返したのか、不意にLが私を人差し指でそっと突付いた。
「さっきから微かに気配を感じます。それに、段々気配が濃くなってる気がします。」
Lの感覚をなぞり、その気配に集中する。微かな、芳香。
「多分、間違いない。...R君、あと2分経ったらコントロールを外して。」 「了解。」
眼を閉じて深呼吸。意識を集中し、『力』を貯める。
じりじりと時間が過ぎていく。あと1分30秒、1分、30秒、20秒、10秒。
時計の秒針が直立した瞬間、その人は『鍵』を外した。
通い路が開き、イメージが一気に流れ込んで来る。決着の時。

588『追憶(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/30(月) 20:16:54 ID:xJgVi.I20
 !? 力が、発動しない。何故?
引き金を引く筈の、アイツの邪気を感じない。そして、むせるような血の臭い。まさか。
「駄目、『鍵』を掛けて!アイツはもう」
叫んだけれど、遅かった。あの人はイメージの中に、そして当然私とLの感覚も。
必死で自分を抑える。あの人にもLにも邪気は無い。今私が下手に小細工をして、
もし代に蓄えた力が暴発したら4人とも。何もしない、それが最善の策。
この私が、何も出来ないなんて。

 目の前に開けた明るい景色。一面の、緑の草原。


『追憶(下)』 了

589『追憶(結)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/30(月) 20:18:55 ID:xJgVi.I20
『追憶(結)』

 その人の体を拭き清めて、新しい病衣を着せた。これは私の、私だけの役目。
掛け布団を調え、額にキスをして、その手を握る。
何かの拍子に、その手は私の手を握り返すのだけれど、それは多分反射の一種。
この人が自ら望んだ事だから、その心を中有から呼び戻す手は無い。
魂から引き裂かれた心。いいえ、魂との繋がりを無理矢理引き千切って、行ってしまった心。
Lも私も、全部置き去りにして。Lも私も、その心を繋ぎ止められなかった。
あの夜。Kと自分の心が流した血に全身を染めて呆然と座っている姿を思い出す度に、
どうしようもない無力感に苛まれる。心がゆっくりと乾涸らびていくような、虚しさ。
私とLは、3人で重ねた幸せな時間は、この人に取って一体どんな意味を?

 「ねえ、どうして?」
何度も何度も、口にした問い。もちろんその人は答えてくれない。
ずっと、考えている。あれから、ずっと。

 『私の事、愛してくれなくても、良い。一緒に来て頂戴、お願い。』
 『分かった。行くよ、一緒に。』
 『馬鹿、ね。本気でそんな事、言うなんて。ちゃんと、あの娘を守って、愛して、あげて。』

590『追憶(結)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/30(月) 20:20:42 ID:xJgVi.I20
 確かにあの人はKに頼んだ。『Lの術を解いてくれ。」と、『そのためなら何でもする。』と。
そしてKはその願いを叶えて、恐らくそれで、Kは命を落とした。
瀕死の状態だと知れば、あの人がKに同情するのは当然。とても、とても優しい人だから。
だけどKと一緒に行ってしまうなんて。 Lはどうなるの?私には何の未練も無かったの?
Lに仕込まれた術を解いたら、例え見捨てられても仕方が無い。それをK自身が分かってた。
だからこそあの時Kは『馬鹿、ね。』と。 そう、体良く断って同情するふりだって出来たのに。
いくら約束したからって...待って、約束。そう、そうだったのね。
私は、馬鹿だ。Kは敵だと、その考えに囚われていて、全く思いが至らなかった。
あの人を繋ぎ止めるのは『絆』、それは魂と魂の約束そのもの。
相手が誰であろうと約束は守る。だからこそ敵味方を越えて信頼され、愛される人。
私とLが、そしてKが愛したのは、そういう人だからじゃないの。 本当に私、馬鹿。
この人が約束を守ったからKの深い憎しみと悲しみは消え、
『不幸の輪廻』に取り込まれずに済んだ。
もし約束を守らなかったら、それは新たな、哀しい不幸を生み出す端緒になった筈。
計算も思惑も無い。私とLに対する時と全く同じ。ただ心のまま正直に、真剣に。
それが、1つの魂を闇から救い上げる奇蹟を現出した。
最後にKが浮かべていた、清らかで優しい笑顔。 この人を心から愛した女の子の、誠実。
例え敵であろうと、相手は私たちと同じ心を持つ人間。この人はそれを教えてくれた。
そして今この状態に留まっているのは、この人が私を、Lを未だ見捨てていない証。
そうよね、私も約束したわ。『全力であなたを護る』って。 何時までも、その約束は守る。
貴方が帰ってくるまで、ずっと。

591『追憶(結)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/30(月) 20:22:07 ID:xJgVi.I20
 「ホントに良いんですか?Rさんのアパート解約するなんて。」
「あの人はあなたと、そして一族の恩人。意識が戻ったら、ずっとお屋敷で暮らしてもらう。
もう決してあの人を一人にはしない。それに...」
不意に込み上げる激しい感情。 駄目、Lの前では。何とか涙を堪えた。
「意識が戻るまでの間は、ただ荷物を置いてるだけだもの。不経済だわ。」
意識が戻らなくても...
いや、絶対に意識は戻るし、それまで何年でも何十年でも私とLがあの人の世話をする。
私の一生を捧げても足りない、きっとLも同じ気持。 だからもうアパートは要らない。
今は何時あの人の意識が戻っても良いように、私たちに出来る準備を調えるだけ。
「それよりL。『聖域』へ行く仕度は出来たの?明日朝ご飯の後に出発よ。」
「はい。電話して詳しい日程を確認しました。でも結局いつ此処に戻れるかは分からなくて。」
俯いた、寂しそうな表情。この娘も、必死で感情を抑えている。
「もしあの人の意識が戻ったらすぐに知らせる。安心して。
それよりちゃんと『後の手当』を済ませて置かないと、あの人と暮らす時に困る。
将来子供が産めないなんて事になったら大変だから。」
「子供...って。」
「あら、大人になったらあの人のお嫁さんになるんでしょ?
それなら2人の間に生まれてくる子供のために、今から準備しないと。ね。」
「はい。何時か、必ず。」 そっとLの肩を抱き寄せた。

592『追憶(結)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/30(月) 20:23:45 ID:xJgVi.I20
 あ、居眠り、いつの間に? 既に陽は高い。 ベッドの様子を確かめた。
その人は安らかな寝息を立てている。 今日も信じて、帰りを待つ。それだけ。
手を握り、唇にそっとキス。暖かい、命の温度。 ...何だか喉が渇いた。朝から何も。
「愛してる。だから少し、待っててね。お茶、買ってくるから。」
一階の売店でペットボトルのお茶を買った。新聞は、パス。気分じゃ無い。
今日は一度お屋敷に戻って、お風呂に入って、着替えも沢山持って来なきゃ。
待ってるのがやつれて見栄えのしないお嫁さんじゃ、帰ってくる気になれないものね。
解けた術の『後の手当』をしてもらうために、Lも『聖域』で頑張ってる。私だって。
エレベーターの扉をくぐった。廊下を右に曲がって3番目の扉。
...微かな、気配。不意にチャンネルが合ったような感覚。部屋の中、これは?
慌ててドアノブを回す。その人がベッドの中で上体を起こしていた。
「R君!」 手から滑り落ちたレジ袋が、病室の床を転がっていく。
視界がぼやけて、膝から力が抜けそうになる。駄目、笑顔でお帰りを言うって決めていたから。
きっとこの人はLの事を聞きたがる。しっかり話して上げるのが私の役目。
震える足に力を入れ、一歩踏み出した。その人のベッドの傍ら、いつもの指定席に。

 お帰りなさい、私、待ってたのよ。ずっと。


『追憶(結)』 完

593 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/30(月) 20:26:30 ID:xJgVi.I20
皆様今晩は、再び藍です。
無事、『追憶』の投稿を終える事が出来ました。
お付き合い頂いた皆様に心からの感謝を。今夜はこれにて。
本当に有り難う御座いました。

594名無しさん:2015/03/31(火) 00:13:31 ID:hltrXrcg0
お疲れです。

595名無しさん:2015/03/31(火) 18:29:53 ID:TpA2BPfI0
心からの感謝はこちらから 投稿ありがとうございます
新作も期待しています

596名無しさん:2015/04/01(水) 04:58:13 ID:2Wy8iFFgO
結まで投稿ありがとうございます。お疲れ様です!
Sさん視点のお話は全く違うお話のようでした。貴重なお話をありがとうございました。

597 ◆iF1EyBLnoU:2015/04/01(水) 20:51:47 ID:pa0sPlw.0
皆様今晩は、藍です。明日早朝、仕事に出ます。
色々立て込んでいますので次作の投稿時期は未定です。
でも、もし次作の投稿が叶うなら、きっと此処で。

>>594
有り難う存じます。お楽しみ戴けるなら投稿は苦になりません。

>>595
新作をご期待戴くのはとても嬉しいです。有り難う御座いました。

>>596
「全く違うお話のよう」という御言葉、とても嬉しいです。
『出会い』との整合性があり、しかも『追憶』を読んで頂ける意味が有るのか。
「つまらない焼き直し」になってしまう事が知人の一番恐れた事でしたから。


それでは皆様御機嫌良う。本当に有り難う御座いました。

598名無しさん:2015/04/01(水) 23:03:14 ID:PDm3fmnoO
いま再び、深い感動とともに、悲しみと痛みのよみがえる、素晴らしい物語でした。全ての始まりとなった、あの出来事を軸として、形の違う4人の愛が交錯し、新たな光を放っているようです。こういう語りかたもあるのですね、驚きました。本当にありがとうございました。
なお、単なる思いつきで、いつか同じようにして、愛と憎しみの炎(ほむら)編、なんてのもありかなと思いました。

599名無しさん:2015/04/07(火) 22:40:57 ID:IVsxnTKY0
Sさんが生きててよかった。
恐らくはRさんも初めて触れるSさんの心があったと思う。
心が震えた。Sさんのその言葉に自分の心も震えるえるようでした。
心を重ね合わせ、関わる人々、読む人たちの全てにとっての「出藍」だったと。

600名無しさん:2015/04/08(水) 08:57:50 ID:tBjlEMXw0
くっさ

601名無しさん:2015/04/08(水) 21:21:06 ID:ZVFL4sIU0
600で、終わったかな?
これで投稿が終わったら、喜ぶ人がいっぱいいるだろうね?

602名無しさん:2015/04/13(月) 23:34:07 ID:XRtN3kPU0
藍様、知人様、投稿ありがとうございます。
Sさんの隠された心情が、とても可愛らしくて好きなお話となりました。
様々な意見があるでしょうが、続編を期待してお待ち申し上げております。

603 ◆iF1EyBLnoU:2015/04/14(火) 00:09:08 ID:k4ZH18Ts0
皆様今晩は、藍です。コメント感謝致します。

>>598
私自身、この作品を読んで驚いた事が沢山有りました。
ただ、Sさん視点の他のお話については良い返事をもらっておりません。
気長にお待ち頂ければ、良い報告が出来るかも知れません。

>>599
同感ですし、確かに
『Rさんがこのお話を読んで初めて知った事があるかも』
そんな想像をするとドキドキします。

>>600
不快な思いをさせてしまったことをお詫び致します。
ただ、私たちの作品は全て同じような調子で改善の見込みはありません。
どうか臭い作品に関わって御自身の貴重な時間を浪費なさらぬように。

>>601
終わりません。投稿時期は未定ですが、次作は『新しい命・第参章』。
既に前半部の原稿は受け取っています。以前の教訓、お忘れ無く。

>>602
幾つかの作品の中で、Rさんが何度かSさんの『可愛さ』に言及していますが、
私自身『追憶』を読んで改めてその描写の深い意味に納得しました。
勿論、温かい御心遣いもしっかり受け取りました。どうかご心配なく。

さて、今夜はこれで。
明日から少し次作の準備に時間を取りたいと思っています。
本当に有り難う御座いました。

604けんぽん:2015/04/17(金) 21:45:39 ID:OgqYrQV60
藍様
知人様

お忙しい中でのご準備及びご投稿有り難うございました。

目線が違うだけで、全く新しい物語かの様に楽しませて頂きました。

物語の展開が解っているだけに、SさんやLさんの視点での物語の進行や展開が斬新に感じられて…

これからは、拝読させて頂くのに違う目線での展開も楽しませて頂きます!!

これからも楽しみにしております。

お身体をご自愛頂きまして、今後とも宜しくお願い致します。

605名無しさん:2015/04/18(土) 15:16:55 ID:trj1t/ZU0
お身体は不要だよ

606名無しさん:2015/04/20(月) 20:43:41 ID:huDEsnxo0
 真っ当な感想のコメントに加え、600や605のようなコメントが付くのは、
この隔離スレを立てた御方の望みがようやく叶ったって事ですね。
賛辞も非難も揚げ足取りもみんな結構。まったりいきましょう。

607名無しさん:2015/05/03(日) 20:03:58 ID:jWe7iikIO
何はともあれ、ありがとうございました。
Sさん目線の物語は、すでに知っている話の展開も新鮮でした。
次の新作もSさん目線で読みたいですね。
R君目線は、もう十分です。完結してますから…

608名無しさん:2015/05/06(水) 13:34:46 ID:JY1HZ8IwO
Sさん目線の物語は、あくまでスピンオフ的なものとみていますが…。私は本編のRさんの語る新作をもっともっと読みたいです。

609名無しさん:2015/05/15(金) 12:46:38 ID:OjlT1sAY0
と、いう事でいつもの通り「いちばんいいやつ」を頼みますわ

どうせ見に来るでしょうしね

610 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/01(月) 21:45:36 ID:o5szMDas0
皆様今晩は、藍です。
お仕事と私自身の体調の問題でご無沙汰しておりました。
おまけに次作の公開に厄介な問題が有り、すっかり凹んでいた所です。

しかし知人その他多くの方々のお力添えを得て、ようやく突破口を見つけた段階。
次作の公開を既成事実とするため、許可を得た部分を今夜中に投稿したいと思っています。
期待せずお待ち頂ければ幸い、きっと今夜中に、ではまた後ほど。

611 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/01(月) 22:56:58 ID:o5szMDas0
テスト中です。

612新しい命・第参章 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/01(月) 22:58:44 ID:o5szMDas0
『新しい命・第参章』

 「む〜、ねーね、ねーね。おかーたんは?おねーたんは?」
Sさんと姫を待ちかねたのか、藍がぐずりかける。
「大丈夫だよ、あい。もう少しでお母さんもお姉ちゃんも帰ってくるから、ね?」
姫が入院している産婦人科、一階ロビーのベンチ。
膝に座らせた藍をしっかりと抱き締めて、翠は藍の背中を優しくさすった。
藍が片言を喋るようになってから、翠は一層藍を溺愛している。
藍を抱っこして歩こうとしたり、危なっかしい事もあるが、弟を思う様子はとても微笑ましい。
当然藍も翠を慕っている。Sさんも姫も、勿論俺も、仲睦まじい二人を嬉しく見守っていた。

613新しい命・第参章 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/01(月) 23:00:54 ID:o5szMDas0
 「可愛い赤ちゃん。あなたの、お子さんですか?」
チリ。 頬や首筋の皮膚が引きつるような、違和感。
翠と藍の向こうに、お腹の大きな女性が立っていた。恐らく、臨月。
綺麗な人で身なりも整っているが、その顔は不自然にやつれている。
「はい。2人とも僕の。」 「もしかして奥様に3人目が?」
「あ、いえ。嫁さんの妹です。旦那が海外出張中なので、それで、嫁と僕が付き添いを。」
Sさんが翠と藍を産んだ産婦人科。O川先生の病院。
Sさんと俺は事実婚だと、当然O川先生も、看護師さんたちも知っている。
これで姫が俺の法律上の妻だと知られたら俺がどんな人間だと思われるか分からない。
それでSさんがその筋書きを書き、姫も面白がってそれを採用したという訳だ。
まだ慣れていないので、言い訳が少々ぎこちない。とても立て板に水という訳には。
「そうですか。妹さんはお幸せですね。」 女性は翠と藍の隣に腰掛けた。
「ホントに可愛い。ね、お姉ちゃん。赤ちゃん、抱っこしても良い?」
..まただ。発熱時の疼痛に似た、引きつるような、微かな皮膚の痛み。
「だめ〜。あいは翠の大事な宝物だから。」
翠は藍をしっかり抱き締めて、女性の反対側、俺の影に回り込んだ。その時。
「あ、お母さんとお姉ちゃんだよ。あい、いっしょに迎えに行こうね。」
翠は立ち上がり、藍を抱いたまま危なげな足取りで歩き始めた。

614新しい命・第参章 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/01(月) 23:03:06 ID:o5szMDas0
 「済みません、娘が失礼を。人見知りで、それに弟が出来たのが余程」
「いいえ。失礼だなんて。不躾なのは私の方です。この頃体調も悪かったし
予定日が近くて不安だったから、可愛い赤ちゃんを見かけて思わずあんな事。
でもあの子たちを見てたら、何だか元気が出ました。
私も、あんなに可愛い赤ちゃんを産みたいです。」
「そうですか。では僕もこれで、お大事に。」 一礼して立ち上がる。
歩き出して数歩、また、あの感覚。火傷をしたような、皮膚の痛み。
「あの人ね。それに、みどりと、あい。」
微かに聞こえた呟きは、幻聴だったか。振り返りたい衝動を抑え、ゆっくりと歩を進めた。

615新しい命・第参章 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/01(月) 23:06:27 ID:o5szMDas0
 「何だか、へんな感じ。」 翠の声。
直後。一瞬足下が沈むような、揺れるような感覚。
空気を裂くような悲鳴の、幻聴?続いて耳鳴りと目眩、思わず目を閉じる。
振り返ると姫が翠と藍を抱き寄せていた。
Sさんが立ち上がり、俺の耳に口を寄せる。囁くような、声。
「多分、今この病院内で人が死んだ。あんなにハッキリした徴は珍しい。
妊婦さんだとしたら、さぞ無念だった筈。残した想いが後の災いを招くかも知れない。
私たちもLの出産を控えてるし、念のために警戒した方が良いわね。」
その時、窓の外が明るくなった。点滅する赤い光、救急車?
「さあ、みんなもう寝るわよ。翠は絵本片付けて。」
Sさんが部屋の要所に結界を張り、灯りを消したのは5分程経ってからだった。

616 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/02(火) 04:45:51 ID:vzlOR1Fw0
藍です。
昨夜投稿を始めたところでPCが止まってしまいました。
何とか復旧してもらったのですが、投稿も一回分失敗していたようです。
申し訳有りませんが、615は無視して続きをお読み下さい。

617 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/02(火) 04:49:14 ID:vzlOR1Fw0
 「ね、翠。昼間ロビーで話した女の人だけどさ。」 「女の人?」
「ほら、『藍を抱っこしたい』って。」 「ああ、あの人。あの人は、キライだから。」
やはり、翠はあの時俺が感知できない何かを。
「どうして翠は、あの人が嫌いなの?」
「違うよ。あの人が翠とあいを嫌いなの。だからあい、絶対抱っこさせない。」
それきり、ぷいとそっぽを向き、翠は藍に絵本の続きを読み始めた。
う〜ん、これ以上は無理か。夕食後、お風呂を終えて就寝前の一時。
Sさんが翠と藍を産んだ時に使った家族用の個室、今回も同じ部屋に入院していた。
切迫早産の可能性が有るとの事で早めに入院したのだが、姫の体調は安定している。
「今の話、何ですか?女の人って。」 姫の笑顔。
ベッドの端で藍に絵本を読み聞かせる翠、姫は微笑みを浮かべて二人を見詰めている。
「昼間、Lさんの検診の間に話しかけてきた女の人がいたんですよ。
『可愛いから、藍を抱っこさせて欲しい』って。」

618 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/02(火) 04:57:53 ID:vzlOR1Fw0
「何だか、へんな感じ。」 翠の声。
直後。一瞬足下が沈むような、揺れるような感覚。
空気を裂くような悲鳴の、幻聴?続いて耳鳴りと目眩、思わず目を閉じる。
振り返ると姫が翠と藍を抱き寄せていた。
Sさんが立ち上がり、俺の耳に口を寄せる。囁くような、声。
「多分、今この病院内で人が死んだ。あんなにハッキリした徴は珍しい。
妊婦さんだとしたら、さぞ無念だった筈。残した想いが後の災いを招くかも知れない。
私たちもLの出産を控えてるし、念のために警戒した方が良いわね。」
その時、窓の外が明るくなった。点滅する赤い光、救急車?
「さあ、みんなもう寝るわよ。翠は絵本片付けて。」
Sさんが部屋の要所に結界を張り、灯りを消したのは5分程経ってからだった。

619 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/02(火) 05:08:56 ID:vzlOR1Fw0
 翌日、買い出しを終えて病院に戻ると、ロビーのベンチにSさんの姿が見えた。
小さく手を上げて立ち上がる。エレベーターホールに向かう廊下を並んで歩いた。
「あなたを見送ってから、病院の中を一通り見回ってみたの。そしたら凶兆が。」
全身に、微かな鳥肌。 「どういう事ですか?」
「時々強い気配が病院内を動き回ってる感じ。何かを探してるみたいに。」
その時廊下の奥、分娩室のドアが突然開いた。
看護師さんが一人飛び出し、足を滑らせて転んだ。知った顔、確か◎内さん。
「◎内さん、どうしたの!? 未だ処置は終わってないのよ?」
続いてドアから出てきたのはO先生、怒ったような口調だ。
「見えなかったんですか?さっきO川先生の隣に女の人が、あれ、▼沢さんでした。どうして。」
◎内さんの顔は真っ青で、その声は震えている。

620 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/02(火) 05:13:14 ID:vzlOR1Fw0
 「先生、赤ちゃんの呼吸が。」
ドアから身を乗り出した看護師さんを見て、俺は息を呑んだ。
看護師さんの腕には、タオルにくるまれた赤子。
その顔が薄紫に変色している。呼吸の異常か、間違いなく酸欠の症状だ。
『◎内さんをお願い。私は赤ちゃんを。』
耳元で囁くSさんの声。俺の体は弾けるように動き、廊下に膝を付いた。
『大丈夫、大丈夫です。さあ、手を。怪我はありませんか?』
「あら、その赤ちゃん、どうしたんですか?」
その体で遮るようにO川先生の前に割り込んだSさんの左手が淡く光っている。
「Sさん、ちょっと。」 「もう、大丈夫。ほら。」

621 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/02(火) 05:15:32 ID:vzlOR1Fw0
 Sさんが看護師さんの肩に触れ、何事か小声で呟いた。
それから見違えるように、赤子の血色が良くなっていく。
振り向いたSさんがO川先生の耳元で何事か囁いた。
俺はようやく立ち上がった◎内さんの手を右手で握ったまま、左手でそっと肩に触れた。
『そう、大丈夫。さっきのは錯覚です。最近忙しくて、疲れてたから。すぐに、忘れます。』
◎内さんはボンヤリと俺を見詰め、ゆっくりと頷いた。 もう、大丈夫だ。

 「△本さん、戻って後の処置をお願い。ほら、◎内さんも一緒に。」
O川先生の対応は早かった。入院している赤子を全て新生児室に移す。
もちろんSさんの指示。その後、Sさんは新生児室に厳重な結界を張った。

622 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/02(火) 05:35:30 ID:vzlOR1Fw0
 「本当に、他の赤ちゃんにも影響が出る可能性があるなら、それを防ぐのが最優先。
もしもの事を考えてSさんの指示通りにしました。
親御さん達にはノロウィルス対策だと説明していますが、それも今夜一晩が精一杯。
一体どういう事なのか、説明して下さい。
昨夜亡くなった女の人に関わってるとして、あなたは何故その人の事を?」
人払いをしたO川先生の診察室、勿論此所にもSさんは結界を張った。
「昨夜9時半頃、徴がありました。この病院の中で人が亡くなった事を示す、徴。」
「人が亡くなった、徴って...。」
「陰陽師をご存じですね?この土地に古くから言い伝えられてきた者達。」
「陰陽師という言葉や陰陽師が出てくる昔話なら、多少は。」
「私たちは陰陽師の末裔。だから分かります。同じ建物で誰かが亡くなれば直ぐに。
ただ、あれ程ハッキリした徴が現れるのは珍しい。
そして、亡くなった翌日から人の命を左右する影響力を持つのはもっと珍しいんです。
恐らくあの女性は自分の赤ちゃんを抱けないまま、強い想いを残して亡くなった。
そしてその想いは見境無く赤ちゃんを手に入れようとする執着に変化して。だから。」
「それが、あの時の。」
「あの時、分娩室の中の強い気配を感じました。
部屋の中に居た感受性の高い人、例えば◎内さんなら、その姿もハッキリ見えたでしょうね。」

623 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/02(火) 05:40:55 ID:vzlOR1Fw0
 O川先生は俯き、深い溜息をついた。
「信じられない話です。でも実際にあの赤ちゃんの呼吸が止まり、Sさんがそれを。
あの、Sさんたちが本当に陰陽師の末裔なら、何とかできませんか?
どうにか赤ちゃんを守らないと。私には、責任がありますから。」
「大丈夫、任せて下さい。今夜中に始末を付けます。O川先生も、協力して頂けますね?」
「もちろん、私に出来ることなら何でも。」
「まず、業者を呼んで一階の廊下とロビーを実際に消毒させます。
親御さん達には『見舞客の中にノロウィルス感染の疑いがある人がいた』と説明して下さい。
昨夜のことがあったばかりですし、疑われると騒ぎが起こるかも知れませんから。」
「わかりました。親御さんたちにはもう一度私からそのように説明します。」
「その後▼沢さんの荷物を調べさせて下さい。詳しい事情を知りたいので。
もちろん警察の方にも立ち会って貰います。警察にはこちらで連絡しますから。」
「それは...ええ、警察の方が一緒なら、構いません。」
Sさんがそっと俺に目配せをした。そういう事か。立ち上がって軽く一礼。
「失礼。早速連絡を。」 ドアの外で榊さんに電話をかけた。

624 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/02(火) 05:50:01 ID:vzlOR1Fw0
再び藍です。
昨夜中のつもりが、朝になってしまいました。
此処で一旦終了、続きはまた今度。
お読み頂いた皆様に感謝致します。
有り難う御座いました。

625名無しさん:2015/06/02(火) 10:47:24 ID:Sywz6eToO
徹夜での投稿お疲れ様です。ありがとうございます。続きが気になります。

626名無しさん:2015/06/02(火) 16:11:20 ID:xrJK6RIk0
続きが気になりますー

627名無しさん:2015/06/03(水) 09:17:48 ID:7.w/I6hc0
お疲れ様です。 大変なようではありますが、頑張ってください。心待ちにしている読者もたくさんいると信じていますので(^'^)

628名無しさん:2015/06/07(日) 23:58:34 ID:XzNs/6tc0
つづきを待ってま〜す

629けんぽん:2015/06/08(月) 00:55:45 ID:J/J84uBc0
藍様
知人様

新しいお話を有り難うございます。

藍様は体調が優れなかったりPCのトラブルが起こったり等、色々と大変の様ですので無理なさらないで下さい。

お話の続きを投稿下さるのを楽しみにしております。

630名無しさん:2015/06/08(月) 22:17:18 ID:NakTqrVw0
心待ちにしている読者の一人です。
ご自分のペースで無理をなさらず、気長に待ってます。

631 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/08(月) 23:41:25 ID:WP6avOh60
テスト中です。

632 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/08(月) 23:45:19 ID:WP6avOh60
皆様今晩は、藍です。

早速温かいコメントを頂き、有り難う存じます。
以下、追加で許可を貰った部分を投稿致します。
お楽しみ戴ければ良いのですが。

633新しい命・第参章 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/08(月) 23:48:17 ID:WP6avOh60
 榊さんが病院に着いたのは午後4時過ぎ。
チーム榊は既に幾つか成果を得たらしい。短時間で、一体どれほどの労力を。
お互い様ではあるが、毎度俺たちを最優先での対応には頭が下がる。
既に準備を調えていたので、すぐに問題の病室へ向かった。
挨拶はそこそこ、廊下を歩きながら榊さんの質問は単刀直入。
「その女性の夫は外国出張中だと聞きました。連絡は、付かないんですか?」
幾ら出張中でも、緊急時連絡先に夫の電話番号を書くのは当たり前。
妻が倒れた、亡くなったって連絡すれば何らかの反応がある筈だろう。
「彼女が倒れた直後から何度も電話をかけているんですが繋がりません。
いつかけても留守番電話サービスに接続されてしまって。伝言は、残しているんですが。」
O川先生は病室の鍵を開け、ドアノブに手をかけた。

635新しい命・第参章 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/08(月) 23:52:08 ID:WP6avOh60
 振り向いた榊さんは、その手帳を俺に差しだした。
「これは俺よりSちゃんやR君の領域だ。宜しく頼むよ。」
「え?でもこれは証拠品ですから。」 それにO川先生の前でそれは。
「女性の身辺を洗ったら、他の病院での治療記録が出てきた。
高血圧で降圧剤の投与。持病を隠してたんだよ。元々出産に耐えられない体なのは明らか。
証拠としてこれを俺たちが調べるより、2人に任せた方がきっと実りがある。
第一、こんな手帳分署に持って帰ったら俺は兎も角、部下に障りが出る。」
「まあ、それなら。」 「待って。」 Sさんが俺の手を止めた。
「これをそのまま持ち歩いたら、間違いなく持ち主を呼び寄せる。」
Sさんはポケットの中から白いものを取りだして広げた。薄手の布袋。
「取り敢えず携帯用の保管庫。でも、Lの病室には持ち込み禁止。調べるのはお屋敷で。
あと、お屋敷でも調べる時以外はちゃんとした保管庫に。そうでないと色々障りが出る。」
白い布袋に収めたノートを俺に手渡し、SさんはO川先生の方に向き直った。
『O川先生、警察への引き継ぎは無事に済みました。
あとはノロウィルスの消毒だけですね。御協力、感謝します。』
Sさんがニッコリ笑って差しだした右手、吸い込まれるようにO川先生が握り返す。
そうか、術だ。O川先生はこの術に耐性がない。
O川先生はSさんから聞いた説明の大部分を綺麗さっぱり忘れてしまうだろう。
赤子の不調が亡くなった女性の影響であるということも、もちろん俺たちが陰陽師であることも。
O川先生の後ろ姿を見送った後、榊さんは俺の方をポンと叩いて微笑んだ。」
「後は任せた。じゃ、今日はこれで。何か分かったら電話するよ。」

636新しい命・第参章 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/08(月) 23:53:44 ID:WP6avOh60
 その日の夕食後、Sさんは『上』の使者が届けてくれた荷物を解いた。
テーブルにそっと置いたのは身長30cm程の人形。玩具という雰囲気ではない。
赤ちゃん人形と言うにはかなり精巧な作り。
人形の隣に紙の人型を置き、筆ペンで字を書いた。 『藍』 藍の身代わり? 何故?
「ここで亡くなった女性の件ですね?自分の手で抱けなかった赤ちゃんに執着を?」
寝入った藍を抱いた姫は少し心配そうだ。自身の出産を控えているのだし、無理も無い。
「そう。今日生まれた赤ちゃんが一人、危ないところだった。だから今夜中に始末を付ける。」
「藍だけなんですか?その、身代わりは。」 出来れば藍だけでなく、翠も。
未だ子供なのだから、巻き込みたくない。 しかしSさんは俺を見詰めて微笑んだ。
「全部が身代わりじゃさすがに見破られるでしょ。だから、これが翠の初仕事になる。」
初仕事...そうか。
『常に仕事が然るべき術者を選ぶ。術者が仕事を選ぶのではない。』
これまでの修行で、何度も何度も、Sさんから聞いた言葉。
Sさんは、姫のベッドで絵本を読んでいた翠に声を掛けた。
「翠、こっちへいらっしゃい。」

637新しい命・第参章 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/08(月) 23:55:17 ID:WP6avOh60
 「これ、何だか分かる?」 「うん、代の人形。あかちゃんの身代わり。」
Sさんは藍の名を書き込んだ紙をこよりにして人形の髪に編み込んだ。
「じゃあ、こうしたら誰の身代わり?」 「あい...お母さん、それ、何に使うの?」
「翠と藍を嫌いな女の人、憶えてる?」 「おぼえてる。とっても、怖かったから。」
「あの人昨夜亡くなったの。自分の赤ちゃんを抱けないままで。
だから今も病院中を探し回ってる。今日別の赤ちゃんが一人、連れて行かれそうになった。」
「じゃあ、藍も?それからお姉ちゃんが赤ちゃんをうんだら、その赤ちゃんも?」
「そう、だからこのまま放ってはおけないでしょ?」 「何とか、しないと。」
「だからこの身代わりを抱いて、その女の人に会って欲しいの。
もちろんお父さんが一緒だから全然怖くない。」
予想通りだ。その女性を呼び出すなら、あの時の情景を再現するのが一番。
「あの女の人が来て『藍を抱っこしたい』って言ったら、この身代わりを渡す。
翠のお仕事はそこまで。あとはお父さんの後ろに隠れてて。出来るかな?」
翠は暫く俯いていたが、やがて顔を上げた。
「出来る。あいと、お姉ちゃんの赤ちゃんのためだから、がんばる。」
「そう、えらいね。ありがとう、がんばろうね。」
Sさんは翠を抱き上げて頬ずりをした。その眼にうっすらと光る、涙?

638新しい命・第参章 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/08(月) 23:56:57 ID:WP6avOh60
 「そろそろかしら。」 Sさんの声に応じて時計を確認する。 9時10分。
あの晩『徴』があったのは9時20分頃だった。面会時間は8時までだし、
自販機は各階にあるからわざわざ一階で買い物をする人はいない。
無人の薄暗いロビー、それがこの件の始末を付ける舞台。
一階のロビーに移動する時間も必要だし。確かに『そろそろ』だ。
「丁度良い時間ですね。行ってきます。翠、おいで。」 「は〜い。」
既にパジャマに着替え、人形を抱いた翠はとても可愛い。
『誰か』に出会っても、ぐずった娘の気分転換だと言えば不審に思われる事はない筈。
手を繋いで廊下を歩く。エレベーターから降りたところで翠の手に力がこもった。
俺には未だ感知出来ないが、何か、いる。それを翠は。
しっかりと翠の手を握り、ロビーへ向かう。薄暗い中に整然と並ぶベンチ。
出来るだけ、あの日と同じに。一番後ろ、右端に座った。翠を抱き上げ、膝に座らせる。
小さな体は少し強張っていた。見慣れた式達とは違う相手、怖いのが当たり前だ。
抱き締めて、そっと背中をさする。 「大丈夫、お父さんがついてる。」 「うん。」
その直後、辺りの空気が変わった。 翠の体が更に強張った

639新しい命・第参章 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/08(月) 23:58:18 ID:WP6avOh60
 いつの間にか、俺の右側の廊下に女性が立っていた。間違いない、あの女性だ。
ただ、黒っぽい服を着た体はすらりと細く、あの日とは違う。既にお腹の子は、だから。
『お子さんたちは、どうか、したんですか?』
「ええ、娘が少しぐずったので、少し散歩です。3人で。」 翠の耳に、そっと口を寄せた。
「翠。ごあいさつ、できるかな?」 翠は顔を上げ、女性の方に向き直った。
「こんばんは。」 「今晩は。お姉ちゃんは今夜も赤ちゃんと一緒だね。」
女性は一歩踏み出して少し屈んだ。
「ホントに可愛い赤ちゃん。ね、お姉ちゃん。ちょっとだけ、抱っこさせてくれない。お願い。」 顔の前で手を合わせる。おどけた仕草だが、その眼は全く笑っていない。
ふっ、と、翠の体から固さが消えた。軽やかに体を捻って俺の膝を降り、床に立つ。
「良いよ。少しだけなら『藍』のこと、抱っこしても。はい。」
立ち上がり、女性を真っ直ぐ見つめ、差しだした翠の腕には。
...藍? いや、無意識とはいえ翠の『呪』が加わり、それは藍そのものの。
「有り難う。ちょっとだけね。」 深く屈み、顔にかかる髪。女性は『藍』を抱き上げた。

640新しい命・第参章 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/09(火) 00:02:00 ID:EXJ5CAqA0
 「可愛い。ホントに可愛い。この子はこんなに可愛いのに、私の、赤ちゃんは。」
髪の毛に隠れ、目の色は伺えない。しかし、微かに歪んだ口元を見れば十分だった。
「私の赤ちゃんは何処に行ったの?昨日までは確かに。」
ぎこちない姿勢で『藍』を抱いていた女性の右腕がゆらりと動いた。
「分かってる。私は、昨日死んだ。それは良い。でも。」
女性の右手はゆっくりと『藍』の頬から首に。
「やめて、そんなの駄目だよ。」 「お姉ちゃん、御免ね。でも一人は嫌。寂しいから。」
突然乾いた音が響き、『藍』の体が光に包まれた。
「あ。これ、何?」
女性の両手が燃えていた。青い炎がゆっくりと拡がっていく。胸の奥が、痛い。
『救えることもあれば、救えないこともある。』 俺と翠を送り出す前、Sさんはそう言った。
『たとえ救えても術者の手柄ではない、もちろん救えなくても術者の罪ではない。
結局旅の目的地を決めるのはその人自身、自ら破滅を選んだ人の魂は誰にも救えない。』と。

641新しい命・第参章 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/09(火) 00:03:13 ID:EXJ5CAqA0
 女性の姿が大きく揺らぐ、青い炎は既に女性の全身に拡がり勢いを増していた。
炎が勢いを増すほど女性の姿は薄れ、存在感を失っていく。
ただ俺は、熱気を全く感じない。ソファに引火する様子も無い。
Sさんの術が生み出した、浄化の炎。 魂を、食い込んだ闇ごと焼き尽くす、業火。

642新しい命・第参章 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/09(火) 00:04:28 ID:EXJ5CAqA0
 『逃げるだけでは駄目、そんなの当たり前でしょ。誰も、教えてくれなかったの?』
翠が女性を見つめている。でも違う。これは、Sさんの声だ。
『自分の夢から逃げ、愛した人から逃げ、最後は自分の人生から逃げた。』
女性は顔を上げた。
『逃げてなんか...私はちゃんと結婚して、妊娠して。』
『それで、あなたは誰と結婚したの?誰の子を妊娠したの?
あなたが死んだと連絡しても、あなたの夫が全く反応しないのは何故?』
『それは...』 女性の姿は消え、床に人形が落ちた。
人形を拾い上げる。髪の毛、人型を編み込んだ辺りが焦げていた。
Sさんが人形に仕込んだ2つの術。『浄火』と『逆針』。
発動した術は炎...結局、最後まで女性の心は光に背を向けていたのだろう。
もちろん自業自得、しかし、胸の痛みは消えない。
事情はよく分からないが、さっきの会話からすると不倫がらみの可能性もある。

643 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/09(火) 00:11:37 ID:EXJ5CAqA0
再び、藍です。今夜は此処まで。
お付き合い頂いた皆様に感謝致します。本当に有り難う御座いました。
この後は未だ許可を頂いておりませんが、頑張ります。
それではまた。

644名無しさん:2015/06/09(火) 00:15:26 ID:0u52Uoy.O
気になるところで続きですね、寝つきが悪くリアルタイムで読めました。いつもありがとうございます。
色々事情があって続きの許可がでない場合もあるんですね。ぜひ最後まで読みたいです。

645名無しさん:2015/06/09(火) 01:05:23 ID:wWIMBsRg0
途中までの許可とはこれまた珍妙な。足りないものは何であろうか。
我々になのか?それとも・・。

646 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/10(水) 00:24:47 ID:/LBZ9/3A0
皆様今晩は、藍です。

この作品では個別の返信や説明は控えるという約束なのですが、
『一部を書き換えれば、この作品は此処までで完結出来ます』という立場と
『大切なのは此処からです』という立場の板挟みだと御理解下さい。

残りを投稿できる目処が立たないのであればこの作品の投稿を一旦中断して
既に許可を得た別の作品を投稿した方が良いのかとも思います。
しかしそれだと管理人様のまとめ作業の御迷惑になりそうですし、なかなか難しいですね。

また明日から頑張ります。今夜はこれにて。有り難う御座いました。

647名無しさん:2015/06/10(水) 01:24:59 ID:j9F3H3jg0
こんばんは 藍さん 知人さん お疲れ様です。
板挟み 大変だとは思いますが、それも産み出すための苦労だと思います。
読者としては あるがままを受け入れるのみかと思います。
お悩みかとは思いますが ご自身の「よかれ」を大切にすればいいのではないかと思います。
明日を楽しみにお待ちしています

648名無しさん:2015/06/10(水) 18:58:09 ID:9ezrCaxo0
R・S・Lの関係もそうだけど婚姻に関わることに作者氏の拘りがありそうだ。

649 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/12(金) 20:01:49 ID:iQvjbQ1E0
テスト中です。

650 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/12(金) 20:06:19 ID:iQvjbQ1E0
皆様今晩は。藍です。

終盤のカットと、それに合わせた一部書き換えで投稿の許可を頂きました。
これから投稿内容の最終チェック、OKが出れば今夜中に投稿を。
もう暫く、お待ち下さい。

651名無しさん:2015/06/12(金) 21:59:41 ID:8QIZtuH60
楽しみにお待ちしています。

652新しい命・第参章 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/12(金) 22:24:29 ID:iQvjbQ1E0
 「お父さん、どうして?」 戻ってる、翠の声だ。そっと抱き上げる。
「どうしてって、何のこと?」
「あの女の人、どうしておよめさんになれなかったの?
およめさんになれたら、赤ちゃんが出来たら、きっとあんなひどいことしなかったのに。」
? お嫁さんになれなかったって...翠はあの女性の心を、それともSさんの術か?
「ハッキリ分からないけど、好きになった人にはもうお嫁さんがいたのかもしれないね。」
「だ・か・ら、どうして?おかあさんもおねえちゃんもお父さんのおよめさんでしょ?
あの女の人だって、2人目のおよめさんになれたはずでしょ?」
そういう、ことか。成長する過程で、いつか話す時期が来ると思ってはいた。
「良く聞いてね。お嫁さんは一人。それが普通なんだよ。」
「でも、お父さんは。」
「みんなで相談して、お父さんもお母さんもお姉ちゃんも、それが幸せだって決めたから。
幸せの形は自分で決めるもので、それは一人一人違っていてもいいと思う。
もちろん『お嫁さんは一人』っていう考えが間違ってるなんて思わない。それに。」
「それに、なあに?」 じっと俺を見上げる、澄んだ瞳。

653新しい命・第参章 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/12(金) 22:28:04 ID:iQvjbQ1E0
 「自分の考えを他の人に押しつけるのは良くないよね。
『お嫁さんは一人』って決めてる夫婦に、別の女の人が『2人目でも良い』って
無理矢理お嫁さんになることは出来ないでしょ?それじゃ誰も幸せになれない。」
「1人目のお嫁さんに、だまっていてもだめ?」
浮気とか、不倫? ...結構、核心を突いてくるなぁ。
「う〜ん、絶対に知られなければみんな幸せかな。いや、やっぱり難しいと思う。」
「どうして?」
「『お嫁さんは一人』って考えが普通なんだから、
『2人目でも良い』って女の人は滅多にいない。それだと、どうなると思う?」
「1人目のお嫁さんに、お嫁さんをやめてって言うかもしれない。
自分がお嫁さんになって、男の人を自分のものにしたいから。」
「翠、どんな人だって、他の誰かを『自分のもの』には出来ないよ。
例えばお父さんがどんなに翠を好きでも、翠は『お父さんのもの』じゃない。
いつか大人になって、誰かを好きになって、自分の幸せを見つけるんだから。」

654新しい命・第参章 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/12(金) 22:29:58 ID:iQvjbQ1E0
 暫く黙って考えていた翠が顔を上げた。
「きっと、あの女の人は男の人を『自分のもの』だと思いたかったんだね。
だから大人なのにおままごとして...何だか、かわいそう。」
?? 『おままごと』 妊娠、したのだからおままごとでは...
突然、言いようのない不吉な感覚に捕らわれた。
もしかして、好きな男の役を別の男に?その男と結婚して、その男の子供を?
いや、幾ら何でもそれは。それなら浮気や不倫の方がよっぽど。

655新しい命・第参章 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/12(金) 22:33:43 ID:iQvjbQ1E0
 「もうお仕事は済んだでしょ?すぐに帰ってこないと心配するじゃない。」
Sさんが立っていた。微笑みと共に差し出された右手、無意識に人形を。
Sさんは受け取った人形を白い袋に入れた。手帳の時と同じ、携帯用の保管庫。
「これも病室には持ち込み禁止、取り敢えず今夜は手帳と一緒に車の中ね。お願い。」
俺の腕から翠を抱き取る。俺は交換で白い袋を受け取った。
「頑張ったね、すごく偉かったよ。」 翠は黙って頷き、Sさんの肩に顔を埋めた。
「やっぱり怖かった?」 「うん、最初は少し怖かった。でも、お父さんと一緒だったから。」
翠の髪を愛しそうに撫で、Sさんは小さく肩をすくめて見せた。
「ね、翠。その女の人、最初に見たときと何か違ってた?」 「...服が、違ってた。」
「それだけ?お腹、大きくなってなかった?」 「ううん、大きくなってなかった。あの時と同じ。」
??? 翠には、見えてなかったのか。一目で臨月と、そして実際に子供が。
「先に戻ってる。心配事の始末は付いたし、なるべくLに付いていてあげないと。」
白い袋を車に置いて部屋に戻ったのは10時少し前、既に姫と藍は寝息を立てていた。
翠をあやし寝かしつけるSさんに声を掛けるのは躊躇われたし、質問はお蔵入り。

656新しい命・第参章 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/12(金) 22:36:18 ID:iQvjbQ1E0
 翌日。朝食の後、一旦お屋敷に戻り人形を『保管庫』に入れた。
手帳はリビングのテーブルの上。病院に戻る前に、調べようと決めていた。
何だかSさんは気乗りしない様子だったが、あの、▼沢という女性が
あれ程に歪んでしまった事情を知りたかった。そして、彼女のお腹の子についても。
だからお屋敷での雑用を兼ねて、手帳と人形を保管庫に入れる役目を引き受けた。

 黒革の表紙、分厚いA4版のノート。その真ん中辺りを開く。
「○月4日、定期検診。赤ちゃんの発育は順調、あの人にもエコーの写真を見せたい。
でもシドニーだし、忙しい時期だし。わがまま言っちゃ駄目よね。私が、しっかりしないと...」
「○月5日、今日はあの人から電話が来た。話した時間は短いけど、
あの人の愛情はしっかり伝わってくる。そっけなく見えて、本当はとても優しい人。
来年の今頃は、家族3人一緒に暮らせるから...」
「○月6日、少し体調が悪かった。病院に行くと赤ちゃんの事色々言われるから行きたくない。
こんな日はあの人が一緒にいて欲しいと思う。でも、考えすぎると辛くなるから気分転換...」

657新しい命・第参章 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/12(金) 22:38:36 ID:iQvjbQ1E0
 日記、か。一旦ノートを閉じ、眼を閉じて深呼吸。精神を統一する。
この日記で彼女の『夫』の出張先がオーストラリアのシドニーだと分かる。
その他の記述にも不審な内容はない。 丁寧で綺麗な字。 しかし何故だろう?
読み進める内に、ページから不吉な気配が滲み出して、何かが指に粘り着くような感覚。
お腹の子の成長と、夫の事を書き綴っただけの日記とは思えない。
強い愛情を確かに感じる。しかしそれだけじゃ無い。その奥に潜む、何か別の。
やはりあの女性は。そう思った瞬間にケイタイが鳴った。榊さんだ。

658新しい命・第参章 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/12(金) 22:40:11 ID:iQvjbQ1E0
 「彼女の夫は出張中じゃない。というか、そもそも夫じゃない。
日記に書かれてた会社にはタカユキという名の社員が3人いる、
年齢的に該当しそうなのは1人だけ。その1人は彼女の事を知ってるが、県内在住だ。」
それなら、やはり。 「不倫の偽装、ということですか?」
「可能性は有るが、どうかな。ホントの相手が誰か別にいて、それを偽装したのだとしたら、
あんな不吉な日記を手間暇かけて作る理由にはなるかも知れんが、それにしても。」
榊さんは一旦言葉を切った。小さく溜息をつく気配。
「彼女が死んだ今、真相はその男に聞かないと分からない。
会ってみるかい?任意の事情聴取は今日、それをR君に任せても良い。」
嫌な予感がする。しかし、あの女性の事をもっと知りたい、その気持ちの方が強かった
「是非、お願いします。」
「了解。午後4時に分署で。それまでには女性と子供のDNA検査の結果も出る筈だ。
その男がDNA検査に同意してくれれば不倫相手かどうかがハッキリする。」

659新しい命・第参章 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/12(金) 22:41:21 ID:iQvjbQ1E0
 榊さんの分署。時間前に着いて待っていると、駐車場にワゴンが滑り込んできた。
停車したワゴンに歩み寄り、スライドドアを開ける。降りてきた男性に一礼。
「Rです。藤○さんですか?」
「はい、藤○です。」 「今日はわざわざ申し訳ありません。」
「いいえ●沢さんの事は何時かちゃんと区切りを付けたいと思っていましたから、
警察の方にしっかり話を聞いてもらえるのはむしろありがたいですよ。」
「ありがとう御座います。では中へ」
榊さん経由でこの男性に会う約束を取り付けたのは一昨日。
不審死した女性の件で事情を聞きたいという設定。つまり、任意の事情聴取。
男性が既婚者だというのは既に分かっている。不倫絡みのトラブルだとしたら、
詳しい事情を話してくれないのではないかと思っていたが、男性の表情に翳りはない。

660新しい命・第参章 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/12(金) 22:43:08 ID:iQvjbQ1E0
 「まずは単刀直入にお聞きします。あなたと▼沢さんの関係について教えて下さい。」
「友人、でした。私は文化財や史跡に興味がありまして。
○×市の市民講座を受講していたんです。そこで彼女と出会いました。」
「○×市って、随分遠いですね。市民講座でわざわざそんな所へ?」
「いいえ、以前は其処に住んでいました。市民会館のすぐ近くに。
此の街へ引っ越してきたのは彼女の件があったからです。」
「彼女との間に何かトラブルが起きたんですか?」
「講座を受講する内に馴染みになった人が数人居ました。彼女はその一人です。
講座が終わった後、市民会館の中の喫茶店で講座の内容について話したり。
講師の先生が加わって下さることもあって、楽しかったんですよ。ただ。」
「ただ?」
「ある時、『二人だけで会いたい。』と言われたんです。喫茶店から出た後で。
私は既に結婚してましたから、その事情を話して断りました。
すると、その、ストーカーというか。始めは職場に、暫くして自宅にも。
私の留守中に妻が彼女と口論になったと聞いて警察に相談しました。
○×市の警察に問い合わせてもらえれば分かる筈です。」

661新しい命・第参章 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/12(金) 22:44:39 ID:iQvjbQ1E0
 どういう事だ?じゃあ、お腹の子の父親は...
「警察が間に入ってくれて、それから彼女は姿を見せなくなりました。
ただ、当時妻が妊娠してましたから、万一の事を考えて引っ越したんです。
ちょうど会社の人事異動の時期だったので、会社に事情を話して。
警察から市の担当者に話を通してくれて、転居先が彼女に知られることがないように
対応してくれることになったので、安心していました。」
心の乱れも感じないし、嘘を言っている表情ではない。
「この街へ引っ越してきたのは何時ですか?」 「一昨年です。一昨年の9月。」
ざわ、と首筋の毛が逆立った。
彼女の手帳に書かれていた名前、一緒に写った写真。確かにこの男性。
しかし、この男性が引っ越してきてから既に一年半。
その間彼女に会っていないなら、当然この男性はお腹の子の父親ではない
やはり日記は偽装工作? 子供の父親が他にいるなら、この男性は無関係だ。
「良く分かりました。お話の内容次第ではDNA検査への協力をお願いするつもりでしたが、
その必要はありませんね。今日は本当に有り難う御座いました。」
「いえ、こちらこそ。ずっと気にかかっていましたが、やっと安心できそうです。」
ホッとしたような笑み。 ストーカー行為が再発すれば妻と子に被害があるかもしれない、
その心配から解放されたのだから、ようやく肩の荷が下りた気分だろう。

662新しい命・第参章 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/12(金) 22:46:27 ID:iQvjbQ1E0
 その男性を車まで送り、応接室に戻ると榊さんとSさんがソファに座っていた。
A4数枚の資料に目を通すSさん、榊さんの微妙な表情。
「話を聞いた感じでは、藤○さんは子供の父親じゃありません。
あの手帳以外の手がかりを見つけないと、DNA検査の結果も意味がないですね。」
前科があり、DNAの型が既に登録されている男ならともかく、
彼女と親交のあった男性のDNAを片っ端から検査するのは不可能といって良い。
「う〜ん。この結果から言えば父親は...父親はいない。」
「いないって、そんな。一体どういう事ですか?」
「それはこっちが知りたいよ。どういう訳か子供のDNAは母親と一致した。
つまり子供は母親の、ええと、そうクローン。そういう事になるらしい。」
「でも、人間のクローン作成はまだ。まさか、闇のルートが?」
外国ならペット、犬や猫のクローン作成を請け負う業者は実際にいる。もしも。
「いや。さっき知り合いの医者に電話して聞いてみたが、無理っぽいな。
母親の細胞の核を母親自身の卵子に移植し、分裂を始めたら子宮に戻す。
操作自体はそれ程複雑じゃないが、研究が進んでるマウスでも、成功率は
10回に1回程度らしいし、母親の持病考えると引き受ける医者はいないだろうってさ。
人工的なクローンじゃないなら、あとは、あれ何て言ったっけ。キリストが生まれた時の。」

663新しい命・第参章 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/12(金) 22:49:12 ID:iQvjbQ1E0
 「処女懐胎ですね。でも、生まれたのが男の子ならクローンじゃありません。
昆虫には雌だけの単為生殖がありますが、生まれる幼虫は全て雌です。」
Sさん...確かに、それは高校生物の教科書にも載っている。例えばアリマキ。
「じゃあ、やっぱりそのナントカ生殖が起きたって事かい?それでクローンが。」
「キリスト生誕の話だけでなく、母親だけで生まれた子の伝承は世界各地にあります。
大抵は嘘や思い違いでしょうが、中には真の奇蹟が、
本当に精霊や妖の子を宿したという例があったかも知れません。
実際に母親だけで子供が生まれるのだから、それも単為生殖の一種と言えるでしょうね。
一族の記録にも精霊の子を宿した娘に関する記述が残っています。
生まれたのは女の子で姿は母親に生き写しだったが、
その力は母よりはるかに強く、後に優れた術者になったと。」

664新しい命・第参章 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/12(金) 22:51:04 ID:iQvjbQ1E0
 「確かに、Sさんが言った通り単為生殖をする動物はいます。
でも、哺乳類の単為生殖は有り得ない筈ですよ。」
そう、例え遺伝子工学の粋を尽くした実験をしたところで、
父親と母親どちらか一方の遺伝子しか持たない卵の発生は途中で止まる。
以前読んだネットのニュース、あの実験で生まれたマウスの名は...そう『かぐや』だ。
「単為生殖は起こらないのに、クローンは作れる。
だとしたら、卵や精子の形成過程で働く特別な仕組みが有るってことでしょ?
もしその仕組みに異常が起きたら、単為生殖が起こる可能性は0じゃない筈。
精霊や妖の力がその仕組みを阻害して単為生殖を促すという解釈も成り立つ。」
...その仕組みこそ、ゲノムインプリンティング。全く、この人の洞察力は。
「でも、純粋な奇蹟を科学的に解釈してもあまり意味はない。
妖や精霊の力が卵細胞を活性化したと考えれば、私たちには十分。
むしろこの件で重要なのは。」
Sさんは榊さんご自慢のアイスコーヒーを一口飲んだ。
「重要なのは、あの女性の妊娠の過程に精霊や妖が関わった形跡が無いってこと。
そう、たまたま彼女に遭遇したかも知れない悪霊の形跡さえも、ね。」

665新しい命・第参章 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/12(金) 22:53:04 ID:iQvjbQ1E0
 「Sちゃん、ちょっと待ってくれよ。それじゃあ、どうしてあの女性は?」
「考えられる事は1つしかありません。R君、どう思う?」
俺を見つめるSさんの、少し寂しそうな笑顔。突然、あの日記を思い出した。
一目見て異様な気配を感じるほど、強い想いを込めてびっしりと書き込まれた字。
しかし藤○さんの話の内容と、何よりDNA検査の結果からすれば、
日記の内容は全て彼女自身の妄想。日記はあの一冊だけでは無いだろう。
おそらく彼女が暮らしていた部屋には結婚や妊娠の経緯を記したものも。
ニス塗りの小さな本棚に並ぶ数冊の黒い手帳。不吉な幻視。首筋の毛が逆立つ。
一体何のために? そう、その答えは1つだけ。 それが可能かどうかは別として。
「想像妊娠。の、途轍もなく極端な例でしょうか。
日々詳細な日記を書くことで、彼女は強固な妄想の世界を作り上げ、
その世界に深く深く入り込んだ。理想の夫と一緒に過ごす幸せな結婚生活の妄想は、
彼女にとって現実以上の存在感を持ってしまったんです。
だから彼女の体が反応した。それで、きっと妊娠が現実に。
いくら彼女が稀な霊質と強い『力』を持っていたとしても、
人間にそんな事が可能なのかどうか、正直僕には判りませんが。」

666新しい命・第参章 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/12(金) 22:54:58 ID:iQvjbQ1E0
 「よっぽどの荒唐無稽でなければ、人が心の底から強く願う事が実現する可能性は有る。
知覚した情報をもとに再構成した心象風景こそ、その人にとって常に世界そのものなのだし。
それは時に他人にとっての現実をも浸蝕するほどの『力』を持つ。」
それは人だけに許された特権であり、そして同時に、人だけが背負う罪だと
以前Sさんから聞いたことがある。良くも悪くも、強い想いは現実を変える、と。
「彼女があっさり身を引いたのは、無意識に自分の妄想を守ろうとしたからよ。
裁判になったり、周りの人間を巻き込んだ修羅場になれば、幸福な妄想は持続しない。
何より、その過程で愛する人が自分を全く愛していないという事実を確認する事だけは」
Sさんは突然言葉を切り、視線を逸らして窓の方向を見つめた。
その瞬間、Sさんが気乗りしない様子だった理由を理解できたと思う。
そしてあの夜、翠を抱き締めて流した涙の意味を。
もちろん問答無用で滅するに値する事例。しかしそれを成立させたのは、
許されぬと自覚しながら、どうしようもなくその想いに身を焦がした女性の熱情。
例えどんな術者であろうと、それを断罪する立場に立つのは辛い。
しかし、今俺たちがすべきことは。

667新しい命・第参章 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/12(金) 22:58:09 ID:iQvjbQ1E0
 「もう彼女の命を取り戻す事は出来ません。哀しいけれど、それが現実です。
なら、僕達がすべきことはあの女性の子供にどう対応するかと言うことですよね?」
Sさんは俺に視線を戻し、優しい笑顔を浮かべた。
「問題は2つある。1つ。その子に宿った魂があるかどうか。
通常の妊娠であればごく初期、あるいはそれ以前に宿る魂との絆が生じる。
しかしこの場合前もっての絆は生じ得ない。それに、あの晩私が張った結界と管が、
たまたま居合わせた霊がその子の体に宿ることを阻んだ筈。
そうか、魂が宿っていないから、翠は子供を感知できなかったのだ。あの、大きなお腹を。
「2つ。母親の命しか受け継いでいない子は、当然普通の子よりも生命力が弱い。
だから妊娠に関わった妖や精霊はそれを補う『贈り物』すると言われてるの。
強い生命力、類い希な強運、あるいは並外れた才能。」
「なら、母親の胎内に光や何かが入り込んで生まれた偉人ってのも
あながち出鱈目じゃないって事になるな。だけど、あの子供はどうなる?
強烈な妄想が生み出した結果だとしたら、『贈り物』どころか庇護する母親さえいないのに。」
「『贈り物』を受け取れなければ、その生命力はやがて尽きます。10日、もつかどうか。」
あの女性の心停止、蘇生の見込が無いと判断したO川先生は即座に帝王切開を行った。
赤子だけでも助けようと。しかしその果断な処置にも関わらず、
その子は市内の大学病院に搬送され、新生児ICUで生死の境を彷徨っていると聞いていた。

668 ◆iF1EyBLnoU:2015/06/12(金) 23:05:17 ID:iQvjbQ1E0
皆様、再び藍です。

どうやら今夜は此処までが精一杯です。
明日以降、残りを最後まで投稿したいと思っています。
お付き合い頂いた皆様、ありがとうございました。

669名無しさん:2015/06/13(土) 04:25:13 ID:BI.5wI8gO
投稿お疲れ様です。続きありがとうございます。父親のない出産は聞いたことがあります。神秘的で、現実の実態が少し垣間見えますね。

670名無しさん:2015/06/13(土) 17:19:16 ID:9bYIwZRo0
孤独を力に変えていた人の強い想いや心象風景は、確かに大切な命を連れ去るほどの力を持っていたな
自分を善や、悪であっても正当と信じたいが為に他者を悪とする悲しい戦いがかつてあったように思う


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