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藍物語(投稿・感想・雑談専用=隔離)スレ

1枯れ木も山の賑わい:2014/03/26(水) 23:49:11 ID:sdeCrXLs0
藍 ◆iF1EyBLnoU の 投稿と
投稿に対する感想・雑談の為に立てた専用スレです。
レスの都合上コテハン推奨ですが、匿名の書き込みも勿論OK。
非難の書き込みは「作品に関する話題・雑談」スレで存分に。
こちらへ書き込まれた場合は(可能ならば)削除します。

403『礎(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/08/18(月) 23:45:57 ID:EEO410Fs0
 「お父さん、みどりはみずきちゃんのことがききたい。ノロになれるってきまったんでしょ?」
そう言えば、昨夜瑞紀ちゃんは。俺はたか子さんに面を着けてもらって、それから?
「瑞紀ちゃんはどうやってノロの後継者って認められたの? 瑞紀ちゃんが間違って
俺のケイタイに電話して来た時は、てっきりSさんかLさんがノロクモイの代わりに」
「間違ってない!私、Rさんに。」
瑞紀ちゃんは突然席を立ち、足早に廊下を。 とてつもなく、気まずい時間。

404『礎(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/08/18(月) 23:48:25 ID:EEO410Fs0
 「ええっと、憑依が上手く行くようにってRさんにお酒を勧め過ぎたのは失敗でした。」
「おねえちゃんとおかあさんは、何か、しっぱいしたの?」 翠は泣き出しそうだ。
「昨夜の事、ホントに憶えてない?」 「はい、お面を着けて皆が喜んだ後の事は。」
「小屋で瑞紀ちゃんの着替えを手伝ったでしょ?それで勾玉の首飾りと鳥の羽根の髪飾りを。」
あ! 突然、蝋燭の灯りと裸体の映像。柔らかな感触、俺は昨夜瑞紀ちゃんの素肌に。
「憑依が深くなりすぎて記憶が飛んだのは私とSさんに責任が有りますけど、電話の件は。」
「確かに、『間違い電話』って言ったのは、挽回できるかどうか怪しいわね。」
「あの、一体何の話ですか?」
「昨夜、瑞紀ちゃんの着替えを手伝った、それは思い出したのね?」
「はい。でも、それは僕じゃなくても。だって代々のノロは。」
「R君?」 「はい。」 「裸を見せるなら、せめて好きな人にって思う気持ち、分からない?」
「じゃあ、あの時。」 「そう、瑞紀ちゃんは最初からあなたに頼みたかったのよ。その役を。」
「きっと、瑞紀ちゃんは部屋にいます。修復するなら今しかありません。」
「いや、だって代々のノロが稀人にセジを授けられるなら、個人的な好き嫌いは。痛ててて。」
「R君、君、思い上がってる?」 「思い上がるなんてそんな。だって前回もそれ以前も。」
「基本、稀人は公募制なの。だから。」
ふと、甦る記憶。お面を着けた時の、微かな潮の香り。もしかしてあれは。
「そう。前回、稀人役を勤めたのは瑞紀ちゃんの祖父。
必死で村一番の漁師になって、その役を勝ち取ったのよ。大好きな女性のために。」
「Rさん、行ってらっしゃい。それでも駄目だったら私たちも協力しますから。」 姫の、微笑。

405『礎(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/08/18(月) 23:50:22 ID:EEO410Fs0
 廊下の奥、ノロクモイの部屋の1つ手前。瑞紀ちゃんの寝室。深呼吸して、襖をノックした。
「瑞紀ちゃん、居るんでしょ?入るよ。」 返事はない。 5秒待って襖を開ける。
瑞紀ちゃんは窓際に座っていた。振り向いてはくれない。寂しそうな後ろ姿。
「御免。昨夜は、飲み過ぎて。だから憑依は上手く行ったけど、記憶が飛んでた。
でも、さっき全部思い出したよ。昨夜、瑞紀ちゃんは、とても綺麗だった。」
「私、あの役は、絶対Rさんに。それは私の、我が儘だって分かって居たけど。」
「瑞紀ちゃん、俺はSさんとは違う。色々な事が前もって分かる程の力は無いんだ。だから。」
小さな肩にそっと触れる。何もかもが愛しくて、胸の奥が痛む。
「私も、SさんやLさんみたいに綺麗じゃないし、2人みたいな力もないから。」
「違う。それは違う。悪いのは俺。瑞紀ちゃんの気持ちを分かって上げられなかった。」
柔らかな体をしっかり抱きしめる。薔薇の花の、香り。
「瑞紀ちゃんの御両親に、会わせてくれないかな?」 「え?でもそれは。」
「きっと、俺たちの関係が宙ぶらりんだから、こんな擦れ違いが起こるんだよ。
だから区切りを付ける。ちゃんと瑞紀ちゃんの御両親に話をして、許してもらおう。」
「本当に、良いんですか?」 「うん。なるべく早くにね。」

406『礎(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/08/18(月) 23:52:25 ID:EEO410Fs0
 祭りの3日目は月曜日、昨日までに比べれば静かな雰囲気。
夕方から、公民館で祭事というよりは豊年祭っぽい演し物が色々あるらしい。
午前中は皆でのんびりと昼寝をし、午後からお祭りの雰囲気を楽しんだ。
瑞紀ちゃんの両親と会ったのはその翌日。あるレストランの個室、夕食に招待した。
まずは2人に頭を下げる。「初めまして、Rです。今夜は御出頂き感謝します。」
「こちらこそ、御招待頂いて。有り難う御座います。」
しかし、父親の言葉はそれ以上続かない。すぐに料理が運ばれてきた。
当然だが、何とも気まずい雰囲気。殆ど誰も喋らないまま夕食を食べる。
やがて飲み物とデザート。沈黙に耐えかねたように、父親が口を開いた。
「Rさん、瑞紀の命を助けて頂いて有り難う御座いました。このような場を設けて頂いてから
改めてお礼を申し上げるのではなく、すぐにでもそちらに伺うべきでした。
しかし家の事情でそれもままならず、どうか失礼をお許し下さい。」
「僕たちの出会いが縁となり、こちらが望んだ事ですから、どうかお気遣い無く。
むしろあの出会いが瑞紀ちゃんの、いえ、瑞紀さんのノロになりたいという希望を生みました。
結果的にそれが御両親の御心労の原因となっている事を、申し訳なく思っています。」
瑞紀ちゃんが沖縄を離れたのは、本人と両親がノロになる事を希望していなかったからだ。
「瑞紀。お前の正直な気持ちを聞かせて。たか子姉さんから話は聞いてるけど、
お前の気持ちが分からないと母さん達はどうしようもない。」 初めて母親が口を開いた。

407『礎(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/08/18(月) 23:54:40 ID:EEO410Fs0
 「Sさんは、お祖母さんが立派なノロで、今もあの集落を護ってると私に教えてくれた。
それからRさんたちは『何時か引退したら、立派なノロに護られてる土地で暮らしたい。』って。
だから私、ノロになりたいって思ったの。何時かRさんたちがあの集落で暮らしてくれるように。」
「お前、何言ってるの。そんな気持ちでノロになんて。」
「最後まで聞いて!」 「駄目だよ、瑞紀ちゃん。」 固く握りしめた手を、そっと押さえる。
「...大声、出して御免なさい。確かに始めはその気持ちだけだった。
でも、お祖母さんとたか子おばさんの手伝いをする内に、分かってきたの。
お祖母さんとたか子おばさんが、あの集落の人達にどれだけ尊敬されてるか、
集落を護ることがどれだけ大切で、どれだけやりがいのある仕事なのか。そういう事が。
だから今はRさんたちの事だけじゃなく、私自身が絶対ノロになりたいと思ってる。
大好きなあの集落を、何時か私の力で護れるようになりたい。」
「ノロである間は、入籍出来ない。それは、聞いてるでしょ?本当に、それで良いの?」
「SさんとLさんの事は最初から知ってた。だから入籍なんて全然考えてない。
私、力を玩具にして占いのバイトしてたから、始めはRさんに嫌われてた。
でも今は少し好きになってくれて、翠ちゃんと一緒に旅行にも来てくれて。だから...」
黙って俯いた瑞紀ちゃんを見つめ、両親は溜息をついた。

408『礎(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/08/18(月) 23:57:35 ID:EEO410Fs0
 「Rさん、私達の一番の望みは瑞紀の幸せです。」
「はい。僕にも娘がいますから、お母さんの御気持は分かるつもりです。」
「あの集落でノロになることが、本当に瑞紀にとっての幸せでしょうか?
しかも絶対に籍を入れられない、Rさんとの事実婚以外選択肢が無いなんて。」
「勿論、御両親が許して下さるまで、友人としてのお付き合いから先には進みません。」
瑞紀ちゃんは驚いたように俺を見詰めた。縋るような瞳、胸が痛む。でも、言わねばならない。
「僕たちの一族のしきたりが、今の日本の常識から大きく外れている事は理解しています。
御両親がそれをとんでもないことだと考えるのも、ごく当たり前のことでしょう。
ただ、瑞紀さんの優れた資質を活かすのは全く別の問題です。
瑞紀さんの力、その優れた資質を活かすためには、ノロになるしかありません。
お願いです、どうかそれだけは信じて下さい。
何故僕たちのように力を持って生まれてくる人間がいるのかは分かりません。
でも、僕たちには、この力を使って果たすべき天命があると信じています。
僕は沖縄で言うならユタのような立場、術を使う仕事の報酬で生計を立てています。
決して人の道に反した事はしていないし、出来る限りの人助けもしてきました。
それでも、僕たちのような人間を、胡散臭い蔑むべき存在だと思う人もいるでしょう。
それはそれで仕方の無いことだし、宿命だと思って受け容れるしかありません。
その点、瑞紀さんは僕たちとは全く違います。」

409『礎(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/08/19(火) 00:03:57 ID:h8QhofLM0
 「それは、どんな?」
「瑞紀さんの言った通り、ノロは皆から尊敬される存在です。その地域を護り、
皆の精神的な支えとなる。だからこそクモイ(雲上)という敬称で呼ばれるのだし、
土地や財産など、生活の基盤を王府から保証され、それを代々相続してきました。」
あの集落でも、ノロクモイの家とその敷地、それからかなりの広さの畑を
代々のノロクモイが相続してきたと、たか子さんから聞いていた。
「だからノロは『この仕事は幾ら、ここまでするなら幾ら。』そんな金勘定とは無縁の存在。
瑞紀さんのお祖母さんは、僕たちの一族にも滅多に居ないような力の持ち主ですが、
恐らく瑞紀さんもお祖母さんに並ぶ程の力を身につけ、立派なノロになれる筈。
ノロになるのは瑞紀さんの天命。どうかその希望を受け容れて、応援してあげて下さい。
天命に従う瑞紀さんの幸せには、御両親の変わらぬ愛情と応援が絶対に必要です。」

410『礎(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/08/19(火) 00:07:20 ID:h8QhofLM0
 「今、分かりました。」 黙っていた父親が口を開いた。
「瑞紀には、力を持っていることを鼻に掛けて、他人を少し見下したような所がありました。
でも、本土から帰ってきた瑞紀は変わっていたんです。親の私達がビックリする位に。
大学の勉強も、ノロの修行も、その他何事にも真剣で一生懸命で。
Rさんの親戚の家で働かせてもらいながら色々教えて頂いたと聞いていましたが、
それだけでは無かったんですね。Rさんたちがどれ程真剣に自分の力と向き合っているか、
それを肌で感じたから、瑞紀は変わったんです。恵子、これなら安心して良いんじゃないか?」
「はい。考えたくもなかったけど、力を持って生まれた以上、ノロにならないとしたら、
将来ユタになるしか道はない。それよりはずっと、ずっとノロになってくれた方が...」
? いや、本物ならユタはユタで立派な仕事だろう。
思わず俺は怪訝そうな表情を浮かべたかも知れない。 父親は俺の顔を見て微笑んだ。
「Rさん、ユタという言葉はユタの前では使いません。何故だか分かりますか?」
「いいえ。それは、何故ですか?」
術者、術師、あるいは陰陽師。俺たち自身も他人も、その名を憚る事などないのに。
「ユタに相談することを『ユタを買う』と言うんです。金を積めば都合の良い事を言ってくれる、
人の不幸につけこんで金を毟り取ろうとする、そんなイメージが強いからでしょうね。
ユタになって、『買われて』暮らすより、
例え入籍出来なくても本当に好きな人と一緒になった方が幸せです。
Rさんなら、きっと瑞紀を大切にしてくれる。」

411『礎(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/08/19(火) 00:13:33 ID:h8QhofLM0
 「瑞紀さんの気持ちはとても嬉しいし、僕も瑞紀さんが好きです。
だからこそこれからも真剣にお付き合いして、お互いの気持ちを育てたい。
でも、正直僕たちの気持ちがどんな風に育つのか、それは未だ分かりません。
友情のままなのか、兄弟のような愛情に育つのか、それとも男女の愛情に育つのか。
それに、瑞紀さんにはこれからも御両親の助けが絶対に必要です。
御両親に賛成して頂けないなら、友人から先の段階には進みません。
御両親に賛成して頂けるまで待つつもりですが、勿論他に好きな人が出来たらそれでも。」
「他に好きな人なんて、絶対無い!どうして...」
瑞紀ちゃんは両手で顔を覆って俯いた。小さな肩が震えている。
母親が見かねたように瑞紀ちゃんの肩を抱いた。「大丈夫。ずっと応援するから、頑張って。」
「Rさん、私達は賛成です。どうか、これからも瑞紀を、宜しくお願いします。」
「有り難う御座います。僕は絶対に瑞紀さんを裏切りません。御安心下さい。」

412『礎(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/08/19(火) 00:15:37 ID:h8QhofLM0
 レストランからの帰り道、小さな公園の駐車場に車を停めた。
瑞紀ちゃんはあれから一言も喋らず、目も合わせてくれない。
「瑞紀ちゃん。折角御両親のお許しをもらえたんだから、もう、機嫌直して。ね。」
「...許してもらえなかったら友だちで良いって。他に好きな人が出来たらって。酷い。」
「酷いかもしれないけど、方便じゃない。本当の気持ちだよ。」
「私、両親の許しなんてなくてもRさんの」 その唇を人差し指でそっと抑えた。
「将来、子供が生まれても、瑞紀ちゃんはそれで良いの?」 「え?」
「お父さんが一族の当主に即位したから、Sさんは小さい頃に親戚の養女になった。
翠や藍をSさんの実の御両親に会わせるだけでも特別な許可が必要なんだ。
Lさんは、早くに死別した御両親の顔も覚えていない。だから自分の子供を愛せるのか
自信が持てなくて、子供を受け容れる覚悟が中々出来なかった。それで今年、やっと。」
「私、全然知りませんでした。2人はいつも素敵で、思い通りに生きているとばっかり。」
「今、此処に瑞紀ちゃんがいるのは、御両親のお陰だよね。
何時か瑞紀ちゃんを女性として好きになって、俺達に子供が出来たら、
一番に瑞紀ちゃんの御両親に喜んでもらいたい。
それが出来ない事情を経験してきたから、これだけは譲れない。どんなに君が好きでも。」
「R、さん。」

413『礎(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/08/19(火) 00:17:23 ID:h8QhofLM0
 「俺がずっと君と一緒に住めるとしたら、運良く生き残ってお爺さんになってから。だから
僕達の子供を育てるには、どうしたって君の負担が大きくなる。御両親の助けが絶対に必要。
もし御両親の助けが得られないなら、君一人に子育ての負担は掛けられない。分かって」
不意に胸が詰まって言葉が途切れた。今夜は言霊を使わないと決めていた事も、
最後までそれを守れた事も、何一つ気休めにはならない。本当に俺は、間違っていないのか。
次の瞬間、目の前に綺麗な顔、吸い込まれるような、黒い双眸。
「やっぱり、私、馬鹿ですね。いっつも我が儘で、自分勝手で。」
「そうじゃ無い。俺たちの一族のしきたりが、常識とかけ離れているだけだよ。」
「その一族の人のお嫁さんになるのに、自分の考えだけにこだわって。だから私、馬鹿。
Rさんは、こんなに私の事を大切に思ってくれているのに。それに私達の子供の事も。」
俺の首に回った手に力が篭もる。

414『礎(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/08/19(火) 00:20:11 ID:h8QhofLM0
 慌てて柔らかい体を引き離し、距離を取る。
「ストップ。そこまで。まだ友達、なんだから。」 「もう、両親は許してくれたのに。」
「瑞紀ちゃんはまだノロになってない。約束、したでしょ?」 「...分かった、ことにする。」
何とか理性を保ちつつノロクモイの家に帰り着くと、玄関で翠が迎えてくれた。
その後ろに藍を抱いたSさんと姫。2人は俺をそっちのけで瑞紀ちゃんの肩を抱いた。
「良かったね、瑞紀ちゃん。」 「Rさんは瑞紀ちゃんの事になると妙に鈍いんです。
去年の旅行の時にキチンとしてくれたと思ってたのに、結局今年まで。御免なさい。」
「いいえ。Rさんは、ちゃんと話してくれて。両親も許してくれたから、もう。」
「みずきちゃん。お祝いのおかしがあるよ。」 「うん、有り難う。」
ええっと、成功以外考えていなかったらしいこの段取りは一体?

415『礎(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/08/19(火) 00:29:30 ID:h8QhofLM0
 「元々、この問題は恵子が許す許さないでは有りません。
力を持って生まれたのですから、ノロになるかどうかを決めるのは瑞紀自身です。
そしてノロになると決めた切っ掛けはRさんへの想い。瑞紀にはRさんとの縁があるという事。
瑞紀は本当に幸せです。出来れば、私はノロになりたかった。でも器が足りなくて。
母と、瑞紀の助けになるなら、私の人生にも意味があるのだと信じる事が出来ますけど。」
そうか、だから結婚せずにノロクモイの補佐をして、通常の祭事なら仕切れる程の修行を。
「たか子さん、あなたはこの集落に是非必要な人です。今までも、そしてこれからも。
もしあなたがいなければ、ノロクモイは引退するしかなかった。
そうなれば、この集落にノロは不在。神々との契約も更新されぬまま、何時か尽きる。」
その言葉の、ゆったりと温かい響き。 でも、Sさんでなければ語れない、重い言葉。
「ノロは花、あなたは花を支える枝。枝なしに咲く花など、普通はないのですから。」
「有り難う、御座います。」 たか子さんはハンカチで目尻を押さえた

416『礎(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/08/19(火) 00:35:02 ID:h8QhofLM0
 「それで、瑞紀ちゃんがノロになるのに、どれくらいかかりますか?」
「その母は、後継者と認められてから3年かかったと聞きました。
でも瑞紀は、既に昨夜母の代役を。もしかしたら、あと3年かからないかも知れません。」
「ノロになったら、この集落を長期間、離れることは出来ませんよね?」
「はい。どんなに長くても、二泊三日がギリギリです。」
「私はそれまでに、瑞紀ちゃんに出来るだけ沢山の経験をして欲しいと思っています。
もちろん旅費も、旅行の段取りも、全部Rが責任を持ちますから。」
「宜しくお願いします。」 「あの、Sさん。僕は綺麗さっぱり置いてけぼりですが。」
「日本の美しい四季の景色、数ある古くからの祭事、それらを瑞紀ちゃんに体験してもらうの。
そのナビゲーターをあなたにお願いしたいんだけど、やっぱり無理かしら?」
「いいえ、今は無理でも、それまでに頑張ります。絶対です。」 「うん、良い返事。」

『礎(下)』 了

417『礎(結)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/08/19(火) 00:50:18 ID:h8QhofLM0
『礎(結)』

 「お父さん、お父さん。」
背後から心細げな声。翠?寂しい夢でも見て目が覚めたのか。殆ど条件反射で寝返りを打つ。
左腕で腕枕、右腕でそっと抱きしめて背中を...大きい、誰?
さらさらとした長い髪、薔薇の花の香り。これは。
心臓の鼓動が一気に高鳴る。冷や汗。まさか、瑞紀ちゃん?
薄目を開けると、笑いを堪えて小さく震える背中...ああ、悪戯、か。
確かに聞こえた『お父さん』という台詞。なら首謀者は恐らくSさんだ。
すっ、と心が冷静になり、心臓の鼓動も収まっていく。
昨夜Sさんは『御両親の許しが出たんだから今夜から寝室は一緒で良いわね。』と。
これ以上俺を玩具にする人が増えたら堪らない。首謀者のSさんが止めに入る事は
ないだろう。多分共犯者の姫も。此処はしっかり反撃しておかないと後々困る。
右手に力を込め、その体を強く抱きしめてその動きを封じた。
「あれ?翠は急に大きくなったね。お父さん嬉しいな〜。」 頬にそっとキス。
瑞紀ちゃんの体が小さく震える。 「Rさん、駄目。」 少し掠れた声。
「どうして?翠はお父さんのこと大好きでしょ?」
「お父さん?」 思わす飛び起きる。 恐る恐る振り向くと、翠が立っていた。

418『礎(結)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/08/19(火) 00:51:19 ID:h8QhofLM0
 「どうしてみどりとみずきちゃんをまちがうの?」
「あれ、瑞紀は此処に?お父さん寝惚けてたのかな?でないと間違うはず無いよね。」
硬直する俺の傍をすり抜けた瑞紀ちゃんが翠を抱き上げる。
「私が夢を見て『お父さん』って言ったの。それで。Rさんは翠ちゃんが大好きだから、ね?」
「みずきちゃんもお父さんも、ねぼけてゆめを見たの?」 「そう、だから。」
「な〜んだ。お父さんがみずきちゃんにいじわるしてたんじゃないんだね。」 満足そうな笑顔。
「あさごはんできたって、お母さんが。今日は水族館だよ、ヤンバルクイナも。」
「お布団片付けたら直ぐ行くから、待っててね。」 「うん。」 遠ざかる。軽い足音。
「Rさん、不意打ちは禁止。」 「瑞紀ちゃんこそ、あんな悪戯はなし。反則だよ。」
一度だけ、お互いの頬にキスをしてから、2人で布団を片付けた。

419『礎(結)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/08/19(火) 02:50:53 ID:h8QhofLM0
 「R君。あの人達、朝、名護のコンビニで見かけたような気がするんだけど。」
ロードレーサー(※競技用の自転車)に乗った一団が急な山道を駆け上っていく。
ユニフォームらしい青基調のジャージの列に、ちらほらと別のジャージが混じる。
水族館を見学し、其処のカフェで食事を済ませた後で山道をドライブ中。
勿論ドライブの目的はヤンバルクイナだが、時折見かけるのはロードレーサーの集団ばかり。
「はい。確か沖縄では有名なチームですよ。前に雑誌で読んだ覚えがあります。よっ、と。」
見通しの良い右カーブから直線にかけてアクセルを踏み、一気に集団を追い抜いた。
「11月に国内最大規模のレースがありますから、そろそろ本格的な練習の時期でしょうね。」
「こんな山道でレースをするんですか?自転車で?」
「はい、210kmと140kmは間違いなく国内の市民レースの最高峰ですよ。」
バックミラーに映る姫の笑顔。 助手席のSさんは溜息をついた。
「わざわざこんな山道でレース。しかも210kmとか140km?不思議な人たちね。
まるで故郷を目指して急流を遡る鮭の群れ。でも、それらは人の形をしてる。
それだけで充分にUMAだわ。ヤンバルクイナより個体数は多いみたいだけど。」
「あ、Rさん、あれ!」 姫の隣で藍を抱いていた瑞紀ちゃんが突然左前方を指さした。
...間違いない。パンフレットの写真の通りだ。ヤンバルクイナ。しかも、2羽。
すぐに車を路肩に停めた。思っていたより大きな身体。連れ立って道路を横切っていく。
「かわいい〜。お父さん、あれヤンバルクイナでしょ?」 「間違いないと思う。」
それは俺たちにとってリアルUMAとの出会い。沖縄旅行の大事な思い出がまた1つ。

420『礎(結)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/08/19(火) 02:52:58 ID:h8QhofLM0
 「もう!翠は置いていくわよ。空港に行く時間なのに、間に合わないじゃないの。」
玄関から、Sさんの優しい声。翠はまだ姫と一緒にリビングの飾り付けをしている。
今日は12月23日だが、クリスマスの準備ではない(一応クリスマスパーティーもするが)。
それは、年末からお正月にかけて、お屋敷で過ごす瑞紀ちゃんの歓迎パーティーの準備。
旧暦の正月が来年1月の後半。瑞紀ちゃんの旅行は集落の祭事に影響しない。
既にSさんは幾つかの祭事に瑞紀ちゃんを同席させると決めていたから、好都合。
「お母さん、まって。今行くから。」 廊下を走る軽い足音。
「気を付けて下さいね。」 姫は笑顔で手を振り、玄関で二人を見送った。
もうすぐ妊娠6ヶ月に入る姫は大事を取って留守番。俺は姫の付き添い+藍の子守。
「やっぱりお迎えに行った方が。瑞紀ちゃん、少しでも早くRさんに会いたい筈なのに。」
「瑞紀ちゃんが『迎えに来なくて良いからLさんと一緒に居て下さい。』って。
Lさんの事が心配なんですよ。その気持ちが、嬉しいですよね。」
「じゃあ、瑞紀ちゃんとSさんの気持ちに甘えて、暫くの間だけRさんを独り占めですね。」
暫くの間って、6月中旬から夜はずっと一緒に居る訳だが。まあ、『気分』って事で。
「藍が妬いちゃうかも。Lさん大好きだから。」 「ふふ、ちょっとだけ我慢、してもらいます。」
そっと姫の肩を抱いた。家族がそれぞれに過ごす、とても幸せな午後。その後の時間。
それらはきっと、それぞれの魂の旅路を支える、夢の礎。

『礎』 完

421 ◆iF1EyBLnoU:2014/08/19(火) 03:01:38 ID:h8QhofLM0
皆様今晩は、藍です。
色々な事情で不規則な投稿になりましたが、何とか投稿を終えることができました。
完成している原稿はこれが最後ですので、『次』を何時投稿できるかは分かりません。
どうか御一緒に、『次』をお待ち頂ければ有り難く思います。

422名無しさん:2014/08/20(水) 20:36:10 ID:ZYRLiYNIO
知人さん愛さんありがとうございました。
島情緒豊か、色鮮やかで、楽しい物語でした。
しかし、人をUMAというなら、美女たちからこんなにも(平和的に共存しながら)愛されるRさんこそ、UMAではないかと思います。
今回ハッピーな形で幕間に入ったということで、いつの日にか書き込まれる『テスト中です。』を心待ちにしています。

423名無しさん:2014/08/20(水) 20:38:50 ID:ZYRLiYNIO
藍さん申し訳ありません。お名前を変換ミスしました。大変失礼致しました。

424 ◆iF1EyBLnoU:2014/08/22(金) 02:18:39 ID:cPFLG0/c0
>>422
>>423
早速コメントを頂き感謝致します。
『色鮮やかで楽しい物語』との高評価、知人も喜んでくれると思います。
変換ミス等、些細なことはどうぞお気になさらないで下さい。
私自身、全く同じミス(藍○→愛×)を『禁呪(末)』でやらかしましたし、
今作『礎』ではもっと酷いミスをして、昨日知人に怒られました。
まったり、ゆったり、ご一緒に楽しんで頂ければと存じます。
有り難う御座いました。

425名無しさん:2014/08/22(金) 19:43:58 ID:ePK2GmVs0
てすと

426名無しさん:2014/08/25(月) 16:43:23 ID:yZIX8TSs0
ハーレム状態はなんとなくモヤモヤするものがあるけど、かと言って今までも
何人か出たような恋敵的な存在が出てくるのも好きじゃない。
この気持ちは何なんだろう?

427名無しさん:2014/09/04(木) 17:20:36 ID:iQmcG5ec0
藍さま、作者さま、この度も興味深いお話、どうも有難うございました。
この一連のお話が大好きなもので、ついつい引き込まれてしまいますね!
大変でしょうが、またの投稿、お待ち申し上げております。

428 ◆iF1EyBLnoU:2014/09/09(火) 22:08:08 ID:26whhQDw0
>>426
男性の方でしょうか? とても興味深いコメント感謝致します。
以前、作者である知人から全く同じ感想を聞きました。
知人はLさんの大ファンなので、『タケノブさん』を敵視しつつ、
Rさん一筋のLさんに自分の思いは届かないだろうから、『凄くモヤモヤする。』と。
知人の想いは、一種の『恋』なんでしょうね。

>>427
コメント有り難う御座います。『次』を待ちつつ、
『礎』の内容について色々調べていましたが、興味深い点が色々あります。
まるで『現代の桃源郷』、是非訪れてみたい気持ちです。


さて皆様、昨日知人から連絡がありました。
以前リクエストを頂いた『Sさん視点からの出会い』、準備を始めたとの事。
そのため新たに、別の人物に対するインタビューに成功したのは、
リクエストがあったからこそだと聞きました。有り難う御座います。
投稿をお待ち頂ければ嬉しく思います、

429名無しさん:2014/09/14(日) 19:29:23 ID:7u5JpwK2O
sさん視点の出会いをリクエストさせていただいた者です。
大変、嬉しく、またリクエストに応えていただけます事、光栄に思います。
物語の完成をお待ちいたします。
出来ることなら、sさん視点での、各物語を読ませていただきたく、改めてリクエストさせていただきます。

430 ◆iF1EyBLnoU:2014/09/19(金) 22:36:58 ID:xc6iTolk0
>>429
温かいコメント、感謝致します。
リクエストを頂ける事は光栄だと存じますが、『出会い』は特別かと。
投稿済みの物語をSさん視点で読むことと、『手紙』以降の物語を読むこと、
どちらを選ぶかと言われれば私自身は凄く迷いますね。
リクエストは知人に伝えますが、結果は知人の選択に任せるしかありません。
有り難う御座いました。

431名無しさん:2014/11/07(金) 20:58:58 ID:6JLKw6dUO
色々探し回りましたがここが本家ですか?
続きを楽しみにしてますよ

432名無しさん:2014/11/08(土) 22:51:48 ID:5cTzyHw20
>>431
投稿者の藍です。コメント感謝致します。
今後もこれらの物語を此処で投稿したいと思っております。
既に次作の原稿の一部を受け取っているので、
もう暫くお待ち下さい。有り難う御座いました。

433名無しさん:2014/11/09(日) 05:17:11 ID:tJE0kDrEO
>>432
いろいろあった様ですね。投稿よろしく!

434名無しさん:2014/11/22(土) 12:50:59 ID:WRFxrqeoO
>>432
ありがとうございます。ほんとに楽しみです〜

435名無しさん:2014/11/22(土) 12:51:03 ID:WRFxrqeoO
>>432
ありがとうございます。ほんとに楽しみです〜

436名無しさん:2014/12/03(水) 12:29:24 ID:ffHA8ay2O
たくさんのお話の投稿ありがとうございました!
とても面白くて一気に読ませて頂きました。
一番印象に残ったのは女子高生釣り人の神様との結婚のお話です。
一番怖かったのは初期のSさんLさんが二人組の男に死ぬまで悪夢を見せたお話です。
悪もお役目だと思っているので、そこまでやるかと怖かったです。でもそれで犠牲者が増えることがなくなったのは確かですね。
新作も用意されつつあること、嬉しいです。楽しみにしています!

437 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/03(水) 23:47:16 ID:oaPccKlc0
<<433・434
<<435
<<436

投稿者の藍です。
新作の準備を進めていたところ、先日、結構な修正の指示が来ました。
投稿が遅れますが、クリスマス前の投稿を目指して頑張ります。
コメント有り難う御座いました。

438名無しさん:2014/12/04(木) 22:17:30 ID:91tsV9mwO
新作のクリスマスプレゼントを楽しみに、お待ちいたします。
でも、期日に縛られなくてもいいですよ…
クリスマスプレゼントが、お年玉になっても構いませんので(笑)

439名無しさん:2014/12/05(金) 20:43:34 ID:bxg16hqIO
日本の神様たちからのクリスマスプレゼント。粋ですね。

440433:2014/12/07(日) 01:01:22 ID:j6E8r2LcO
>>437
文章作成って、けっこう時間かかりますよね。「ミラレパ」スレあげてますけど、1スレageるのに1〜2時間かかってます。いろいろ推敲してしまうんですよね。ageる前の整理段階を入れたら実際もっと時間はかけている。ボチボチやりましょう。

441 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/10(水) 23:55:34 ID:3pOe.2Io0
テスト中です。

442 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/11(木) 00:01:37 ID:Zs8Krqck0
皆様今晩は、藍です。

>>438
>>439
>>440

暖かいコメント有り難う御座いました。

さて、新作に続きリクエストに応える作品も準備中ですので、
退路を断って気合いを入れるために新作の冒頭部を投稿致します。
以下新作『星灯』、お楽しみ頂けると良いのですが。

443『星灯(上)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/11(木) 00:04:00 ID:Zs8Krqck0
『星灯(上)』

 少し開けた窓から吹き込む風が、ソファで昼寝をする翠と藍の頬を撫でていく。
Sさんは黙って二人の毛布を整え、ソファの傍らに横座りしたまま優しい笑顔を浮かべた。

 「二人でウォーキングを始めてからどの位経つんですか?」
少し相談があるということで碧さんと暁君がお屋敷を訪れていた。穏やかな休日の午後。
「私が早起きして家の周りを散歩するようになったのが去年の10月の終わり。
一人じゃ危ないって暁が一緒に歩くようになって、二人で少し遠出を始めたのが11月。
だから大体四ヶ月くらい、ね暁。」 「はい。」
二人は顔を見合わせて頷き合った。美男美女、本当に絵になる。思わず溜息。
「ふふ、相変わらず仲良しで素敵ですね。
私もRさんと外出する時はずっと手を繋いで貰おうかな。」
Sさんはくすっと笑い、碧さんと暁君の頬が鮮やかな紅に染まった。
「ちょっとL、あなた何故そんな事知ってるの?あ、それも術ね?」
「そんな嬉しそうにお惚気聞かされたら、僕でもその位予想できますよ。
それで、どうして四ヶ月も続けた早朝のウォーキングを止めようかと?」
そう、それが本題。今日の二人の相談だった。

444『星灯(上)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/11(木) 00:06:25 ID:Zs8Krqck0
 碧さんは俺と姫を軽く睨んだ後、両手で自分の頬を挟み、ほうっと息を吐いた。
「お正月過ぎた頃から気味が悪いことが続いてて...。
頭を潰された血塗れの人形がバス停脇の歩道に2つ並べてあったり、
市営駐車場のフェンス際に真新しい靴がキチンと揃えて置かれていたり。」
「ちょっと待って、その靴どっち向いてた?フェンスの内?それとも外?」
二人の相手を俺と姫に任せ、ずっと黙っていたSさんの眼に、淡い光が宿っていた。
「え?そ、外だけど。それがどうかしたの?」
「ううん、確かめたかっただけ。大した事じゃない、話を続けて。」
「まあ、変な人形や靴はたまの事だから、まだ良いんだけど。ね。」
「一番気持ち悪いのは犬の糞なんです。○辻交差点の歩道橋で、
毎日のように増えるから凄いことになってます。」
Sさんの集中力が一気に高まったのが分かる。空気がチリチリと音を立てそうだ。
「臭いが凄いし、道を譲らないと擦れ違えない場所もあるの。酷いでしょ?
小学生の通学路だから地域の人達が時々掃除するんだけど全然追っつかない。」

445『星灯(上)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/11(木) 00:08:28 ID:Zs8Krqck0
 「気味が悪いなら無理して続けることないわ。体を動かすなら他の方法もあるし。」
「あの、Sさん。ウォーキングじゃないと手が。」 「あら、そうだったわね。」
「L!だから手を繋ぐのは」
Sさんは右手の人差し指で自分の唇を押さえ、左手で翠と藍を指し示した。
「兎に角、しばらくそのコースのウォーキングは止めて。何か事情が有りそうだから調べてみる。
新しいウォーキングのコースはR君が良い所知ってると思うわよ。市内の公園とか。」
如何にも軽い口調だが、Sさんの眼は笑っていない。
リビングの気温が一気に、下がったような気がする。
碧さんと暁君は顔を見合わせた後、黙ったまま大きく頷いた。

446『星灯(上)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/11(木) 00:10:28 ID:Zs8Krqck0
 「あのバス停。ちょっと停めて。」
夜明け前、未だ薄暗い道。出来るだけ静かに、車をバス停の路肩に寄せた。
「このバス停だって言ってたから、人形が置かれるのは...多分あの辺り。」
Sさんが指さした方向。視線の先の地面は、其処だけ不自然に空気が澱んでいた。
「この先300m程で○辻交差点。そこからさらに500m程先が市営駐車場。ね、これを見て。」
SさんはPCでプリントアウトした地図をダッシュボードに置いた。
○辻交差点を挟み南北方向に小さな赤丸、東西方向に点線の大きな赤丸。
「二人が歩くコース以外にも何か仕掛けがされてるって事ですね?この点線の丸印の中に。」
「ご名答。一体誰が、何のためにこんな事してるのかしらね?」
Sさんの眼に宿る強い光。ならこれはSさん自身の疑問でなく、俺へのテストだ。
「血や糞尿を使うのは、●▼の系統の術ではありふれた手法ですね。
この配置だとまるで結界ですが、まさか交差点に何かが?」
交差点、古くは「辻」。それは人と人ならぬ者達の通路が交わる場所にもなる。
古くから存在する交差点なら、妖怪や幽霊にまつわる伝承の1つや2つはあるだろう。
「封じているのは交差点でなく、歩道橋なの。」 「歩道橋って、一体何故?」
「『百聞は一見に如かず』よ。実際に見て貰ってから説明した方が早い。車を出して」

447『星灯(上)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/11(木) 00:15:42 ID:Zs8Krqck0
 これは、まるで...
次に車を停めたバス停の名は『○辻』。件の歩道橋、階段から僅か十数mの距離。
一方通行の車道や歩行者専用道路も含めて7本もの道が交差している。
此の一帯の地名に『○辻』とつくことからしても、かなり古くから有る交差点だろう。
様々な方向から伸びる階段と通路で複雑に組み上げられた、大きな歩道橋。
その構造はまるで、大きなお社の土台のように見えた。
「見れば分かるって言ったけど。どう?何か感じる?」
「これは、まるでお社の土台みたいですね。古いお社の土台だけが残っているような。」
「そう、お見事。偶然でなく、お社の土台としての機能を果たすように造られてる。
設計段階から一族の術者が数名、関わったと聞いてるわ。」
「でも土台だけでは。それにこれじゃ、土台としての機能さえ。」
「お社はある。『見えない社』が。一夜の宿を取るために精霊や妖たちが造った社。
此の交差点で交わる道のうち2本は、人ならぬ者たちの通路と重なっている。
その道を行き来する者達が造った仮の宿、それがあの土台の上に建つ『見えない社』。
その社と社に繋がる通路を封じたのだから、相手の目的は想像がつく。」
「もう、相手の見当が付いているんですか?」
「断定する前に、実際にこの目で見ておかないとね。」
言うなりSさんは軽やかな身のこなしで助手席のドアをくぐった。バスは未だ始発前。
短時間ならこのまま車を停めても大丈夫だろう。急ぎ足でSさんの後を追った。

448『星灯(上)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/11(木) 00:17:09 ID:Zs8Krqck0
 「確かに臭うわね。」 「はい、でもこの臭いは。」
階段を上り切った通路上に犬の糞らしいものが幾つか見える。多分小型犬。
しかしこの臭いはむしろお香のようで、極僅かな腐臭が混じっている。
通路の端、階段の降り口でSさんは立ち止まった。黙って隣に並ぶ。
階段の途中に無数の糞。これでは確かにウォーキングする気にはならないだろう。
「大体予想通り。他の場所の調査も必要だけど、あとは車で見て回るだけで十分だと思う。」
姫は妊娠八ヶ月を過ぎようとしている。臨月の近い体に負担はかけられない。
翠と藍は式に任せているが、出来るだけ早く帰りたいのは俺も同じ気持ちだった。

449『星灯(上)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/11(木) 00:20:18 ID:Zs8Krqck0
 助手席のドアを閉め運転席に乗り込んだ瞬間、息を吞んだ。
バス停のすぐ脇、ガードレールに大きな白い蛇が巻き付いている。
こんな町中に白蛇なんて...神の眷属か、あるいは妖か。
どちらにしろこの世の者でないのは間違いない。
「Sさん、あれ。」
「仮の宿を求めてきたけれど、お社と通路が封じられているので困っているのね。
早く封を解かないと、精霊や妖たちの気が滞って人間にも悪い影響が出てしまう。
でも、相手が相手だからしっかり準備をしてからでないと。」
「やっぱり、相手の見当が付いているんですね?」俺はゆっくりと車を出した。
交差点の信号は赤、早朝の空は次第に明るさを増している。
「犬の糞以外の臭い、気がついた?」
「そういえばお香のような臭いと、それに微かな腐臭が。」
「そう、それだけで相手とその目的は推測できる。
他の場所を見て回れば、その推測が正しいかどうか分かると思う。あ。」
Sさんは俺の体越しに交差点の対岸側を見ている。
反射的に『鍵』をかけ、Sさんの視線を辿った。
対岸の階段上り口に黒いスポーツウエアの女性。細身で小柄、年の頃は30歳後半位か。
その足下に茶色の小型犬。信号が青に変わった。

450『星灯(上)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/11(木) 00:22:44 ID:Zs8Krqck0
 「まさか本人の姿が見られるなんて、まさしく天のお導きよね。」
Sさんの笑顔は優しかった。しかし、あの女性。
今まで関わってきた術者たちとは全く違う雰囲気が、その身体の周りに漂っていた。
「あの女性、今まで見てきた術者たちとは全く違いますよね。何故、ですか?」
「それも後でまとめて説明するけど今は調査が先。もうすぐ市営駐車場よ。
入り口近くの路肩に車を停めてね。」
「はい、了解です。」 「うん、良い返事。」 Sさんは俺の髪を優しく撫でた。

『星灯(上)』 了

451 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/11(木) 00:28:16 ID:Zs8Krqck0
皆様、今晩は。再び藍です。
今夜は此処まで。お付き合い頂いた皆様、有り難う御座いました。
クリスマス前の完結を目指して頑張ります。
それでは失礼致します。

452名無しさん:2014/12/11(木) 00:33:21 ID:hjpW5qZA0
夜分の投稿、お疲れさまです。
偶然、更新中に出くわし、早速読ませていただきました。
続きを楽しみにしています^^

453名無しさん:2014/12/11(木) 10:54:15 ID:rBNkTN620
困ってる白蛇、なんかかわいい

454名無しさん:2014/12/11(木) 20:27:24 ID:BQwmsNGAO
待ちに待った新章の開幕、本当にワクワクします。

455 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/11(木) 20:54:43 ID:Zs8Krqck0
テスト中です。

456『星灯(中)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/11(木) 21:03:56 ID:Zs8Krqck0
『星灯(中)』

 「歩道橋を封じたあの術者は狗神使い。
呪殺を専門の生業とする術者で、古くは●太夫と呼ばれた。」
寝入った藍をそっとベビーベッドに寝かせた。Sさんの左隣、ソファに座る。
「犬を酷く苦しめて殺し、切り落としたその首を埋めて呪詛を行うという、あの、狗神ですか?」
「狗神使いが忌み嫌われるのは当然、だから趣味の悪い伝承が生まれたのも理解できる。
でも実際には、そんな術を使う術者はいない。狗神使いに限らず、ね。
そんな事して自分が無事に済む程の術者なら、そんな悪趣味な術を使う必要は無いもの。
大抵の場合、狗神使いは止むを得ない事情で狗神を体内に封じた術者。
それは禁呪の中でも、特に過酷な宿命を術者に背負わせる、悲しい術。」
Sさんは一旦言葉を切り、ホットワインを一口飲んだ。小さな溜息。
「人々に害をなす狗神、狗とは言うけれど犬とは限らない。
もとは人間への憎しみや恨みを抱いて死んだ動物の魂が悪霊に変化したもの。
その力が強過ぎて滅する事が出来ない時、狗神を術者の体内に封じることがある。
そうすれば狗神をコントロールして、犠牲を最小限に抑える事が出来るから。」
「狗神を封じた後なのに、犠牲が必要なんですか?」
「狗神の怒りと憎しみを鎮めるためには、贄を捧げる必要がある。
つまり術者が定期的に人を殺す以外に、狗神の封を維持する方法は無い。
ただ、封じた狗神への通路を開けば術者は狗神の力を利用できる。
だから、力の強さという点で言えば、狗神使いは一族でも最高位の術者とほぼ同格の筈。」
一族で最高位の術者と言う事は、例えば桃花の方様のような?
「それほどの力を持っていながら、どうして狗神を滅し...あ。」
「そう、狗神こそが術者の力の源、だから術者自身が体内の狗神を直接滅する方法は無い。」

457『星灯(中)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/11(木) 21:05:40 ID:Zs8Krqck0
 その身に狗神を封じ続けるために、定期的に人を殺し贄とする。
荒れ狂う祟りが無差別に奪う命の数よりも、贄となる命の数が有意に少ないのであれば、
その犠牲は、術者の呪殺という行為は正当化されるだろうか。
もし、俺がその立場だとしたら...しかも術者が自ら命を絶つことは許されない。
途中で止めれば、それまでの犠牲は無意味となり、さらに狗神を野に放つ結果となるだろう。
何よりも『皆を守るために次は誰を殺すか』という判断、とても俺には出来ない。
と言うより、それは普通の人間に許される判断では無い。
唯一、己の身を檻にして狗神の祟りを抑えている術者のみに許される、判断。
狗神使いが背負うという宿命。それがどれ程過酷なものなのか、朧気に見えてきた。
「だから狗神使いは呪殺を生業とするんですね。
せめて普通の人では無く、矯正の見込みの無い罪人や外法に手を染めた術者を。
その判断をする時の精神状態は、僕にはとても想像がつきませんが。」
「呪殺の報酬は高額だから、術者の生活基盤は保証されるけれど、
当然禁呪のペナルティーは術者の身体を蝕んでいく。
狗神使いの寿命は長くないし、一番の問題は術者の死とともに起こる狗神の移動。
術者が行き先を指定しない限り、それは術者の最も近い血縁に移動する。」

458『星灯(中)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/11(木) 21:07:41 ID:Zs8Krqck0
 俺の想像を超える過酷な宿命。本人だけで無く、子孫にもそれが伝わるなんて。
しかし滅することが出来ないのだから、封じ続ける以外にその祟りを抑える方法は無い。
「ある家系には8代かけて狗神の憎しみを薄め、ついにその祟りを消したという記録も有る。
でも、今の時代に狗神を引き受けようなんて奇特な術者がいる訳が無い。
無理にでも血縁に継がせるか、血縁を避けて赤の他人に押しつけるか。
ね、R君。あなたがその術者の立場ならどうする?無理矢理自分の子供に継がせる?
それとも自分の子供を守るために、赤の他人の術者を行き先に指定する?」
自分の子に過酷な宿命を負わせるのは忍びない。
しかし、だからといって赤の他人に押しつけるのは人としてどうだろう。
「分かりません。どちらも辛すぎます。でも、どうしてもというならむしろ僕は。」
「そう、きっとあの術者も私たちと同じ事を考えた。歩道橋の臭い、憶えてる?
あれは腐臭を隠すために焚き込めた香。身体の崩壊が始まってるのだから、もう時間が無い。
だから私たちを探すために罠を掛けた。それが、あの結界。」
「僕たちを探してるって...。」
「そう、あの術者の狙いは私たち。あの交差点を封じて人ならぬ者達の気が滞れば、
やがてあの一体で障りが出る。そうなればこの辺りを活動の場とする術者が黙っていない。
そう、考えたのね。つまり私たちを呼び出すのがあの術者の狙い。」
暫く忘れていた何か。そう、まるで古傷が疼くように、心の奥が痛む。

459『星灯(中)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/11(木) 21:08:34 ID:Zs8Krqck0
 「僕たちを呼び出して、どうするつもりなんでしょうね?」
「このお屋敷に移り住んで以来関わった仕事や事件は全て、
後の障りが出ないように処理してきた。完璧だったわ、ただ一つの例外を除いては。」
ああ、そうか。俺は病院のロビーに佇んでいた少女の、寂しげな横顔を思い出した。
少女の名は○村佳奈子、そして少女を養女にした女性の名は○村美枝子。
縁あって俺は美枝子さんに出会い、Sさんの助けを借りて彼女を苦しめていた術を解いた。
その件で最初に朧気な危惧を抱いたのは俺自身。
佳奈子ちゃんには実の母親の気配が全く感じられなかった。
離婚は九年前、実の母親の行方は分からず音信不通。
しかし、母親の子に対する想いが微塵も無く消滅するなどと言う事があるだろうか。
それを相談した時、Sさんは言葉を濁したが、その表情の翳りは後の憂いを示唆していた。
去年美枝子さんはSさんの従兄弟と結婚し、佳奈子ちゃんは夫婦の養子になっている。
美枝子さんが嫁いだのは遠い土地、そしてSさんは美枝子さんの御両親にも転居を強く勧めた。
それは全てこの日のためだったのだ。実の母親である術者が、この街に戻ってきた時、
佳奈子ちゃんの行き先を辿る手がかりが残っていないように。

460『星灯(中)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/11(木) 21:13:33 ID:Zs8Krqck0
 その日が来て欲しくない、その想いが俺の記憶を無意識の底に沈めていたのだろう。
しかしその日は来た。あの女性は佳奈子ちゃんの実の母親。10年ぶりにこの街に戻り、
娘の居場所を知るために、その痕跡を消した術者を探している。
「僕たちを呼び出して、佳奈子ちゃんの行方を知るつもりなんですね?」
「そう。自分の身を犠牲にして狗神を封じている術者からの呼び出し。
それを無視するのは一族の作法に反する。出来れば堂々と応じて始末を付けたい。」
「始末を付けるって...狗神はとても僕の手に負える相手じゃないし、Sさんだって。」
Sさんは俯いて暫く黙っていたが、やがて意を決したように顔を上げた。
「もしあなたが行ってくれるなら、策はあるわ。
あの結界の中では此方の力がかなり削がれるけれど、あの短剣は結界の影響を受けない。
それにあなたの言葉なら、多分結界の中でも術者の心に届く。だから。」
相手を疑って立てる作戦よりも、信じて立てる作戦の方が遙かに難しい。
本当にあの術者は、俺と同じ答えを選択したのだろうか?
「あの術者が、僕たちとは別の答えを選択しているという可能性はありませんか?」
「誰か赤の他人に押しつけるつもりなら、ここまでして娘を探す必要はない。
娘に継がせるとしても、今からじゃ狗神を制御する術を教える時間が無い。
それなら残る答えは1つだけ、私たちと同じ。ただし、あなたの判断や感覚が最優先。
少しでも心が揺らげば、最悪の事態を招くから。」
「でも、このまま放置してその術者が死んだら、狗神は佳奈子ちゃんに移動するんですよね?」
「もし、術者が他の行き先を指定していなければ、当然そうなる。」
いや、それは駄目だ。やっと幸せを手に入れたばかりだというのに、更なる悲しみなんて。

461『星灯(中)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/11(木) 21:15:21 ID:Zs8Krqck0
 「美枝子さんに出会ったのが彼女との縁なら、今回の件は佳奈子ちゃんとの縁でしょう。
僕が行きます。どうすれば良いのか、教えて下さい。必ず、上手くやりますから。」
「簡単に言うと、あの結界の中で狗神を焼き尽くすの。もちろんあの短剣を使って。
もし失敗しても、あの剣でダメージを受けた状態なら、私が十分対応できる。」
「でも、術者が黙って僕たちの思惑通りになるでしょうか?」
「あなたの真の役目はそれ。狗神を滅することが私たちとあの術者の共通の願い。
狗神を滅し佳奈子ちゃんを助けるには、それが一番良い方法だと、説得して欲しいの。
多分『言の葉』の適性を持つ術者でなければ、この役目は担えない。」
「分かりました。やはりこれは、僕の仕事です。僕に、やらせて下さい。」
Sさんは俺の唇にキスをした。熱く、長いキス。
「きっと、そう言ってくれると思ってたわ。明日の朝から早速準備を進める。
そして明日の深夜、2時過ぎには始末をつける。準備は全て午前中で済ませて置くから。」
「そんな時間に相手が現れるんですか?一体どうやって?」
「相手は定期的に『罠』の状態を確認してるはず。だから歩道橋にこれを貼るの。」
SさんがラミネートしたA3の紙を数枚、テーブルの上に置いた。
『本日深夜歩道橋の大清掃を行います。午前2時〜4時、横断歩道をご利用下さい。担当者』
「さあ、あとは明日午後にでも打ち合わせすれば十分。
もうLの部屋へ戻って。Lも当然異変に気付いてる。不安は身体に毒だから、ね。」

『星灯(中)』 了

462 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/11(木) 21:18:52 ID:Zs8Krqck0
皆様今晩は、藍です。
今日、思わぬ休みを頂きましたので、少し頑張ってみました。
明日からはややこしいお仕事で留守となりますので、
次の投稿日時は未定です。気長にお待ち下さい。
それでは今夜はこれにて、有り難う御座いました。

463けんぽん:2014/12/13(土) 02:17:06 ID:t0g9U3JM0
藍さま
知人さま

お忙しい中での書き込み有り難うございました!!

書き込みの間隔が暫く開いていたので、年内は諦めていましたが、思わぬクリスマスプレゼントを頂いたかの様な嬉しさです!!

今後とも宜しくお願い致します!!

寒さ厳しい折、お身体ご自愛下さいませ。

464 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/20(土) 18:53:05 ID:9HL3f1e.0
テスト中です。

465『星灯(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/20(土) 18:54:58 ID:9HL3f1e.0
『星灯(下)』

 眼が覚めた。目覚ましを確認する。午前一時丁度、予定通り。そっと身体を起こした。
「待ってます。ずっと、待ってますから。」 姫の、小さな声。
事情を詳しく話した訳ではないが、特に隠しもしなかった。
とても聡い人だから、隠せばかえって不安を大きくするだけ。
お腹の子の事を、今は一番に考えなければならない。誰より姫がそれを分かっている。
だから今夜の件について質問する事もなく、ただ『待っています』と。
背中を向けたままなのは、俺の心に迷いを生じさせないための心遣い。
そう、俺が迷えば姫の不安はさらに大きくなる。だが、大丈夫。
戦うのではない。準備は万端、Sさんとの打ち合わせも済んでいる。
「必ず無事に帰ります。起きていると身体に毒ですから、少しでも寝て下さいね。」
そう、上出来だ。まるで夜釣りに出かける時のように、軽やかに。

466『星灯(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/20(土) 19:14:42 ID:9HL3f1e.0
 念のため、市営駐車場からさらに約200m離れたバス停に車を停めた。軽の四駆。
Sさんが運転席に移る。1時40分、此所からはSさんと別行動。俺は歩いて歩道橋に向かう。
「くれぐれも注意して。絶対に、焦っちゃ駄目よ。
結界を解く準備が出来次第此所へ戻る。それまでは何とか、時間を稼いで。」
「はい、世間話は大の得意ですから、任せて下さい。
それに佳奈子ちゃんの実の母親なら、きっと、凄く綺麗な女性ですよね?」
「馬鹿、私がどんな気持ちで...」 開いた窓越し、Sさんの唇にそっとキスをした。
「僕はSさんを信じてます。だからSさんも、僕を信じて下さい。」
Sさんは小さく頷き、ハンカチで目元を押さえた。
小さく手を振り、車を見送ってから歩き出す。

467『星灯(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/20(土) 19:16:12 ID:9HL3f1e.0
 「何だこれ?夜中に大清掃って。」
「ああ、この歩道橋犬の糞が凄いからな。ようやく役所も腰を上げたんだろ。」
「おいおい、犬の糞を踏むなんて御免だぞ。」
「だから掃除するんだろ。ほら、横断歩道使えって書いてある。あっちだ。」
酔っ払いらしい男が二人。大声で話しながら横断歩道へ向かって歩いていく。足下が怪しい。
深夜2時前。古く、大きな交差点だが、新しい繁華街からは少し離れている。
遠ざかる男2人以外に人影は無く、車の往来もまばら。大きな歩道橋を見上げた。
深呼吸、階段に左足をかける。
『もし、若い御方。』 驚いたが、声に敵意はない。
振り向くと、白い着物の童子が立っていた。
正体は分からないが、何れにしろ人では無い、礼を尽くしておくべきだろう。
階段から足を下ろし、目礼。 「私に、何か御用ですか?」
『あなたを術者と見込んで頼みがあるのです。』
「はい、私に出来る事であれば。」

468『星灯(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/20(土) 19:20:13 ID:9HL3f1e.0
 「この社を封じた術者には、私の朋輩も関わっています。
私はこの結界に入れません。しかしあなたが私の想いを携えて下さるなら、
私の声が朋輩に届くでしょう。どうか一言『その想いを携える』と。』
朋輩?あの時術者は小型犬を連れていたが、まさかあれが?
事情は分からないが、敵意が全く無いなら害にはなるまい。
それに、此所で時間を取られ、約束の時間に遅れるのはまずい。
「分かりました。あなたの想い、携えて中へ入ります。声が届くと良いですね。」
童子はにっこりと笑い、深く一礼して姿を消した。
振り返り、深呼吸。もう一度階段に足を掛ける。

 階段を上り切る直前、通路に人影が見えた。時計を見る、未だ2時7分前。
階段を上りきり、通路に踏み出す。小柄な女性。手摺に左手で頬杖をつき、夜景を見ている
地味なグレーのダウンジャケット、黒のジーンズに白いスニーカー。
ゆっくりと体の向きを変え、俺を見つめた。
右の瞳は白く濁り、右腕は力なく垂れている。右手だけに、黒い手袋
そして香木の甘い香りに混じる、微かな腐臭。間違いない、あの術者。

469『星灯(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/20(土) 19:22:09 ID:9HL3f1e.0
 「今晩は。お待たせしたみたいで、申し訳有りません。」
女性は小さく首を傾げた。微かな、落胆の表情。
「やっぱり人違い、ね。優れた術者には違いないけど。あなたでは、この結界は解けない。」
女性はゆらりと踵を返した。首筋に鳥肌。正直、怖い。
『優れた術者』と言いながら、無防備な背中を晒し、俺を全く問題にしていない。
人の身の限界に近い力を備えた術者に共通する、強烈な自負。
おそらく狗神の力を使わずとも、一族有数の術者にも匹敵する力。しかし。
「人違いじゃ有りません。あの貼り紙をしたのは僕の師匠です。
今夜僕は師匠の名代として此処に来ました。」
女性が足を止め、ゆっくりと振り返る。
「それだけの力が有れば分かる筈。この結界を張った、私の力。あなたとの力の差。
それともあなた、死ぬのが怖くないの?」
悲しみと苦しみに凍り付いた、冷たい声。感情の欠片もこもってはいない。

470『星灯(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/20(土) 19:23:51 ID:9HL3f1e.0
 「死ぬのは怖いですよ。大事な家族もいるし、それに近々もう一人子供が生まれます。
あ、このあと結婚するとか子供が生まれるって、映画や漫画だとフラグでしたっけ。」
「こんな時に軽口なんて...」
呆れたような表情、微かに女性の感情が動いたのを感じる。
「まあ、良い。あなたが死にたくないなら好都合。
知りたい事を教えてくれたらあなたは無事に帰れる。私も無理強いはしたくない。
なら、あなたと私の利害は一致してるという事よね?」
「何を、知りたいんですか?」
「娘の居所。10年ぶりに戻ってきたのに、居場所が全く辿れない。
娘の父親、離婚した元の夫が死んだのは分かったけど、その両親の居場所も辿れない。
住民票にも細工されてて転居先は出鱈目。術者が関わってるって、すぐに分かった。」
「だから此所に結界を張った。つまりその術者を呼び出すための罠です。」
「はぐらかさないで質問に答えて。もう、あまり時間がないから。」
「その子はある夫婦の養女になって幸せに暮らしてます。
だから居場所を教える訳にはいきません。
あなたに居場所を教えたら、最悪の場合あの子は死ぬ事になる。」
女性はじっと俺の眼を見つめた。

471『星灯(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/20(土) 19:26:08 ID:9HL3f1e.0
 「あなた、一体何のために此所に来たの?
私を倒す力はない。なのに、わざわざ此所に来て、『教えられない。』と?
「それに『最悪の場合あの子が死ぬ』って、どういう意味?」
「確かにあなたを倒す力は有りません。だからこそ僕が来たんです。
もっと力の有る術者、例えば僕の師匠が此所に来たら、あなたは警戒して戦いに備える。
つまり『力の源』への通路を開いてしまう。それでは、困るんです。」
「面白いわね。『力の源』って、それが何なのかも知ってるの?」
「この規模の結界を張る力を術者に与える存在。あなたが結界を張った方法。
あなたに直接会って確信しました。あなたの『力の源』は、狗神です。
そして、あなたは恐らく、あの子を産んだ後にそれを体内に封じた。
いや、封じるより他に方法が無かったと言うべきでしょうね。そうなってしまったのなら、
もし僕がその立場でも、涙を飲んで我が子から離れます。それを滅する方法を探すために。」
「私の見立てが甘かったって事?もしも術でその経緯を知ったのなら、
今からでも最大限の警戒をしなければならない訳だけど。」
「冗談は止めて下さい。術では無く、師匠と話し合って予想したんです。
最初の手がかりはあの子の周りに残る気配。亡くなった父親の気配は残ってるのに、
母親の気配が全く感じられませんでした。幾ら何でもそれはおかしい。
愛していても憎んでいても気配は残る筈。敢えて気配を消したとしか思えない。
そんな事が出来るのは術者だけ。それで、師匠に相談したという訳です。
勿論その時点では、あなたがそれを体内に封じたことは知りませんでした。
しかし術者が自らの気配さえも消して娘と離れる程なら、間違いなく事態は深刻。
だから師匠は全ての手がかりを消しました。
将来その子の母親、つまりあなたが戻ってきた時のために。」

472『星灯(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/20(土) 19:28:21 ID:9HL3f1e.0
 「良い師匠についているのね。だけどまだあなたが此所に来た目的が分からない。
『最悪の場合あの子が死ぬ』という理由も。面白い話だけど、そろそろ本題に入って。」
「狗神を体内に封じた術者には、呪殺を生業とする以外の選択肢がありません。
そして当然、呪殺は禁呪。そのペナルティーはあなたの身体を蝕み、命を削る。
だからその右眼も右腕も、それであなたは『時間が無い』と、そうですね?」
「そうよ。あなたの言う通り、私の身体はもう長くは保たない。だから、あの子を探してるの。」
「身体の崩壊が進み、あなたが死ねば、それは血脈を辿ってあの子の体内に入り込んでしまう。
だから、そうなる前にあなたはあの子を使って狗神を誘い出すつもりでしょう?
自分の体を離れたそれを、あなたが探し当てた術で滅するために。」
女性は小さく溜息をつき、淋しげな笑顔を浮かべた。
「そうよ、それもあなたの言う通り。だから、あの子の居場所を教えて。」
「それを誘い出したら、あなたの力は失われる。なのにどうやってそれを滅するんですか?」
「特殊な代を使って罠を掛ける。それが私の体を出たら術が発動するようにしておけば良い。」
「あなたの力が及ばなければ、術は失敗する。つまり狗神はあの子の体に入り込む。
だから失敗した時のために、2つめの罠を掛ける必要が有りますね。
もし狗神があの子の中に入り込んだら、あの子の身体ごとそれを滅する術。」
長い沈黙、それはSさんと俺の予想が正しかったことを示している。
そして、恐らく2つめの罠こそが、この女性の切り札。

473『星灯(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/20(土) 19:29:22 ID:9HL3f1e.0
 『呪殺者は仕事に一切の私情を挟んではならない。』
昨夜、Sさんはそう言った。
『私情を挟めば、禁呪でなく外法に堕ちてしまうから。』と。
術者が自ら体内の狗神を滅する方法は無く、
通常の術では狗神使いを殺せても狗神を滅することは出来ない。
チャンスが有るとすれば術者から狗神が離れて移動する時だけ。
つまり術者の身体の崩壊が進みその命が尽きた直後。
そして、術を使えない人間の体に移動した直後の狗神は、十分な力を発揮できない。だから。
勿論赤の他人を行き先に指定し、同じ罠を仕掛ける手もある。
しかし、自分の血縁を助けるために他人を犠牲にするのは私情。つまり外法。
『術者が呪殺者としての矜持を守って狗神を滅するなら、
人生最後の仕事の対象に、赤の他人では無く血縁を選ぶ。』
それがSさんと俺が出した答え。そして、やはりこの女性の答えも同じ。
それならきっと分かってくれる。黙ったままの女性に、精一杯の想いを込めて問いかけた。
『心ならずも呪殺者になったけれど、最後まで術者としての誇りは捨てない。
血縁を助けるために私情を挟めば、今まで殺した人々の魂に顔向けできない。
その想いは理解できます。でも、自分の娘の幸せを願う気持ちも、母親の想いでしょう?』
「...それを滅する方法が他にないのだから、仕方ない。」
「他に方法が有ると言ったら、信じてくれますか?」

474『星灯(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/20(土) 19:31:32 ID:9HL3f1e.0
 「十年近く、故郷で手がかりを探し回って、
可能性の有りそうな術を1つ見つけるのがやっとだった。
いきなりそんな事言われても、只の夢物語。とても信じられない。」
俺は背中のリュックを下ろし、中から短剣を取り出した。
「抜かなければ骨董品の短剣。しかしこれは神器、ある神様から授かったものです。」
これなら多分狗神を焼き尽くすことが出来る。しかも、この結界はお誂え向き。
為損じても狗神は深手を負うし、しかも結界を出られない。後は師匠に任せれば万全。」
「一切の術を使わず、その剣をこの身体で受けろって事?」
「あなたはあの子と一緒に死ぬ気だった。僕はあなたの覚悟を、信じます。」
「信じる?この、私を?」
女性は喉の奥で笑った後、咽せて咳き込んだ。左手の中指で両の目尻を拭う。
力なく垂れた右腕は、やはりピクリとも動かない。
「依頼主でさえ忌み嫌う、狗神憑きの呪殺師。
そんな人間を、信じるなんて。今まで、そんなこと誰も。」
「それは違う。忘れたんですか?あの人は、『健一』さんはそう言った筈です。
『あなたを信じる。此処へ帰ってきてくれる日を、何時まででも待つ。』と。
離婚して健一さんと佳奈子ちゃんから離れ、それを滅する方法を探すと決めた時に。」
「...さすがに、そんな事まで予想するのは無理よね?どういうこと?
10年前この街に術者は一人も居なかったし、健一と接点がある歳にも見えない。」
「健一さんの妹さんから聞いた話を手がかりにして、予想しました。
健一さんが妹さんに残した式が佳奈子ちゃんに危害を加えるようになって、
僕が妹さんから相談を受けたんです。実際に式を始末したのは僕の師匠ですが。」

475『星灯(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/20(土) 19:33:06 ID:9HL3f1e.0
 「そう、じゃあ師匠に良くお礼を言って置いて。『お陰で心残りが1つ消えた。』って。
あれは、健一が初めて作った式。私の予想より半年以上も早かったわ。
優柔不断でイライラさせられることも有ったけど、とても優秀な弟子だった。」
「妹さんとの関係、その推移を知っていながら、健一さんと結婚して佳奈子ちゃんを産んだ。
それはあなたが健一さんを、いいえ、あなたと健一さんが愛し合っていたからですよね?」
女性は俺から視線を逸らし、夜景を見下ろした。
ゆっくりと左腕を伸ばし、人差し指で指し示したのは南西の方角。
「あの辺り、小さな花屋でバイトしてた事がある。この街に来てから2年位。
私は、一族で最後の術者だと言われて育ったし、自分でもそのつもりだった。
何時か術者を辞めて、花屋を開くのが夢だったの。可笑しいでしょ?」
「全然可笑しくありません。僕も、僕の師匠も、術者を辞めた後の事を考えています。」
「故郷を離れてこの町に来て、バイトしてた花屋であの人と出会った。
発現しかかった力と、それを制御できない不安に耐えかねて崩壊寸前の心。
あまりに痛々しくて、だから思わず声を掛けて...それから、術を教えるようになった。
妹への想いにも気付いたけれど、それが間違っているとは言えなかった。」
「その時にはもう、あなたは健一さんを愛してた。だから言えなかったんです。
自分の想いを遂げる為に、妹さんを誹謗していると思われるのを恐れたから。」
「健一も自分の想いの過ちに気付いてた。だから急ぐ必要はないと思ってたの。
結婚して、子供が産まれて。自然に、ゆっくりと妹との関係も変化していけば良いって。
でも、そうはならなかった。狗神に、出会ってしまったから。」

476『星灯(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/20(土) 19:34:45 ID:9HL3f1e.0
 「あの子を産んだ後の、最初の依頼だったわ。深い山の中の、古い小さな集落。
小さな男の子に憑依していた動物霊を祓った事で、狗神の封印が解けてしまった。
多分その男の子は狗神の封を維持する為の代になる筈だったのね。
でも何かの手違いか事故で、その事情が伝承されていなかった。それに...。」
女性は言葉を切り、淋しそうな笑顔を浮かべた。
「動物霊の力が弱かったから、私も事前に深くは調べなかった。
早く仕事を済ませて、あの子の所に帰ろうと、そればかり考えて。
もし調べていても、気付いたかどうかは分からないけど。」
思わず涙が零れた。息を詰めて嗚咽をこらえる。
代となる運命だった男の子を救い、その集落に伝わる古い祟りをその身に引き受けた。
それなのに...術者としての覚悟の1つとはいえ、あまりに過酷な運命ではないか。
「右腕の感覚は無いし、ほとんど動かないから粗い術しか使えない。
濁った右眼で見えるのは、私が殺した人間たちの、憎しみに歪んだ顔だけ。
それでも私のために泣いてくれる人がいるだけで、体中の痛みが少し和らぐ。
良い夜だわ。そして、その短剣で狗神を滅する事が出来るなら、最高の夜になる。
あなたと話していると心が和むけど、やっぱりこの痛みを早く終わらせたい。
さあ、その剣を。私はどうすれば良いの?」

477『星灯(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/20(土) 19:35:57 ID:9HL3f1e.0
 「僕も経験があるので、一応言っておきますが。」 「何?」
「目茶苦茶痛いですよ。でも絶対に術を、使わないで下さいね。僕は死にたくないので。」
小さいけれど、明るい笑い声。女性の表情は見違える程に柔らかくなっていた。
「あなた、『言霊使い』なのね。道理で素直に話を聞く気になれた訳だわ。
そうね、じゃあなるべく早く終わらせて。痛みを感じる時間が少なくて済むように。」
「分かりました。」 涙を拭い、短剣を握った。左手で鞘、右手で柄。
そう、なるべく短時間で。胸の中央よりやや右、心臓の位置に見当をつける。
深呼吸。

478『星灯(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/20(土) 19:41:43 ID:9HL3f1e.0
 『お待ち下さい。』
俺のすぐ前、やや右寄りに童子の姿。白い着物、これは結界に入る前の。
『願いを了承して頂きましたが、それでもこの中へ入るのは相当な手間で...
もう間に合わないと覚悟したところでした。』
俺の前で両手を広げた童子の眼には、一杯の涙が溜まっていた。
「あなたは先ほどの。」
『はい。あなたのお陰で、ようやく此所へ入り、そして、とうとう探し当てました。
もう200年も前に生き別れた、私の、弟を。』
女性は呆気に取られた表情で童子を見つめている。
「あの、一体どういう事ですか?」
『この御方の中に封じられているのは私の弟です。
人への憎悪と怒りに血迷い、悪鬼の如き姿に成り果てましたが、滅するのは余りに不憫。
どうかその剣を使うことだけは、お許し下さい。」
「しかしこのままでは。」
『私にお任せを。これまで、憎悪に狂った弟に私の言葉は届きませんでした。
しかし今夜は、あなたの『呪』が力を添えて下さいます。私の言葉もきっと、届く筈。』
童子はゆっくりと向きを変え、女性の正面に立った。
俺の『呪』?一体どういう事だ?

479『星灯(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/20(土) 19:43:38 ID:9HL3f1e.0
 『●風丸、起きろ。私の声が聞こえるだろう。さあ、眼を覚ませ。』
そうか、『狗神』もあくまで通称、直接呼びかけるには真の名を。
小さく呻いて、女性が両膝を着いた。 まずい。狗神が眼を覚ましたら俺の手には負えない。
思わず短剣を抜こうとした俺の右腕を、温かい手が背後から止めた。
「駄目、待って。」 耳元で囁く声。すい、と俺の右隣に立ったのはSさん。
小声で何事か呟くと、夜景に存在感が戻ってきた。
続いて足下、乾涸らびた犬の糞が青い炎に包まれる。結界を解いたとしたら、もう狗神を。
唸り声。獣が敵を威嚇するような、太く低い声が空気を震わせた。
『そう、御前の怒りは尤もだ。しかし御前が憎んだ人間たちの血筋はとうに絶え果て、
今の御前はただ、何の関わりも無い人間たちを苦しめているだけ。
そして、人間の身体を渡り歩く内に、人間の深く温かい情に触れ、
御前の憎しみの形はぼやけている。最早誰を、何故憎んだのかも憶えているまい。
もう十分だ、全てを忘れ共に森へ帰ろう。我らが故郷、○×原の、あの懐かしい森へ。』
女性の身体が通路に頽れると同時に、大きな白い影が眼に入った。
並んで立つ、巨大な体躯。四つ足の白い獣。 犬? いやこの大きさは、きっと狼。
「本当に有り難う御座いました。私たちは取るに足らぬ、卑しい存在ではありますが、
あなたが私たちに徳を施した事を、護り神様はきっと、お喜びになりますよ。では、これで。」
次の瞬間、二つの白い影は消えた。すぐに駆け寄り、女性を抱き起こす。
近づけた頬にかかる、絶え絶えの吐息。もしかしたら。
「まだ、息があります。」
「狗神が自分から離れていったから、肉体の急激な崩壊は免れた。でも急がないと。
早く運んで頂戴。車はすぐ其処のバス停。車の中で病院と、それから『上』に電話する。」

『星灯(下)』 了

480『星灯(結)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/20(土) 19:46:40 ID:9HL3f1e.0
『星灯(結)』

 エレベーターのドアを出て十数歩。
東病棟に繋がる廊下の入り口で、少女は足を止めた。
黙って少し俯いた横顔、俺の左手を握る右手に力が篭もる。
面会直前、少女の心は激しく動揺していた。 胸の奥が、痛い。
「佳奈子ちゃん、大丈夫?やっぱり怖い、かな?」
死期の迫った病人、しかも見ず知らずの女性を訪ねるのだから怖くて当たり前だ。
「怖いって言うより...ううん、大丈夫。Rさんがずっと一緒に居てくれるんでしょ?」
細い体をそっと抱き寄せた。「そう、ずっと一緒。心配しないで。」
焦る必要など無い。そのまま、少女の心が静まるのを待つ。
暫くして、少女は大きく深呼吸をした。顔を上げて俺を見詰める、綺麗な瞳。
「もう大丈夫?」 少女は小さく、しかししっかりと頷いた。
「じゃ、行こうか。」 「はい。」

481『星灯(結)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/20(土) 19:47:55 ID:9HL3f1e.0
 これから面会するのは少女の実の母親。恐らく、これが今生の別れとなる。
此処は市内の大学病院。一族の人が運営に関わっていて、最高の体制を整えてくれた。
しかし、力の源である狗神が離れれば術者の体はその場で完全に崩壊するのが道理。
狗神が穏やかに離れていく特殊なケースだったから、それは免れた。
とは言え、女性の体の崩壊を止める方法は無い。残された僅かな猶予。
専門の術者が数名、なんとか女性の命を支えている。
それは全てこの面会を実現する準備を調えるため。
しかし。
『保って二・三日。』 それが主治医の見立て。だから今日、急遽この病院を訪れた。
もちろん少女に全ての事情を伝えた訳ではない。 半分の事実、半分の方便。
『少女との面会を望んでいるのは、少女の父親の姉。つまり伯母。
少女に取り憑いた妖怪を祓うために力を尽くして来たが、及ばずに体を壊した。
もう長くは生きられないから、最後に一目、姪に会いたいという希望を叶える。』
それが俺の書いた筋書き。少女の養母、美枝子さんも同行を望んだけれど、
身重の体を心配したSさんがそれを止めた。今はお屋敷で少女の帰りを待っている。
少女を支え面会を成功させる事。俺に与えられた、誇りある任務

482『星灯(結)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/20(土) 19:48:46 ID:9HL3f1e.0
 ドアをノックして数秒、小さく応じた声を確認してドアノブに手を掛ける。
先にドアをくぐり、女性に一礼。その後で少女を病室に招き入れた。
少女の背中にそっと手を添え、ベッドの傍らに立つ。
ベッドを操作して少し体を起こした女性は、瀕死の状態とは思えないほど美しい。
Sさんが手配した専門家達が、朝から丁寧に化粧を施した。
壊死が進み既に切断した右腕は病衣と掛け布団で隠しているし、
右の義眼も言われなければ分かるまい。娘の前では綺麗でいたいという、その女性の想い。

483『星灯(結)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/20(土) 19:49:59 ID:9HL3f1e.0
 見つめ合う女性と少女。病室を満たす、穏やかな空気。
「来てくれて、有り難う。どうしても一目だけ、会いたかったから。御免ね。」
少女は俯いて唇を噛んだが、やがて意を決したように顔を上げた。頬を伝う、涙?
「私、あなたが本当は誰なのか知ってます。」
!? どういう事だ? 俺の筋書きは。
「私の、もう一人のお母さん。私を産んでくれた人。
私に取り憑いた妖怪を引き離すために、私と離れて凄く頑張ってくれた。
でも、上手く行かなくて、もう体が...お母さんが教えてくれたんです。」
そうか、美枝子さんが。 真の愛情の前では、俺の小細工など無意味。
少女は床に両膝を着いて女性の左手に両手を添えた。
「私、全然知らなくて。だから、御免なさい。私のために、こんな...。」
「たった一人の血縁の為に、出来るだけの事をするのはあたりまえの事。気に病む必要は無い。
それに、私はあなたの母親なんかじゃない。あなたの母親は一人だけ。」
「でも。」
「あなたが元気で幸せなら、それで良い。さあ、もう帰って。少し、疲れたわ。」
女性は左手で少女を促した。立ち上がった少女の肩を抱く。
「また、来ます。きっと、Rさんに、また連れてきてもらいますから。」
女性は眼を閉じ、小さく首を振った。

484『星灯(結)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/20(土) 20:59:37 ID:9HL3f1e.0
 二人、黙ったまま廊下を歩く。少女は時々涙を拭った。
何と声を掛ければ良いのか分からない。俺の適性こそ、『言の葉』なのに。
ただしっかりと、少女と手を繋ぐ。情けないが、それが今俺に出来る全て。
エレベーター、開いたドアをくぐる。ボタンを押し、ドアが閉じた後の軽い浮遊感。
一瞬体の重みが増した感覚の後、エレベーターのドアが開く。一階のロビー。
「あ!」 俯いたままドアをくぐった少女が誰かにぶつかってよろめいた。
「御免なさい。私。」
その人はすっと屈んで少女の肩を抱いた。
『まるで大小二つの綺羅星。二人とも、立派だったな。後は任せろ。心配は要らぬ。』
立ち上がり、その人はエレベーターの中へ。俺は吸い込まれるように振り向いた。
紺のジーンズとクリーム色のパーカー。長い髪。若い女性の後ろ姿。これは、あの港で。
反射的に深く礼をしたまま、エレベーターのドアが閉じるのを待つ。

485『星灯(結)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/20(土) 21:01:07 ID:9HL3f1e.0
 「Rさん、あのお姉さんは誰?」
「佳奈子ちゃん、声が聞こえた?あの御方の?」
「うん。聞こえたよ。どうして?」 少し怪訝な表情。
「あの御方は人間じゃない。守り神、そう、僕達の守り神様なんだ。」
「守り神様?じゃあ。」 少女の縋るような瞳。思わずその体を抱き上げた。
そのまま歩き出す。今は無理、視線を合わせられない。合わせたら、きっと涙が。
抱っこして歩くには大き過ぎる少女。すれ違う人々から感じる好奇の視線。でも、構わない。
「Rさん?」
「とても強い術を使って体が壊れると、術者の魂は天国へ行けない。その話も聞いた?」
「ううん、それは...聞いてない。」
「強い術を使って壊れた体は治せない。たとえどんな方法を使っても、どんな御方でも。」
「でも、守り神様なら。」
「そう、だからあの人の魂は救われる。今度生まれたらきっと、幸せな人生を送れるよ。」

 少女が両腕を俺の首から背中に回し、右肩に顔を埋めた。漏れる嗚咽。
母2人に似て聡い少女は、あの御方が今日此処に現れた意味を理解した。
中学生になったばかりの少女には、あまりにも酷過ぎる現実。
しかし、知ってしまった以上、半端な方便は毒にしかならない。
この少女を、我が子を愛しつつ、最後まで術者として生き抜いた女性。
その覚悟を、知って欲しかった。

486『星灯(結)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/20(土) 21:02:13 ID:9HL3f1e.0
 病院の駐車場、入り口の階段に差し掛かった時、少女が顔を上げた。
「Rさん。」 「何?どうしかした?」
「ちゃんと私の目を見て。大事な、お話だから。」
立ち止まり、深呼吸を1つ。覚悟を決めて少女と視線を合わせる。
「あのね。私、術者になる。お母さんと一緒に修行して、きっと何時か、術者になる。」
「どうして?折角恐ろしい妖怪から逃れて、みんな佳奈子ちゃんの幸せを願ってるのに?」
「新しいおばあちゃんが教えてくれたの。私にも『力』があるって。
もし本当に『力』があるなら、術者になる。
今までたくさんの人に助けられたから、今度は私が、誰かを助けたい。
それにもしかしたら、あの人の生まれ変わりに、出会えるかもしれないでしょ?」
涙に濡れた、しかし強い強い意志を秘めた瞳。背負った悲しみの重さが
少女をここまで強くしたのだから、全ての想いにそれぞれの意味があったのだろう。
少女の実の父と母、そして養母。連なった強い想いが時を越えて今、小さな綺羅星を生んだ。
それはやがて大きく成長し、いつかきっと強い光を放つ。
そして、魂の旅路に迷う人々の心を明るく照らすだろう。
「そう。それなら大丈夫。きっと佳奈子ちゃんは強い術者になる。
何時か必ず、困ってる人たちを助ける事が出来るよ。」
「本当にそう思う?」 「うん、間違いない。ちゃんと修行すれば大丈夫。」

487『星灯(結)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/20(土) 21:12:28 ID:9HL3f1e.0
 季節外れの少し暖かい風が、少女と俺を包んでいる。
小春日和。その名残の日差しは、俺と少女の心を温める熱を宿していた。
回り込み、助手席のドアを開ける。
「どうぞ、未来の術者様。」 「有り難う。」 はにかんだような、少女の笑顔。
もちろん俺自身の手柄ではない。ただ、この任務が成功したことが素直に嬉しい。
そう、この少女が元気で幸せなら、それで良い。ゆっくりと、車を出した。

『星灯』 完

488『藍 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/20(土) 21:14:47 ID:9HL3f1e.0
 皆様今晩は、藍です。
本日戻り、何とかクリスマス前に『星灯』の投稿を終える事が出来ました。
ちょっと疲れているので本日はこれで。申し訳有りません。

489名無しさん:2014/12/21(日) 02:06:06 ID:F3jT8Z/U0
 
 Rさんを起点に、親子の愛と兄弟の愛が交錯し、そこに守り神の愛が注がれる。
 藍さん、知人さん、日本のクリスマスにふさわしいプレゼントをありがとうございました。
 それにしても泉さん、かっこよすぎて萌えます・・・。

490名無しさん:2014/12/22(月) 07:09:39 ID:Eb2gphdkO
過酷な運命を生きた女性が最後に報われて良かったです。ありがとうございました!

491 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/22(月) 19:44:12 ID:/KZWGTik0
皆様今晩は、藍です。

>>452
>>453
>>454
>>463
>>489
>>490

温かいコメントの数々、心より感謝申し上げます。
個別の返信は控えさせて頂きますが、全て有り難く拝読しております。
読んで、楽しんで下さる方々がいるのだと思えば、投稿も苦になりません。
そんな皆様に、もう1つクリスマスプレゼントを用意できないか、
知人と相談中です。上手く行けば、イブにでも。
では、今夜はこれにて。有り難う御座いました。

492けんぽん:2014/12/24(水) 00:52:31 ID:w8Y4XFZk0
藍さま
知人さま

年末のお忙しい時期に、素敵なお話を有り難うございました。

もう一つのお話を拝読させて頂ければ最高ですが、呉々も無理なさらないで下さい。

これからも末長く宜しくお願い致します。

493名無しさん:2014/12/24(水) 17:25:43 ID:.gWxCsg60
全俺が泣いた。

494 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/24(水) 22:17:11 ID:wTxJbg5A0
テスト中です。

495 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/24(水) 22:19:33 ID:wTxJbg5A0
皆様今晩は、藍です。
何とか作業が間に合ったので、皆様に心ばかりのクリスマスプレゼントを。
以下、『聖夜』。お楽しみ頂ければ幸いです。

496『聖夜』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/24(水) 22:23:15 ID:wTxJbg5A0
『聖夜』

 『私、そんな事聞いてない。ただ食事して、カラオケするだけだって。』
『幾ら何でもそんな訳無いだろ〜。金は2倍出す約束だし。良いだろ、な?』
『細かい事は良いから、行こうぜ。気分が良くなる○×も有るから。』
『嫌。止めて、っ!』
妙な胸騒ぎ。流れ込む思考と感情に、やはり反応してしまう。もう時間が無いのに...。
だがこれを無視したら、俺は何の為に術者をやっているのか判らなくなる。
やはり、放っては置けない。女の子の記憶、映像を逆に辿った。
連れて行かれたのは路地裏、ラブホテルの前。あれだ。
ビルの隙間に見えたのは男の背中が2つ。 深呼吸、下腹に力を込める。
『何だ。恵子、此処に居たのか?探したぞ〜。』 男達が振り向く。
そう、出来るだけ人の良さそうな笑顔。 Sさんにはいつも演技派だと褒められてるんだから。
『あれ?この娘が何かご迷惑でも?申し訳有りませんが、もう10時過ぎますし、この娘は高校生。
出来れば続きは明日警察で。○×署には知り合いが居ますから、なるべく穏便に。』
名刺を差し出した右手を撥ねのけて、男達は俺の脇をすり抜けた。呪詛の声と舌打ちの音。
ケイタイを取り出し、馴染みの運転手に掛けてみる...繋がった。
キリスト教の信者ではないが、これが聖夜の奇跡か。遅刻は最小限で済みそうだ。
「今タクシーを呼んだから、乗って帰って。来るまで此処に居るし、料金は俺が持つ。」
背中を向けたまま、必要事項だけを喋る。
今すぐに、他人と話す気分じゃ無いだろう。制服の乱れを直す間も。

497『聖夜』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/24(水) 22:24:53 ID:wTxJbg5A0
 「私、あなたみたいな人って大っ嫌い。自信過剰で、いい人ぶって。」
ああ、やっぱり。最初の予感は正しかった。遅刻間違いなしで頑張ってるのに、この扱い。
「どうせ、人助けしてやったって自己満足してるんでしょ?気持ち良い?」
歪んでるなぁ。 やっぱり瑞紀さんは自分の気持ちに正直、ストレートで可愛かったんだね。
「あ〜あ。『どうして私の名前知ってるの?』って聞かれると思ってたんだけどな。」
「あ...どうして?」 少女が纏っていた固い鎧が少し緩んだ。一体どんな事情が。
「俺、魔法使いなの。パーティーに行く途中だったのに、こんな事して。完全に遅刻だな。」
「御免なさい。私、さっきは少し。」
「良いよ。君の事情は聞かない、俺も名告らない。タクシーが来るまでの縁、だから。」
背後で気配が動く。次の瞬間、夜目にも可愛い顔が目の前に浮かんだ。
「私、○本恵子。助けてくれて、アリガト。」
色々事情が有りそうだが、聞けば深入りする事になる。もう、既に遅刻なのだ。
その時、妙なモノに気付いた。少女の右肩。ゴキブリのような、クモのような。
いや、それではゴキブリとクモに失礼だ。これは紛れもなく人間の、おぞましい生霊。
これが、この少女を歪ませている元凶。

498『聖夜』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/24(水) 22:26:35 ID:wTxJbg5A0
 全速で感覚を拡張し、目の前の生き霊にチャンネルを合わせる。流れ込む、思考。
『一度売らせて汚したら、あとは俺の女に。全部、●枝が死んだのが悪いんだ。』
込み上げる吐き気、もう十分。およそ聖夜にふさわしくない下衆。しかも、継父?
恐らく本体は自宅で酔い潰れ、下卑た夢に溺れているのだろう。
「嫌いなタイプの人間にお礼が言えるなんて偉いね。因みにどんなタイプがお好み?」
「あなたより少し、ううん、もっと年上の人。」
時間を稼ごうとしただけで、答えなんて期待してないのに。何で真っ直ぐに答えるかな。
でもまあ、この『間』は有効利用させて貰おう。深く息を吸い、下腹に力を入れる。
「あ、ちょっと待って。虫、かな?右肩、動かないで。」 少女は不安げな顔で身を竦ませた。
心の中で言葉を練る。練った言葉を血流に乗せて左手、薬指に送り込む。
親指で止めたままの薬指に、力を込めた。そのまま左手を少女の右肩へ。
少女が不安げに、横目で俺の左手を見詰めている。 しっかりと狙いを定めた。
もし生き霊を滅すれば本体の深刻なダメージは免れない。
本来コイツは問答無用、幾ら何でも自分の娘を。しかし、今夜は聖夜。
滅するのではなく、本体の悪意が本体のダメージとして帰るように。
親指の力を抜いた。
『散れ!』
ソレは派手に弾けた後、その輪郭を失い霧消した。微かな呻き声。

499『聖夜』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/24(水) 22:28:09 ID:wTxJbg5A0
 「あれ?見間違いかな、暗いから。確かに何かいたと思ったんだけどね。」
「でも、何だか肩が軽くなった。さっきまで首も痛かったのに。最近、ずっと。」
「ところで、俺より年上の方が好みって言ったよね?」
「それは、そうだけど。」
あの生き霊。これ以上詳しい事情を知る気はないが、置かれた環境の中でこの娘は
無意識に『父親』を、安心して身を任せ心休める場所を求めて続けて来たのだろう。それなら。
「確か45歳、奥さんに先立たれたオジサマとかどう?
君の話をしっかり聞いてくれる筈。渋い感じの、いい男なんだ。」
少女は俯いて唇を噛んだ。
「その人も、さっきの男達と同じ? やっぱり私、そんな風に見える?」
「違うよ。その人は警察の、署長さんだからね。家に帰りたくない君を保護してくれる。
だけど、その人は俺の大事な先輩、いきなり『あなたみたいな人大嫌い』は困るんだ。」
「分かった。その人に会わせて。全部話すから。このまま家に帰ったら、私。」
多分これぞ天の配剤、近付いてきた馴染みのタクシーに右手を挙げた。

500『聖夜』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/24(水) 22:31:06 ID:wTxJbg5A0
 「安さん。事情が有って、このお姫様を榊さんの所にお送りしなきゃならない。
榊さんたちは今夜忘年会、○△ホテル。今からだとどの位掛かるかな?」
「この時間だと道も少し空いてきてるけど、まあ22〜23分、2000円って所ですかね。」
「じゃあ20分以内で3000円、もし15分切ったら5000円、どう?ただし安全運転で。」
「毎度っ!5000円札はお持ちでしょうね?」
とても小さいとは言えない車体が魔法のように細い路地を抜けていく。
「有り難う御座いました〜。」 「助かったよ。また頼むね。」
上機嫌で5000円札を受け取った安さんに声を掛け、タクシーを降りた。
続いて降りてきた少女の全身を注意深く観察する。
大丈夫、さっきのアレはもう見当たらない。執着が強いと一度では祓えない事も多いのだが。
加減したつもりだが、つい力が入り過ぎたかも知れない。
しかし、それで本体が深刻なダメージを受けたとしても、良心の呵責は感じない。

501『聖夜』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/24(水) 22:34:09 ID:wTxJbg5A0
 宴会場の入り口、既に賑やかな声が聞こえている。
スタッフが開けてくれたドアを2人でくぐり、少女に声を掛けた。
「此処で待ってて。まず榊さんに話してくる。」
勿論部屋中が俺と少女に気付いている。しかし黙り込んで俺たちを見詰める粗忽者は居ない。
「おやおや、何の冗談かと思ったら、ホントに女子高生とは。一体どんな事情だい?」
「『売り』をさせられる寸前で保護しました。」 「組織が絡んでる?」
「いえ、母親の再婚相手です。母親が亡くなってから生活が荒れて。汚した後で自分が、と。」
俯いていた榊さんが顔を上げた。『万事心得た』という、いつもの笑顔。
振り向いて少女に手招きをした。おずおずと、頼りなげな足取り。
「榊さんに保護してもらおうと思って連れて来たんです。ほら、自己紹介。」
「○本、恵子です。さっき、Rさんに助けてもらって。それで、此処なら保護してくれる人が。」
「外は寒かったろ。こんなに怯えて、可哀相に。でも、もう大丈夫。」
嗚咽。榊さんの柔らかな雰囲気で、張り詰めていた気が緩んだのだろう。
「恵子ちゃん。R君に出会ったんだから、君は本当に幸運だよ。泣かなくても良い。
俺は榊健太郎。君が望むなら、君を保護する。婦警さんの方が話をしやすいかな?」

502『聖夜』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/24(水) 22:36:44 ID:wTxJbg5A0
 「年上のオジサマの方が安心出来るみたいですよ。話を聞いてあげて下さい。」
その時、低くくぐもった音が響いた。その娘が真っ赤に頬を染めている。
「御免なさい。昨日から何も、食べて無くて。」
確かに、座敷を満たす料理の、良い匂い。
「もうその娘の身は安全なんだから、話を聞くのは明日でも良いでしょ?
取り敢えずお腹いっぱい食べて貰った後で考えれば良い。ね、榊さん?」
Sさんの笑顔。榊さんの両隣に座っていた青年2人は既に移動を開始していた。
さすがチーム榊、見事なチームワークだ。これこそが人の心。
キリスト教徒でなくても、最高の夜。 翠を抱いたSさんの笑顔はとても温かい。
「そうだな。恵子ちゃん、ほら、座って。そう、此処の料理は本当に美味いから。
まずはどれが良い?あ、それ?じゃ、取って上げよう。飲み物は何が良い?」
肩を寄せた2人の後ろ姿はまるで親子。本当に微笑ましい。
数歩歩いて、少し離れた席に座る。座布団の上で寝ている藍の頭を撫でた。


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