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■漢文等と仮説や解説等●

64ハンドル付けて下さい:2006/07/02(日) 11:57:01
削除基準・教えない基準

満州を発生源とする民族や建国の歴史・中国と日本の交流史(倭王や日本国王の任命に関する歴史)・
オランダ−ドイツやフランス−ロシアとアイヌの交流史・東南アジアや沖縄との交流史・
日本国内の生産者の組合や宗教団体による反乱(一揆)の歴史・
日本国内の天皇を巡る内戦(戦争)の歴史・
日本や北中国の間の遼東半島・朝鮮半島・山東半島をめぐる戦争の歴史・

475年の朝鮮半島の戦争は倭人(任那)と高句麗との間の戦争ではなく、
百済(百済武将、沙法名ら四天王(四武将)たち)と
北魏(均田制孝文帝の母の皇太后「太氏」の命じた遠征)の戦争だった。

663年の白村江の戦い後で668年の高麗国(高句麗)の滅亡前に
665年に山東半島の「泰山」で耽羅・倭国・百済・新羅の
「4カ国の使節」が「唐の将軍と盟約」した歴史事件を隠蔽して来た。

山東半島の登州に「満州の民族」の「渤海マッカツ族」が水軍で襲来して来た。
その後に安禄山が反乱を起こした。

渤海マッカツ族の大震国(渤海国)は漢江流域(帯水流域・帯方郡・
ソウルの流域)を支配し杉盧郡漢陽縣(ソウル)を置いていた。

遼国(契丹族・キタイ族)の時代の旧百済は
女真族の分派部族(玄徳軍)に支配され「南女真湯河司」を置かれていた。

新羅(辰韓)の住民は強制移住で立ち退かされ、安禄山の出身の胡族と
遼西の中国人が、辰州(もと新羅(保州・
定州など))へ入植し「東京統軍司留守」(奉国軍)の監理下に置かれた。


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