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6ハンドル付けて下さい:2006/06/19(月) 03:15:16
資治通鑑巻第二百一 唐紀十七 高宗天皇大聖大弘孝皇帝中之上

龍朔二年(壬戌、六六二)・・・
三年(癸亥、六六三)・・・九月,戊午・・・扶餘隆將水軍及糧船自熊津入白江,
以會陸軍,同趣周留城。遇倭兵於白江口,四戰皆捷,焚其舟四百艘,煙炎灼天,
海水皆赤。・・・常之與別部將沙_相如各據險以應福信,百濟既敗,皆帥其衆降。
詔劉仁軌將兵鎭百濟,召孫仁帥、劉仁願還。
百濟兵火之餘,比屋凋殘,僵尸滿野。仁軌始命_骸骨,籍戸口,理村聚,署官長,
通道塗,立橋梁,補_堰,復陂塘,課耕桑,賑貧乏,養孤老,
立唐社稷,頒正朔及廟諱;
百濟大絓,闔境各安其業。然後脩屯田,儲_糧,訓士卒,以圖高麗。

麟紱元年(甲子、六六四)・・・
二年(乙丑、六六五)・・・上命熊津都尉扶餘隆與新羅王法敏釋去舊怨;
八月,壬子,同盟于熊津城。劉仁軌以
新羅、百濟、耽羅、倭國使者浮海西還,會祠泰山,高麗亦遣太子福男來侍祠。


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