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愛国者

94ハンドル付けて下さい:2006/06/18(日) 09:12:06
>開城(ケソン)から都を「漢陽(ソウル)」に移した。
開京(ケきょん)から都を「漢陽(はにヤン)→改名→漢城(ハンそん)」に移した。

『韓国人の「反日」台湾人の「親日」』  黄文雄 p.159〜
 たとえば、「従軍慰安婦」問題については、
「人類史上、そして軍事史上、類例を見ない」とか、
「人類残酷史のなかでも、女性を戦場に連行し、娼婦を強要した国は、
この地球上でも日本しかない」とか、
「日本はわが国女性のすべてを集団で強姦したようなもの」と書く。
もちろん、それは意識的に読者を欺くつもりか、
それとも歴史に対する無知かのどちらかにちがいない。
 宗主国・中国(モンゴル王朝と、その後)は、
すでに二千年以上前より「従軍慰安婦」を国家制度として制度化していた。
五代の梁の武帝の太子の母は、従軍慰安婦であった。
また自らの朝鮮半島の歴史でさえ、高麗朝時代には、
「結婚都監」や「寡婦処女推考別監」がつくられ、
従軍慰安婦を一人絹十二匹でモンゴル政府に売っていた。
あるいは李朝は、十三歳から二十五歳までの処女の結婚を禁止し、
連行してきた娘を、王宮で貢女として選んでいたこともあった。
 韓国人学者の「人類史上、類例を見ない」
「人類残酷史上…」という歴史検証の手法が、
いかに安易であるかを指摘しておきたい。
歴史は自らに都合よく解釈し、歪曲してはならない。

朝鮮の「妓生外交」
http://capricone.web.infoseek.co.jp/jpn/dotoron/ianfu/index.html
・モンゴルに処女を送るため国民の結婚を禁じた高麗(寡婦処女推考別監・結婚都監)
・李朝時代の妓生の用途は「妓生(キーセン)外交」にあった(乙姫竜宮城式の明朝使節の歓待)
・従軍慰安婦(ピー屋(行商売春)・朝鮮置屋(慰安所の女))
・アメリカ軍相手の「洋公主(洋鬼子(ヤンクイズ)=ヤンキーズ)」
・外貨獲得のための妓生/1973年以降(日本の韓国スナックへの出稼ぎ・統一協会)


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