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愛国者

80ハンドル付けて下さい:2006/06/18(日) 08:44:57
さて 朝鮮でキムチが作られるよう担った起源を説明します。まず 秀吉軍が朝鮮出兵の際
防寒用具として足に入れていた唐辛子が 朝鮮に伝わりました。
それが朝鮮人に伝わり毒草として栽培されました。補足 中国から伝わった
ニンニクも毒薬として栽培されていました。被害妄想の酷い民族ですね 唐辛子を
倭芥子(うぇけじゃ)と言っていました。朝鮮の漬物は中国の漬物と同じでしたが 清により
塩の生産が禁じられたため かわりに唐辛子を入れたのがキムチの歴史の始まりです。
文献に唐辛子を使ったキムチが現れるのは、1766年に発行された「増補山林経済」です。
(李承晩のキムチを民族食にする運動による捏造の可能せいもあり。)
それ以前は無かったと言うことです。驚くほど歴史の浅い料理で保存が利かず、今でも
北朝鮮の人は保存食としてキムチより沢庵を食べています。沢庵 味噌 米は非常に優秀な保存食です。
これだけあれば冷蔵庫が無くても十分保存でき 生活できます。実際 これらの文化があった
日本は 中国 朝鮮の様な飢餓はほとんどありませんでした。(富士山が噴火した時期は大変だったようですが。)
中国 朝鮮で人肉を食べる習慣が生まれたのは
飢餓が起こると何も食べるものがないからです(当たり前と言えば当たり前だが。
飢餓に備えるという発想がなかったのです。飢餓になったら
人を食えばいいと考えていたから何もしなかったのです。実際人肉は売買されていました。)
つまり 韓国人の唯一誇る文化であるキムチが秀吉のおかげという悲惨な現実。

>チポンユソル(芝峰類説1700年代・李朝書籍)に倭芥子(うぇケじゃ・唐辛子)が記載


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