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愛国者

74ハンドル付けて下さい:2006/06/18(日) 08:31:33
朱印状貿易
 朱印船(しゅいんせん)は、16世紀末から17世紀初頭にかけて日本の支配者の
 朱印状(海外渡航許可証)を得て海外交易を行った船を言う。
 朱印状を携帯する日本船は当時日本と外交関係があった
 ポルトガル、オランダ船や東南アジア諸国の支配者の保護を受けることができた。
徳川家康は海外交易に熱心な人物で
 1600年豊後の海岸に漂着した
 オランダ船の航海士ウィリアム・アダムスらを外交顧問として採用した
 1601年以降、安南、スペイン領マニラ、カンボジア、シャム、パタニなどの
 東南アジア諸国に使者を派遣して外交関係を樹立し
 1604年に朱印船制度を実施した。
 1635年まで350隻以上の日本船が朱印状を得て海外に渡航した。
 朱印船は必ず長崎から出航し、帰港するのも長崎であった。
明帝国は日本船の来航を禁止していたので、
 中国は(ポルトガル居留地マカオを除けば)朱印船渡航先とはならず
 朝鮮との交易も対馬藩に一任されていたので、朱印状は発行されなかった。
朱印船渡航先
 安南 黎氏を擁立のハノイの鄭氏政権
 交趾 フエの阮氏政権。広南国ホイアン(会安)・ダナン
 占城 チャンパ王国
 暹羅 タイのアユタヤ王朝、山田長政
 柬埔寨 カンボジア王国
 太泥 マレー系パタニ王国
 呂宋 ルソン島
 高砂 ゼーランディア城オランダ人(台湾)
   交趾(73回)で最も多く、暹羅(55回)、呂宋(54回)、安南(47回)
1635年すべての日本人の海外渡航と帰国を禁止(第3次鎖国令)
オランダ東インド会社が唯一、出島貿易を独占することになる。


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