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愛国者

56ハンドル付けて下さい:2006/06/17(土) 06:51:33
十八史略(明治書院の新書版で無い箇所があり・分冊版には有る)
中篇 秦・漢・南北朝[・隋・唐]
下篇 [隋・唐・]五代・宋・南宋

〔五〕安史之乱
(一)禄山有反相 河東節度使(雲州・大同)・河北節度使(燕州・北京)の
         (さんズイなし)渓族・契丹族の異民族の兵を連れ
         騙し取った唐皇帝の衣を証拠として密命と偽り長安の都を攻める
(五)曾無一人義士邪 朝廷を守ろうと挙兵した顔真卿の従兄弟が破れ天津橋で卒す
(七)張巡守垂?陽
〔六〕唐の衰運
(五)黄巣之乱
下篇 五代・宋(北宋)・南宋
〔一〕契丹勃興
(一)燕雲十六州 後晋の石敬塘が契丹(のちの遼)に割譲
         契丹というのは満州族(女直族)の部族名で
         耶律阿保機(契丹の太祖)という者が 君長となると
         室韋(しつい)女真(じゅるちん)などの諸部族を統一して
         自ら皇帝と称し遼河の上流のシラムレン河の附近の臨黄に都を定めた
         西はウイグルの領土(トルキスタン)を併合し
         東は渤海国(後の李朝の黄海道まで)を掌中に収めた(AD926)
         太祖の子の太宗が五代の後晋の建国に兵を貸して
         その代償として 燕雲十六州(大同・北京)を領土とした。
(?)????  太祖の妃はジュツリツ太后(皇后)擁立せし子は東丹王(渤海王)。
         戦敗れ太祖の墓所に幽遷され没す。
〔一〕太祖創業
(一)陳橋之変 宋の太祖 姓は趙氏 名は匡胤 周の世宗の時
        軍政を掌ること凡そ六年
        時に主少くして国危うし。中外始めて推戴の議あり
        大軍既に出づ 夕に陳橋駅に次す。軍士聚議す。
        先づ[殿前都]点検([禁軍]親衛隊長)を立てて天子と為し
        然る後に北征せんと。      国号を宋と曰う。


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