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愛国者
55
:
ハンドル付けて下さい
:2006/06/17(土) 06:50:34
十八史略(明治書院の新書版で無く・分冊版には有る)
下篇 五代・宋(北宋)・南宋
〔一〕太祖創業
(一)陳橋之変 宋の太祖 姓は趙氏 名は匡胤 周の世宗の時
軍政を掌ること凡そ六年
時に主少くして国危うし。中外始めて推戴の議あり
大軍既に出づ 夕に陳橋駅に次す。軍士聚議す。
先づ[殿前都]点検([禁軍]親衛隊長)を立てて天子と為し
然る後に北征せんと。 国号を宋と曰う。
(三)諸侯勢軽、禍難不作 五代以来、藩鎮(節度使の牙軍が駐留する道州)強盛なり
帝漸を以て之を削る(牙軍の兵力を削減し 禁軍〔中央軍〕駐屯に吸収)。
諸の節鎮(節度使と牙軍の道州)を罷め(廃止し)
専ら儒臣(科挙試験採用文官)を用ひて 郡国を分理せしめ
以て節鎮の横を革む(横行を改革す)又諸州に通判を置き
以て刺史の権を分つ(刺史〔州知事〕の権限を通判に分け与える)
是れより諸侯勢軽く 禍難作らず』専ら民力を愛養するを務め
貢献(私縁賄賂〔献〕による贔屓にて公務流用〔貢〕)を罷め却け
羹余を進むることを禁じ 常に幹濯の衣を衣 寝殿は青布もて
葦簾に縁せり(衣類を洗濯して使い・青いカーテンや敷き布に
アシのスダレで囲うなど質素倹約の生活を心がけていた[清廉])
〔五〕南宋滅亡
(四)豈天意耶 世傑将に安南に趣かんとす 宋亡ぶ
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